2010年5月17日

シエナの裏-美術展

Siena.JPGはじめまして! イタリア中部の町シエナにあるダンテ・アリギエーリ校の金子です。
菜の花が春風にゆれるトスカーナよりお便りです。

今春シエナで、初期ルネサンスをテーマにした大規模な美術展“Le arti a Siena nel primo Rinascimento”の幕が開けました。
世界各国の135もの美術館から集められた芸術作品は、いずれもためいきの出るようなものばかり。
さながら優美なるタイムカプセルのごとく、在りし日の栄華を物語っています。
町を知る人の中には「え?ルネサンス?シエナ?栄華?」と思う方もいるかもしれません。
現在のシエナは人口6万人ほどの小さな町で、ユネスコに登録されているとは言え、芸術の都パリのような華やかさもなければ、メガロポリス東京のような都会のダイナミズムもありません。
また、ゴシック建築の町並みやパリオ祭に代表される「中世」「コンサバ」というイメージが浸透しているため、ギャップを感じるのはもっとも至極と言えます。
今回は、ステレオタイプのラベルを裏切るシエナの顔をご紹介したいと思います。

【歴史のミルフィーユ!】
映画のセットのようなレンガの町並みで有名なシエナですが、その起源は中世から大きく前にさかのぼり、紀元前のエトルリア人居住地が発祥とされています。
その後、古代ローマ帝国軍の城塞を中心に町は発展し、南北に縦断する巡礼路 via Francigena に沿うように3つの丘の上に広がっていきました。
強大な中世都市国家として勢力をのばすころ、旧市街地はおおむね現在の形となりました。
何世紀にも渡る変遷を経たものの、各時代の痕跡は今も町のいたるところにとどまり、エノテカの地下にあるワイン倉がエトルリア時代に掘られたものであったり、アパート内部に中世の教会のアーチが残されていたりと、歴史が日常に溶け込んでいます。

Santa Maria della Scala Retro.JPGまた、美術展の会場の一つともなっている Santa Maria della Scala は、時代の変遷を凝縮しているシンボルとも言えます。
現在、複合アート施設となっている建物は、エトルリア建築を土台に今世紀まで増改築が繰り返され、複雑な構造のあちこちにその歴史を宿しています。
代表的なフレスコ画は、建物がヨーロッパ最古の巡礼者宿泊施設・病院の一つとして使われていた当時を伝え、治療や慈善活動の様子をありありと物語っています。

【アバン・ギャルド】
もう一つのシエナの顔は、ルネサンスの夜明けに興ったアバン・ギャルドの精神です。
時代の最先端をゆくメンタリティは、強大な都市国家を実現するとともに、ヨーロッパ文化の発展にも大きく貢献しました。
この精神はルネサンス前派とされるシエナ派の芸術家たちにもよくうかがえます。
13世紀ごろの作品には、遠近法を試みたり、絵画のモチーフに風景を取り入れたりと、彼らが“primitivi senesi”の通称とは裏腹に新時代のアートを模索していた様子がよく表れています。
「金地の背景に聖人」という当時の定番をくつがえす飛躍的な転換は、あの世からこの世への視線の転換、現世の肯定というルネサンスの思想そのものです。
さらに、実生活の面でもシエナはヨーロッパ全体に多くの影響力を及ぼしていきました。
15世紀半ばには世界初の銀行と言われる Monte dei Paschi di Siena が生まれ、勢力下の町からは二人の教皇を輩出します。
また、続く16世紀には他の町に先駆けて本格的なイタリア語教育機関が設立されるなど、まさに最先端の代名詞ともいえる町でした。

現在のシエナは、伝統と現代の共存をめざすヒューマンサイズの町として21世紀を生きています。
さまざまな歴史的変遷の中、いずれの時代も町の精神には「調和」というキーワードが共通しているように思えます。
国立絵画美術館、キジャーナ音楽院、国立大学、諸研究所など、町が擁する多くの文化施設や教育研究機関には現在も世界中から文化人が集まり、国際色豊かな調和は、ルネサンス前夜に描かれたロレンツェッティのフレスコ画『善政』を彷彿とさせます。
lorenzetti buongoverno2.jpgこのような町シエナから、これから「旬のイタリア」をテーマにお便りをしていく予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。

