イタリア旅行&留学セミナー 2016秋ご報告

日伊協会主催の旅行&留学セミナー、今秋のイベントも無事に盛会の下終了いたしました。

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1)イタリア語学学校体験レッスン「レオナルド ダ ヴィンチ校」

2016年11月9日(水) 講 師:Geraldine VILLIGER  (FIRENZE・MILANO・SIENA・ROMA レオナル ド ダヴィンチ校)

実際にイタリアで行われているレッスンを、今回は『入門・初級』クラスと『中級・上級』の2クラスのレッスンを体験して頂きました。なごやかな雰囲気の中で行われた体験レッスンで、参加者の不安も解消し、実際の留学生活を思い描いていただけたことと思います。

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2)イタリア留学フェア及びセミナー

《留学フェア》2016年11月11日(金)、12日(土)

ゼロからの語学留学&留学体験談セミナー》2016年11月11日(金) 13:30~14:30 

遠くは九州や北海道からのご参加もあり、今年も多くの方にご来場いただきました。多くの参加者の相談に応じる一方、これから準備しようとしている方々を対象に、「ゼロからの語学留学」というテーマでセミナーも開催、また当協会イタリア語講座受講生の栗谷川実希さんによるシエナ、ボローニャ語学留学体験談は、とても興味深い内容で、参加者の留学への関心が高まったと思います。

留学は準備段階からすでに始まっています。日伊協会では安心してご出発いただけるよう、これからも細やかなサポートを続けて参ります。

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3)イタリア留学&旅行セミナー トーディは何故「世界一住みやすい町」なのか

2016年11月14日(月) 講 師:Stefania BELLI(TODI La Lingua La Vita校 校長)

“Perché Todi è stata definita la città più vivibile del mondo”と題して、ウンブリア州の小さな町トーディがいかにして「世界一住みやすい町」と認定されたのか。その魅力を、歴史、文化、文学、農業、伝統技術、芸術等の幅広い話題のご説明をしていただきました。また食文化とともに、地元ならではのワインをご紹介いただきました。

また通訳は当協会の同時通訳のクラスで勉強中の鳴海ちひろさんに担当していただきました。

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4)イタリア留学&旅行セミナー「美食散歩」 ~永遠の都ローマを歴史と美食で味わいましょう~

2016年11月21日(月) 講 師:Enzo COSENTINO(ROMA Torre di Babele校 校長)

”LE VIE DEL GUSTO” – PASSEGGIATA PER I QUARTIERI POPOLARI DI ROMA -と題して、永遠の都ローマ、今回はローマには様々な地区があり、その各々の歴史と食の違いをスライドを使って分かりやすくご説明いただきました。

近郊のワイン、フラスカーティとペコリーノチーズも持参頂き、講義の途中から耳と口の両方でお楽しみいただきました。参加者の方々はローマの食文化の奥深さを実感し、きっと(また)行きたくなったと思います。

今後もさらに「イタリア」を、そして「留学」を身近に感じていただけるようなイベントを企画して参ります。来年もどうぞよろしくお願い致します。

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第26回イタリア語スピーチコンテスト開催

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12月3日(土)13:00より、イタリア文化会館アニェッリホールにて、第26回目となるイタリア語スピーチコンテストが開催されました。

今回は12名の方々が本選に出場し、スピーチを競いました。また審査時間を利用してトーク・イベント「イタリア語よもやま話」を開催し、イタリア語通訳の第一人者であり、日伊協会でプロ通訳養成講座をご担当のリッカルド・アマデイ先生と、協会イタリア語講座・講座主任の押場靖志先生のおふたりに、イタリア語の面白さについて語っていただきました。イタリア語を勉強されている方々には大変参考になるお話を聞くことが出来ました。

コンテスト結果は以下の通りです。

第1位:中西 志門 「犬も歩けばイタリア人にあたる」
第2位:山口 絵理子 「ことばの窓」
第3位:齊藤 紀子  「話しかけることとは愛すること」
朝日新聞社賞:熊田 のぞみ  「私はグローバル人材になれるか?」
日伊協会賞:石井 友里香  「自分の変化に気づいたきっかけ」
(敬称略)

1位の中西志門さんのスピーチ「犬も歩けばイタリア人にあたる(Italiani cittadini dell’Europa)」は、ベルリンの大学に留学したときに多くの若いイタリア人がドイツに「頭脳流失」のごとく流れてきている現状を考察したお話で、イタリアが移民を受け入れる国から、移民に出て行く国になっているという、イタリアの新しい一面を感じさせるお話でした。

なお、1位から3位の方には日伊協会より賞状、賞杯が贈られ、景品として1位の方には、アリタリア-イタリア航空より東京-ローマ往復航空券、Roma Torre di Babele校よりイタリア語研修費、スルガ銀行賞として滞在費10万円、イタリア文化会館よりイタリア食品詰め合わせ、2位の方にはSiena Dante Alighieri校よりイタリア語研修費。スルガ銀行賞として10万円の旅行券、3位の方には5万円の図書券が贈られました。入賞者の皆様おめでとうございました。

尚、今回惜しくも入賞は逃されましたが、以下の方々が、書類審査を通過し、見事本選に出場され、日頃の勉強の成果を活かしたイタリア語のスピーチを披露されました。これからも更に研鑽を重ねて、次の機会に挑戦していただきたいと思います。

阿久澤 弘陽  「教育現場での経験 : 留学生との交流を通して」
保坂 真名   「最愛の人の死を乗り越えて」
石川 美智子  「”別のことばで”、私の大切な本」
三嶋 路子   「忘れがたき出会い」
鈴木 麻里菜  「エスプレッソコーヒーと抹茶」
高橋 明    「私の人生の第三期」
谷口 眞理子  「お熱いお風呂はお好き?」
(アルファベット順 敬称略)

下記の審査委員の先生方にも重ねて御礼申し上げます。

審査委員長:長神悟(東京大学名誉教授)
白崎容子(元慶応義塾大学教授)
高田和文(静岡文化芸術大学理事・副学長)
Marisa di Russo(元東京外国語大学客員教授)
Silvio Vita(京都外国語大学教授)
Giorgio Amitrano(イタリア文化会館館長)
質問者:竹内マテルダ(日伊協会イタリア語講師)
(敬称略)

ご協賛、ご後援を頂いた下記の皆さまにはこの場を借りて御礼申し上げます。
協賛:スルガ銀行、アリタリア-イタリア航空
後援:イタリア大使館、朝日新聞社、NHK
主催:公益財団法人日伊協会、イタリア文化会館

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文化セミナー「著者に聞く」シリーズ 第3回 『ナポリ・バロック建築の世界』ご報告

2016-11-18-03文化セミナー「著者に聞く」シリーズ 第3回は、11月18日(金)18:30-20:15 日伊協会石川記念ルームにおいて開催され、『ナポリ建築王国―「悪魔のすむ天国」を作った建築家たち』の著者 河村英和先生に、ナポリが一番輝いていた17-18世紀のナポリとその近郊のナポリ独自のバロック建築について語っていただいた。(参加者約30名)

イタリアの古い諺でナポリのことを、「悪魔のすむ天国」と呼んだ。『ナポリを見て死ね』というほど美しい、湾の風光絶景はまさに「天国」である一方、貧困問題を抱え、狭く暗い路地に住み、良くも悪くも独特な気質のナポリ人が「悪魔」に喩えられたわけであるが、治安が悪く「悪魔」がいそうな地区ほど、「天国」のように美しい建物が隠れている。

ナポリのバロックは、次のように4つの期間に分けられ、それぞれ特色をもっている。

1)16世紀後半から17世紀前半にかけての初期バロック。イエズス会の建築家たちが活躍し、デザインに後期ルネサンス時代の名残がある。

2)17世紀後半の盛期バロック。建築・彫刻ではファンザーゴらのナポリ派が興隆し、グーリア(尖塔)や噴水が流行し始めた。
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3)18世紀前半も盛期バロック。サンフェリーチェに代表される独自のロココ趣味が開花し、中庭に面して配された階段が流行した。

4)18世紀後半の後期バロック。新古典主義の要素も加わり、ヴァンヴィテッリなどナポリの宮廷建築家たちが、王宮やナポリの重要建築を建設した。

どの期間においても共通するのは、地元で採掘できる石材を生かしてデザインすることである。一つは濃い灰色の「ピぺルノ」(火成岩)で、もう一つは薄い黄土色の「トゥーフォ」である。

ナポリの地図にプロットされた個別の建築について詳しくお話いただいたが、詳細はご著書でご確認されること、また、ご興味を持たれた方も多く、本書を片手にナポリの街のバロック建築を渉猟する日の早やからんことを希望する。
(山田記)

<講師プロフィール>
■河村 英和(かわむら・えわ)
東京大学大学院人文社会系研究科特任准教授。東京工業大学工学部建築学科卒、ナポリ・フェデリコ大学建築学部建築史科phD博士。専門は、ホテル建築、建築史、都市史、風景絵画史、観光史。主な著書に、『Alberghi storici dell’isola di Capri』(Edizioni La Conchiglia)、『Il Quisisana. Biografia del Grand Hotel di Capri』Edizioni La Conchiglia)、『カプリ島-地中海観光の文化史』(白水社)、『イタリア旅行-「美しい国」の旅人たち』(中公新書)、『ナポリ建築王国-「悪魔のすむ天国」をつくった建築家たち』(鹿島出版会)のほか、イタリアで出版された論文多数。

