2017年連続文化セミナー「イタリア・ルネサンス人物伝――激動の時代を生き抜く」
第5回 ルネサンスの君主の世界 ― コジモ1世を中心に ― ご報告

シリーズ最終回の第5回は、7月26日(水)に、明治大学商学部教授の北田葉子先生に、「ルネサンスの君主の世界 ― コジモ1世を中心に ―」と題してお話いただいた。(30名参加)。

16世紀前半のイタリアは、中世から近世の変わり目の時代であり、まさに激動の時代であった。イタリアにとっては、フランスとスペイン・神聖ローマ帝国(どちらもハプスブルグ家)が覇権を争うイタリア戦争の舞台となった困難な時代であり、イタリア諸国のような小国家は生き残りが難しい時代であった。またヨーロッパ全体が宗教改革と対抗宗教改革が争う宗教的混乱の時代であり、騎士の時代から火器による歩兵の時代へと変化して貴族が戦闘的な騎士から宮廷貴族への変化が開始する時代でもあった。

13~14世紀のメディチ家は、銀行業で成功をおさめ、市民の信望を獲得する。コジモ・イル・ヴェッキオがフィレンツェの政治の実権を掌握、ピエロ、ロレンツォ・イル・マニフィコと続き、次のメディチ家の当主、ピエロがフランス王にフィレンツェ通過をひそかに許可したことで市民の反乱を招きメディチ家は追放される。

サボナローラ、ソデリーニの時代が続き、ついでユリウス2世が国外追放中のメディチ家と同盟を結び、プラートを略奪し、レオ10世、クレメンス7世が統治するメディチ教皇の時代となるが、フランス王フランソワ1世が提唱した対神聖ローマ帝国同盟(コニャック同盟)に参加したことで、カール5世の報復を受け、ローマ略奪となり、フィレンツェにおいてもメディチ家が再度追放される。

1529年カール5世とクレメンス7世の和睦がなり、10か月の包囲戦の後、フィレンツェ共和国は降伏する。1532年新しい政治体制が発布され、初代フィレンツェ公にクレメンス7世の庶子アレッサンドロが就任するが、5年後に暗殺される。そんな中で、傍系とはいえコジモ・イル・ヴェッキオの弟に発する分家の市民に人気の高い、黒旗隊長ジョヴァンニを父とし、メディチ家直系のロレンツォ・イル・マニフィコの孫のマリア・サルヴィアーティを母とするコジモ1世がフィレンツェ公国の2代目の君主に即位する。

有力市民は、狩が好きで「平凡な教養」の持ち主のまだ18歳のコジモを軽視する。コジモの地位は「フィレンツェとその領域の長にして第一市民」であって「公爵」ではない。政府の決定は48人議会とコジモが共同で行う。君主なのにコジモの年収は12,000ドゥカートと決められる。しかしコジモは、ブレーンたち(母のマリア・サルヴィアーティ、地方出身の公国第一書記のフランチェスコ・カンパーナやレリオ・トレッリ、少年時代からのコジモの家庭教師ピエルフランチェスコ・リッチョなど)の助けを借りて徐々に自らの地位と国家を強化していく。

国外の共和制支持者とのモンテムルロの戦いに勝利し、共和制復活の脅威の除去に成功、カール5世から「公爵」の称号を認可される。またコジモはカール5世の娘マルゲリータを妻に望むが、成功せず、ナポリ副王の次女エレオノーラ・デイ・トレドが公爵妃となる。

外政面では、領土を拡張し(エルバ島など)、国内外にネットワークを張り巡らして、大使や使節などの正式な使節はフィレンツェの有力市民が担当し、正式な役職ではないエージェントに非フィレンツェ人を起用して、大使のいないところでは重要な任務を負わせ、またダーティーな仕事を請け負わせた。シエナ戦争に勝利し、シエナ共和国和統合した(領土拡張の最大の成功)。

フィレンツェの起源をローマから切り離すため、アンニョ・ダ・ヴィテルボの理論「エトルリア神話」(ノア→エトルリア(=トスカーナ)王国を創る)をフィレンツェに受容した。それはコジモの政策、すなわち領土拡大政策や国内統合(フィレンツェだけではなく、トスカーナ全体を統合したい。)、フェラーラとの優先権問題(儀式などにおける使節などの順列争い)などをバックアップするものであった。

