ブログ「Tutte le strade portano a Roma(すべての道はローマに通ず)」
第三回「イタリア留学のススメ (その2)」

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少し前に、日本から来た知人が、「最近の私の周りの若い人は外に(外国に)出たがらない。旅行も大方は近場で済ませる国内志向」と語った。筆者の周りでは7~8年くらい前からだろうか、語学学校の経営者が「日本人が以前に比べてすごく少なくなっている。」といい始めるのを聞くようになった。留学生も少なくなっているのだろうか。事実を確かめるべく少し調べてみた。海外へ行くことが昔程難しくなくなった今、留学者数は増加しているだろうと予想していたが、思わぬ結果となった。

 
文部科学省の報告(平成28年3月)によると、日本から海外への留学者数は過去30年間では2004年の8万2945人をピークに7年連続で減少、2012年はやや増加見せるものの、2013年は5万5350人と再び落ち込み1995年の数字を下回る結果となっている。これはほぼ20年前の水準だ。

また、経済協力開発機構(OECD)が発表した加盟国34ヶ国の教育制度に関するデータ「図表でみる教育2015年版」によると、2013年に大学などの高等教育機関に在籍中の日本人学生のうち外国に留学していたのは1%未満だった。
日本人の留学者総数の減少傾向については、少子化による留学適齢期人口(18~29歳)の減少、景気の悪化、就職活動の早期化なども背景にあり必ずしも「若者の内向き志向」が理由とは言えない。

筆者も海外留学者の多い時代にイタリアに留学した者の一人であり、今までイタリアで様々な留学生を見て来た。イギリスやアメリカなどの英語圏留学と決定的に違うところは、”イタリア語”そのものを習得したいというよりも、まずはイタリア語を学びそれを足がかりにして、その次にある何かを習得したいという人がほとんどであった。

また、他の国(イギリス、スペイン)で留学中に出会った日本人留学生と比べても、イタリアで出会ったクラスメート達はキャラクターもその生業も非常に個性的な人が多かった。イタリアでのクラスメートの面々には、オペラ歌手、サッカー選手、考古学者、カトリックの神父、医者、イタリア料理シェフ、映画監督、建築家、ファッションデザイナー、モデル、絵画修復家、楽器の製作者、美術史家などがいた。留学では自分と違う世界にいる日本人の同胞と知り合いになれるのも、面白いところだ。

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五感で楽しめるイタリア、イタリアの文化を味わう(写真説明は左から)
・ローマのスペイン階段
・ジョットの鐘楼より望むフィレンツェのパノラマ
・世界最大の石造り建築の遺構、ローマのパンテオン
・バチカン博物館のピナコテカ(絵画館)。ラファエロの傑作が揃う
・ポンペイ遺跡。市場(Macellum)の壁面装飾を見学する日本からの観光客

写真提供La Lingua La Vita (Todi)

写真提供La Lingua La Vita (Todi)


最近はインターネット環境が良くなっているので、留学情報の事前収集は案外簡単に出来る。留学したいけれど、今一歩踏み出して良いのかどうか不安だという方は、一度、イタリア旅行をして、”肌に合うかどうか”を見極めてみてはいかがだろう。

実はこの”肌に合うかどうか”というのが非常に重要である。感覚的なことなのでうまく言葉では説明出来ないが、日本から見ていて好きな国でも、遠くから見ているのと実際に暮らしてみるのとは360度違うことは良くある。

例えば、食べ物やその国の気候など、人によってどのポイントに重きをおくかの比重が違うので研究が必要だ(例:冬がとても寒い国は一歩屋外に出れば激寒の世界が待っている。体質的に冷え性の人、庭でのガーデニング仕事などの趣味があったり、普段から出歩くのが好きなアウトドア派の人などは毎日のことだ考えると気分も滅入るだろう)。もちろん、想像した通り自分に”ぴったりの国”だったということもある。

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留学先での滞在方法もいろいろ。ホームスティでイタリア人の暮らしに触れるのも良い。(写真説明は左から)
・町へ繰り出してみよう!ローマの下町の日常の雰囲気がたっぷりと味わえるカンポ・デ・フィオーリ広場の朝市
・イタリア語学学校の教室風景。世界各国の学生達と楽しくイタリア語を学べる
・課外活動に参加するのもよい(写真は料理教室)
・ホームステイ先での夕食