2010年5月 7日

トーニャとレジーナの南イタリア紹介「南イタリアのめんどり祭り」

  foto_0.jpg南イタリア、カンパニア州にパガーニ(Pagani)という小さい町があります。
毎年、パスクア(復活祭)の後の最初の日曜日には、パガーニの最も美しいめんどりが自ら市内中心部の教会にやってくるという話があります。
めんどりが到着すると“マドンア・デッレ・ガッリーネ (Madonna delle Galline、めんどりのマドンナ)”の祭りの始まりです。

“めんどりのマドンナ”とはなんでしょう?どうして“めんどり”なのでしょうか?この奇妙な名前の由来は何でしょうか?

伝説によると、1500年頃、何羽かのめんどりが地面をつっついたら、“マドンナ・デル・カルミネ(Madonna del Carmine)”というマリア様が描かれた木の板が出てきたそうです。
その時から“マドンナ・デル・カルミネ”のマリア様は、この土地の人々に崇拝されるようになりました。
このマリア様は、病気の治癒を始め多くの奇跡を起こし、信仰の輪はますます広がりました。
そして、1610年に彼女に捧げるための教会が建てられました。これは今もある町で最も美しいバロック様式の教会です。

めんどりが絵を発見したのは、パスクア後の最初の日曜日だと言われています。
それで、500年以上たった今でも、毎年同じ日曜日にその小さな町にマドンナ・デル・カルミネの祭りが行われるのです。

朝9時頃、めんどりやおんどり、クジャクやその他様々な種類の鳥に囲まれたマドンナの木像が教会から出発し、祭りが始まります。
祭りの行列は町の路地を練り歩き、夕方まで続きます。
すべてのバルコニーにはカラフルなタペストリーが飾られ、そこから花びらのシャワーが降りそそぎます。
さらに爆竹や花火でマリア様を迎えます。
マリア様は信者のために止まりながら、ゆっくりと進みます。
不思議なことに、マドンナの木像の足もとにいるほとんどの鳥は、信じられないほどの大きい音が鳴り響く中でも、じっとして、飛んでいってしまうものはいないのです。
今までこの現象に論理的な説明をすることができた人は一人もいません。
でも、町の人々には説明など必要ありません。これは奇跡なのです!

foto_1.JPG外で華やかに音楽が鳴り響く一方、家の中では、主婦たちは料理の準備に余念がありません。
自家製パスタにラーグー(ミートソース)、メイン料理はローストしたアーティチョーク。
この日はパガーニのすべての家で同じメニューが用意され、違う食べ物を食べるのは冒とくと考えられています!

foto_2.JPG午後には、行列がゆっくりと行進する中、南イタリアの各地からミュージシャンやダンサーのグループが集まり始めます。
さて、南イタリアの最も人気のある祭り、タッムッリアータ(tammurriata)と呼ばれる民俗舞踊の始まりです。
音楽が流れる中、路地や中庭、古い壁や石の階段、わらの椅子を美しく見せる柔らかな光が降り注ぎ、まるで時が遥か昔に戻ってしまったかのように感じられます。
絶え間ないタンバリンやカスタネットのリズムで、老若男女が一晩中タッムッリアータを踊ります。
言葉だけでは、本当の雰囲気が伝えれらないのが残念です。
鳴り響く音楽や永遠に続く舞踊、そして人々の厚い信仰心が、祭りの場を特別な空間にするのです。
 
foto_3.JPGほとんど毎年、私たちトーニャとレジーナはこの祭りに参加しています。
パガーニで生まれた私レジーナは、子供のときからこのダンスを踊っています。
最初は祖母から、次は母からこの貴重な伝統舞踊を教えてもらい、今では伝統を守る精神を尊重しながら、同時に踊りそのものも楽しんでいます。
よろしければ、ぜひこの映像をご覧ください。