国家が安定してからは、自らの地位を高めることに集中する。そのために、サント・ステファノ騎士団の設立、長男フランチェスコとカール5世を継いだフェルディナンド1世の娘ジョヴァンナの結婚、新しい宮殿の建設(メディチ邸、ヴェッキオ宮殿(特に500人広間に力を入れ、コジモ礼賛の天井画を描かせる。)、ウフィッツィ、ピッティ宮殿、ヴァザーリの回廊)、絵画や彫刻の注文、学問の振興を行い、宮廷を充実させていく。

ときには冷酷と思われる手段も使いながら国家を建設し、文化もそのために利用していったコジモ1世であるが、公妃エレオノーラとは相思相愛と言われ、また妻や子供たちとともにつつましく飾った1つのテーブルで食事をし、家族が常に一緒に行動したといわれている。そんな私生活も垣間見ながら、傍系で若年だったにもかかわらず、コジモ1世がどのように国家の存亡がかかる時期を生き抜いたかを見た。マッキァヴェッリが望んだような冷徹さや果断さを持った最後のルネサンス的君主であったといえよう。(山田記)

<講師プロフィール>北田 葉子(きただ ようこ)
明治大学商学部教授。慶応義塾大学文学研究科博士課程修了。博士(史学)。イタリア政府奨学金留学生としてフィレンツェ大学に留学。専門はイタリア近世史。単著:『近世フィレンツェの政治と文化』(刀水書房)、『マキァヴェッリ』(山川出版社)

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2017年連続文化セミナー イタリア・ルネサンス人物伝 ―激動の時代を生き抜く―
第4回 ルネサンス教皇列伝(ご報告)

シリーズ第4回は、6月28日(水)に、茨城大学准教授の藤崎 衛先生に、「ルネサンス教皇列伝」と題してお話いただいた。(40名参加)。

1.ルネサンス教皇の出現

ルネサンスを語るうえで、ローマ教皇の存在を無視するわけにはいかない。彼らはボッティチェッリ、ラファエッロ、ミケランジェロなど名だたる芸術家のパトロンとしてイタリア・ルネサンスの隆盛を支え、都市ローマの修復にも注力したが、他方で贖宥状を売りさばいたり自ら戦場に出向いたりなど、「聖なる教会の長」という教皇像からはかけ離れた挿話でも知られている。

この時期、教皇はなぜかくも世俗的だったのか。そしてなぜ、ルネサンスの担い手たちを厚遇したのか。これらの問いを解くために、中世末期における教皇権の凋落と再編に着目し、そのうえでルネサンス精神と教皇との関係を丹念にみていくところから講演はスタートした。すなわち15世紀前後の教会史の文脈にルネサンス教皇の事績を位置づけることにより、ルネサンス教皇の特質を明らかにすることが試みられた。公会議主義の終焉から宗教改革直前まで(15世紀後半から16世紀初頭まで)に活躍した教皇の中には、ニコラウス5世のように教会改革に尽力した教皇もいるが事績が目立たない。親族優遇人事(ネポティズム)・聖職売買・政治的陰謀・女性問題等々の世俗的な挿話の方が有名で、「よくて軍人、悪ければ暴君」(G・バラクロウ『中世教皇史』)という評価となっている。

またローマを拠点として教皇領の保全に注力し、ユリウス2世のようにそのためには武力抗争も辞さずという教皇がいる。再編された教皇庁において人文主義者(ポッジョ・ブラッチョリーニやプラーティナなど)を盛んに登用。また掌璽院を独立させ、急増する贖宥状と聖職売買からの収入管理にあたらせた。ルネサンスは古典古代を理想とする以上多神教的要素を内在し、厳密なカトリシズムの観点からは異教的で挑戦的なものであったが、ルネサンス教皇はこれを排斥せず現実的な対処をした。ローマ以外の都市における都市貴族=実質的な都市支配者がパトロンとしてルネサンス活動を支援したように、ローマに於いては都市支配者=教皇がルネサンス活動に資金援助をした。また「祖国イタリア」という意識がダンテやマキアヴェリの活動によって形成されて行く中で、教皇は中世的な「普遍的な精神界のリーダー」というよりは「イタリア精神の代表者」、「統一されたイタリアの支配者」という観念の下「ナショナリズム的教皇」となっていく。

2.主なルネサンス教皇列伝

A.パトロンとしての教皇
1)ニコラウス5世 ローマ復興事業(ローマ時代の道路・水道・橋・城壁を修繕。サンタンジェロ城を要塞化。バチカン地区の改修―教皇宮殿及びサン・ピエトロ寺院)、文化事業(東ローマ帝国からも貴重な書籍を蒐集して図書館の拡充。人文学者ポッジョ・ブラッチョリーニを秘書に抜擢・重用(ブラッチョリーニは古典を渉猟し、写本を作成、ルクレティウスなどを見出した。)。また、フラ・アンジェリコ、ゴッツォーリを保護。)

