2010年5月30日

坂本鉄男 イタリア便り 原発建設は決めたが…


 先進国の中で原発がない国はイタリアだけである。これは、イタリアは1958年から70年にかけて4カ所で原発建設が始められたにもかかわらず、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故のあと、87年の国民投票で、投票者の約80%の反対により原発の建設中止が決められたためだ。

 もちろん、原発の途中での建設中止は莫大(ばくだい)な損害をもたらせたが、民意では仕方がない。あれから20年以上たった今でも、イタリアは水力発電だけでは到底電力需要をまかない切れず、また、火力発電所に必要な石油、天然ガス、石炭のいずれも輸入に頼らざるを得ない。

 結局、不足電力は、誠に矛盾した話だが、主にフランスから、原発によって生産された余剰電力を購入しなければならないのが現状だ。

 これでは世界のエネルギー供給源の不安定な時代に対処できないと、ベルルスコーニ内閣は2008年に原発建設を決めた。

 だが、それでは国内のどこに建設するかという問題になると、約20年前の全国45カ所の候補地は、国民投票で拒否反応を示しただけに、いずれも尻込みするばかり。

 また、建設費用も毎年高くなるばかりで、予定価格を大きく上回るのは確実だともいわれている。

 こうなると、「先進国中唯一の原発がない国」の名誉ある(?)長期記録は、ますます更新し続けられることになりそうだ。

坂本鉄男
(5月30日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

2010年5月25日

MINESTRONE 8

Immag0154.jpgイタリアで新聞を読むときは気をつけなければいけない…、のをご存知でしょうか?
というのは、イタリアの新聞は、各紙に政治色がはっきりとあるからです。
イタリアで一番売れている新聞は「コリエーレ・デラ・セーラ」と「ラ・レプブリカ」。この2誌でさえ、「コリエーレ」が比較的中道であるとしても、「レプブリカ」誌は左派寄りになります。
完璧に右派の「イル・ジョルナーレ」や「リーベロ」。元共産党の新聞であり、今でももちろん左派の「ウニタ」。とにかく購買する新聞で、政治色を世間に告白していることになるわけです。

するとどのようなことが起きるか…。
例えば、元気で爽やかな気分の朝。7階の我が家から階段を降りようと、タカタカと階段を駆け下りながら、同じコンドミニオの住人の政治色が分かってしまうのですね。
ロッシさんは中道左派。ベルナルディさんは中道右派。ナルディさんは超左派。ヴァレンティさんは超右派。
もしくは、仕事で初めて会う企業の社長さん。机の上にさりげなく新聞が置いてあったりして、「おっ、そうか。それじゃあ、政治の話題には触れない方がいいな」とか、「あぁ、この人とは政治の話題もできるな」とか判断材料になったりします。
でも、時々、ドキリとするような素敵な男性が、かばんの中から超右派の新聞なんか出してくると、その途端100年の恋も冷めてしまう、ということも起きたりします。ロマンスが始まる前から、残念ではあります(まあ、ロマンスはいずれにしても始まらない可能性の方が大きいわけで、新聞を言い訳にする、という考え方もできますね)。

記事も、政治色により、同じ話題が全然違う観点で書かれているので、特に政治関係の記事は、時に全く違う内容に見えます。
日本の新聞のように、なんだかんだ言って根本は…、みたいな常識はありません。
デモの参加者の数なんか、倍以上違っている時があるし、政党の支持率や、世論調査なんかも、読んでる方の頭が混乱するほど違っています。
全然関係ないけど、天気予報も、新聞により、一方は晴天で他方は大雨だったりします。

そんなイタリアの新聞に、何か不便(不満)があるかと言えば…、何もありません。
真実は1つって、こともないし。
まあ、羅生門の世界が、新聞記事にも起きるわけで、それはそれで良いのではないかと思います。
ただ、何も知らない外人が、超右派の新聞を買ってしまったりしませんように…。イタリアに対するイメージがますます悪くなるでしょうから!!