日本国籍を所有している場合、観光・留学目的でイタリアに90日以内の滞在であれば事前にビザ取得の必要はなく普通の旅行者と同じ様に出発出来る。短期留学に興味がある方は一歩踏み出されてはいかがだろうか?国際感覚と人間力は座学では絶対に身に付かない。それは経験からしか学べないものなのだ。

“何もやる気がおきない”、”自分は何をしたら良いのか分からない”、”人生に疲れてしまった”という人にも良いヒントを与えてくれる国、イタリア。イタリアの明るい太陽と真っ青な海、感性豊かなイタリア人があなたの背中を優しく後押ししてくれるだろう。

日伊協会の留学相談はこちらから⇒留学総合サポート

阿部美寿穂

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第三回「イタリア留学のススメ (その1)」

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今年2016年は日本とイタリアが修好通商条約を締結してから150年目となる。

イタリアに関わる者として、この様な節目ともいわれる年に時代を共有出来たことは中々感慨深い。次の大きな区切りといえば50年後だが、立ち会うことは難しいかもしれない。

昨年から日伊国交樹立150周年に関連して、日本とイタリアの親交を記念するイベントが日本及びイタリア各地で数多く行われている。最近、現地イタリアで一番話題になったものといえばコロッセオのイルミネーションだ。5月11日にイタリア・ローマのシンボル、 コロッセオが日伊国交150周年を記念して、3日間に渡り美しくライトアップされたのである。

ここで話は少し逸れるが、イタリアの文化財・文化活動と観光省(Ministero dei Beni e delle Attività Culturali e del Turismo)の発表によると、昨年2015年一年間のコロッセオの入場者数は665万1046人を記録し、世界で2番目に訪問者数の多い観光スポットとなったそうだ。世界規模で見ると、この入場者数を超える観光施設は中国の万里の長城のみだという。コロッセオは道理でいつも人が多い訳だ。

イタリアは世界一の世界遺産登録数を誇る歴史と文化の国であるが、 近年までこれらの資源が活用されていなかった感があった。しかし最近、国として文化遺産を有効に活用すべく全力で取り組んでいる。その一つが2014年7月1日より施行となった国立の美術館、博物館、遺跡などの観光施設に関する省令(Decreto 27 giugno 2014, n. 94) である。省令では、「文化遺産はみんなで享受しよう!」を理念として様々な点が改正された。例えば、「毎月第一日曜日の無料デー(国営美術館、ギャラリー、博物館、遺跡、遺跡公園等の入場料が無料)」、「毎週金曜日の夜間開放(前述の文化施設の閉館時間の延長)」、「年2回の夜の美術館デー(深夜1~2時頃までオープンするスペシャルデー)」などである。イタリアを訪れる日本人旅行者にとってもよりお得で便利になったのはいうまでもない。

話を元に戻そう。

そのイタリアを代表する人気観光スポット、コロッセオから日伊国交樹立150周年を記念して、世界に向けて「人に愛・地球に愛」をテーマにした光のメッセージが届けられたのだ。

光のスペクタクルは日本の照明デザイナー、石井幹子、石井リーサ明理親子によるプロデュースで、光の演出は10分間の上映プログラムが繰り返し行われた。5月11日の点灯式には日本からは秋篠宮ご夫妻がご出席された。コロッセオへはフォロ・ロマーノ側から投影され、コロッセオがイルミネーションと音の演出により美しく七変化して行く様子を多くの見学者が楽しんだ。

写真1:日伊国交樹立150周年を記念して行われたコロッセオのイルミネーション。秋篠宮ご夫妻が20時40分に光のスペクタクルに点灯した。約10分間の光の演出の最後はコロッセオが日本とイタリアの国旗となり終了。

写真1:日伊国交樹立150周年を記念して行われたコロッセオのイルミネーション。秋篠宮ご夫妻が20時40分に光のスペクタクルに点灯した。約10分間の光の演出の最後はコロッセオが日本とイタリアの国旗となり終了。

ところで、日本とイタリアは国として公式に修好通商条約を締結してまだ150年と日付も浅いが、歴史的には古くから交流がある。13世紀に初めて”黄金の国ジパング”をヨーロッパに紹介したのは、ヴェネツィアの商人マルコ・ポーロである。

写真2:ローマ北西にあるチヴィタヴェッキア(Civitavecchia)にある支倉常長像。仙台藩の武将だった支倉常長は、1613年に慶長遣欧使節団(日本初の公式使節団の欧州訪問)を率いて石巻港を出発。時のローマ法王パオロ5世と謁見した。この像は人の往来が激しい商店街に設置されていることから町の人も良く知る。

写真2:ローマ北西にあるチヴィタヴェッキア(Civitavecchia)にある支倉常長像。仙台藩の武将だった支倉常長は、1613年に慶長遣欧使節団(日本初の公式使節団の欧州訪問)を率いて石巻港を出発。時のローマ法王パオロ5世と謁見した。この像は人の往来が激しい商店街に設置されていることから町の人も良く知る。

遠いようで近い国、似ているようで全く正反対といっても良い国イタリアは今も昔も私達を惹きつけてやまない。
(次回に続く)

阿部美寿穂

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第二回「2015‐2016 慈しみの特別聖年」が始まる!