2)ピウス2世
 教皇としての業績よりも卓越した人文主義者として知られる。文才にたけ、一時活躍したドイツ宮廷では「桂冠詩人」の称号を与えられ、歴代教皇の中で唯一自作の回顧録を残す。

3)シクストゥス4世
 元は教育者だったが「15世紀最大の世俗的教皇」へと転身。システィーナ礼拝堂を建設し、錚々たる画家たち(ボッティチェリ、ギルランダイオ、ペルジーノ、ピントゥリッキオ)に装飾画を依頼。図書館長に人文学者プラーティナを採用、蔵書を増加。政治的には失敗が多くネポティズムで登用した人物を外交官として用い、イタリア政治に介入し、ナポリ、ヴェネツィアと戦争を起こして敗北。建設事業の資金集めに初めて贖宥状を発行した。

B)世俗的な教皇

1)アレクサンデル6世
 ルネサンス教皇の世俗的な面を凝縮したような人物で、「もっとも肉的なキリスト」「最も邪悪で最も幸福な教皇」などと称される。ボルジア家の一族を教会政治の中枢に登用する露骨なネポティズムを採るが、他方マキァヴェリは軍事を担った‘息子’チェーザレを「君主論」で絶賛しているし、ミラノと結託したフランス勢を撃退し、サヴォナローラを焚殺し、スペイン・ポルトガルの勢力圏を決める「教皇子午線」を設定するなど、「教皇」というよりは「君主」と呼ぶ方がふさわしい。

2)ユリウス2世
 「怒りんぼう(Il Terribile)」と呼ばれた好戦的な教皇。ボローニャ、ヴェネツィア、フランス、スペインなどと交戦。一方で芸術を愛するルネサンス的「君主」でもあった。ラファエロ、ブラマンテを保護し、ミケランジェロにはシスティーナ礼拝堂壁画を委任した。

3)レオ10世
 メディチ家出身で、温厚で享楽的な人文主義者(育ちのよいお坊ちゃん)。ラファエロを保護し、ユリウスの事業を継承するも財政破綻。これまで同様贖宥状の販売や聖職売買の乱用で集金を試みるもルターの痛烈な批判を浴び、ルネサンス教皇の時代はここで終わり、対抗宗教改革の時代へと移っていく。
(山田記)

<講師プロフィール>
藤崎 衛(ふじさき まもる)
茨城大学准教授。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。イタリア政府給費留学生としてローマ大学サピエンツァ校に留学。専門は中世のローマ教皇庁研究。著書に『中世教皇庁の成立と展開』(八坂書房、地中海学会ヘレンド賞)、『ヴァチカン物語』(新潮社、共著)、訳書に『中世教皇史』(八坂書房)、『女教皇ヨハンナ』(三元社)がある。

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2017年連続文化セミナー イタリア・ルネサンス人物伝――激動の時代を生き抜く ご報告
第3回 サヴォナローラと(対)マキァヴェッリ

シリーズ第3回は、6月7日(水)に、愛知大学名誉教授の須藤佑孝先生に、「サヴォナローラと(対)マキァヴェッリ」についてお話いただいた。(30名参加)。

ルネサンスという時代は、多くの分野で実に多くの魅力的な人物を生み出し、それぞれに活躍の舞台を与えた。中心都市〔国家〕フィレンツェは、その舞台の中心となっていた。サヴォナローラとマキァヴェッリは、この舞台で、政治、信仰、思想の分野で活躍した、そして悲劇的な終末を迎えた代表的人物である。

とはいえ、二人の魅力は、実に対照的である。~~と~~、と並列すればそれぞれの特色を薄めてしまう、あるいは無くしてしまう。やはり二人は、「と」によってではなく「対」によって並べた方がよい。

そこで今回、須藤先生は、地図で1400年代後半のイタリアと共和政フィレンツェを確認し、次に年表に沿ってルネサンスという時代の大枠を見、その中でのフィレンツェの社会、政治の情況を見、さらにその中での二人それぞれの活動を見、思想的特色を見るよう、時間の許す限り試みられた。

ジローラモ・サヴォナローラは1452.9.21フェッラーラの生まれ、ニッコロ・マキャヴェッリは1469.5.3フィレンツェの生まれである。この時代、フィレンツェをめぐる社会、政治の情勢は、ペストの流行、メディチ家独裁の成立と崩壊、外国勢力のイタリア侵攻など激動している。

