2012年2月 5日

坂本鉄男 イタリア便り「日本人である幸せ」


 昔、日本文学研究で名高いドナルド・キーン先生に「日本人のように、自国語で外国の古今の名作のほとんどを読める幸せな国民は他にはない」と教えられたことがある。

 先日、版元の丸善出版から「イタリア文化事典」が届いた。東京の日伊協会(英正道会長)が監修して、協会の創立70周年とイタリア統一150年を記念して出版されたものだ。

 900ページにおよぶ同書は、イタリアに関する日本初の百科事典のようなもので、340の項目を各分野の専門家約150人が解説している。私も編集委員の一人で数項目を担当した。

 私はイタリア語の学習がまだ盛んでなかった時代に、卒業と同時に東京外国語大学で17年間教鞭(きょうべん)をとり、文法書を書き、辞書も編纂(へんさん)した。その後、国立ナポリ東洋大学の当時の学長に請われ、イタリアに移り、日本語・日本文化の普及に努めた。

  現在は若手専門家が増えているが、彼らによる日本文法や辞書は出ていない。約30年前、伊財界の巨頭で世界文化賞顧問も務めた故アニエリ氏を会長に、私も 副会長の一人となって「伊日財団」を設立したが、日本への関心が低く成功したとはいえない。イタリアで「日本文化事典」が出るまでにはあと50年いや 100年を要するのではないか。
坂本鉄男
(2月5日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

2012年1月29日

坂本鉄男 イタリア便り 豪華客船と人災


 イタリア人は、昔から休暇を豪華客船で過ごすのが大好きだ。このため、春、夏、クリスマスの休暇シーズン前には、近いものでは「地中海周遊」、遠いものでは「カリブ海クルーズ」の広告がたくさん出回る。

 こうした事情を背景に、イタリアは豪華クルーズ船の建造では世界有数の実績を誇ってきた。今回海難事故を起こした「コスタ・コンコルディア号」の船会社「コスタ」も今は米国の会社が所有するが、15年前まではジェノバの海運王コスタ家のものだった。

 4年前に偶然ジェノバ港に停泊中の「コンコルディア号」を見たが、そのときもらった説明書にこう書いてあった。

 建造は2006年、全長290メートル、幅36メートル、水面からてっぺんまでの高さ61・5メートル、乗組員数1100人、最大収容乗客数4231人で、船内には客室が1500室、プールが4つ、レストランが6つ、大劇場が1つ、人工砂浜が4つ、その他あらゆる娯楽・スポーツ・美容施設が備わっているとあった。まさに11万4千トンという見上げるような巨大な客船、いや海に浮かぶ豪華ビルだった。

 今回の海難事故は、いくら科学の粋を集めて造った豪華客船でも無責任な船長に任せたら泥舟にすぎないことを示す好例であった。
坂本鉄男
(1月29日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

2012年1月22日

坂本鉄男 イタリア便り ネコにキウイ


 最近の農業統計によると、かつては世界1位であったイタリアのキウイの年間生産量は約43万トンと、原産国の中国の約49万トンに1位の座を譲り渡し、世界2位だそうだ。

 一方、ニュージーランドは1900年代初頭に中国から原種を移植栽培し、キウイフルーツと命名し世界中にキウイの名を広めたが、第3位の約38万トンになっている。ちなみに、キウイの名はその色がニュージーランドの国鳥キウイの色に似ていることから出ている。

 イタリアのキウイ生産は約50年前からブドウ生産農家の転作から始まったが、気候が適していたため、またたく間に世界有数の生産国の一つになった。主生産地もローマを州都とする中部のラツィオ州、トリノを州都とする北伊のピエモンテ州の2州でイタリア生産量の大半を占め、重要輸出果物の一つである。

 イタリアのキウイ農家の大敵はネコだ。ネコは若木の匂いに引き寄せられ、幹を爪で引っかいたり、かじったりするため、若木は根元に網を巻いて守ってやる必要があるそうだ。

 一体、なぜキウイの若木にネコが寄っていくのだろうと不思議に思っていたら、キウイはマタタビ科の植物だということが分かった。「ネコにマタタビ」のことわざを持つ日本人として「なるほど」と合点した次第である。
坂本鉄男
(1月22日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

2012年1月15日

坂本鉄男 イタリア便り エゴイストの世界


 世の中にはエゴイストが多過ぎる。財政赤字克服のため国民が耐乏生活を強いられているイタリアで、新内閣が欧州連合(EU)でも最高額クラスの給料をもらっている国会議員の収入を引き下げ、他のEU諸国並みにしようとした。議会側は「議員歳費改定は国会の権限」との理由でさんざん抵抗した末、やっと引き下げに応じる態度を見せた。