政治とは関係ありませんが、イタリア新聞の文化欄は、とても内容が豊富です。
全体のページ数も多いので、文化欄も余裕のある構成で、アート・科学・本・映画や演劇・建築やデザインと色々なジャンルで、各新聞がとてもレベルの高い記事にしています。
写真も多いし、グラフィック的にもきれいな新聞が多いし、日本の新聞のように「質実剛健」な感じではありません。新聞もまた、良しも悪しも色々な意味で「イタリアらしい」ですね。

熱気溢れたシンポジウ厶

PICT0009.jpg日伊協会創立70周年の記念の「日伊交流促進の方途を探る」シンポジウ厶は5月19日午後に、在京ペトローネ・イタリア大使のお祝いのご挨拶で開幕、大使館、イタリア文化会館、イタリア貿易振興会、政府観光局、イタリア商工会議所の代表のお歴々が全員参加され、北海道、弘前、仙台、十日町、長野、名古屋、京都、大阪、高知、愛媛、長崎、宮崎の日伊協会と当協会の関係者が参加して、日伊両国語の同時通訳をアマディ、田丸両氏が務めるという、内容のある活発な本音の議論が行われ大成功でした。
このためにローマから久しぶりに帰られた坂本鉄男先生は、過去100年に及ぶ日伊間の文化交流の特徴や問題点を率直なお人柄を反映してユーモアに溢れつつも、時には苦言を呈する基調報告をされ、その後の熱気溢れる議論を見事に先導されました。
「イタリア熱」に陰りが見られる昨今ですが、日本人のイタリアへの関心はライフスタイルや社会へと移っています。イタリアでの日本への関心も文学作品のイタリア語訳出版でようやく高まりつつあります。グローバリズムの浸透の中で、文化の多元性の重要性が高まっている現代、日本によるイタリア文化の吸収という一方交通でなく、「対等な」相手文化への相互理解の流れの重要性と日伊の関係機関の間の連携強化の必要性が改めて確認されました。今後連絡ネットワークの強化を検討するという合意も出来ました。

PICT0011.jpg当協会としては参加者に深く感謝申し上げる次第ですが、大きな収穫は<石川ルーム>―当日午前開催の当協会の内輪の記念行事で201号室を故石川六郎会長を長く記念するためのこう命名しました―の同時通訳施設は完璧で、収容人員も最大限50名は可能と判ったことです。この規模の施設は使い勝手が良く、利便性も高いので、今後色々な目的のために利用して頂きたいと思います。

PICT0012.jpgこのシンポジウ厶開催にあたりペトローネ伊大使は三田の大使公邸で参加者全員と当協会支援者を盛大なレセプションにお招き下さいました。また(社)東京倶楽部は多額の経費助成をして下さいました。誠に有り難いことと、心から感謝申し上げます。

日伊相互理解の促進という観点から、日伊協会はこの夏に初めてボローニャ大学の学生10名強のために5週間に亘る日本語の夏季講座をこの<石川ルーム>を活用して行います。在京のイタリアの人たちに日本語や日本文化に触れてもらうことも重要と思います。
なお多くの受講生の方がこれらの学生のホームステイにご協力下さり、厚くお礼申し上げます。

日伊協会会長 英正道

2010年5月24日

坂本鉄男 イタリア便り 紙幣偽造犯


 通貨偽造は国の通貨制度を乱す重大犯罪のため、昔は、日本でもヨーロッパでも通貨偽造の罪は重かった。

 徳川時代は親や主人殺し、禁止されていたキリスト教信仰や関所破りなどと同じ罪の重さで、磔(はりつけ)にされた上、3日間死体がさらされた。

 英国でも大逆罪で死刑に決まっていた。

 ところが、19世紀後半になると、日本でも英国でもこの犯罪による死刑はなくなり、現在は日本では無期または3年以上の懲役、欧州連合(EU)加盟各国では懲役3年から12年までが普通だから、昔と比べると刑は大幅に軽くなった。

 こうした理由からか、最近も通貨偽造事件は跡を絶たず、欧州中央銀行の調査によると、2009年下半期だけで44万7千枚のユーロ偽造紙幣が発見され、前年比8%増だという。ユーロ流通以来8年が過ぎた現在、偽造技術も年々向上しているから始末が悪い。

 EUの中ではイタリアでの偽造犯罪が一番多く、イタリア中央銀行によると、昨年同期にイタリアで発見されたニセ札は8万1181枚に上る。同時にイタリアの警察はこうした犯罪捜査に詳しいことから検挙数も一番多い。

 以前は紙幣の偽造は50ユーロ(約5500円)以上の高額紙幣が多かった。だが、最近は一番多い偽造紙幣は20ユーロ(約2200円)札だというから油断は禁物である。

坂本鉄男
(5月24日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

2010年5月19日

プーリア便り20-2

午後は観光。
まずは司教城の中にある陶器博物館(Museo della Ceramica)へ。
500以上の陶器が並ぶ館内を見ていると、料理、食品保存、室内装飾…、グロッターリエでは生活の様々な場面で陶器を用いていた歴史があることが分かります。
トイレも昔は陶器でできた坪で、そこに用を足しては捨てていたそうですよ。