サヴォナローラは、1490年ころから激しい説教をはじめ、1491年にサンマルコ修道院院長に選出される。そしてフランス王シャルル8世のイタリア侵攻に伴い、シャルルとの折衝団の1員として政治世界と関わり始める。政体変革、共和制の復活を提唱するが、やがて教皇、協会と対立し破門される。1498.3.2サヴォナローラの説教を聞いたマキャヴェッリは、その感想・批評をローマの教皇庁書記官(事実上のフィレンツェ大使)リッチァルド・ベッキあてに送っている。「サヴォナローラは時勢に応じて<マントを代え>、<嘘言>を弄している。」と。1498.5.23サヴォナローラはフィレンツェ政庁宮広場で絞首刑と同時に火刑に処せられる。遺灰はアルノ川に流される。

マキャヴェッリの家は彼が生まれたころには落ちぶれていて、納税出来ず生涯正式な職に就けなかった。1498.7.14に政庁の委員会の書記官に任命され、初めて定職を得て活躍するが、1512.11.7フィレンツェ<共和制>の解体により全役職を解かれ、市外追放となる。10キロ南東の山村にある山荘(アルベルガッチョ~ぼろ宿の意)に隠棲し、「強いられた怠惰」(F.シャポー)の日々を過ごす。「ディスコルスィ」、「君主論」、「軍事・戦争論」、「フィレンツェ史」などを執筆。1527年フィレンツェでの復職の願いも絶たれ、同年6.21永眠。サンタクローチェ教会に埋葬。

サヴォナローラもマキャヴェッリも「人間の心をつかまなければダメ」という点では共通した考えを持つが、マキャヴェッリは「宗教は政治の最良の道具と考え、何か信じるもの―神―を作り、一緒に信じているふりをしろ」という。「君主論」6章において、「武装せる預言者は皆、勝利を収め、武装せざる預言者は滅ぶ。・・・これは民衆が変わりやすいことにもよる。・・・民衆を説得するのは容易だがそのままの状態に留めておくのは困難で、彼らが信じなくなったら力ずくで信じさせることができるよう備えておくことが必要。・・・サヴォナローラは民衆に自分の体制を長期にわたって守らせることができなかった。・・・自分が命じた新しい制度を彼らが信じなくなったとたん、その制度とともに滅んでしまった。」と述べている。“VIRTU”というものをサヴォナローラは「美徳」と考え、マキャヴェッリは「力」と考えた点に2人の考えの違いがはっきりと出ている。

<講師プロフィール>
須藤 祐孝(すとう ゆうこう)
東北大学法学部卒。愛知大学法学部教授。現在、名誉教授。主要著作:読む年表・年譜『ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ―サヴォナローラ、マキァヴェッリの時代、生涯』(須藤・油木共編著、無限社・岡崎)。R.リドルフィ『マキァヴェッリの生涯』(翻訳・註解、岩波書店)。サヴォナローラ『ルネサンス・フィレンツェ統治論―説教と論文』・『出家をめぐる詩と手紙』(いずれも編訳・註解、無限社・岡崎)など。

(山田記)

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2017年連続文化セミナー イタリア・ルネサンス人物伝――激動の時代を生き抜く
          第2回 レオナルド・ブルーニ ─フィレンツェ・ルネサンスの精神を育んだ人文主義者─

シリーズ第2回は、5月12日(金)に、慶應義塾大学非常勤講師の三森 のぞみ先生に、「レオナルド・ブルーニ」についてお話いただいた。(30名参加)。

イタリア・ルネサンスというと美術や建築にばかり目を奪われがちであるが、この大きな文化活動は人文主義の精神から発している。人文主義においては、古代ローマのキケロ―らに倣い、文法学、修辞学、歴史学、詩学、道徳哲学(倫理学)といった人文諸学問の研究を通じて、Humanitas(人間本性)を追求し、人間の基本をなすものとして「言語」が重視された。人文主義者は、古代の言語(ラテン語、ギリシャ語、後にはヘブライ語など)の熟達に努め、古典の写本収集を熱心に行い、古代の様々なテキストを文献学(Filologia)的に吟味し、原典の内容を歴史的に解釈し、それによって自らの学識や思想、道徳観などを育んだ。

レオナルド・ブルーニ(1370頃-1444年)は、アレッツォの出身で、初期の代表的な人文主義者である。ブルーニは、フィレンツェ都市政府書記官長として政治、外交の分野で精力的に働きつつ、近代歴史叙述の祖ともいわれる『フィレンツェ史』をはじめ多くの人文主義的著作を残し、アリストテレスの翻訳でも知られた人物である。