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シンポジウム「19世紀における日伊関係」ご報告

日伊国交150周年記念事業として、[主催]上智大学、在日イタリア大使館 [協力]イタリア文化会館、イタリア国立東方学研究所、公益財団法人日伊協会により、2016年10月14日14:00~18:30、上智大学四谷キャンパス2号館17階国際会議場において、標記シンポジウムが開催された。参加者約100名。

開会の辞を述べられた上智学院理事長の高祖敏明教授から、国交樹立の前に民間ベースの前史として、430年前の天正少年使節よりさらに30年も前にローマ教皇に謁見した鹿児島のベルナルドの紹介があった。ベルナルドは日本に帰国することなくコインブラで病死した。

img_1289ドメニコ・ジョルジ駐日イタリア大使は「1866年8月25日の日伊修好通商条約締結と日伊外交関係の幕開け」と題して本シンポジウムの基調となる講演を行われた。

1866年7月4日、アルミニオン船長率いる2,500トンのマジェンタ号は200人の乗組員を乗せ、5か月の航海の後、下田にたどり着いた。両国の政治外交情勢に翻弄されながらも、やっと8月25日条約が調印された。

何年も前から日伊間では接触あったが、統一したばかりのイタリアとしては、特に蚕の問題から、何とかフランスに助けられながら、こぎつけたかった条約調印であった。

以後150年の間、政治体制や経済活動、両世界大戦における立場、人口の高齢化などいろいろな点において両国は比較的似たところを持ち、岩倉使節団の派遣とイタリアからの東京芸大への芸術家の派遣、ジャポニスム、プッチーニのマダムバタフライ、フォス・コマライーニなどの両国の文化的関係は極めて密であった事例を挙げ説明された。

img_1301アリアンナ・アリースィ・ロータ講師(パヴィア大学教授)は「イタリア統一以降の外交・科学ミッションの歴史的背景、蒸気駆逐艦マジェンタ号の例」と題して、主として政治、外交、社会的な歴史的背景からマジェンタ号について話された。

当時統一を果たしたイタリア王国にはがまだヴェネツィアとローマが入っていない。

イタリア王国政府が農業社会から脱皮し、新生王国の存在を世界に知らしめようと世界に派遣したのが、マジェンタ号であった。(マジェンタ号の名前は1857年にイタリアがオーストリアに勝利した地名からとられた。)

img_1302またパオロ・マッツァレッロ講師(パヴィア大学教授)は「外交に伴う科学調査、フィリッポ・デ・フィリッピと蒸気駆逐艦マジェンタ号のミッション」と題して、科学面からのアプローチにより、ダーウインの進化論以後の科学ミッションの要請(例えば有名な探検家フィリッポ・デ・フィリッピを乗船させている。)からマジェンタ号を捉えて話された。

土肥秀行講師(立命館大学准教授)は「『以太利は欧州の日本也』-明治後期イタリアブームにおける二重写し」と題して、明治後期から現代にいたるまで、日伊両国はよく似たところと正反対のところを持つが故に、一方で優越感を持ち他方で尊敬するという二重写しの関係が続いている。

これは両極端ではなくコインの両面のようなものである。30年前の「ばか騒動」騒ぎや明治のイタリア史ブームなどの多くの社会的事象の例を挙げて説明された。

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巌谷睦月講師(東京芸術大学教育研究助手)は、「芸術における日伊交流の発展―ルーチョ・フォンターナと滝口修造の時代を中心に―」と題して20世紀における前衛芸術の巨匠の二人の濃密な交流を紹介し、その前提として19世紀におけるイタリアの力を借りた日本における美術史教育の整備があったことを紹介された。

フルヴィオ・コンティ講師(フィレンツェ大学教授)は、「1873年の岩倉使節団とイタリアの発見」と題して、当初10か月の予定で出かけたが実際には2年もかけ、また100人以上もの政府の枢要な人物を網羅した岩倉使節団について述べられた。

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使節団一行は、米国や欧州諸国を訪問して政治、経済、司法、金融、技術、交通、軍事など万般にわたりその発達した姿を仔細に観察し、学習した。

米国には8か月、英国には4か月、そしてイタリアには1973年の5月から6月にかけて滞在した。しかしバチカンを見学はしているが、教皇には謁見していない。

最後に閉会の辞を述べられた日伊協会島田精一会長は、今日のシンポジウムが日伊両国の歴史を振り返りつつ将来に向けて新しい展望を開くものとなったことを大使初め講師の方々、高祖敏明上智学院理事長はじめ上智大学の方々に感謝の意を表された。
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また本シンポジウムの企画に多大のお骨折りをいただいた、イタリア大使館のモルテーニ文化担当参事官と日伊協会顧問の藤澤房俊先生に感謝の意を表された。

自ら理事長を務めておられる津田塾大学の創始者津田梅子が、6歳11か月で岩倉使節団に含まれる留学生の1員として参加したことをエピソードとして紹介された。

(以上・山田記)

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イタリア語をまだ知らない貴方のための 《ミニ・イタリア語セミナー》の報告

img_1521日伊協会イタリア語講座主任の押場靖志先生によるミニ・イタリア語セミナーは、「イタリア語をまだ知らない貴方のための(Per chi non parla ancora italiana)」と題して、1時間という時間が本当にあっという間の楽しいセミナーでした。

参加者の方は「イタリア語をまだ知らない」とはいえ、本格的にイタリア語を学習してはいないだけで、イタリア語への興味は高く、断片的な知識はある方々が多かったようです。

まずは押場先生から参加者に対し、「自分が知っているイタリア語は?」という投げかけでセミナーは始まりました。

その答えに対して先生から次から次へと、イタリア語小話のような面白おかしい話題が展開され、知らず識らずイタリア語の言葉の世界に誘ってくれました。

例えばトマト(POMODORO)はpomo d’oro、即ち「金の実」という意味で、1492年のコロンブス以降にイタリアに輸入された。だからそれ以前のピッツァはトマトソースが載っていなかった。

シネマ(CINEMA)は映画という意味だが、今ではむしろ「映画館」を指すことが多い。「シネマパラダイス」はNuovo Cinema Paradiso、シチリアの映画館が舞台だった。作品としての映画のことはフィルム(film)という。

スパゲッティ(spaghetti)はもともと細長い形から、spago(紐)の意味で、spaghettoの複数形でspaghetti。

時計を意味するオロロージョ(orologio)のロロの部分、最初のロはRoma の ro 、次のロはLondon の Lo と覚えるとよい。

このように様々な言葉をその由来や変遷の過程を分かりやすく、かつ興味を掻き立てるような、刺激と驚きの1時間でした。

イタリア映画のビデオや、カンツォーネが聴けたり、サッカーの長友で有名になったアモーレ(amore)と先の地震のあったアマトリーチェ(amatrice)の深い関係にまで発展します。

押場先生の話はひとつのイタリア語の単語が核分裂のように、幅広い話題を含んで拡散します。その小気味よいテンポの話をもっともっと聞いていたいと思った1時間でした。

秋からのイタリア語講座では、入門から初級、中級へと、押場先生を始め、日本人の先生方、イタリア人の先生方と一緒に、イタリア語の体系的な勉強を始めることが出来ます。

参加者の方々も、今回のミニセミナーをきっかけに、もっとイタリア語を勉強したい気持ちが高まってくれれば幸いです。

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イタリア留学&旅行セミナー 2016秋 ボローニャ、その食と教育の歴史
~Bologna, la città del cibo (la cucina) e della cultura (la prima Università)~ ご報告

bologna02『日伊協会主催の留学セミナー、この秋はボローニャのご紹介からスタートです。

ボローニャにある語学学校クルトゥーラ イタリアーナ校校長マッシモさんによるセミナーは、2年ぶりの来日にあわせての開催となりました。日本をこよなく愛するマッシモさん、今回は大好きな「日本」を見せたいと、ご子息エミルさんを伴っての来日でした。

エミリア・ロマーニャ州の州都であるボローニャは、赤いレンガの屋根(Rossa)、学問(Dotta)、そして美食の町(Grassa)として有名です。その一つ一つについて説明がありました。

ボローニャの美しい町並みというと、塔と赤いレンガのイメージが思い浮かぶかと思います。どうして赤レンガだったのでしょうか、もともとの土壌のもろさから来ているという理由を教えていただきました。

学問の町として、ボローニャ大学はヨーロッパ最古の大学として有名であり、現在も世界各地から10万人以上の学生がたちが集まり学んでいるそうです。この春には秋篠宮ご夫妻も訪問されました。