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2015年12月8日からローマは「2015-2016 慈しみの特別聖年」 に入った。

サン・ピエトロ大聖堂の展望台より望むサン・ピエトロ広場と14区ボルゴ地区方面のパノラマ

サン・ピエトロ大聖堂の展望台より望むサン・ピエトロ広場と14区ボルゴ地区方面のパノラマ

展望台より望むヴァティカン市国の庭園

展望台より望むヴァティカン市国の庭園

今回の「2015-2016 慈しみの特別聖年」は、1965年に閉幕した第2バチカン公会議の50周年記念となるものでもあり、2015年12月8日に幕開けした。イタリアではこの日12月8日は聖母マリア様の無原罪の御宿り(Festa di Maria Santissima Immacolata)と言い、カトリック教会では重要な祝日だ。

この約3週間前の11月13日に、フランス・パリで死者130名、負傷者300名以上を出したイスラム国による同時多発テロ事件があった。この事件では残念ながらイタリア人女性一名も巻添えとなり、ニュースは国内でも大きく報道された。隣国フランスの首都で起きた無差別殺戮事件は、少し前(2014年)にイスラム国にワシントンDC、ロンドンと並びオフィシャルに標的宣言をされたローマを震撼させた。過激派テロの脅威が続く中での特別聖年の開催には賛否両論があったが、イタリア治安当局は防犯カメラの増設や、市内各所(鉄道等の公共交通機関、駐伊外国公館等)に二千人強の軍隊を配置するなどして警戒警備の一層の強化を図り、予定通りに12月8日に開会式が行われた。

ローマ教皇庁の発表によると、この日の開会式には約7万人がサン・ピエトロ広場に集まった。しかしながら、テロの心理的影響は少なくなく、事前に予想されていた30万人には遠くは及ばない。

さて、カトリック教会で25年に一度開催される”聖年”とは、巡礼者に特別の赦しを与える大赦の年である。それは罪の赦しとその償いの免除の年、互いに争っている人達の和解の年、様々な回心の年であり、特別なお恵みがある年だ。

イタリア語では聖年はジュビレオ(Giubileo)、英語ではジュビリー(Jubilee)というが、その語源はヘブライ語のJobel (Yobel)から来ている。Jobel (Yobel)は雄ヤギのことで、その昔、ヘブライ人の文化ではヤギの角笛を鳴らしてジュビレオの開催を告げていたことによる。カトリック教会では、記録によると教皇ボニファティウス8世が1300年に第一回目のジュビレオを設立し、今回の「2015-2016 慈しみの特別聖年」で丁度30回目を迎える。一方、ヘブライ人の文化(ユダヤ教)ではジュビレオは50年に1回開催され、畑などを休ませる為に耕作は1年間しないことなどが定められていた。

ジュビレオについては、旧約聖書のレビ記(25,10-13)にも記述が見られる。”この五十年目の年を聖別し、全住民に解放の宣言をする。それが、ヨベルの年である。あなた達はおのおのその先祖伝来の所有地に帰り、家族のもとに帰る。五十年目はあなた達のヨベルの年である。種蒔くことも、休閑中の畑に生じた穀物を収穫することも、手入れせずにおいたぶどう畑の実を集めることもしてはならない。この年は聖なるヨベルの年だからである。あなた達は野に生じたものを食物とする。ヨベルの年には、おのおのその所有地の返却を受ける。”

第一回目の聖年(1300年)を祝うボニファティウス8世。 ジョット(Giotto)が2回目のローマ滞在時に描いたフレスコ画は当時のもの(1300年)。サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂所蔵。

第一回目の聖年(1300年)を祝うボニファティウス8世。
ジョット(Giotto)が2回目のローマ滞在時に描いたフレスコ画は当時のもの(1300年)。サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂所蔵。