《レオナルド・ブルーニ墓碑》
フィレンツェ、サンタ・クローチェ教会


ブルーニの名は一般にはあまり馴染みがないかもしれないが、フィレンツェがまさにルネサンス揺籃の地となる時代の知のリーダーといえる人物である。同時代人のジョヴァンニ・ルチェッライの著作においてパッラ・ディ・ノフリ・ストロッツィ、コジモ・デ・メディチ、フィリッポ・ブルネッレスコと並んで当時の4人の著名な市民の一人に数えられている。

ブルーニが残した著作のうち「フィレンツェ史」がイタリア・ルネサンスにおける最初の、そしておそらくもっとも重要な歴史作品である。ローマ共和制末期の都市建設から1402年ミラノ公ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティの死までのフィレンツェの歩みを論じた12巻からなる大著であり、都市エリート市民層の要請を受けて1415年頃に着手し晩年まで執筆をつづけた初のフィレンツェ正史である。ブルーニは、最初の人文主義者といわれるフランチェスコ・ペトラルカのフィレンツェにおける継承者であり、その歴史叙述はペトラルカの反スコラ的、反教義的、反権威的な精神を歴史叙述で展開したものである。すなわち歴史の独立(伝説、神学、道徳的な教えなどからの解放)、いわば歴史の「世俗化」を成し遂げた。中世コムーネ都市の伝統的なジョヴァンニ・ヴィッラーニの「年代記」に代わり、領域国家にふさわしい新たなフィレンツェ歴史像の創造を意図した。これは、正確な原題「フィレンツェのpopulusの歴史」にも表れているように、このpopulusには古代ローマのポプルスの持つ「国家」の意が重ねられており、題名そのものに領域国家フィレンツェの「国家」としての正統性の主張が読み取れる。そして「政治史」の成立として、後のマキァヴェッリとグイッチャルディーニに大きな影響を与えた。

今回のセミナーは、あまり馴染みのなかったレオナルド・ブルーニを取り上げ、イタリア・ルネサンスの基盤となった人文主義について詳しく論じていただいて、イタリア・ルネサンスの一番基本的なところの理解が進んだセミナーとなった。

<講師プロフィール>
 三森 のぞみ(みつもり のぞみ)
慶應義塾大学非常勤講師。イタリア中世史専攻。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。イタリア政府給費留学生としてフィレンツェ大学に留学。共著として『イタリア都市社会史入門』(昭和堂)、訳書にキアーラ・フルゴーニ『アッシジのフランチェスコ ひとりの人間の生涯』(白水社)などがある。

(山田記)

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『Viva! 公務員』を楽しむためのセミナー「イタリア映画で笑うために」のご報告

 ヴィスコンティ、フェリーニ等、様々な名監督が、数々の名作を生み出してきたイタリア映画。毎年開催されるイタリア映画祭の中から特にセレクトされた三作品「Viva!イタリアvol.3」の一般公開に先駆けて、今回特に「イタリア映画の笑い」をテーマにセミナーが開催されました。イタリア映画といえば、夜が明けても話し足りないと言うほどの映画通、我が日伊協会イタリア語講座主任の押場靖志先生です。イタリア映画に関する博覧強記ぶり、トリビア満載の90分でした。

 今日のセミナーでは、今回上映される三作品『日々と雲ゆき』、『マフィアは夏にしか殺らない』そして『Viva! 公務員』のイタリア版予告編映像やポスターを使いながら、興味そそられる内容紹介をしていただきましたが、特に三作品の中でも『Viva! 公務員』については、かなり突っ込んだ解説と押場流の読み解きが展開されました。

『Viva! 公務員』という映画は、子供の頃からの夢をかなえ一生安泰の公務員となった主人公が、イタリアの行政改革(デルリオ改革)により早期退職か転勤かの選択を迫られ、数々の嫌がらせに受けるも屈せず、職にしがみつく男をケッコ・ザローネが快演している映画です。

この映画を読み解くキーフレーズの一端をちょっとご紹介します。

1)主演俳優ケッコ・ザローネの名前について。

 本名はルーカ・メディチで、ケッコ・ザローネは芸名。バーリ方言で「なんて田舎者だ」という意味の「ケ・コッザローネ」からきていること。そのザローネが実に多彩な引き出しを持った才人であること。最初は、イタリアで人気のテレビのモノマネ番組『ゼリグ』で成功して全国的に有名になったこと。セミナーでは、ラップ歌手ジョバノッティの歌を本人の前でモノマネしてみせるシーンや、モダン・クラシック・ピアニストのジョヴァンニ・アッレーヴィになりきって、見事ながらも笑えるピアノ演奏が披露されるシーンなどが紹介されました。