美食の町、くいだおれの町とも言われるボローニャは恵まれた土壌と、交通至便の好立地であることなどから、豊かな食材を産み出してきたそうです。そんなハムやチーズやパスタなどの食材について、それぞれの楽しい逸話とともに詳しく説明してくださいました。

 
bologna04ひとしきり講義を聞いた後は、楽しい試食タイムです。
スーツケースいっぱいに詰めて持参してくれたハムやチーズ、ワインなどを堪能しながら、後半は楽しい会話と美味しい試食で和やかな会となりました。ワインやチーズのパッケージを写真におさめている方もいらっしゃいました。ボローニャ旅行の際は、お土産としてもお勧めかも知れません。

以前この学校に通った経験があるという2人の方も、その充実した滞在について語ってくださり、実際にボローニャに行きご自身の目でその歴史を感じてみたいと思った方も多かったのではないでしょうか。

bologna05今回の通訳は日伊協会の通訳プロ養成コースの受講生でもある永瀬さんが務めて下さいました。少し緊張されていましたが、日頃の努力の成果を披露できたのではないかと思います。

日伊協会では今後も受講生の皆様へ同様の機会を積極的に設けて行きたいと思っております。

日本とイタリア、両国間の交流を深める機会をいただきましたマッシモ校長に、心より御礼申し上げます。

11月にはこれに続いていくセミナーとして、
・11/9(水) フィレンツェ レオナルド ダ ヴィンチ校 「体験レッスン」

・11/14(月) トーディ ラ リングァ ラ ヴィータ校セミナー「トーディは何故「世界一住みやすい町」なのか」

・11/21(月) ローマ トッレ ディ バベレ校セミナー 「美食散歩~永遠の都ローマを歴史と美食で味わいましょう~」

等を予定しております。

ご参加をお待ちしております!

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連続文化セミナー 「イタリアの祝祭」
第5回 ヴェネツィアの祝祭 ―オペラと劇場―ご報告

連続文化セミナー「イタリアの祝祭」の最終回である第5回は、7月22日(金)にオペラ史研究家の田島容子先生に、『ヴェネツィアの祝祭―オペラと劇場―』と題してお話いただいた。参加者30名。

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1600年にフィレンツェで生まれた音楽劇が、1637年にヴェネツィア共和国に導入されて以来たちまちのうちに新機軸のスペクタクルへと変貌し、大流行を見る。もしこのような経緯をたどらなかったならば、オペラは今日の姿に到達しえたかという疑問を解くのが今回のテーマである。

イタリアのルネサンス期、諸都市は祝祭には不可欠なもろもろの形の演劇の上演を競い合ったが、音楽部分は、上演を彩る豪華な添え物に過ぎず、まだ音楽を用いて劇全体を進行させる発想は存在していなかった。これに対して1580年代、貴族と学者による古代ギリシャ劇研究グループ(カメラ―タ・フィオレンティーナ)がフィレンツェに結成された。彼らは、当時のフランドル楽派の「多声(40声部)」を言葉が聞き取れないと批判し、古代ギリシャの朗唱(独唱)の復元を打ち出した。このような動きから1600年に上演された『エウリディーチェ』が現存するオペラの最も古い例とされている。

地中海交易で富を築いたヴェネツィアは、16世紀後半から国力の衰退が始まる。享楽を愛するヴェネツィア市民に最も痛手であったものは、信教・出版の自由を巡って教皇庁と対立し、教皇庁により国家的破門の脅しを受けたことであった。恭順を示す政府は急遽、奢侈取締監督局を設け、1605年、市内からあらゆる歓楽と贅沢品は一掃された。1636年に、教皇ウルバン8世の病気を機に、その跡目争いのどさくさに紛れて、贅沢禁止令は突然緩和された。1637年、サン・カシアーノ劇場で上演されたヴェネツィア初のオペラ『アンドローメダ』は新機軸のスペクタクル性から、瞬く間に市民をとりこにした。

17世紀ヴェネツィアのオペラの異常な流行は、その原因を有料公衆劇場の存在に探ることができる。干拓から土地を作り上げたヴェネツィアは、底面の広がりが大きく取れない。建築家が編み出した斬新な工法は、馬蹄形または釣鐘型平土間を取り囲むように内部の壁面に5層にわたり30余の桟敷(小部屋)を設置するヴェネツィア型(イタリア型)劇場の出現である。1700年までに人口14万人弱のヴェネツィア市内に17のオペラ専用劇場が建設された。

オペラ興行に対する共和国の監督と保護は、細部にわたって実施された。政府関係者と他国外交官との私的接触を禁じていたが、劇場を私的会合の接点として認可し、諜報の面からも政府の手で綿密に手配された。桟敷と桟敷の壁の隙間にスパイを配していたと伝えられている。

17世紀のヴェネツィア・オペラの総数は370本程度と捉えられ、1600年から1636年までの貴族オペラが20作程度であったことに比較すると、その増加ぶりはすさまじいものがある。ヴェネツィア・オペラの盛行の1つの要因として、興行主制度(Impresario)を挙げることができる。各劇場の興行主は、オペラ制作から劇場運営まですべての業務を統括する。競争が激化すると、常に聴衆の人気を考慮し、聴衆の愛好する筋書、例えば宮廷の醜聞や政争を盛り込み、劇中に超自然現象を登場させるなど、機械仕掛け中心の舞台構成や舞台転換の多用など娯楽中心の音楽スペクタクルへの道を加速させる。雲の昇降装置、舞台を一瞬に暗転させる装置、地獄の業火、船の難破、海の波の現出など興味深い装置の紹介があった。一瞬にして舞台を変える方法として、観客席後方にサクラを配置して騒動を起こさせ、観客が後ろを振り返っている間に、舞台を変えてしまうという策も採られたという。

作曲家への謝礼は1作当たり400ドゥカートと決められ、歴代のサン・マルコ大聖堂付き楽長の年間給与に相当する。一例を挙げると1668年からサン・マルコ大聖堂付き楽長職にあったカヴァッリは39作の依頼を受け、年収の39倍をオペラ作曲で得たことを示している。その噂は他国にも伝わり各地の作曲家は競ってヴェネツィアのオペラ劇場に作品を持ち込んだ。貴族子弟によるヴェネツィア独特の演劇団体であるコンパニーア・デラ・カルツァが、オペラ台本のみならず、劇場経営にも密接に関わった点で、ヴェネツィアの富裕階級とオペラの関係の特異な部分として注目される。(山田記)

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<講師プロフィール> 田島 容子(たじま ようこ)
イタリア音楽の研究で日本第一号の博士号を東京芸術大学から受ける。イタリア音楽学会(ローマ)正会員、ドニゼッティ研究所共同研究者、日本オペラ振興会でオペラ史の講義を通して後進の指導に当たる。日伊協会評議員。イタリア・バロック音楽文庫としてイタリア・オペラの初版譜、稀覯本を多数収蔵、解読と分析を行う。専門テーマは「17世紀ヴェネツィア社会と芸術」、「ロマン主義とオペラ」

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連続文化セミナー『イタリアの祝祭』
第4回 「ローマ社会における『パンとサーカス』」のご報告

2016-07-22-02シリーズの第4回は、6月22日(水)に、東京大学名誉教授、早稲田大学国際教養学部特任教授の本村 凌二先生に「ローマ社会における『パンとサーカス』」と題して、講演いただいた。(参加者25名)

平和と繁栄のなかでローマ帝国の民衆はこの世の娯楽に興じてわれを忘れた。諷刺詩人ユウェナリスはため息まじりで揶揄する。「かつて権力や権威や軍事などのすべてに力を注いでいた市民たちも、今では萎縮して、たった二つのことばかりを気にもんでいる。パンとサーカスだけを」

ローマの歴史を建国神話から説き起こし、やがてしばしば“パックスロマーナ”と呼ばれる泰平の世の中に至って、『パンとサーカス』と呼ばれる世相が現れた。これは、民衆の堕落ぶりを象徴するものと考えられているが、まずはその実態を巡って具体的に確認する必要があるとお話を進められた。

パンの意味するところは、民衆への穀物の配給である。穀物供給管理制度による無料給付の制度化である。パンも大事だが、サーカスの方がもっと大事。サーカスの由来は、circus (円形競争場)である。そこでは、戦車競走が催され、また剣闘士競技などの見世物興行に民衆は熱狂した。『パンとサーカス』の意味は、ギリシャ語で「守護者」を意味するエヴェルゲテースから由来する「エヴェルジェティスム」で説明されよう。すなわち、保護者の民衆への恩恵施与慣行である。

この頃の社会は保護者(patronus)と被護民(clientes)すなわち親分・子分の関係。為政者は、民衆にパン(肉体の活性剤)とサーカス(精神の活性剤)を施し、権力の獲得のためではなく、権威の認知のゆえに恩恵を施すのである。講演では、「残存する円形競技場のデータ」、「剣闘士の生き残る確率」など興味深い資料やローマ史の面白いエピソードをたくさんお聞かせいただいた。なんといっても、丸山真男先生の言葉では、「1200年のローマの歴史に人類の経験したことが全て詰まっている。」のだから、古代ローマ史の第一人者である本村先生の話は尽きない。(山田記)