同敷地内には地中海庭園(Giardino Mediterraneo)もあり、青空美術館よろしく陶器製のプレゼーピオが置かれています。

その後はグロッターリエ産の陶器で彩られた2つの教会、マードレ教会(Chiesa Madre)と聖フランチェスコ・デ・ジェローニモ教会(Chiesa S. Francesco de Geronimo)等を見て回りました。

DSC_1264_resize.JPGところで、歴史的市街区を歩いているとどのお宅もバルコニーにアーティチョークのような形の陶器が飾ってあります。
この美しい置物は「プーモ:pumo」といって幸運を招くチャームだそう。通常2つセットで飾られるので「プーミ(pumi)」と複数形で呼ばれます。
様々な色や模様で各家庭のバルコニーを彩るプーミを眺めながらの散策もグロッターリエならではで楽しかったです。

最後に、買物について。
私、買った物を披露するのが大好きなのでもう少々お付き合いくださいませ~。

「自宅用なので簡単な包装で結構ですよ」と伝えたところ、こんな風に陶器に紐を通して包んでくれました。
素朴でかわいいし、この小さな陶器は後でお香立てに使えそう!

scatola_resize.JPGそしてさんざん悩んだ末にゲットしたのがこちら。小皿6枚、調味料入れとプーモ各1つです。
P5160003_resize.JPG

小皿は人物、植物等のデザインもあり、形や深さも様々だったのですが、動物のデザインに決め、あえて全部違う柄にしてみました。
でもよく考えたらイタリア料理ってあまり小皿を使う機会がない?!
我が家では多分、塩や漬物を盛ったり、醤油皿として使ったり、とコテコテの和食で使うことになるでしょう…。

調味料入れは蓋が赤で器の上部が黄色、下部が素焼き、と様々な色と質感が1つになっている点が決め手。

プーモは通常の形状よりやけにおデブさんでそこにひかれました。
おまけにGIANがファンであるフィオレンティーナ(フィレンツェのサッカーチームのチームカラー)色なので文句なしに決まり(笑)

ピエラ&チロは鍋敷きを買おうとしていましたが「まだ試作品なので売ることができないんだ」と職人さんから言われ、残念そうでした。

さて、プーモも買ったことだし、我が家にもますます幸運が訪れるといいな(^^)
ピエラ&チロ、すてきな1日をありがとう!

プーリア便り20-1

プーリア便り20-1

 Ciao dalla Puglia !

5月に入り、25度を超える初夏の陽気の日も多くなりました。
そんな気持ちのよい休日、グロッターリエ(Grottaglie)に住むピエラから「お天気もいいし、遊びにいらっしゃいよ」と嬉しいお誘いをいただきました。
GIANの建築事務所で彼の右腕として活躍してくれている有能な部下、ピエラは生まれも育ちもグロッターリエ。
今回、同じくグロッターリエ出身のご主人、チロと一緒に町を案内してくれました。

グロッターリエはマルティーナ・フランカから車で30分ほど。
「grotta:洞窟」から派生した名からも分かるように洞窟が多い町として知られています。
そして何と言っても有名なのが代々伝えられた職人の伝統的手仕事で作られる陶器。
町に一歩足を踏み入れるとそこかしこに工房が並び、案内表示や表札等も陶器です。

galloDSC_1194.jpg歴史的市街区入口では各工房の職人達が作ったプレートが出迎えてくれました。
 ニワトリはこの地域の陶器に使われる最もポピュラーなデザインですが、それぞれ個性が出ていますね。
初めての方は、このプレートを参考にお好みの工房を訪れるのも良いかもしれません。


今回、私達はピエラ&チロのお気に入りで、普段からよく買うという工房へ行きました。
中心街から少々外れている上、目立たない入口を上がった2階にある小さな工房なのですが、これがとーっても私好みの雰囲気と品揃えでかなり興奮!