2)監督ジェンナーロ・ヌンツィアンテについて。

 ザローネを影で支える10歳超インテリで、ふたりの映画デビュー作『Cado dalle nubi (ぼく雲からおっこちてしまう)』(2009年、未公開)が、じつはナポリのコメディアンで『イル・ポスティーノ』で知られるマッシモ・トロイージのデビュー作『Ricomincio da tre(ぼくは3からやりなおすのさ)』(1981年、未公開)から発想されたものであること。トロイージのデビュー作では、主人公はナポリを離れてフィレンツェに行くのですが、ザローネはバーリを出てミラノに向かいます。南の人間が故郷を捨てて北に行くという形式を踏襲しながら、ヌンツィアンテとザローネは、トロイージの笑いをさらに前に進めようというわけです。

 そんなザローネとトロイージの共通点は、ふたりとも独特の風貌だということ。イタリア伝統のコンメディア・デッラルテ(仮面喜劇)ならば、マスケラ(仮面)をかぶって笑いを誘いますが、ザローネやトロイージなどは、生まれながらのマスケラをもっているコメディアンなのです。『ライフイズビューティフル』のロベルト・ベニーニもそうですね。ヌンツィアンテ監督は、そうしたマスケラをかぶったザローネの背後で、笑いの質に注意を払いながら、喜劇の脚本と演出を担当しています。それはちょうど、ロベルト・ベニーニの『ライフイズビューティフル』には、ヴィンチェンツォ・チェラーミという脚本家がいたことに似ているということです。

3)映画のタイトル『Quo vado? 』について:

『Viva! 公務員』は、イタリア映画祭2016で上映されたときは原題の「Quo vado?」に忠実に『オレはどこへ行く?』でした。このタイトルはラテン語の「Quo vadis, Domine?」というフレーズを連想させます。これは、ローマのネロの迫害を逃れてきたペトロの言葉「主よ何処に行かれるですか?」をもじったもので、公務員削減の犠牲なって数々の苦難に会う主人公が、「ぼくはどこに行くのだろう?」と言っているように聞こえるわけです。

こうして見ると、『Viva! 公務員』には、イタリアならではの社会模様と複雑な人間関係が描かれているようです。これらの様々な背景知識を踏まえて、本作品の面白さとは何か?を考えさせられる90分があっという間に過ぎてしまいました。

日本映画でいえば「男はつらいよ」のような映画でしょうか? 我々は時々、人生の不条理や運命の定めといった、独りではどうにもならないやりきれなく切ない思いをすることがあります。そんな時、映画のスクリーンの中で、不器用な生き方だけれど愛すべき寅さんがマドンナに出会い、憧れ、恋をするも最後は大学教授やお医者さんといったインテリゲンチャーにマドンナを取られたり、失恋するお馴染みのシーンは悲劇であり、滑稽でもあります。「それを言っちゃおしまいだ!」との捨てゼリフで旅にでてしまう寅さんの存在に、我々は一種のカタルシスを感じます。

悪人を見つけて滅ぼす、勧善懲悪だった90年代以降のイタリア映画が衰退し、『スターウォーズ』に代表されるハリウッド映画の後塵を拝していたのに対し、この映画は本当に面白い映画を作ろうとして、誰が悪いではなく、究極の笑いとして、最後は自分を笑うしかないとばかりのドジ振りを振りまいて我々を笑わせてくれます。

当日、セミナーにご参加くださった皆様には、日伊協会からカンパリやチンザノのアペリティーヴォやソフトドリンクが用意されました。 皆様、リラックスした雰囲気の中で楽しまれ、三作品について大いに興味をそそられ、さっそく劇場に足を運びたくなるような気持ちになったはずです。また別の映画が公開された祭には、押場先生のセミナーを企画してもらいたいと思いました。

ちなみに『Viva! 公務員』、『マフィアは夏にしか殺らない』の日本語字幕は、日伊協会イタリア語翻訳講座でお馴染みの関口英子先生が担当されています。

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2017年連続文化セミナー イタリア・ルネサンス人物伝 ― 激動の時代を生き抜く ―スタート

イタリア・ルネサンス-―この言葉の永遠の輝きは、それが生み出した数々の芸術作品・文芸作品のなかにのみあるのではない。中世から近世にかけての時代の荒波のなか、古さと新しさを織り交ぜながら新たな発想と精神をもって自らの個性を発揮していく興味深い人物が数多く現れるのもルネサンスの魅力の一つである。