講師紹介:■本村 凌二(もとむら りょうじ)
東京大学名誉教授、早稲田大学国際教養学部特任教授、博士(文学)。1947年熊本県生まれ。1973年一橋大学社会学部卒業、1980年東京大学大学院人文科学研究科修了。東京大学教養学部教授、同大学院総合文化研究科教授を経て、現職。専門は古代ローマ史。『薄闇のローマ世界』でサントリー学芸賞、『馬の世界史』でJRA賞馬事文化賞、一連の業績にて地中海学会賞を受賞。著作に『多神教と一神教』『愛欲のローマ史』『はじめて読む人のローマ史1200年』など。

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第5回 日伊文化交流「夏のフェスタ2016」のご報告

島田精一 日伊協会会長

島田精一 日伊協会会長

去る7月16日、日伊協会の主催により「夏のフェスタ2016」(共催:イタリア文化会館、後援:在日イタリア商工会議所、協賛:アリタリア・イタリア航空、リョービツアーズ トゥッタ・イタリアカンパニー)を、東京・九段のイタリア文化会館において開催いたしました。

当日は、日伊協会の会員のみならず、イタリアに興味を持つ多くの方に来場いただき、参加者300名に達する盛会となりました。

最初に島田精一新会長のご挨拶の後、6月22日に急逝された日伊協会評議員代表の岡野喜之助様に黙祷を捧げました。

第1部前半には、昨年のミラノ国際博覧会の公式記録映像(JETRO制作)を上映いたしました。日本館は、最も人気の高かったパビリオンの1つで、展示デザイン部門で金賞を受賞しました。「食」をテーマにした初めての万博で、わが国は和食の文化の紹介を館内、イベントステージ、さらには博覧会の会場を出てミラノの街で多彩な形で展開しました。その一部始終が映像により再現されて、博覧会に行けなかった人にもその雰囲気をお伝えすることができました。

2016-07-16-02第1部後半は、 「『アマーレ・マンジャーレ・カンターレ』ではない私のイタリア」と題して、漫画家ヤマザキマリさんに講演をしていただきました。ヤマザキマリさんといえば、漫画「テルマエ・ロマエ」と後に2回の映画化で有名ですし、最近はテレビでイタリア美術や歴史に関して出演されているのをよくお見かけします。

しかし、今日の講演は、ヤマザキさんとイタリアとのそもそもの出会いからお話が始まりました。中学生の時のヨーロッパ美術の一人旅の途中で出会ったマルコ爺さんの勧めで、再び高校生の時に渡欧、初めてイタリアに入りました。それからフィレンツェでの苦しい生活、助けてくれた教養人や職人たちのことなど、困難をユーモアで包んでのお話をお聴きしているうちに、1時間はあっという間に過ぎてしまいました。

ヤマザキさんからのメッセージに「長い歴史と経験を経てでしか得られない人々の中にある奥行と諦観と懐の広さ、そしてプライド。イタリアは単に人生を楽観する人々が暮らす、明るく太陽のような側面だけの国ではありません。」とありましたが、イタリアという国の「質感のある品位」と「抜きん出た感性と知性のクオリティ」が、ヤマザキさんの体験談から浮かび上がってくる、すばらしい講演でした。

2016-07-16-03 第2部はラッフル(くじ付き募金券)抽選会。アリタリア・イタリア航空、リョービツアーズ トゥッタ・イタリアカンパニーのご提供による日本・イタリア往復ペア航空券をはじめ、数多くの景品のご提供をいただき、抽選会はおおいに盛り上がりました。

この募金は、日本からイタリアへの文化発信事業に助成する「日本文化奨励基金」を拡充することを目的としています。今年の夏も、例年通り、イタリア人大学生に対する「日本語・日本文化夏期講座」に助成をする予定でおります。おかげさまで、今回もみなさまの暖かいご支援をいただきましたので、純益30万円を基金に繰り入れる予定です。

第2部の終わりには、蒲谷理事のピアノと歌唱指導により、全員でナポリ歌謡の『帰れソレントへ』を歌いました。

2016-07-16-04第3部は、イタリア料理とワインを楽しみながらの歓談の時間です。今回も、リストランテ文流さんが料理の部を担当、今年は特に日伊国交150年の年ですので、イタリア使節団団長のアルミニョンとゆかりのあるリグーリアの名物料理、ペスト・ジェノヴェーゼのラザーニャとリグーリア産オリーブの実入りジェノヴァ風フォカッチャが用意されました。アンチパスト3種類とセコンドはしらさわ豚のローストでした。

ご提供いただいたカンパリとワインがお料理を一層盛り上げました。またドルチェは、バール・デルソーレさんの担当で、チョコレート菓子を使ったオリジナルティラミスとエスプレッソが提供されました。

最後になりましたが、ご参加くださった方々に、改めて御礼を申し上げるとともに、今回の企画に協力をいただいた、以下の企業・個人に深く御礼を申し上げます(敬称略)

本イベントに多くの企業・個人からラッフル景品、食材、飲物のご提供など多大の協賛をいただきました。ここにお名前を掲載して御礼申し上げます。(敬称略)
2016-07-16-05イタリア文化会館、在日イタリア商工会議所、アリタリア・イタリア航空、株式会社リョービツアーズ トゥッタ・イタリアカンパニー、株式会社資生堂、ヴァンジ美術館、株式会社文芸社、小田原城カントリー倶楽部、カルロ モレッティ 東京、Caruso 遠藤美紀子、CAZETTA Olio・ハツヤレイコ、株式会社ジィエィインク、篠利幸、株式会社サンリオ、広島日伊協会、北海道日伊協会、株式会社三笠会館、株式会社ミキインターナショナル、リストランテ文流、株式会社フォルトゥーナ(バール・デルソーレ)、株式会社サントリー/CAMPARI JAPAN株式会社、有機栽培 吉田農園、企業組合かほくイタリア野菜研究会、Kふぁーむ(チルコロ共生事業事務局)、有限会社アビコ、株式会社モリス商会、株式会社ワインウェイヴ、株式会社ノルレイクインターナショナル、日本リカー株式会社、スリーボンド貿易株式会社、株式会社モトックス、株式会社クオーレ クール、株式会社スマイル、モンテ物産株式会社、エイコ―フードサービス株式会社、米金青果株式会社、株式会社佃熊、サンヨーエンタープライズ株式会社

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イタリア映画セミナー&イタリア語講座交流会 『SAPORI E SAPERI D’ITALIA』のご報告

2016-06-18-image91梅雨の晴れ間の昼下がり、イタリを愛する皆様との楽しい交流会を開催しました。

これまでも毎回大好評でした押場先生による映画セミナー「映画の中のイタリア語:ヴィスコンティの魅力を求めて」にてヴィスコンティの人生と映画への思いを熱く語っていただいいた後、日伊協会イタリア語講師も大勢参加しての楽しい交流会となりました。

次回もまた皆様のご参加をお待ちしております!

2016-06-18-image924 2016-06-18-image94 2016-06-18-image13 2016-06-18-image11
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連続文化セミナー『イタリアの祝祭』
第3回 ミラノのデルビー ―イタリアサッカーの醍醐味― のご報告

20160527-101シリーズの第3回は、5月27日(金)にフリージャーナリストで中京大学、大阪芸術大学の非常勤講師の小川光男先生に「ミラノのデルビー」と題してダービーマッチを通して イタリアサッカーの醍醐味を語っていただいた。(参加約25名)

まずイタリアサッカー(カルチョ)の衰退について。20世紀末、欧州(あるいは世界)のサッカーシーンで“我が世の春”を謳歌していたカルチョだが、その後は衰退の一途をたどっている。86年から99年までUAFAランキング1位(90年のみ2位)を保っていたが、2000年に2位、2004年に3位、2011年には4位とランクを下げている。また実力の衰微とともに観客動員数も低迷し、全盛期より28%も観客動員数を減らしている。

そんなカルチョの低迷期でも、今も多くのファンの関心を集めるゲームが存在する。それがデルビーと呼ばれる近しい2クラブの“直接対決”。デルビー(derby)の語源は英国起源で、イングランドやスコットランドのモブ・フットボール(またはマス・フットボール)の名残と見られる。

イタリアにおけるデルビーの種類としては、

①ストラチッタディーナ(都市デルビー)=「内向き、村祭り的な」。
主なクラブとして、ミラノ―ミランvsインテル、ローマ―ローマvsラツィオ、トリノ―ユヴェントスvsトリノ、ジェノヴァ―ジェノアvsサンプドリア、ヴェローナ―エッラスvsキェーヴォ。都市デルビーにはそれぞれの個性があり、ファンがそこに求めるもの、裏に存在する背景など違いがある。

②デルビープロビンチャーレ(近隣デルビー)=「外向き、近隣戦争にも似た」趣が感じられる。

③デルビーレジョナーレ(例:デルビーデッラアペンニーノ、デルビーデルイーゾレ、デルビーディイタリア、デルビーデルソーレなどいずれも「創られたデルビー」という感じ)。

20160527-102さてその中でも最もデルビーらしいデルビーは「デルビー・ディ・ミラノ」である。2つのチームが規模も大きく、実力も伯仲していてバランスが良い。ACミランは1899年に設立された。あだ名は、“cacciavite(ねじ回し)”。ファン層が職人などの労働者階級を中心としていた名残。元首相のベルルスコーニがクラブを買収し、選手を大補強した。