DSC_1147_resize.JPGグロッターリエの焼き物の魅力はプーリアの郷土料理にぴったり合う素朴な温かみ、シンプルで明るい色で彩られたデザインだと私は思うのですが、そんなツボを押さえた作品が所狭しと並んでいます。
ブログでお見せしたい写真も買いたかった物も山ほどあるのですが、キリがないので仕事風景の写真を1枚だけ。
少し照れながらも仕事の手を休めて応じてくれました。

作業場の窓からは美しい絵画のような風景が! 作業もはかどりそうですね。

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DSC_1134_resize.JPG工房屋上のテラスからは司教城(Castello Episcopio)やグロッターリエ産の陶器で彩られた教会のクーポラ等が一望できました。
その後、実際にこれらの城や教会も訪れましたがここから眺めた時が最も印象的でした。






DSC_1187_resize.JPGここの職人さんが「若いけど腕のいい職人がいるよ。
展覧会をしているから見ていったら」と2軒隣の工房を紹介してくれたのでそちらもおじゃますることに。
洞窟を利用した展示会場。
伝統的な作品と現代的な作品も並んでいました。


こちらは液体を入れる「プーペ(pupe)」と呼ばれる容器。
片面は男性、もう片面は女性の理由は「昔々、この地方では結婚初夜に新婦を領主に貸す決まりがありました。
しかしそれを嫌がったある新郎は女装し、新婦に化けて領主の元へ出かけました。
しかし髭をそり忘れたためにバレてしまいました」という伝説に由来します。

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作業場所にもおじゃまさせていただきました。
真剣に仕事している姿は日伊問わず美しいです。

DSC_1173_resize.JPG ~続く~
 
プーリア便り20-2

2010年5月17日

談話会「最近の日伊文化交流」

第59回談話会「最近の日伊文化交流 約3年のローマ在勤の経験から」
P5151456.JPG講師 高田和文(静岡文化芸術大学教授、前ローマ日本文化会館館長)

今回の談話会は5月15日三笠会館にて、前ローマの日本文化会館館長オペラの高田和文先生をお招きし、イタリアにおける日伊文化交流についてお話していただきました。

 たとえば演劇を例にあげると、イタリア人にとって人気のあるのは古典演劇の歌舞伎や狂言、能で、その次に人気のあるのは現代演劇だそうで、その間の新劇のような、いわゆる演劇はまだまだ知られていないそうです。
それは私たち日本人にとっても同じことで、音楽に関して言えばイタリアといえばオペラ、それ以外はなかなかポピュラーになっていません。
まだまだ知られていないものをもっと知ってもらうため、知るためにも、双方向の文化交流の大切さをますます感じさせるお話でした。

<今回のメニュー>
奥久慈自然卵サーモン包みグラタン仕立て チーズのガレットとグリーナアスパラを添えて P5151451.JPG五島列島的鯛とイタリアン野菜のオープン焼き グリーンフィットチーネを添えて P5151453.JPG2種類のグレープフルーツのテリーヌ ヨーグルトソルベ添え P5151454.JPG日伊協会J

シエナの裏-美術展

Siena.JPGはじめまして! イタリア中部の町シエナにあるダンテ・アリギエーリ校の金子です。
菜の花が春風にゆれるトスカーナよりお便りです。

今春シエナで、初期ルネサンスをテーマにした大規模な美術展“Le arti a Siena nel primo Rinascimento”の幕が開けました。
世界各国の135もの美術館から集められた芸術作品は、いずれもためいきの出るようなものばかり。
さながら優美なるタイムカプセルのごとく、在りし日の栄華を物語っています。
町を知る人の中には「え?ルネサンス?シエナ?栄華?」と思う方もいるかもしれません。
現在のシエナは人口6万人ほどの小さな町で、ユネスコに登録されているとは言え、芸術の都パリのような華やかさもなければ、メガロポリス東京のような都会のダイナミズムもありません。
また、ゴシック建築の町並みやパリオ祭に代表される「中世」「コンサバ」というイメージが浸透しているため、ギャップを感じるのはもっとも至極と言えます。
今回は、ステレオタイプのラベルを裏切るシエナの顔をご紹介したいと思います。

【歴史のミルフィーユ!】
映画のセットのようなレンガの町並みで有名なシエナですが、その起源は中世から大きく前にさかのぼり、紀元前のエトルリア人居住地が発祥とされています。
その後、古代ローマ帝国軍の城塞を中心に町は発展し、南北に縦断する巡礼路 via Francigena に沿うように3つの丘の上に広がっていきました。
強大な中世都市国家として勢力をのばすころ、旧市街地はおおむね現在の形となりました。
何世紀にも渡る変遷を経たものの、各時代の痕跡は今も町のいたるところにとどまり、エノテカの地下にあるワイン倉がエトルリア時代に掘られたものであったり、アパート内部に中世の教会のアーチが残されていたりと、歴史が日常に溶け込んでいます。