この連続セミナーは、ジェノヴァ、フィレンツェ、ローマ等を舞台に、各講師が最新の研究成果をベースにこの激動の時代を生きた人々の生き様をわかりやすく語り、人物たちの行動様式から、それぞれの「ルネサンス」を感じて楽しんでもらうということを目的としている。

藤澤房俊先生のご指導の下、亀長洋子先生により企画、コーディネートされ、バラエティに富んだ人物が登場する興味深い連続セミナーがスタートできたことに感謝申し上げたい。

第1回 ルネサンスの海の英雄たち― ジェノヴァ人と地中海世界 ―(ご報告)

シリーズ第1回は、4月19日(水)に、学習院大学の亀長洋子先生に、総論として「ルネサンスとは」―まずルネサンス概念の広がり、イタリア・ルネサンスに関する現代の学問上の評価などについてのお話の後、「ルネサンスの海の英雄たち」のタイトルのもと地中海世界で活躍したジェノヴァ人についてお話をいただいた。(35名参加)。

「ジェノヴァ人、すなわち商人」と言われ、男女・階層の別なく積極的に商業活動に参加していたジェノヴァ人、あるいは「ジェノヴァの歴史はジェノヴァの外にある」「ジェノヴァの歴史はなく、あるのはジェノヴァ人の歴史である」と言われ、ジェノヴァ人はヨーロッパやアジア各地に散らばっていた。

同じく海洋国家であるヴェネツィアが「国家主義」/公的性格を持つのに対して、ジェノヴァは「個人主義」/私的性格を有しており、都市国家の枠組みを超えている。

ジェノヴァ人は中世以来、敬虔なキリスト教徒としてのアイデンティティを有しつつ、ルネサンスの先駆けともいえる人間性や合理的精神を発揮し、商人としてのみならず、海軍提督、冒険家、探検家(コロンブスもその1人)、航海者、植民者等として、そして海賊としても(海賊に2種類あって、corsaroは公的海賊、piratiは私的海賊)イタリア半島を超え海の世界で華々しく活躍した。

ドーリア家の人々などジェノヴァの英雄たちを個別に見たあと、これを総合すると、ジェノヴァ人の個性(利益追求における個人主義と「私」の強調、進取の気性、中世からの連続性)が見えてくる。わが国ではヴェネツィア人については多くのことが語られているが、今回あまり私が知らなかったジェノヴァ人についてのお話は新鮮なものであった。

(山田記)

<講師プロフィール>
 亀長 洋子(かめなが ようこ)
学習院大学文学部史学科教授。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。イタリア政府奨学金留学生としてジェノヴァ大学に留学。専門はイタリア・地中海中世史。単著:『中世ジェノヴァ商人の「家」』(刀水書房)、『イタリアの中世都市』(山川出版社)訳書:ピーター・バーク『ルネサンス』(岩波書店)

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総合コース上級クラスの修了証授与式のご報告


去る3月25日(土)16:30~19:00、青山教室 石川記念ルーム(201号室)において総合コース上級クラスの修了証授与式を行いました。

まずは、修了式に先立ち、日伊協会イタリア語講師Livio TUCCI先生による特別トークイベント『復活祭とイタリア人』を開催いたしました。

キリストの復活を祝うパスクワ(復活祭)は、キリスト教徒にとって1年で最も重要な宗教行事です。

今年は4月16日でしたが、『春分の日の後の、最初の満月の次にやってくる日曜日』なので、毎年、日付が変わります。

イベントでは、Livio先生が、ナターレ(クリスマス)や、エピファニア(公現祭)、カルネヴァーレ(謝肉祭)、クアレジマ(四旬節:パスクワ前の40日間)、ペンテコステ(聖霊降臨祭節:パスクワの50日後)などキリスト教の主要な祝日の位置づけや意味の解説から始め、パスクワがいかに重要な祝日であるか、どんな風に祝うのかをイタリア語で説明、ところどころで日伊協会主任講師の押場先生が日本語でわかりやすく解説を挟み、あっという間の1時間となりました。

ナターレやカルネヴァーレに比べると日本ではあまり馴染みのないパスクワですが、イタリアでは、暖かい春の訪れの象徴として皆が心待ちにしている行事でもあります。

協会公式ブログ「Tutte le strade portano a Roma(すべての道はローマに通ず)」 第4回「イタリア式朝ごはん」でもパスクワ当日の朝食が紹介されていますので、ぜひご一読ください。