インテルは、1908年にミランの外国人選手排斥を止めるよう訴える44人の反乱分子が設立した。設立の翌年にはセリエAでいきなり優勝した。インテルは、ミランのcostra(肋骨)と言われ、いってみれば旧約聖書・創世記のアダムとイブのような関係である。シンボルは、Il Biscione(大蛇、ヴィスコンティ家の紋と同じ図柄。ファンが富裕層だったころの名残)。

今はどのクラブも財政難で、インテルは2013年にインドネシアの実業家エリック・トヒルが筆頭株主、会長となった。(セミナー後とび込んできたニュースによると中国の家電量販店大手「蘇寧」グループがミランの株式の約7割を取得したと発表した。)ただ財政難にもかかわらず。両チームともスタディアム・サン・シーロとは別に自前のスタディアムを持つ計画もあるらしい。

ミラノのデルビーには、『デルビー・デッラ・マドンニーナ』という別名がある。ドゥオーモの上に光り輝く黄金の聖母像を賭けた絶対に負けられないゲームである。ミランには本田圭祐選手、インテルには長友佑都選手が在籍していることもあり、日本でもデルビー・ディ・ミラノへの注目、関心が高まっていくことだろう。小川先生が須賀敦子さんに「カルチョには関心はないでしょうね。」と話を向けたところ、「私はインテリスタよ。」との答えが返ってきたのには驚いたというエピソードが披露された。(山田記)

講師紹介:■小川 光生(おがわ みつお)
慶応義塾大学文学部西洋史学科卒。イタリア留学中の2000年からサッカー専門誌の記事執筆、翻訳などを手がけ、その後フリージャーナリストとして活動。2010年夏からは、NHKのロケ・コーディネーター兼番記者として、インテルの長友佑都選手、ミランの本田圭祐選手を追いかけ続けた。2016年4月から、中京大学、大阪芸術大学の講師として教壇に立つ。著書に『サッカーとイタリア人』(光文社新書)、『プレーのどこを視るか』(青山出版)など。

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連続文化セミナー 『イタリアの祝祭』
              第2回 都市フィレンツェの聖史劇 — 奇蹟と見世物 — のご報告

シリーズ第2回は、4月15日(金)に早稲田大学の杉山博昭先生に「フィレンツェの聖史劇」のお話をしていただいた。(参加約30名)

ルネサンス期のフィレンツェは、西洋美術史上のひとつの「中心」として長らく注目を集めてきた。一方、その「中心」に寄り添うように開催されたひとつの行事は、これまでほとんど顧みられなかった。その行事とは「聖書と芝居」、「奇跡と舞台効果」、「キリスト教と異教」が坩堝のように絡み合う祝祭である。聖堂で上演された、現在「聖史劇」と呼ばれているその祝祭は、当時の大工・ブリキ工・金細工師・画家・毛織物商など多くの市民が知恵をしぼり、腕をふるう現場でもあった。聖史劇は信徒に、「マリアはいかに美しいのか」、「星々はいかに運行するのか」、「聖霊はいかに恩寵を施すのか」、「イエスはいかに天へ昇るのか」、そして「天使はいかに空を飛ぶのか」などの問題を投げかけたのである。全ヨーロッパから集った見物客が、それらの演出をいかに捉えたのか、当時の図像資料を参照しながら考察された。

2016-04-15-11◎聖史劇の定義
14世紀から16世紀のイタリア各地で、平信徒で構成される兄弟会が聖書・聖人伝に範をとったテクストにより、街路・広場・聖堂内などで、典礼暦上の祝祭日の行事や貴賓歓待時の出し物として演じられた。聖史劇以前は王の入場式や典礼劇、あるいは大道芸人や吟遊詩人のパフォーマンスがあったが、これらの要素が流れ込んで聖史劇の形となった。15世紀フィレンツェがひとつのピークである。この後古典劇へと変貌していくが、むしろルネサンスと活版印刷術の普及からローマ喜劇やギリシャ悲劇が栄える。

◎聖史劇の機能
宗教的機能(見て聞く「聖書」)、教育的機能(身振りと言葉遣いの模範)、見世物的機能(娯楽もしくは通過儀礼)、衒示的機能(高揚と誇示、興奮と見せびらかし)、政治的機能(統治の正統性の承認)

◎台本
テクストの形式は、極めてシンプルな詩形(セリフは韻文「八行詩節」で構成)。媒介者として、開幕と閉幕を見物客に告げる天使役が登場するのが特徴。最初に物語のあらすじをすべて説明する。最後に物語の意味を分かりやすく解釈する。「他者」として、搾取される小作人、忌避される病人、迫害されるユダヤ人が登場する。決してユートピア的な物語ではない。

◎演者
少年たちが女装して演じる。衣装は贅をこらしたもので金泥で塗装された「光輪」、染めたクジャクやダチョウの羽で作られた「翼」など。人間以外に木製人形や絵画など多様なメディウムが登場人物上で交差する。

◎舞台
街路を練り歩く行列(聖遺物行列、仮装騎馬行列『マギのフェスタ』、山車行列『洗礼者ヨハネのフェスタ』)あるいは野外の同時並列舞台(広場、聖堂回廊の中庭、処刑場)あるいは聖堂内の高架舞台(内陣障壁)。宙づりあり、ロケット花火あり、噴水あり。

スーズダリ主教アブラハムの手記(1439年)によると『これは素晴らしくも、恐ろしい見世物なのである。そもそも筆舌に尽くしがたいほどの内容であったため、これ以上書くことはできないのである。アーメン。』と、称賛と困惑がないまぜとなった感情の感想を述べている。視覚のみならず触覚・嗅覚・聴覚への強い刺激。信仰のみならず娯楽・性愛のもとに飽和する感情。――15世紀のフィレンツェに咲いた奇跡といえる。杉山先生によると聖史劇を専門に研究している研究者は杉山先生を含めて世界に4人しかおられないそうで、とにかく記録が少ないこのスぺクタクルを当時の図像資料から再現していく困難さは大変なものと推測された。多数の図像資料の作品データリストもいただいたが、この報告では講演のエッセンスともいうべき図像資料の参照の部分をお伝えできないのは残念である。(山田記)

講師紹介:■杉山 博昭(すぎやま ひろあき)
早稲田大学高等研究所助教。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了(人間・環境学博士)。国際基督教大学、追手門学院大学非常勤講師。単著に『ルネサンスの聖史劇』(中央公論新社・第5回表象文化論学会奨励賞)、共著に『「聖書」と「神話」の象徴図鑑』(ナツメ社)など

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イタリア語による 日伊協会特別セミナー
I Savoia, questo e quello.「サヴォーヤ王家の再発見」のご報告

2016-03-19-p1こんにちは。日伊協会の押場です。

毎回イタリア人講師をお招きし、同時通訳付きで興味深いお話をうかがってきたセミナーですが、今回の「サヴォーヤ家」のお話でした。

サヴォーヤ家といえば、たとえばヴィットリオ・エマヌエーレですよね。イタリア史を少しでも勉強した方はご存知かと思いますが、19世紀の半ば過ぎ、近代国家として独立したとき、最初のイタリア国王となったのはヴィットリオ・エマヌエーレ2世でした。

同じ名前の3世のほうも、これまた有名なのですが、こちらの王のほうは、イタリアで王政を終わらせる原因を作ってしまいます。20世紀の2つの世界大戦を王として生き延びながら、その間にファシズムの台頭を許し、戦況が危うくなってくると国外に逃亡、イタリアをナチスドイツの手に渡してしまったのが、ヴィットリオ・エマヌエーレ3世です。これにはさすがのイタリア国民も怒ったようですね。そこでエマヌエーレ3世は、戦後直ちに息子ウンベルト2世に王位を譲るのですが、その直後に行われた国民投票で、イタリア国民は共和制を選択し、王政は廃止されることになったのです。

2016-03-19-21448共和制となったイタリアにおいて、サヴォーヤ家は国外追放の処分を受けます。息子に王位をゆずってなんとか王政を維持しようとしたエマヌエーレ3世ですが、その思いも叶わないまま、失意のうちに亡命先のエジプトで没します。また、王位を継承したものの、5月のひと月だけの在位となったウンベルト2世は、「五月王」と呼ばれ、ポルトガルに亡命、1983年にはスイスのジュネーブで没します。このとき亡骸をイタリア国内に埋葬するという議論もあったようですが実現しません。サヴォーヤ家の人々がイタリアの地に入れるようになるのは、2002年の法律改正を待たなければなりません。

面白いことに、現在のイタリアでは、ウンベルト2世の孫にあたるエマヌエーレ・フィリベルトがテレビタレントとして活躍しているのです。しかしこれはきっと、サヴォーヤの一族が、歴史の表舞台から降りたということを意味しているのではないでしょうか。サヴォーヤ家の偉大な歴史はウンベルト2世とともに終わったのです。しかし、それは今のヨーロッパを作った祖父たちの歴史でもあります。

そんなサヴォーヤ家の歴史について、じつに興味深いお話をしていただいたのは、他ならぬリッカルド・アマデイ先生。日本におけるイタリア語通訳の第一人者であり、日伊協会ではプロ養成講座をご担当していただいているのですが、そのアマデイ先生のご出身は、なんとトリノ。故郷の王家である「 I Savoia (サヴォーヤの一族)」についての話は、日本語表記の訂正から始まります。