 経済活性化対策の一環としてこれまで特権を享受してきた公証人や薬局など多くの同業組合の廃止案にも組合側は大反対した。3大労組は解雇条件の簡素化をはじめとした労働契約の改定に、組合の弱体化を恐れ反対する。彼らの姿勢を、自国が潰れたら元も子もなくなるのが分からないのかと疑いたくなる。

 だが、もっとひどいのが日本の政治家だ。国にもよるが、EUの国会議員の収入の数倍が議員1人当たりに毎年税金から支払われているとされる。日本の赤字国債総額はEU諸国とは比較にならないぐらい巨額だが、外国の銀行からでなく実質的には国民から借りているため破綻が来ないだけだ。

 東日本大震災と福島第1原発事故で国家が莫大(ばくだい)な費用を必要としているのに国会では増税案ばかり出し、議員総数の削減はおろか議員歳費の削減案など実行に移す動きは鈍い。エゴイストの最悪例である。
坂本鉄男
(1月15日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

2012年1月 9日

坂本鉄男 イタリア便り 犬や猫の身になって!


 ペットを飼った経験のある方や現在飼っておられる方はお分かりだろうが、犬や猫たちは花火が大嫌いで、あの爆発音に震え上がって縁の下や部屋の隅に逃げ隠れ、縮こまってしまう。

 イタリアの大みそかは新年と同時に、テラスや窓から一斉に花火を上げ、さらに、爆竹を道路で鳴らす伝統があり、犬猫にとっては最悪の日である。

 今年の元旦もナポリやローマなどでは昔ほどではないにせよ、盛大に花火が打ち上げられ、爆竹が投げられ、2人の死者、重軽傷者500人以上を出した。

 しかし北イタリアのトリノでは違っていた。12月下旬に市が条例を制定し、「犬や猫を脅かす爆竹の禁止」を決めたのだ。違反の程度により25ユーロ(約2450円)から500ユーロ(約4万9千円)の罰金が科され、悪質なケースは刑事告発されるという厳しい内容だ。

 トリノでは動物愛護に関する条例も整備されている。「レストランへの飼い犬の連れ込み」も、レストラン側が正当な禁止理由を表示している場合を除き、飼い主が口輪をはめるなどの適切な措置を取っていれば、許可している。さらに、「飼い犬同伴可能」なホテルも他の都市と比べて、ずっと多い。犬や猫にしてみれば「どうせ飼われるならトリノで」と思うに違いない。
坂本鉄男
(1月8日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

2012年1月 7日

坂本鉄男 イタリア便り 辰の年


 今年は辰の年。竜の図案の年賀状を送った方も多いだろう。だが、十二支は古来、年月の順序や方角を示すもので「辰」と「竜」とは関係がなかった。

 十二支の名前を覚えやすくするために、ほかは実在の動物の名に結びつけられたが、「辰」だけには空想的霊獣「竜」を当てざるを得なかったというわけだ。

 竜は東西の神話に出てくる。角が生えた頭部、火炎を噴き出す裂けた口、首と胴は硬いうろこに覆われた蛇、鋭い爪を持つ4本の足、背中には空中を自在に駆け回る強い翼を持つ。

 ヨーロッパの神話や伝説の中の竜は、人間に敵対する悪の権化で破壊的な力を持つ悪い怪物であった。

 キリスト教の伝説では「竜を退治した聖ジョルジョ(英語のジョージ、フランス語のジョルジュ)」の雄姿は名高く、ルネサンスの画家の題材に好まれたばかりか、ロシアのモスクワ市の市旗や市章にもなっている。

 さて、東洋では霊獣や神獣として尊ばれ、日本でも日光の東照宮などの装飾に彫られ、日本画家の襖絵(ふすまえ)などの画題にも好まれた。また、「コイは滝を登ると竜になる」との中国の故事から「登竜門」のめでたい言葉もある。

 読者諸兄が今年、コイになって滝を登り竜になられますように。
坂本鉄男
(1月1日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

2011年12月18日

坂本鉄男 イタリア便り エチケットの変化


 年末・年始の休みに外国旅行をなさる方は欧米諸国との食事マナーの違いにご注意いただきたい。

 例えば、スパゲティだが、そばのようにズルズル音を立てて食べたら周囲の顰蹙(ひんしゅく)を買う。欧米の食事のエチケットの第1条は「音を立てて食べないこと」である。また、モノを切るためナイフを使う習慣は2千年以上前からあるため、サンドイッチや立ち食いのピザ、ハンバーガーなどはともかく、食卓で「モノを口に運び歯で食いちぎって残りを皿に戻す」などは不作法中の最たるものである。

 とはいえ、最近のように日本食ブームになると箸を使う人が増え、日本食の食通ぶりを示すため、日本流に音を立ててそばを食べたり、すしを半分に食いちぎって食べたりするイタリア人も見かけるようになった。