Santa Maria della Scala Retro.JPGまた、美術展の会場の一つともなっている Santa Maria della Scala は、時代の変遷を凝縮しているシンボルとも言えます。
現在、複合アート施設となっている建物は、エトルリア建築を土台に今世紀まで増改築が繰り返され、複雑な構造のあちこちにその歴史を宿しています。
代表的なフレスコ画は、建物がヨーロッパ最古の巡礼者宿泊施設・病院の一つとして使われていた当時を伝え、治療や慈善活動の様子をありありと物語っています。

【アバン・ギャルド】
もう一つのシエナの顔は、ルネサンスの夜明けに興ったアバン・ギャルドの精神です。
時代の最先端をゆくメンタリティは、強大な都市国家を実現するとともに、ヨーロッパ文化の発展にも大きく貢献しました。
この精神はルネサンス前派とされるシエナ派の芸術家たちにもよくうかがえます。
13世紀ごろの作品には、遠近法を試みたり、絵画のモチーフに風景を取り入れたりと、彼らが“primitivi senesi”の通称とは裏腹に新時代のアートを模索していた様子がよく表れています。
「金地の背景に聖人」という当時の定番をくつがえす飛躍的な転換は、あの世からこの世への視線の転換、現世の肯定というルネサンスの思想そのものです。
さらに、実生活の面でもシエナはヨーロッパ全体に多くの影響力を及ぼしていきました。
15世紀半ばには世界初の銀行と言われる Monte dei Paschi di Siena が生まれ、勢力下の町からは二人の教皇を輩出します。
また、続く16世紀には他の町に先駆けて本格的なイタリア語教育機関が設立されるなど、まさに最先端の代名詞ともいえる町でした。

現在のシエナは、伝統と現代の共存をめざすヒューマンサイズの町として21世紀を生きています。
さまざまな歴史的変遷の中、いずれの時代も町の精神には「調和」というキーワードが共通しているように思えます。
国立絵画美術館、キジャーナ音楽院、国立大学、諸研究所など、町が擁する多くの文化施設や教育研究機関には現在も世界中から文化人が集まり、国際色豊かな調和は、ルネサンス前夜に描かれたロレンツェッティのフレスコ画『善政』を彷彿とさせます。
lorenzetti buongoverno2.jpgこのような町シエナから、これから「旬のイタリア」をテーマにお便りをしていく予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。

2010年5月16日

坂本鉄男 イタリア便り ダブルベッドの勧め


 だいぶ昔のことだが、イタリア人の知人に突然、こう尋ねられたことがあった。

 「日本では、夫と妻は一緒に寝てはいけないのかい」

 「そんなことはないよ。昔、儒教の影響で“男女7歳にして席を同じゅうせず”といわれた時代も確かにあったがね。でも、君はなぜそんな質問をするんだい」

 その理由が皆目分からなかったのだが、ここで知人は初めて理由を説明した。知人の話はこうだった。

 彼の家に来るお手伝いが、以前日本人のイタリア支店出向社員の家に週2回掃除に行っていたのだという。ところが、夫婦仲はよいのに、30歳代後半の主人はダブルベッドで1人で寝て、奥さんはというと別の部屋で1人で寝ていたという。

 イタリア人には想像できない夫婦生活だったというわけである。

 日本で畳の家で1人ずつの布団で寝ていた夫婦にはダブルベッドは嫌だったのかもしれない。イタリア中を飛び回る忙しい猛烈社員の夫は家では1人でゆっくり寝たかったのかもしれぬ。だが、夫婦がベッドで肌を合わせて寝ることは夫婦和合の増進になる。

 日本の少子化は夫婦の性交回数の世界まれなる少なさが一因なのかもしれない。これを打破するためにはダブルベッドの普及もひとつの方法だ。まさか政府が音頭をとるわけにはいくまいが。

坂本鉄男
(5月16日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

2010年5月11日

プーリア便り19-2

P4220022.JPGさて、今回利用した“Osteria del Coco Pazzo(オステリア・デル・ココ・パッツォ)” 。
オーナー・シェフ、ステファノの作る料理はプーリアの伝統料理も現代料理もいつもハズレがなくおいしいし、イタリアのレストランは魚料理専門・肉料理専門の店も多いのに対し、ここはどちらもあって使い勝手も◎。
ステファノの状況に合わせた程よい距離感のサービスも気に入っています。