しばしば「サヴォイア」と表記されるのですが、日本語とイタリア語にご堪能な先生の見解によれば、正しくは「サヴォーヤ」だとのこと。イタリア語ではふつう「ia」のように母音がふたつ続くときは2音節の「イア」ではなく、半母音となって一音節で「ヤ」と発音するのだというのわけです。

2016-03-19-p2そんなイントロから始まるアマデイ先生のお話は、ステュアート、ウインザー、ブルボン、オルレアン、ハプスブルクなど、ヨーロッパの名だたる王朝に比べると、若干、地味に見えるかもしれないサヴォーヤ王朝の歴史が、なんと現在より1000年近くも遡るのだと指摘して、ぼくたちを驚かせてくれました。

そうなのです。サヴォーヤの一族の始祖として、その歴史的存在が確実なウンベルト1世は10世紀の終わり頃に生まれているのです。そしてその綽名の謎解き。どうしてこの始祖がビアンカマーノ(白い手)と呼ばれるのか。実のところ、軍事な強さを讃えるためにその城が打倒せないという意味で、ラテン語で「白い壁」 blancis moenibus と記されるはずだったのものが、誤って「白い手」blancis manibus と綴られてしまったのではないかというのです。そして、その反映の理由は、サヴォーヤ家が支配した場所が地理的に交通の要所であったことが指摘されます。その支配地は「 Stato di passo 」と呼ばれたというのですが、それは、その領地(Stato)が人々の行き交う(di passo)ところにあったからだというのです。

このウンベルト1世ビアンカマーノから始まるサヴォーヤの一族の歴史は、中世のヨーロッパの歴史と重なっていきます。それは、さまざまな王朝や諸侯が、教皇の宗教的な権力との対抗関係のなかで、きびしい政治的駆け引きを繰り返し、生き残りをはかってきた歴史です。そこでサヴォーヤ家は、とくに目立つことこそないものの、じつに巧妙に立ち回り、必要なときには軍事的な力を発揮しながら、近代的な国民国家の形成を準備していくことになるのです。

アマデイ先生のお話は、まさに知られざる中世イタリアの物語。活躍したのは15世紀のアメデオ8世、16世紀に「鉄の頭 Testa di ferro」と呼ばれるほどに軍事的能力を発揮したエマヌエーレ・フィリベルト・ディ・サヴォイア。18世紀に近代国家を準備したカルロ・アルベルト。そして、ついにイタリア王となったヴィットリオ・エマヌエーレ2世へと。千年もの歴史のなかで、サヴォーヤ王朝が残したのは、その政治的成果だけではありません。イタリア各地に残る、数々の美しい王宮を訪れるならば、きびしい歴史を生き延びた王家のおかげで、素晴らしい芸術作品が今に残されたことだということを、確認できるのではないでしょうか。

そういう意味でも、サヴォーヤ一族の歴史はヨーロッパの祖父たちの歴史であると言えるのかもしれません。ほんとうに興味深いセミナーでした。

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イタリア留学&旅行セミナー2016春『 私のイタリア留学体験記』報告

2016-02-26-04『2月26日(金)、イタリア留学&旅行セミナー2016春『 私のイタリア留学体験記』 -Italianizzatoへの道- 』セミナーが開催されました。

昨年、ローマにある語学学校トッレ ディ バベレ校へ留学された、日伊協会受講生の真船千秋さんよりその体験のお話しを楽しく伺いました。真船さんがローマ留学を決意されたのは、一年前に日伊協会で開催したローマセミナーに参加されたこと。

お話では、およそ2ヶ月の留学経験について、
1.なぜ留学を決行したのか
2.なぜホームスティだったのか
3.なぜローマだったのか
というテーマに沿ってお話しをしていただきました。

何より真船さんに留学を決意させたのは、「4年間日本でイタリア語を学んでいても、聞き取れない、話せない、話す場がないという壁にぶつかり、それを打破すべく、話さざるを得ない環境に身をおけば話せるようになるかも知れない。。。」という思いからだったそうです。

宿泊をホームスティにしたのも、アパートで一人で気楽に住むのも魅力的ではあるけれど、とにかく「イタリア語を話す」ということに重点を置いての決断だったとか。ホストファミリーとは毎晩食事を共にし、ファミリーのご友人達とのディナーや親族が集まる復活祭の食事会などにも参加。真船さんご自身も、家族と溶け込むために、一生懸命コミュニケーションを取ったり、(本物の)日本食にご招待したり積極的に行動されたそうです。

留学先をローマに決めたポイントは、レッスン終了後の余暇の利用を考えて。たくさんの写真を見せていただきながら、学校やステイ先、課外活動の様子や生活のアドバイスなどをわかりやすく説明していただき、参加された方たちは終始深く頷きながら熱心に聴いていらっしゃいました。

まとめとして、真船さんによる留学を成功させるポイントは、
1.積極的に発言する
2.積極的に友達を作る
3.ホストファミリーとの生活を大切にする
ということだそうです。帰国後はローマで知り合ったイタリア人の方とFacebookで交流を続けていらっしゃるそうです。

セミナーの後半は、真船さんが今回留学を経験された学校「トッレ・ディ・バベレ」のスタッフ澤田恵子さんによる学校案内と質疑応答があり、参加者の方からの質問に対して他の方からもコメントが添えられたり、予定時間を大幅に押してしまいましたが和やかなセミナーとなりました。

トッレ・ディ・バベレはローマでも定評のある語学学校です。シニアコース、料理コースもあり、一週間からの滞在も可能ですので、ご興味ある方はお気軽に日伊協会までご相談ください。

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連続文化セミナー 『イタリアの祝祭』スタート

イタリアの都市の聖堂、宮殿、劇場そして広場などを舞台に繰り広げられる祝祭に出会った時、その都市は一層輝いて見える。

なぜ都市はそして人びとは祝祭を求めるのだろうか。

この連続セミナーでは、ヴェネツィア、フィレンツェ、ミラノ、ローマなどの都市で繰り広げられるさまざまなかたちの「祝祭」を通して都市の魅力を再発見し、祝祭によせる人びとの心の動きに触れることを目指す。

第1回 ヴェネツィアの都市空間における祝祭とその意味(ご報告)

シリーズ第1回は、3月2日(水)に、法政大学の陣内秀信先生に、祝祭都市ヴェネツィアを例に取り上げて、都市空間における祝祭の意味について総論としてお話をしていただいた(35名参加)。

2016-03-02-02都市史における< 祝祭>研究は意外に新しく、1980年前後から始まった。これは日本でも渋谷や原宿の街づくりに見られるポストモダンの動きにも対応している。都市の「劇場性」に注目し、迷宮都市、ヒューマンスケール都市、五感都市として、近代都市が否定したものが豊かに存続している姿を再発見する。ラグーナの水上に独特の都市空間を形成したヴェネツィアは、“citta unica”であり、元々祝祭性、演劇性を持つ都市である。その空間を活用し、サン・マルコ広場や地区の広場(カンポ)や小路や橋の上で、また大運河やラグーナの水上で、さらには宮殿や劇場や教会で様々な祝祭が催された。

まず、「祝祭の社会的性格」について。都市的な祭りの例として、カンポ・サン・ジェレミアにおける雄牛狩りのspettacolo(見世物)を挙げる。次にカーニバルにおける仮面の意味を考察する。精霊や死のイメージを伴うものも。個人を隠し、自由になる、すなわち日常秩序の反転を意味する。国家的儀式としての祝祭の例として、聖体節のサン・マルコ広場でのプロセッション(行列)。総統の私的チャペルたるサン・マルコ寺院で行われるがゆえに国家的儀式としての意味を持つ。国際政治のバランスの中で生きる必要上欠くことのできない、外交戦略としての祝祭の例として、外国からの賓客を迎えるための儀式、祝宴でのおもてなし。あこがれの地を演出する。それ自体がヴェネツィアの華やかな文化を形づくり、同時にコミュニティや国家のまとまり、統合を生む力ともなった。

次に「都市空間の中のパフォーマンス」として最も重要なものは、『海との結婚』である。また橋の持つ象徴性を示す例は多く、サルーテ教会の祭りの仮設の橋やイル・レデントーレ教会への仮設の参道、また「拳固の橋」での格闘のイベントはその後レガッタの競争にとってかわられた。カナル・グランデもレガッタ競争の舞台となり、また模擬海戦なども行われたし、マッキナと呼ばれる豪華に装飾された仮設の建物を浮かべたりしている。劇場としてのサン・マルコ広場で繰り広げられたイベントは数限りなく、多くの景観図として伝えられている。

最後に「ファンタジーの中の都市」の代表例として1979年ヴェネツィア・ビエンナーレのためにアルド・ロッシが設計した船で引かれて海に浮かべられる「世界劇場」を挙げる。一時途絶えていたカーニバルも復活し、ますますヴェネツィア独特のファンタジックな祝祭となっている。