しかし、南イタリアで行われるのはパガーニの祭りだけではありません。
カンパニア州には、半世紀以上の歴史を持つ伝統的な祭りがたくさんあります。

たとえばナポリ県にあるサンタ・アナスタシア(Sant'Anastasia)という村では、毎年パスクアの月曜日にパガーニの祭りとに似た“マドンナ・デッラルコ(Madonna dell'Arco)”が開催されます。
信者が行列をして、聖母の教会を訪問してから、古代音楽と舞踊で人々を楽しませます。  

foto_4.JPGイタリアの家族的なパスクアの雰囲気を味わいたいと、パガーニに来た日本人のマリさんとアサキさんがそのマドンナ・デッラルコのお祭りも体験しました。  

foto_5.JPG彼女達の旅のレポートは下記ブログをご覧ください。
http://mmnowhere.exblog.jp/13445238/
http://mmnowhere.exblog.jp/13496411/

私たちが深く愛する南イタリアの伝統行事、ぜひみなさんも休暇を取って実際に体験しに来てください。
旅の情報などお気軽にメールでお尋ねくださいね。
お待ちしています!

Ciao a tutti
logo_zenzero.jpgTonia & Regina


P.S.
“マドンア・デッレ・ガッリーネ (Madonna delle Galline)”、民俗音楽について知りたい方は、以下のサイトをご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=xCsR61uuibc
http://www.youtube.com/watch?v=V0CO7z2X70g

(イタリア語なので少し難しいですが、頑張ってくださいね!)

2010年3月25日

『テルマエ・ロマエ』マンガ大賞受賞


古代ローマの浴場と現代日本の風呂を舞台とした異色のマンガ、「テルマエ・ロマエ」が、全国の書店員が選ぶ「2010年 マンガ大賞」を受賞しました。

主人公は古代ローマの浴場設計技師ルシウス。
浴場のアイデアについて悩む彼が、気を失うたびにタイムスリップして、やってくるのが現代日本の銭湯や温泉、家庭風呂。
「テルマエ・ロマエ」第1巻
そこで知ったアイデアを、古代ローマで実現すると……。

あるときは書き割りの富士山を参考にしてローマの浴場にヴェズーヴィオ火山を書き、またあるときは風呂上がりの牛乳をローマっ子に出す。
はたして、その反応は?

まるでギリシャ・ローマ彫刻のようなルシウスが、いろいろと悩むところがかえって笑いを誘います。

タイトルがラテン語で「ローマの風呂」という意味であることからもわかるように、時代考証もしっかりしています(たぶん)。

教養に裏打ちされた笑いに、思わず引き込まれること請け合い。イタリア、ローマファンにお勧めです。


作者のヤマザキマリさんは、ヴェネト州のバッサーノ・デル・グラッパで新婚生活を送り、現在は旦那さんの仕事の関係でポルトガルのリスボン在住とのこと。

徐々に口コミで評判になっています。一度、書店でお手にとってご覧ください。
詳しい情報は、こちら を。

(画像ご提供:エンターブレイン様)
日伊協会F

2009年12月14日

プーリア便り7-2

もう1つの目的である「カンデラーラ(Candelara)のロウソク祭」-電気を消し、ロウソクの光で町を彩るマルケ州ペーザロ県カンデラーラで開かれる祭です。
カンデラーラという町名は伊語で「ロウソク」を意味する「カンデーラ(candela)」に由来し、それにはこんな言い伝えがあります。

~昔々、まだ電気が無く、夜間勉強するには炎の光に頼るしかなかった時代、ペーザロ領主が築城に適した地を探していました。
彼は領地内の3箇所にロウソクを置き、最も炎が消えにくい地を選び、そこがカンデラーラの町となりました~

祭は12月5~8日にかけて開催され、私達は最初6日夜に出かけたのですが、既に遅く…。
目的地に到着する大分手前から道の両脇がびっしり車で埋まっていて全く駐車スペースが無かったため、翌日再訪問して鑑賞してきました。