25年に一回開催される聖年であるが、今回の様に前回から25年経たずに開かれる”特別聖年”は歴史上6回目となる。過去の特別聖年は、1390年、1423年、1933年、1966 年、1983年に開催された。

(近年の聖年の開催例)
1875年:ローマ教皇 ピウス9世
1900年:ローマ教皇 レオ13世
1925年:ローマ教皇 ピウス11世
1933年:(特別聖年)ローマ教皇 ピウス11世
1950年:ローマ教皇 ピウス12世
1966年:(特別聖年) ローマ教皇 パウロ6世
1975年:ローマ教皇 パウロ6世
1983年:(特別聖年)ローマ教皇 ヨハネ・パウロ2世
2000年:ローマ教皇 ヨハネ・パウロ2世
2015-2016年:(特別聖年)ローマ教皇 フランチェスコ
2025年:ローマ教皇 ?

特にミレニアムの節目でもあり、キリスト生誕2000年でもあった2000年は”大聖年”と呼ばれ、多くの人がローマを訪れたことが記憶に新しい。大聖年と言えば、大聖堂、教会の聖なる扉(ポルタ・サンタ)が開くことで有名だが、筆者も2000年の大聖年に、ヴァティカン市国のサン・ピエトロ大聖堂の聖なる扉を訪れた。今回の特別聖年も、開会式が行われた12月8日のサン・ピエトロ大聖堂の聖なる扉を皮切りに、12月13日にはサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂、サン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂、元旦1月1日にはサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の聖なる扉がそれぞれ開かれた。12月13日のサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂の聖なる扉のオープン時の様子は下部の写真をご覧いただきたい。

ローマの四大バジリカの一つである、非常に長い歴史を持つサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂。コンスタンティヌス帝による最初の教会が建てられたのは318年頃。

ローマの四大バジリカの一つである、非常に長い歴史を持つサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂。コンスタンティヌス帝による最初の教会が建てられたのは318年頃。


聖なる扉が25年ぶりに開かれた!興奮気味に多くの人が並ぶ。 大聖堂に入場する為(扉を通る為)には、白いテントの中で金属探知機(人)と X線検査装置(荷物)によるセキュリティチェックを行わなければならない。テロ未然防止対策なのか空港より厳しいチェックを受けた。

聖なる扉が25年ぶりに開かれた!興奮気味に多くの人が並ぶ。
大聖堂に入場する為(扉を通る為)には、白いテントの中で金属探知機(人)と X線検査装置(荷物)によるセキュリティチェックを行わなければならない。テロ未然防止対策なのか空港より厳しいチェックを受けた。

聖なる扉。跪きお祈りをしながら通って行く人達。

聖なる扉。跪きお祈りをしながら通って行く人達。


「聖なる扉」の近影。訪れる人が皆触ったり、口付けをしていくので塗料が剥がれている。

「聖なる扉」の近影。訪れる人が皆触ったり、口付けをしていくので塗料が剥がれている。


サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂内部。 今日ではローマ教皇はヴァティカン市国にいると当然のように思われているが、長い間、このサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂の中に教皇座はあり、この教会が世界のカトリック教会のボス教会であった。ムッソリーニによる政教条約、ラテラーノ条約でも知られている。

サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂内部。
今日ではローマ教皇はヴァティカン市国にいると当然のように思われているが、長い間、このサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂の中に教皇座はあり、この教会が世界のカトリック教会のボス教会であった。ムッソリーニによる政教条約、ラテラーノ条約でも知られている。

サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂の夜の様子。カトリック教会では大変重要なバジリカ。すぐ脇にはキリストが裁判の日に上がったことで有名な「聖なる階段(スカラ・サンタ)」がある。聖なる階段はエルサレムのピラト(イエスの処刑のゴーサインを出したローマのユダヤ総督)の宮殿から、ローマ帝国皇帝コンスタンティヌスの母へレナによって326年にローマに運ばれたと伝えられている。ヘレナは熱心なキリスト教信仰者であった。その他にはローマには、彼女によりキリストを磔る為に使われた釘、いばらの冠なども持ち込まれた。キリストはこの階段を上った後に死刑宣告を受けた。

サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂の夜の様子。カトリック教会では大変重要なバジリカ。すぐ脇にはキリストが裁判の日に上がったことで有名な「聖なる階段(スカラ・サンタ)」がある。聖なる階段はエルサレムのピラト(イエスの処刑のゴーサインを出したローマのユダヤ総督)の宮殿から、ローマ帝国皇帝コンスタンティヌスの母へレナによって326年にローマに運ばれたと伝えられている。ヘレナは熱心なキリスト教信仰者であった。その他にはローマには、彼女によりキリストを磔る為に使われた釘、いばらの冠なども持ち込まれた。キリストはこの階段を上った後に死刑宣告を受けた。


