イタリア語による 日伊協会特別セミナー
I Savoia, questo e quello.「サヴォーヤ王家の再発見」のご報告

2016-03-19-p1こんにちは。日伊協会の押場です。

毎回イタリア人講師をお招きし、同時通訳付きで興味深いお話をうかがってきたセミナーですが、今回の「サヴォーヤ家」のお話でした。

サヴォーヤ家といえば、たとえばヴィットリオ・エマヌエーレですよね。イタリア史を少しでも勉強した方はご存知かと思いますが、19世紀の半ば過ぎ、近代国家として独立したとき、最初のイタリア国王となったのはヴィットリオ・エマヌエーレ2世でした。

同じ名前の3世のほうも、これまた有名なのですが、こちらの王のほうは、イタリアで王政を終わらせる原因を作ってしまいます。20世紀の2つの世界大戦を王として生き延びながら、その間にファシズムの台頭を許し、戦況が危うくなってくると国外に逃亡、イタリアをナチスドイツの手に渡してしまったのが、ヴィットリオ・エマヌエーレ3世です。これにはさすがのイタリア国民も怒ったようですね。そこでエマヌエーレ3世は、戦後直ちに息子ウンベルト2世に王位を譲るのですが、その直後に行われた国民投票で、イタリア国民は共和制を選択し、王政は廃止されることになったのです。

2016-03-19-21448共和制となったイタリアにおいて、サヴォーヤ家は国外追放の処分を受けます。息子に王位をゆずってなんとか王政を維持しようとしたエマヌエーレ3世ですが、その思いも叶わないまま、失意のうちに亡命先のエジプトで没します。また、王位を継承したものの、5月のひと月だけの在位となったウンベルト2世は、「五月王」と呼ばれ、ポルトガルに亡命、1983年にはスイスのジュネーブで没します。このとき亡骸をイタリア国内に埋葬するという議論もあったようですが実現しません。サヴォーヤ家の人々がイタリアの地に入れるようになるのは、2002年の法律改正を待たなければなりません。

面白いことに、現在のイタリアでは、ウンベルト2世の孫にあたるエマヌエーレ・フィリベルトがテレビタレントとして活躍しているのです。しかしこれはきっと、サヴォーヤの一族が、歴史の表舞台から降りたということを意味しているのではないでしょうか。サヴォーヤ家の偉大な歴史はウンベルト2世とともに終わったのです。しかし、それは今のヨーロッパを作った祖父たちの歴史でもあります。

そんなサヴォーヤ家の歴史について、じつに興味深いお話をしていただいたのは、他ならぬリッカルド・アマデイ先生。日本におけるイタリア語通訳の第一人者であり、日伊協会ではプロ養成講座をご担当していただいているのですが、そのアマデイ先生のご出身は、なんとトリノ。故郷の王家である「 I Savoia (サヴォーヤの一族)」についての話は、日本語表記の訂正から始まります。

しばしば「サヴォイア」と表記されるのですが、日本語とイタリア語にご堪能な先生の見解によれば、正しくは「サヴォーヤ」だとのこと。イタリア語ではふつう「ia」のように母音がふたつ続くときは2音節の「イア」ではなく、半母音となって一音節で「ヤ」と発音するのだというのわけです。

2016-03-19-p2そんなイントロから始まるアマデイ先生のお話は、ステュアート、ウインザー、ブルボン、オルレアン、ハプスブルクなど、ヨーロッパの名だたる王朝に比べると、若干、地味に見えるかもしれないサヴォーヤ王朝の歴史が、なんと現在より1000年近くも遡るのだと指摘して、ぼくたちを驚かせてくれました。

そうなのです。サヴォーヤの一族の始祖として、その歴史的存在が確実なウンベルト1世は10世紀の終わり頃に生まれているのです。そしてその綽名の謎解き。どうしてこの始祖がビアンカマーノ(白い手)と呼ばれるのか。実のところ、軍事な強さを讃えるためにその城が打倒せないという意味で、ラテン語で「白い壁」 blancis moenibus と記されるはずだったのものが、誤って「白い手」blancis manibus と綴られてしまったのではないかというのです。そして、その反映の理由は、サヴォーヤ家が支配した場所が地理的に交通の要所であったことが指摘されます。その支配地は「 Stato di passo 」と呼ばれたというのですが、それは、その領地(Stato)が人々の行き交う(di passo)ところにあったからだというのです。

このウンベルト1世ビアンカマーノから始まるサヴォーヤの一族の歴史は、中世のヨーロッパの歴史と重なっていきます。それは、さまざまな王朝や諸侯が、教皇の宗教的な権力との対抗関係のなかで、きびしい政治的駆け引きを繰り返し、生き残りをはかってきた歴史です。そこでサヴォーヤ家は、とくに目立つことこそないものの、じつに巧妙に立ち回り、必要なときには軍事的な力を発揮しながら、近代的な国民国家の形成を準備していくことになるのです。

アマデイ先生のお話は、まさに知られざる中世イタリアの物語。活躍したのは15世紀のアメデオ8世、16世紀に「鉄の頭 Testa di ferro」と呼ばれるほどに軍事的能力を発揮したエマヌエーレ・フィリベルト・ディ・サヴォイア。18世紀に近代国家を準備したカルロ・アルベルト。そして、ついにイタリア王となったヴィットリオ・エマヌエーレ2世へと。千年もの歴史のなかで、サヴォーヤ王朝が残したのは、その政治的成果だけではありません。イタリア各地に残る、数々の美しい王宮を訪れるならば、きびしい歴史を生き延びた王家のおかげで、素晴らしい芸術作品が今に残されたことだということを、確認できるのではないでしょうか。

そういう意味でも、サヴォーヤ一族の歴史はヨーロッパの祖父たちの歴史であると言えるのかもしれません。ほんとうに興味深いセミナーでした。