PC070223.JPG 
翌日は4時頃到着し、クリスマス市を回りながら買い物したり、氷の彫刻で造られたプレゼーピオ(presepio:キリスト降誕の場を表現したジオラマ様の展示)を見たりしているうちに、町のそこかしこにロウソクが準備され、辺りも段々暗くなってきて….
5時半、一斉に町の電気が全て消え、目に映るのは無数のやわらかいロウソクの光、という光景が広がりました。そしてその中をロウソクの冠を被った光の神様、聖ルチアに扮した町の少女達の行列が「サンタ・ルチア」を歌いながら練り歩いてゆきます。
電気が消えた時間は15分ほどでしたが一瞬タイムスリップしたような美しい幻想的な光景に私達も周囲の観光客もうっとり…。
  PC070313.jpg様々な電化製品に囲まれている現代、僅かな時間でも電気が使えないというのは相当不便な筈ですが、その分一層、全住民の町を大切にする思いや祭に協力しようという思いが強く感じられ、それらが更に祭を盛り上げているように感じられました。
 目に映るロウソクの光同様、温かい気分で町を後にしたのでした。

PC070293.jpg

2009年10月13日

トーニャとレジーナの南イタリア紹介 楽しい「洪水」!

南イタリアの祭り:楽しい「洪水」!

皆さん、今まで「洪水」を「楽しい」ものと考えたことがありますか?
南イタリア、サレルノ県にあるCampagna(カンパニャ)* という小さな街の「水のお祭り」は、楽しい「洪水」のイベントです。

foto 2.JPGこの祭りの起源は、はっきりわかっていませんが、古くから続けられています。おそらく街の衛生上の理由から始まったのかもしれません。
foto 3.JPGCampagna市の美しい旧市街は急な勾配がある坂の街で、昔は川の水を利用して道やお店が簡単に洗浄することができたそうです。

しかし、1900年代になるとCampagna市の人々はこの習慣を恥ずかしいと考えるようになったそうです。ポンプで水を散布する近代的な清掃車を持っていた近隣の町と違って、Campagnaは小さくて貧しい街であったからです。
1980年代以来、民俗習慣を見直すインテリジェントな方針のおかげで、“La chiena”(ラ・キエーナ)** というこの習慣は「水のお祭り」として、地元の伝統的なイベントに格上げとなったのです。

現在の“La chiena” は世界のなかでもユニークなお祭りのひとつになったことは間違いないでしょう。
通り、路地、広場、町、いたることろが、2フィートほどの水深の川ができます。
流れる水の中で踊り、走り、ゲームをし、まるで巨大なウォーターパークのようですよ!
毎年7月中旬から8月中旬まで土曜日と日曜日にこの水遊びができます。8月16日夜中には水のお祭りもあります。街灯の光が水面に映し出される光景は、素晴らしいですよ! 
音楽を聞いたり、バーでビールを飲んだり…。
ただし、店を開けているバーは水が入らないように段差があるところだけですよ(笑)

今年は私達が夜中の La chiena の写真を撮ってきたので、ぜひご覧ください。
今年は終わってしまいましたが、この「洪水」を一度体験してみませんか?すごく楽しいですよ!来年、お待ちしていますね!

foto 5.JPGCiao a tutti
logo_zenzero.jpgTonia & Regina


 
* 気をつけましょう!Campagna(カンパニァ市)とCampania(カンパーニア州 )を混同しないでくださいね! カンパニァ市は カンパーニア州にある街です。
** “La chiena” (ラ・キエーナ)という表現は方言で、標準イタリア語で“La piena” (ラ・ピエーナ)と言います。日本語の「いっぱい」という意味です。お祭りの時、町は水でいっぱいになるからです!