2015年3月13日にローマ教皇選出から2年を迎えられたフランチェスコローマ法王は、サン・ピエトロ大聖堂で行われた共同回心式にて、「2015-2016 慈しみの特別聖年」の開催についてこの様に述べられた。“それは神のいつくしみの聖なる1年となるでしょう。この1年を私達は主のみことばの光に照らされて生きるでしょう。「あなた方の父が憐れみ深いように、あなた方も憐れみ深い者となりなさい(新約聖書 ルカ 6,36)」。”

全ての人にとって回心するチャンスを与えられている喜びの年、”聖年”。このスペシャルな機会にローマを訪れてみてはいかがだろうか?

聖年にローマ及びヴァティカン市国を訪れる巡礼者・観光客は推定3300万人以上とされている。イタリアの郵便局では聖年を記念した4種類の切手を発売中。デザインは4大聖堂の聖なる扉の前で祈りを捧げる法王。

聖年にローマ及びヴァティカン市国を訪れる巡礼者・観光客は推定3300万人以上とされている。イタリアの郵便局では聖年を記念した4種類の切手を発売中。デザインは4大聖堂の聖なる扉の前で祈りを捧げる法王。

ローマの市バス、トラムなどを管理する公共交通会社ATAC社(アタック Agenzia per i Trasporti Autoferrotranviario del Comune di Roma )から現在発売中の「2015-2016 慈しみの特別聖年」記念スペシャルパック。バス、トラム、地下鉄の乗車券1回券(100分間有効/1.5ユーロ)が4枚とローマ市内の公共交通機関路線図がセットになり7ユーロ。写真は切符のデザインの一例。

ローマの市バス、トラムなどを管理する公共交通会社ATAC社(アタック Agenzia per i Trasporti Autoferrotranviario del Comune di Roma )から現在発売中の「2015-2016 慈しみの特別聖年」記念スペシャルパック。バス、トラム、地下鉄の乗車券1回券(100分間有効/1.5ユーロ)が4枚とローマ市内の公共交通機関路線図がセットになり7ユーロ。写真は切符のデザインの一例。

阿部美寿穂

新連載ブログ 「Tutte le strade portano a Roma(すべての道はローマに通ず)」
第一回「収穫の秋」 

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今年開催されたミラノ国際博覧会。「地球に食料を、生命にエネルギーを(Feeding The Planet, Energy For Life)」というテーマで、世界各国のパビリオンでは食に関する様々な展示やプレゼンテーションが行われました。本ホームページではそれを先取りし、一年前からカウントダウンする形で「ミラノの街角から」というブログを連載していました。その博覧会も10月末には閉幕されます。

そして2015年秋、日伊協会のホームページに新しいブログが開始されます。

新連載ブログは「Tutte le strade portano a Roma(すべての道はローマに通ず)」。「永遠の都」ローマ在住の日本人の方(ブログの最後でプロフィール掲載しています)にローマ特派員として、現地で生活している日本人の方ならではの視点で、ローマより愛をこめて、イタリアに関する様々な話題を届けてもらいます。これからお楽しみに。第一回目はローマの秋らしい話題です。

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長く続いた夏が終わり、ようやくローマにも秋がやって来た。とはいっても住宅地を歩くと、まだまだベランダで今年最後の太陽を楽しもうとする住民の日光浴姿を目にする。中には寒くないのか、はたまた痩せ我慢なのか、水着でデッキチェアの上に横たわるご婦人もおり、ヨーロッパ人の太陽への執着にいつも感嘆するばかりである。

イタリアの今年の猛暑はそれはすざまじく、6月下旬には一時、ローマの街角から扇風機が売り切れてしまうという騒ぎが起きた程だった。オスティアなどのローマ近郊の海も海水浴客の出が昨年の30%増しとなり、平日の月曜日の午前中にもかかわらず市内からオスティア、フィウミチーノ、フレジェーネ、マッカレーゼ方面へ抜ける道沿いに渋滞が出来ていた。

あまりの暑さにローマっ子達もローマの海へ押し掛けた訳だが、いつもより人でいっぱいの海に嫌気がさし、サルデーニャ島の海などへ逃避する人々も出て来る始末であった。

サルデーニャ島の溜息が出るような美しい海への逃避行も十分羨望に値するのだが、筆者にとっては、月曜日の朝から堂々と海に行けるイタリア社会の懐の広さを羨ましいと言わざるを得なかった。