歴史的な記録の図版や講師自らが研究対象とされ体験された祝祭の写真など見せていただいた多くの図版の1枚1枚がお話と相まって、ヴェネツィアの祝祭の賑わいを伝えてくれる素晴らしいセミナーであった。「イタリアの祝祭」シリーズは、この陣内先生の総論をスタートにして、今後、フィレンツェ、ミラノ、ローマの各都市の祝祭を巡って、最後はヴェネツィアに戻ってくる。(山田記)

 

2016-03-02-03講師紹介:■陣内 秀信(じんない ひでのぶ)

法政大学デザイン工学部教授。東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。イタリア政府給費留学生としてヴェネツィア建築大学に留学、ユネスコのローマ・センターで研修。専門はイタリア建築史・都市史。地中海学会会長、都市史学会会長。著書:『東京の空間人類学』(筑摩書房)、『ヴェネツィア-水上の迷宮都市』(講談社)、『地中海世界の都市と住居』(山川出版社),『イタリア 小さなまちの底力』(講談社)、『イタリア海洋都市の精神』(講談社)、『水の都市 江戸・東京』(編著、講談社)、『イタリア都市の空間人類学』(弦書房)他。受賞歴:サントリー学芸賞、 地中海学会賞、イタリア共和国功労勲章、パルマ「水の書物」国際賞、ローマ大学名誉学士号、アマルフィ名誉市民

引き続き、4月以降は以下の日程(時間帯・会場は本セミナーに同じ)・テーマで開催いたします。

第2回 4月15日(金)都市フィレンツェの聖史劇 ―奇跡と見物― 講師:杉山 博昭(早稲田大学高等研究所助教)

第3回 5月27日(金) ミラノのデルビー ―イタリア・サッカーの醍醐味― 講師:小川 光生(フリージャーナリスト、中京大学スポーツ科学部非常勤講師)

第4回 6月22日(水) ローマ社会における「パンとサーカス」 講師:本村 凌二(東京大学名誉教授、早稲田大学国際教養学部特任教授)

第5回 7月22日(金) ヴェネツィアの祝祭 ―オペラと劇場― 講師:田島 容子(オペラ史研究者)

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緊急開催!!イタリア美術特別セミナー
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ボッティチェッリ、カラヴァッジョの展覧会をより楽しむために(ご報告)

2月17日開催。参加者35名。
本年は日伊修好通商条約締結150周年として、イタリア美術を代表する画家たちの展覧会が次々と開催される。日伊協会では、このうち、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ボッティチェッリ、カラヴァッジョの3つの展覧会をより楽しむために、その見どころを松浦先生に紹介していただいた。2016-02-17-seminar02

特別展レオナルド・ダ・ヴィンチ-天才の挑戦
1/16(土)~4/10(日)
江戸東京博物館 
    
ボッティチェッリ展 
1/16(土)~4/3(日)
東京都美術館 
     
カラヴァッジョ展
3/1(火)~6/12(日)
国立西洋美術館

まずこの3人の画家が西洋美術史の大きな流れの中でどのような位置を占めるかについて解説があった。匿名の画家による没個性の宗教画の中世700年間の後、1305年ころジョットによってルネサンスが始まった(例: パドヴァ・スクロヴェーニ礼拝堂に描いた「最後の晩餐」)。画家が目指したのは、イエスの神性を失わせないまま人間性をいかに表現するか、ということである。

1482年ころレオナルドがサンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ修道院に描いた「最後の晩餐」によりルネサンスは完成されたとみる。ボッティチェッリもほぼ同時代の人。そしてカラヴァッジョはそのおよそ100年後、レオナルドより写実的表現を推し進めバロックの幕を開けた。

次に各展の「目玉作品」1点を取り上げ、類似のテーマを描いた他の作品と比較しながら、その作品の鑑賞のツボをお聞きした。

写真1「糸巻きの聖母」                                          写真2「ブノワの聖母」

写真1「糸巻きの聖母」                                          写真2「ブノワの聖母」

◎レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)の「糸巻きの聖母」(スコットランド・ナショナル・ギャラリー蔵)写真1

ミラノで「最後の晩餐」を書き終えたレオナルドはフィレンツェに戻ってくる。その頃の彼の活動を修道士ピエトロ・ダ・ノヴェッラーラはマントヴァ公妃イザベラ・デステに宛てた1501年4月14日付の書簡に次のように記している。「彼が現在取り掛かっている作品は、糸を紡ごうとして座っている聖母の絵です。幼子キリストは糸が入ったかごの上に足を置き、糸巻き棒を握って十字架の形の4つの輪止めを見つめています。あたかも十字架を望んでいるかのように、キリストは微笑みながらしっかりと糸巻き棒をつかみ、それを取り上げようとする聖母に抵抗しているように見えます。」この記述に関連付けられる作品は多くあり、今回の展覧会に出品されているものはそのひとつである。

本作をレオナルドの真筆と考える研究者がいる一方で否定するものもいる。少なくとも背景は他の者の手になるようだ。レオナルドは糸巻き棒を十字架に見立てて、自身の死の意味を熟考するイエスと、彼を守ろうとする聖母の愛を描き出そうとしているが、20年ほど前にも「ブノワの聖母」(エルミターノ美術館蔵・写真2・今回は展示されていない)でも十字型の花弁の花を用いて自身の死を熟考するイエスを描いている。他に「鳥の飛翔に関する手稿」などが展示されている。

写真3「書物の聖母」

写真3「書物の聖母」


◎ボッティチェッリ(1445-1510)の「書物の聖母」(ポルディペッツォーリ美術館蔵)写真3

この絵は、レオナルドの初期の聖母子像、特にその直前に描かれた「ブノワの聖母」の影響を受けて制作されたと考えられる。イエスは左手に茨の冠と釘といった受難の象徴を持ち、自分の死の意味を問いかけるように聖母の方を振り返っているが、それに対してマリアは悲しそうな表情を浮かべることしかできない。後方の果物鉢には楽園や原罪を象徴するオレンジやイチジク、サクランボが見て取れる。ボッティチェッリは、フィリッポ・リッピの工房で学び、その画業を受け継いでいくが、後年フィリッポ・リッピの子フィリッピーノ・リッピがボッティチェッリの弟子となり、またライバルとなっていく。

この展覧会には、ボッティチェッリの貴重な作品20点以上のほかフィリッポ・リッピ、フィリッピーノ・リッピの作品もあわせて約75点が集結している。

写真4「エマオの晩餐」(1606年)                写真5「エマオの晩餐」(1601-1603年)

写真4「エマオの晩餐」(1606年)                写真5「エマオの晩餐」(1601-1603年)

◎カラヴァッジョ(1571-1610)の「エマオの晩餐」(ブレラ絵画館蔵)写真4

カラヴァッジョは、1592年ミラノからローマに移り数々の傑作を生み出して名声を得るが、1606年5月、殺人事件を起こしてしまう。この時彼をかくまったのは、この画家のことを幼少時から知るコスタンツァ・コロンナであった。事件後、カラヴァッジョはコロンナ家の領地であるローマ郊外のザガローロに短期間、潜伏するのだが、その時期に制作されたものである。イエスは磔刑の3日後に復活し、エルサレム郊外のエマオで二人の弟子の前に出現する。弟子たちが師の復活を悟る奇跡的な瞬間を登場人物に深い精神性を与えることで再現している。

3年ほど前に彼が描いた同主題作品(ロンドンのナショナル・ギャラリー蔵・写真5・今回は展示されていない)と比べると、弟子たちの驚きのしぐさはかなり抑制されたものになっており、より深遠な感情の動きを感じ取ることができる。他にカラヴァッジョの真筆とされる60点強のうち約10点などが展示される。

2016-02-17-seminar01<講師プロフィール>
■松浦 弘明 (多摩美術大学教授)
1960年岐阜県生まれ。東京芸術大学美術学部芸術学科を卒業後、イタリア政府給費留学生としてフィレンツェ大学へ留学。帰国後、順天堂大学非常勤講師などを経て現在、多摩美術大学教授。日伊協会でイタリア美術史とイタリア語の講座を担当。主な訳書に、『イタリア・ルネサンス美術館』、(東京堂出版・2011年)、『レオナルド・ダ・ヴィンチの世界』(共著/東京堂出版・2007年)などがある。

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第12回「BUONA FORCHETTAの会」ご報告

去る2月23日、第12回「BUONA FORCHETTAの会」が、青山の事務局近くにある「Domenica D’oro(ドメニカ・ドーロ)」で開かれました。

料理の解説をする岩本シェフ

料理の解説をする岩本シェフ

 

2013年6月オープンしたお店は、イタリア語で「黄金の日曜日」という意味。

愛媛県西条市出身の岩本シェフは、ヴェネト州にある3つ星レストランや、アルト・アディジェ(南チロル)のレストランなど北イタリアで修行を重ね、帰国後は銀座の「ヴィノテーカ・ワゴン」で調理長を務めてきました。

 

 

加工肉の盛り合わせ

加工肉の盛り合わせ

 