先月新装開店したばかりで、建物は白い石を使った伝統的プーリア建築。
リフォーム後もこうして元の様子を一部残すのも、古い物や思い出を大事にするイタリアらしいところ。
P4190039.JPG伝統的建築にモダンな装飾の店内は、伝統を大事にしながら進取の精神も兼ね備えるステファノの料理にも通じるような気がします。

P4190040.jpg私はステファノが彼のお兄さん(同じくシェフ)と共に開催した料理教室に参加した縁で知り合ったのですが、彼の一族はマルティーナ・フランカ近辺で他にもリストランテ、トラットリーア、ピッツェリーアを経営するシェフ一家なのです。
ランチも営業していますし、場所もチェントロ内なので観光途中で訪れるにも便利。
その日の仕入れによる日替わりメニューも多いですし、英語もけっこう通じますので、気軽におすすめを聞いたり、お話してみて下さい!

“Osteria del Coco Pazzo”
via Arco Mastrovito,
Quartiere "Lama",
74015 Martina Franca (TARANTO) -  Puglia
TEL.080-4838299
営業時間:昼 11:45~、夜 19:00~。バカンス時期を除き、毎日営業。

プーリア便り19-1

2010年5月 9日

坂本鉄男 イタリア便り 鳴け、鳴けヒバリ


 ヒバリは春を代表する鳥である。ヨーロッパの芸術家たちもヒバリを題材にして色々な作品を書き上げた。例えば、シェリーは「ひばりに寄せて」の詩を書き、ハイドンは弦楽四重奏曲「ひばり」を作曲した。

 こうやって考えると、芸術の国イタリアでもさぞ愛される鳥だろうと思うと大間違い。イタリア人は狩猟が大好きで、ヒバリなどの野鳥までほとんど撃ち落とし食べてしまった。

 だが、乱獲による野生の鳥獣の激減に加え、自然保護が国際的に叫ばれるようになると、さすがのイタリアでも狩猟期間を毎年9月1日から1月末日までと厳しい制限を設けた。

 だが、獲物が少なくなった上、猟期が短くなっては興味も減るわけで、狩猟人口もブームだった1970年代の180万人から最近は80万人と半分以下に大減少してしまった。

 とはいえ、イタリアは猟銃やピストルなど銃砲産業では有名な国である。狩猟人口の激減はこの業界にとっては死活問題だ。結局、議会に働きかけ、「今までの猟期は野ウサギやキツネなどほ乳類だけに適用」とし、「鳥類の狩猟は1年中お構いなし」との法改正案を上院で通過させてしまった。

 これには、環境保護団体のみならず閣内と与党の中でも大反対が起こり、幸い4月下旬、下院で改正案は否決された。

 イタリアの春の空に再びヒバリがさえずる日が早く戻るのを祈りたい。

坂本鉄男
(5月9日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

2010年5月 7日

トーニャとレジーナの南イタリア紹介「南イタリアのめんどり祭り」

  foto_0.jpg南イタリア、カンパニア州にパガーニ(Pagani)という小さい町があります。
毎年、パスクア(復活祭)の後の最初の日曜日には、パガーニの最も美しいめんどりが自ら市内中心部の教会にやってくるという話があります。
めんどりが到着すると“マドンア・デッレ・ガッリーネ (Madonna delle Galline、めんどりのマドンナ)”の祭りの始まりです。

“めんどりのマドンナ”とはなんでしょう?どうして“めんどり”なのでしょうか?この奇妙な名前の由来は何でしょうか?

伝説によると、1500年頃、何羽かのめんどりが地面をつっついたら、“マドンナ・デル・カルミネ(Madonna del Carmine)”というマリア様が描かれた木の板が出てきたそうです。
その時から“マドンナ・デル・カルミネ”のマリア様は、この土地の人々に崇拝されるようになりました。
このマリア様は、病気の治癒を始め多くの奇跡を起こし、信仰の輪はますます広がりました。
そして、1610年に彼女に捧げるための教会が建てられました。これは今もある町で最も美しいバロック様式の教会です。

めんどりが絵を発見したのは、パスクア後の最初の日曜日だと言われています。
それで、500年以上たった今でも、毎年同じ日曜日にその小さな町にマドンナ・デル・カルミネの祭りが行われるのです。