 エチケットの変化はイタリア料理でも見られる。例えば、料理の皿に残ったおいしいソースを賞味するにはパンのかけらで皿を拭うのが一番だが、これもマナー上大反則だ。

 さすがに、超一流レストラン「ビッサーニ」では30年以上前からソースを味わえるように小さなスプーンを添えているものの、例外中の例外である。だが最近ではかなり高級なパーティーでもパンをソースに浸して食べる光景が見られるが、よい傾向というべきか。
坂本鉄男
(12月18日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

2011年12月11日

坂本鉄男 イタリア便り クリスマスツリー


 クリスマスが近づくにつれ、ローマのあちこちで店を広げるクリスマスツリー専門の露店が最後の売り込みに拍車をかけている。

 昔は、特に中部イタリアから南部では、クリスマスツリーより人形や模型を使ってイエス誕生の場面を再現する「プレゼピオ」が盛んであったが、時代の波に押され、今ではアメリカ式のクリスマスツリーが主力になってしまった。

 今年末、全国で売られるクリスマスツリーは1千万本で、40%がプラスチック製、残りは本物のモミの木だそうだ。つまり年に1度のお祝いだけに本物志向が強く、600万本ものモミの木が売られることになる。

 もちろん、これだけのモミの木がイタリアの山から切り出されるわけではない。イタリア産は20%で、あとは50%がドイツから、30%がスカンディナビア諸国から輸入される。

 イタリア産の90%は、トスカーナを中心とする専門種苗業者約1千軒が出荷する根のついたモミの若木で、残りの10%は伐採された枝が利用されているという。値段は高さ1メートル前後のものなら20ユーロ(約2千円)からあるが、2・5メートルのものになると一気に100ユーロ以上に跳ね上がる。だが、不況を吹き飛ばすためなら、このくらいの出費はガマンガマン。
坂本鉄男
(12月11日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

2011年12月 4日

坂本鉄男 イタリア便り 常識外れの議員年金


 累積する赤字国債の重みに押し潰されたイタリアでは経済学者らテクノクラート(実務家)で構成されるモンティ内閣が発足した。

 これに呼応するように、11月下旬、フィーニ下院議長が「政治費用を削減する手始めとして元議員への年金を廃止しよう」と発言して衝撃を与えた。イタリアの上下国会議員の歳費は、欧州一の高さといわれているが、元議員への年金も常識外れだ。

 1996年に改正された現行法によると、65歳になると、5年間、国会議員を務めた者は毎月2300ユーロ(約24万円)、10年議員は4800ユーロ。15年議員は7000ユーロ強の終身年金をもらうことになっている。

 現在、年金を受け取っている元議員の人数は2238人となり、彼らに毎年支出される年金総額は、2億1300万ユーロ(約221億円)の巨額に上る。

 現行法改正前の年金受給開始年齢と年金額はもっと寛大で、例えば、先月に満60歳を迎えた元ポルノ女優で議員を1期務めたチチョリーナ女史は今後一生、毎月3000ユーロをもらう。

 ドイツの国会議員は5年務めて毎月930ユーロ、英国議員は500ユーロ以下だという。

 長年甘い汁に慣れてきた国会議員が下院議長の提案を容易に受け入れるとは思えない。
坂本鉄男
(12月4日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

2011年11月27日

坂本鉄男 イタリア便り 五十嵐喜芳氏の思い出


 9月23日に83歳で急逝された日本を代表する名テノール、五十嵐喜芳(きよし)氏のお別れ会が11月30日、東京・九段のイタリア文化会館で開かれるとの通知を頂いた。藤原歌劇団総監督や新国立劇場オペラ芸術監督、昭和音楽大学長を歴任し、日本のオペラ界の充実に力を注いだのみならず、日伊音楽協会会長として文化交流に尽くされた功績は大きい。長年の家族ぐるみの親しい友であった同氏への思い出はつきることがない。

 藤原歌劇団総監督時代には「『椿姫』や『蝶々夫人』、『カルメン』をやっていれば、採算は合うかもしれないが、日本にたくさんの素晴らしいイタリアオペラがあることを知らせるのが大切だ。日本人歌手を育てなければ」と力説していた。毎年のようにイタリア各地の劇場を回り、歌手、監督、演出家に会って日本に持って行く作品を選び、日本人歌手の発掘に努力していた。

 五十嵐氏は健康管理に厳しく、ある夏の早朝、ロッシーニ・フェスティバル開催中のペーザロ市で、無精者の私を人けのない海に連れ出し、腰まで漬かって、海中散歩の効力を伝授してくれたこともある。気配りの細かい同氏はある年の大みそか、東京からお節料理を携えてわが家の夕食に飛び入りしたこともあった。親しい友が減ることは悲しいことだ。
坂本鉄男
(11月27日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)