当日は、ほぼ満員に近い22名が参加。テーブル席、カンター席、個室を埋めつくして、岩本シェフの料理を堪能しました。

前菜は、シェフの故郷から取り寄せた地物野菜、新鮮な魚介類、そして群馬の赤城山麓で仕込まれたハムやサラミなどの加工肉の盛り合わせが絶品でした。

 

 

 

牛肉の赤ワイン煮込み、ポレンタ添え

牛肉の赤ワイン煮込み、ポレンタ添え

 

ペンネッテのパスタに続いて供されたメインは、箸でもきれいに切れる牛肉の赤ワイン煮込み。
添えられたポレンタは、ご存じのようにとうもろこしの粉からつくられた北イタリアの主食のような存在です。

 

 

 

ドメニカ・ドーロ店内

ドメニカ・ドーロ店内

 

マダマ岩本のワインのおすすめもバッチリ。
お二人の人柄が表れた居心地のいい空間もまた、魅力的でした。

今回は、比較的若めの会員も参加いただき、華やかで元気な会になりました。その一方で、年齢層高めの参加者の健啖ぶりに、お店のお二人が驚いていらっしゃったことを付け加えておきましょう。

第5回「楽しいブッフェ交歓会」のご報告

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12月8日(火)日伊協会主催の第5回楽しいブッフェ交歓会が西新宿のイタリアン・レストランVivo で開催され、約70名の参加者の皆さんにひと足早いクリスマスムードをお楽しみいただきました。

初めての新宿エリアでの開催でしたが、会員,受講生に加え、多数の一般参加の方々を得て、気軽で自由な交流により日伊協会を身近に親しんでいただける楽しい会となりました。
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Vivoのシェフ吉澤さんが腕をふるったイタリア料理は前菜5種、パスタ2種とメインの肉料理にデザートがつく大サービスで、美味しくオトク感十分との感想をいただきました。

今回の目玉は18点のプレゼントが当たる抽選会。
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景品は静岡にあるクレマチスの丘のイタリアンレストランと美術館へのカップル招待券をはじめ、数々の可愛いサンリオ製品、そして美しい額入りイタリア風景写真などでした。

思いもかけずクレマチスの丘の招待券に当たったイタリア人男性は「クレマチスの季節に誰といっしょに行こうか今から楽しみ」と大喜びでした。

クリスマスにちなんだアヴェマリアの斉唱はおなじみの蒲谷昌子理事と門下生の天沼朝子さんの大熱唱。2015-12-08-seisyouそして最後の全員合唱は、フニクリフニクラと赤鼻のトナカイの2曲で本年最後の日伊協会のイベントを盛大に締めくくりました。

参加いただいた方々始め、ご協力いただいたVivoの皆様、そして数々のプレゼントを提供いただいた日伊協会役員の岡野喜之助様、北村憲男様、篠利幸様に厚くお礼申しあげます。

ブッフェ交歓会推進グループ
 担当理事(総括;長尾 司会;内田、歌唱指導;蒲谷)
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『ACCI Gusto』ご報告

11月17日(火)・18日(水)の両日、都立産業貿易センター台東館で開催され、日伊協会も初参加いたしました『第五回 ACCI Gusto』は、盛会のうちに幕を下ろしました。

各ブースではイタリア料理に欠かせない食材や機材などを取り扱う団体が多く出展し情報提供を行い、またセミナー会場では長本和子氏(日伊協会理事)やバリスタの横山千尋氏、シェフの落合務氏によるデモンストレーションやセミナーが開催され、イタリア料理のシェフやイタリアの「食」に興味のある来場者で会場は終日熱気に包まれていました。

2日間の合計ご来場者数は3,992名とのことでした。
日伊協会会員の皆様には事前にご案内をお送りしておりましたので、会場に足をお運びいただいた方の中には会員と判り、こちらからお声をかけさせていただい方もいらっしゃいました。

ご来場、誠にありがとうございました。

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日伊協会の出展に関しまして多大なご協力をいただきました、日本イタリア料理協会および長本和子日伊協会理事にはこの場を借りて心より御礼申し上げます。

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イタリア語による日伊協会特別セミナーのご報告

こんにちは、日伊協会の押場です。

少し時間が経ってしまいましたが、10月3日の日伊協会特別セミナーの報告をさせていただきます。

2015-10-03講師はもうすっかりおなじみのリヴィオ・トゥッチ先生。わかりやすいイタリア語で、盛りだくさんの内容を語っていただきました。あっという間に時間が過ぎてしまいましたね。
トゥッチ先生が選ばれたテーマは、ずばり「イタリア」です。とても大きなテーマですが、その副題に「まだ見ぬ国を求めて」とあります。「まだ見ぬ国」とはどういうことなのでしょうか。

少しイタリア語を見ておきましょう。リヴィオ先生のつけた原語の副題は「 Alla scoperta del paese che non c’è 」ですね。「alla scoperta di… 」は「~を発見するために」という意味。何を発見するのかといえば「存在しない国 il paese che non c’è 」というわけです。この「存在しない国」のことを、ぼくは「まだ見ぬ国」と訳しましたのですが、イタリアのことを「まだ見ぬ国」とか「存在しない国」と言われても、ピンと来ないのではないでしょうか。

イタリアという国は確かに存在します。けれど、そのイタリアは果たして「ひとつの国」と言えるのか。そんな問題意識は、19世紀の終わりにイタリア王国が独立を果たした時からのものです。イタリア史を勉強された方でしたら、イタリア王国が独立した時のマッシモ・ダゼッリョの言葉を思い出すのではないでしょうか。「イタリアという国は出来たが、イタリア人はまだ出来ていない」。イタリアがひとつの国であるのなら、そこにいるはずのイタリア国民は、まだどこにもいない。このトリノの政治家は、そう嘆いていたのです。

実は、20世紀になっても状況はそれほど変わりません。トゥッチ先生がセミナーで紹介してくれたのは、イタリアを代表する女優ソフィア・ローレンがアメリカで受けたインタビューでした。そこで「あなたはイタリア人ですよね?」と念を押されたローレンは、「とんでもない。私はナポリ人よ」答えるのです。するとインタビュアーが驚いて「え?どこが違うのですか?」と尋ね返します。「全然違うわよ」と大笑いするローレンの姿が印象的でしたが、この感覚はイタリアの人以外には少しわかりづらいですよね。

実はイタリアの人々は、イタリア国民である前に、ナポリ人であったり、ローマ人であったり、ミラノ人であったりします。日本でいえば、自分は日本人である前に江戸っ子だとか、大阪人だとか、東北人だとか言うようなものかもしれませんが、イタリアの場合、そこにもっと歴史があるわけですね。その歴史をたどってくれたのが今回のセミナーだったというわけです。

ぼくたちがまず、注意を向けるように促されたのが、副題にもあった「パエーゼ paese 」という言葉でした。現在のイタリア語で「il bel paese (美しいパエーゼ)」と言えばイタリアのこと。「パエーゼ」とは「国」の意味ですね。ところが同時に、「tornare al paese(故郷に帰る)」とか、「La esta del paese (故郷の祭り)」という表現があるように、「パエーゼ」は町や村のような比較的小規模の居住区を示すものでもあります。つまり「故郷」ですね。

トゥッチ先生のセミナーでは、このパエーゼという言葉を、まだイタリアという統一国家が生まれるずっと以前の、14世紀のダンテやペトラルカにまで遡ります。そこにもなお、意味にズレがあることを確認すると、その起源を求めて歴史をさらに遡ってゆくわけです。ぼくたちが案内されたのは、多様で美しい自然を誇るイタリア半島の歴史のドラマ。それはギリシャの植民地であった時代から、古代ローマ帝国の時代、そして教会の時代、中世都市国家の時代から、近代を経て、ヨーロッパ共同体の一員となった現在まで、イタリアとイタリア人を求める長い歴史の旅でもあります。

そんな歴史の旅の終わりに、ぼくたちが知ることなったのは、とてもひとつにまとめることはできないけれど、それでも確かにイタリアという国があり、そこにはイタリア人が暮らしているということ。お互いに違いを認めながら、想像力(ファンタジア)に溢れ、寛容の精神を持ちながらも、個人主義的でアナーキー、芸術的な感性を持って、美的な感覚には優れている人々。

そんなイタリアの人々に共通するものを、リヴィオ先生は「l’arte di arrangiarsi 」と呼ばれていましたね。直訳すれば、「うまく折り合いをつけて切り抜ける術」ということになるでしょうか。この表現は、しばしば否定的に「ずる賢く切り抜ける」という意味でも使われるのですが、良いも悪いもあわせて、ともかくうまい方向に物事をアレンジしてゆく能力のことなのです。

昨今、どうも世界中がキナ臭くなっきていますが、そんな問題山積みの状態だからこそ、このイタリア的な《 L’ARTE DI ARRANGIARSI 》 が今求められているのかもしれない。そんな思いを強くさせられたセミナーでした。

ただひとつだけ残念なことは、あまりにも雄大なスケールのためでしょうか、少々時間が足らなかったこと。お集まりいただいた方々からも、もっと聞いていたかったというお声をいただいております。

リヴィオ先生には、ぜひ近いうちに、お話の続きを話していただければと思います。

では、また近いうちにお会いしましょう。

日伊協会イタリア語講座主任講師
押場 靖志

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