朝9時頃、めんどりやおんどり、クジャクやその他様々な種類の鳥に囲まれたマドンナの木像が教会から出発し、祭りが始まります。
祭りの行列は町の路地を練り歩き、夕方まで続きます。
すべてのバルコニーにはカラフルなタペストリーが飾られ、そこから花びらのシャワーが降りそそぎます。
さらに爆竹や花火でマリア様を迎えます。
マリア様は信者のために止まりながら、ゆっくりと進みます。
不思議なことに、マドンナの木像の足もとにいるほとんどの鳥は、信じられないほどの大きい音が鳴り響く中でも、じっとして、飛んでいってしまうものはいないのです。
今までこの現象に論理的な説明をすることができた人は一人もいません。
でも、町の人々には説明など必要ありません。これは奇跡なのです!

foto_1.JPG外で華やかに音楽が鳴り響く一方、家の中では、主婦たちは料理の準備に余念がありません。
自家製パスタにラーグー(ミートソース)、メイン料理はローストしたアーティチョーク。
この日はパガーニのすべての家で同じメニューが用意され、違う食べ物を食べるのは冒とくと考えられています!

foto_2.JPG午後には、行列がゆっくりと行進する中、南イタリアの各地からミュージシャンやダンサーのグループが集まり始めます。
さて、南イタリアの最も人気のある祭り、タッムッリアータ(tammurriata)と呼ばれる民俗舞踊の始まりです。
音楽が流れる中、路地や中庭、古い壁や石の階段、わらの椅子を美しく見せる柔らかな光が降り注ぎ、まるで時が遥か昔に戻ってしまったかのように感じられます。
絶え間ないタンバリンやカスタネットのリズムで、老若男女が一晩中タッムッリアータを踊ります。
言葉だけでは、本当の雰囲気が伝えれらないのが残念です。
鳴り響く音楽や永遠に続く舞踊、そして人々の厚い信仰心が、祭りの場を特別な空間にするのです。
 
foto_3.JPGほとんど毎年、私たちトーニャとレジーナはこの祭りに参加しています。
パガーニで生まれた私レジーナは、子供のときからこのダンスを踊っています。
最初は祖母から、次は母からこの貴重な伝統舞踊を教えてもらい、今では伝統を守る精神を尊重しながら、同時に踊りそのものも楽しんでいます。
よろしければ、ぜひこの映像をご覧ください。

しかし、南イタリアで行われるのはパガーニの祭りだけではありません。
カンパニア州には、半世紀以上の歴史を持つ伝統的な祭りがたくさんあります。

たとえばナポリ県にあるサンタ・アナスタシア(Sant'Anastasia)という村では、毎年パスクアの月曜日にパガーニの祭りとに似た“マドンナ・デッラルコ(Madonna dell'Arco)”が開催されます。
信者が行列をして、聖母の教会を訪問してから、古代音楽と舞踊で人々を楽しませます。  

foto_4.JPGイタリアの家族的なパスクアの雰囲気を味わいたいと、パガーニに来た日本人のマリさんとアサキさんがそのマドンナ・デッラルコのお祭りも体験しました。  

foto_5.JPG彼女達の旅のレポートは下記ブログをご覧ください。
http://mmnowhere.exblog.jp/13445238/
http://mmnowhere.exblog.jp/13496411/

私たちが深く愛する南イタリアの伝統行事、ぜひみなさんも休暇を取って実際に体験しに来てください。
旅の情報などお気軽にメールでお尋ねくださいね。
お待ちしています!

Ciao a tutti
logo_zenzero.jpgTonia & Regina


P.S.
“マドンア・デッレ・ガッリーネ (Madonna delle Galline)”、民俗音楽について知りたい方は、以下のサイトをご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=xCsR61uuibc
http://www.youtube.com/watch?v=V0CO7z2X70g

(イタリア語なので少し難しいですが、頑張ってくださいね!)

プーリア便り19-1

Ciao dalla Puglia !

嬉しいことに3月、4月と立て続けに日本から友達が遊びに来てくれました。
ツアーを利用しての来訪で、あまりフリータイムもないので“せめてプーリアらしい料理を楽しんでいただきながらお話しよう”と思い、夕食をご一緒しながら会うことに。

P4220018.JPG今回、一緒に向かったのは“Osteria del Coco Pazzo(オステリア・デル・ココ・パッツォ)”。

着席するとまずおつまみ類がサービスで出てきます。
タラッリーニ(Tarallini:プーリア特産の輪状のスナック)やオリーブは定番ですが、目を引くのは色々野菜の手作りピクルス。
酸味と塩気が柔らかく、野菜本来のおいしさともあいまっていくらでも食べれてしまう味なのです。
今回が初プーリアの旅であるSさんも出だしから気に入って下さったようです。