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写真1:ローマ近郊のサンタ・セヴェーラ(Santa Severa)の海。

さて、一般的にイタリア人が”秋”と聞いて何を一番に想像するかというと、やはりヴェンデミア(Vendemmia)だろう。ヴェンデミア(Vendemmia)とはイタリア語で”ブドウの収穫”を意味する。筆者の周りのイタリア人も「秋はブドウの収穫の季節である。 L’autunno e la stagione della vendemmia.」と皆口を揃えて答えてくれた。日本ならば、”食欲の秋”とか”読書の秋”、”スポーツの秋”などとそれぞれ違ったものになりそうだ。

Vendemmiaの単語の語源はラテン語のVinum(Vino ワイン)+ Demere(Levare、Raccogliere 収穫する)から来ている。秋という季節にはおいしい食べ物があることは万国共通かもしれない、と思う。

ローマ市内に、このヴェンデミアを主題にしたローマ時代(350年頃)の貴重なモザイクが残る場所がある。ローマ中央駅テルミ二駅から90番などのバスで約10分、ノメンターナ通り沿いにあるサンタ・コスタンツァの廟(Mausoleo di Santa Costanza)である。廟(墓)の内部の天井部分には、精巧なモザイクが当時のままにびっしり残るのだが、特にブドウ狩りからブドウ酒(ワイン)を作るシーンがかわいらしいので目を引く。

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写真2~3:サンタ・コスタンツァの廟。すぐ隣には7世紀に建て直されたサンタニェーゼ・フォーリ・レ・ムーラ教会がある。教会の地下にあるカタコンベの見学もお奨め。

聖コスタンツァは、ローマ帝国皇帝でキリスト教を公認したコンスタンティヌス1世(在位:306-337)の娘であり、廟は皇帝が娘の依頼を受け建てたものである。このヴェンデミアのシーンは多くの場合、秋を表現したい時の装飾に使う、俳句でいう季語のようなものであるが、ここはプライベートなお墓なので、アレゴリー(寓意)的な解釈の仕方が妥当であろう。

ブドウを収穫し、潰すとブドウ酒となる。真っ赤なワインはイエス・キリストが流した血、犠牲の血を表しているのであろう。キリストは人類を救済する為に十字架に架けられるが、再生(復活)する。よって復活をも意味しているのではあるまいか。ちなみにコスタンツァはこの”ヴェンデミア”を自分の棺の装飾にも選んでいる。(ヴァティカン博物館蔵)

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写真4:天井の装飾は非常に目の細かいモザイクで出来ている。写真5~6:ヴェンデミアを主題にしたパネル。男性が牛車に収穫したブドウを乗せてやって来るところや、ブドウを潰すシーンが見える。

小さな天使、花、果物、動物などによる調和のとれたデザインが美しい古代のモザイク。是非訪れてみたい場所の一つである。

こうして誰でも簡単に、歴史に、そして本物に触れることのできる国イタリアは、世界でもとても稀有な国だと思う。皆さんがご存知の通りイタリアは、世界一の数のユネスコ世界遺産保有国である。今やヨーロッパでも「美術史」を義務教育の必須科目にしている国はイタリアだけで、フランスの最近の若者に至っては、聖書や神話などの知識も教わらなければほとんど理解できないという。

その国の言葉、歴史や文化を知ると旅がもっと楽しくなる。日伊協会でも優れたイベント・セミナー、文化講座を開催しているので、今年の”収穫の秋”には何か新しいことを始めてみるのはいかがだろうか。

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Abe
阿部美寿穂

【略歴】
神奈川県出身。日本では園芸学を学んだ後、公的機関で企画・広報に6年間携わる。ローマ県公認観光通訳。ローマ大学文学哲学部卒。文化遺産学西洋美術史専攻。地球の歩き方 ローマ特派員、たびねすイタリア旅行ナビゲーター。ホテル(ローマ)のコンサルタントなどとしても、フリーランスで多方面で活動中。ツイッターにてイタリア旅行のヒント、イタリアの日常生活などを毎日発信。

イタリア便り 阿部美寿穂 @RomaMizuho
地球の歩き方 ローマ特派員(Web版)    http://tokuhain.arukikata.co.jp/rome/
たびねす イタリア旅行ナビゲーター     http://guide.travel.co.jp/navigtr/545/