2008年12月 8日

イタリア文化セミナー「なんたってナポリ-5」

 「なんてったナポリ」シリーズ第5回
「ナポリ-その光、生きる喜び」
橋爪潤子先生(スタジオボンジョルノ一級建築士事務所主宰)

IMG_0410.JPGナポリ人は、5000年の歴史を常に感じながら、日々の生活を送っているように思う。それは、これからの生き方にも影響を与えるはず。
過去の遺物にすがって今を生きる観光都市とは全く違い、ナポリほどそれぞれの時代が光輝き、今なをその輝きを失わない都市は他にない。

そう語ったのは、ナポリフリークと明言する橋爪先生。

“furbo”辞書をひくと“ずる賢い”となりますが、この言葉はイタリアではポジティブな言葉。“頭がいい”“機知に富んだ”という意味が強いそうです。
そして、ナポリで生きるには“furbo”でいることが大事なのでしょう。

 

IMG_0400.JPG視点が違えば、ナポリの素晴らしさ、美しさ、そして歴史の重みをずっしり感じます。

大荒れの天候のなか、ご参加いただきました皆さま、橋爪先生、ありがとうございました。

日伊協会I

2008年7月14日

談話会「シチリアの今昔」

第55回談話会「シチリアの今昔」
講師 小森谷慶子氏

7月12日の昼、三笠会館にて80名以上の方にお集まりいただき、シチリアの代表的なお料理、「メカジキのインヴォルティーニ」などを頂いた後小森谷さんのお話を伺いました。komoriya.JPG

小森谷さんはシチリアの魅力にとりつかれて以来、20年近くシチリアに通われてシチリアへの造詣を深めておられます。

マフィアのお話、またここ何年かでとても変化したシラクーザのお話など、興味深いお話で、とても充実した土曜の午後のひとときでした。

 

komoriya2.JPG

暑い中お集まりいただいた皆様、そして小森谷さん、どうもありがとうこざいました。

日伊協会J

2008年6月20日

イタリア文化セミナー「やっぱりローマ-5」

「やっぱりローマ」シリーズ最終回
「ローマの広場と建築-ルネサンスからバロックへ」
飛ヶ谷潤一郎先生(東北大学准教授)

飛ヶ谷先生には、わざわざ仙台からお越しいただきました。

roma-1.JPG

古代からバロックまで、すべての建築が見られるのがローマです。
広場と建物の関係は興味深いものです。

また、ひとつの建物でいくつもの時代が見られるという面白いお話を伺いました。
ローマを訪れた時には、見慣れたファサードだけではなく、横から裏からも見てみたいと思います。

roma-2.JPGご参加いただいた皆さま、ありがとうございました。
飛ヶ谷先生、ありがとうございました。

 日伊協会I

 

 

 

 

 

 


10月期イタリア文化セミナー「なんたってナポリ」

 

2008年5月31日

イタリア文化セミナー「やっぱりローマ-3」

「やっぱりローマ」シリーズ第3回
「ヴィットリアーノから読み解くイタリアのナショナル・アイデンティティ」P5310073.JPG
秦泉寺友紀先生(和洋女子大学講師)


ヴィットリオ・エマヌエレ2世記念堂(通称ヴィットリアーノ)。
このモニュメントを観光でわざわざ訪れる人は少ない。観光スポットになり得なかった建物を知るには、まずその歴史をひも解く必要がある。

「ヴィットリアーノの意味づけの変遷」を3期に分けて、ご説明いただきました。

1860年にイタリア統一が果たされます。
「イタリアはできた、これからはイタリア人をつくらなければならない」

「無名戦士の墓と碑、…これらの記念碑は、故意に空っぽであるか、誰が眠っているのかを誰も知らない。それ故に、これらの碑には、公共的、儀礼的敬意が払われる」(B.アンダーソン)
無名戦士の墓とイタリア人のアイデンティティとの関わり ―― イタリア人であるからこそ、そこで泣くことができる ――
ヴィットリアーノの持つ役割のひとつが印象に残りました。

P5310072.JPG短い時間でしたが、興味深いお話をしていただきました。
ありがとうございます。
雨のなか、ご参いただいた受講生の皆さん、ありがとうございます。

 

 日伊協会I

 

 

 

 

第4回「本を片手にローマ散歩」京藤好男先生(6/6,19:00)
第5回「ローマの広場と建築」飛ヶ谷潤一郎先生(6/20,19:00)