続いて前菜。プーリアは前菜の品数がとにかく多いのが特徴。
以前、拙ブログでも登場したブッラータやカポコッロはもちろん、トリッパ(トマトソースの代わりに様々な香味野菜を使って優しい味に仕上げるのがマルティーナ風)、詰め物をしたムール貝のオーブン焼き等々。
毎度のことですがここで全員既におなかがきつめ。

P4190031.jpgそこで「おなかがきついけどみんなで味見をしたいので今日のおすすめプリモとセコンドを1人前づつお願いね」と注文。
しかし!イタリアサイズでたっぷり3人前はあるムール貝とアーティチョークのニョッキを持ってくるオーナーシェフ、ステファノ…。

P4190035.jpgでもこれが絶品で今が旬のアーティチョークと地元ターラント産ムール貝の旨味たっぷり!
私もニョッキ嫌いのGIANも完食、Sさんもホテルで待っていらっしゃるお母様用にお持ち帰りを頼んでいました。

P4190036.JPGちなみに日本からいらしたかたは驚かれますが、写真に写っている生野菜はサービスでおかわり自由です。
農業が盛んなプーリアではこうしたスタイルで野菜をたっぷり提供する店が多いのです。

途中、ステファノも英語と伊語のちゃんぽんで会話に加わり、Sさんも彼に直接料理について尋ねたり、賛辞を送ったり、話は尽きませんでしたが、ツアーが翌早朝出発ということもあり、最後にデザートをいただいてお開きとしました。

今回来て下さったSさんは4年前に貿易学校でお世話になったビジネス英語の先生。
当時はかなり厳しい先生でしたが、卒業後はとても気さくにお話し下さって、連絡を取り合ったりこうして会うこともできて嬉しいかぎりです。
先生が教えてくださった「英語にも敬語があるのでビジネスというフォーマルな場では常にそれを忘れないこと」という基本は今もよく覚えています。
例えば“Can you speak English?”と能力を問う尋ね方ではなく“Do you speak English?”と尋ねるとか…。
結局、私はその後、伊語を使う仕事に就いたわけですが、相手を尊重し、思いやりのある言葉を使うことが大事、というのはどの国の言葉も同じなわけで。
S先生には実務面のみならず精神面についても色々と教えていただいたことを感謝すると同時に、すっかり英語の勉強をサボってしまっている現状を反省もしたのでした(GIANも一緒だったので彼も交えての会話は英語で進んだのですが私の英語のまずさと言ったら…(>_<)

それにしても、ツアーを利用しての来訪は僅かなフリータイムを縫っての再会となり、ゆっくり過ごせなかったのが心残り。
もっと時間があれば他にもおすすめがいっぱいあるのに(いずれの友達もプーリア滞在はアルベロベッロの1泊だけだったので)…。
でも前菜からデザートまで喜んでいただけてよかったです。
また日本&イタリアで会いましょうね!

今回利用したオステリアについては次で改めてご紹介します。 プーリア便り19-2

2010年5月 2日

坂本鉄男 イタリア便り 聖骸布


 聖骸布(せいがいふ)と言われてもなんのことだか分からない人が大部分だと思う。

 これは、磔(はりつけ)にされたイエス・キリストの遺体を十字架から降ろしたときに包んだ布のことであり、北イタリアのトリノ市の大聖堂に保管されていている。

 どういうわけか、14世紀中ごろに発見され15世紀中ごろからは元イタリア王家のサヴォイア家が所有していたが、第二次大戦後カトリック教会に引き渡された。普段は、本物は特別礼拝堂の聖櫃(せいひつ)に納められていて、聖堂内部に実物大のネガ写真が飾ってある。

 私は昨年もネガ写真を拝観したが、ボランタリーの案内係の説明によると長さ4・36メートル、幅1・1メートルの細長い布で、紀元1世紀の杉綾織のリンネルだそうだ。二つ折りにして身長約170センチの男性が包まれていたそうで、背中と腹部に当たるところに血痕のような染みがある。

 「どうして1世紀の布であると分かるのですか」とぶしつけな質問をしたところ、正直な案内係は「そうですね、1988年の放射性炭素測定では13世紀末から100年の間のものだとも言われているのですよ」と答えた。

 だが、こういう遺物はありがたく拝観するもので科学調査の対象にすべきではない。

 今年は4月10日から5月下旬まで本物が拝観できることになり、毎日、信者で長蛇の列ができている。聖なる遺物とはそれでよいのである。

坂本鉄男
(5月2日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)