シエナ遊々閑々「カメのようにゆったりと (Lento come una tartaruga)」

こんにちは。猛暑に豪雨にと厳しいお天気ですが、みなさん元気にお過ごしですか?
いよいよ梅雨も明け、太陽が眩しい夏本番となりました。イタリアはとても暑い夏を迎え、プールや海辺はたくさんの人で溢れています。

さて、2017年度は、シエナの「コントラーダ」を軸として、動物とイタリア語をテーマにしたお便りをしています。今回のお便りはタルトゥーカ( tartuca )のコントラーダをピックアップして、カメにまつわるお話しをお届けします。

タルトゥーカ Contrada della Tartuca

コントラーダと呼ばれる17の地区に分かれるシエナの旧市街。タルトゥーカのコントラーダ( Contrada della Tartuca )は、その南にテリトリーを構えています。ちなみに、私たちの学校ダンテの校舎があるのも、このタルトゥーカのエリアです。

コントラーダの名前「 tartuca (タルトゥーカ)」は、イタリア語でウミガメやカメを指すtartaruga(タルタルーガ) の地方ことば。タルトゥーカはその名の通り「カメ」のコントラーダで、青と黄色地の旗にはリクガメが描かれています。コントラーダが掲げるカメのシンボルは「 saldezza (堅固、堅牢)」。力に屈せぬ強さを武器としています。

実は、タルトゥーカは前回のテーマとなったカタツムリのコントラーダの宿敵。その因縁は17世紀に遡るという文献もあり、何百年にもわたる激しいライバル関係は現在もなお続いています。

イタリア語で「カメ」は何と言う?

さて、コントラーダの旗にはリクガメが描かれていますが、厳密にイタリア語で「リクガメ」にあたる単語は tartuca の標準語版にあたる tartaruga ではありません。本来tartaruga は「ウミガメ」を指す単語で、「リクガメ」を指すのは別の単語 testuggine となります。

つまり、 現代イタリア語で2種類のカメをきっちりと区別して言いたい場合は、testuggine (リクガメ)と tartaruga (ウミガメ)と使い分ける必要があります。しかし、日常的な会話でただ「カメ」と言いたい場合は、どちらの単語を使っても総称的な「カメ」を指すことができます。

また、それぞれの単語の起源はまったく異なっています。 testuggine は「貝殻」や「亀の甲羅」を意味するラテン語の testa から派生したことば。一方の tartaruga はちょっぴり怖い語源で、もともとはギリシア語で「地獄の住人」という意味をもっていた忌まわしい精霊の名前でした。

まるでカメのよう!

カメはそのゆったりとした動きゆえに、古くから「鈍重」や「遅緩」といったのろさのシンボルとされてきました。現代のイタリア語でも、動作がゆっくりとした人や動物、スピードの出ない乗り物のことを tartaruga と表現します。例えば、「 Questo treno è una tartaruga! (この電車はなんてのろいんだ!)」といった具合です。

19世紀のイタリアの文人ジャコモ・レオパルディ( Giacomo Leopardi )は、こんな文章を残しています。「とても長い時間をかけて物事をこなすカメは、とても長い時間を生きる。こんな風に、すべてのことは自然の中でうまくバランスが取れている。カメはのろまだと言えるかもしれないが、カメはのろさを自らの本質として備えているのだから、カメは絶対的な意味でのろいわけではないのだ。私たちは、そこから多くを学び取ることができる*」。


私たちも一人ひとりも、カメのようにそれぞれ自分にちょうどいい時間の流れがあります。効率化や生産性に重点がおかれる現代では、毎日駆け足、急ぎ足で過ごさずをえず、気づけば心や体が悲鳴を上げていたということも少なくありません。

「 Chi va piano va sano e va lontano (ゆっくり行けば、元気に遠くまでたどり着ける)」と諺にもあるように、カメのようにのんびりでも自分のペースで着実に進んでいくと、きっと素敵な景色が待っているはずです。自分のペース調整をするためにも、大きな深呼吸のできるすてきな夏休みをお迎えください!

ダンテ・アリギエーリ シエナ
ヴァンジンネケン玲

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*原文:「 La tartaruga lunghissima nelle sue operazioni ha lunghissima vita. Così tutto è proporzionato nella natura; e la pigrizia della tartaruga, di cui si potrebbe accusar la natura, non è veramente pigrizia assoluta, cioè considerata nella tartaruga, ma rispettiva. Da ciò possiamo cavare molte considerazioni 」。Giacomo Leopardi, Pensieri di varia filosofia e di bella letteratura, a c. di Giosué Carducci, Firenze, Successori le Monnier, 1898, p. 124より抜粋。和訳はヴァンジンネケンによるもの。