トークイベントの後は、いよいよ総合コース上級クラスの修了証授与式。

日伊協会では、2017年を持って、総合コースの全レベルで、オリジナルテキスト(入門 “Per comincaire”、初級 “ Benvenuti!”、中級 “Da noi”、上級 “Da noi più” & “Due passi in Italia” )が完成いたします。

これを機に今年から、上級の修了者に「修了証」ATTESTATO DI FREQUENZA を発行することになりました。 

今回の対象者は、計17名、そのうち13名の方が修了式に臨みました。

山田専務理事、望月講座委員会委員長の挨拶の後、山田専務理事よりひとりひとりに修了証が手渡され、最後は、修了者を代表して清水直子さんにイタリア語でスピーチしていただきました。

イタリアとイタリア人、そしてイタリア語に対する熱い想いがひしひしと伝わってくる、これまでの学習成果が存分に発揮された素晴らしいスピーチに、会場は大いに盛り上がりました。


修了式の後は、引き続きイタリア語講師の先生たちと修了者、参加者のみなさんとの懇親会が行われ、ワイン片手におしゃべりも弾み、終始和やかな雰囲気の中で閉会いたしました。

日伊協会では、今後も継続して修了証授与式を開催していきます。

このような式典が開催できますのも、日伊協会の講座で学ばれている受講生の皆様のおかげであり、この場をお借りして心より感謝申し上げます。

この機会が受講生の皆様にとって学習の目標および動機となることを切に願っております。

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第7回楽しいブッフェ交歓会のご報告

2月21日(火)第7回楽しいブッフェ交歓会が南麻布のイタリアンレストラン、アンティキ・サポーリにて115名の多数の参加を得て開催されました。

会員とイタリア語受講生の方々に加え、同伴や紹介による多数の一般参加者の方々にも気軽で自由な交流により、日伊協会を身近に親しく楽しんでいただけたと思います。

今回は特別ゲストとして日伊協会の英正道名誉会長から自著の出版にちなみ、「トランプ登場と激変する世界」と題する著書の紹介がありました。

また飛び入り参加されたイタリア大使館の科学技術担当アタッシェ、アルベルト・メンゴーニ氏の日伊修好150年にちなむスピーチもあり、国際交流にふさわしい場となりました。

この日のメニューはイタリア南部プーリア州の専門店として、山崎大輔料理長が腕をふるうユニークなプーリア料理が次々と供され、前菜12種類、パスタ3種類、メインの肉料理2種類、そして仕上げのデザート3種類と、お得感満点のバラエティー豊かな美味しい料理を堪能していただけました。

料理の合間にはソプラノの鈴木恵梨奈さんによるプッチーニの「私の愛しいお父様」の独唱と飯田陽子さんを加えた滝連太郎作曲の「花」の斉唱が披露されました。

余興として今回も可愛いサンリオグッズの数々と特製のプーリアワインを競う勝ち抜きじゃんけん大会を楽しみました。

最後は恒例の蒲谷昌子さん指導によるイタリア語の全員合唱、「O sole mio」で元気に締めくくりました。

ご協力いただいたミキインターナショナルの三木智映子様、山崎料理長を始めアンティキ・サポーリの皆様、そしてサンリオグッズを提供いただいた日伊協会評議員の北村憲雄様に厚くお礼申しあげます。

        

ブッフェ交歓会推進グループ
担当理事(総括;長尾 司会;内田 歌唱指導;蒲谷)

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イタリア旅行&留学セミナー 2016秋ご報告

日伊協会主催の旅行&留学セミナー、今秋のイベントも無事に盛会の下終了いたしました。

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1)イタリア語学学校体験レッスン「レオナルド ダ ヴィンチ校」

2016年11月9日(水) 講 師:Geraldine VILLIGER  (FIRENZE・MILANO・SIENA・ROMA レオナル ド ダヴィンチ校)

実際にイタリアで行われているレッスンを、今回は『入門・初級』クラスと『中級・上級』の2クラスのレッスンを体験して頂きました。なごやかな雰囲気の中で行われた体験レッスンで、参加者の不安も解消し、実際の留学生活を思い描いていただけたことと思います。

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2)イタリア留学フェア及びセミナー

《留学フェア》2016年11月11日(金)、12日(土)

ゼロからの語学留学&留学体験談セミナー》2016年11月11日(金) 13:30~14:30 

遠くは九州や北海道からのご参加もあり、今年も多くの方にご来場いただきました。多くの参加者の相談に応じる一方、これから準備しようとしている方々を対象に、「ゼロからの語学留学」というテーマでセミナーも開催、また当協会イタリア語講座受講生の栗谷川実希さんによるシエナ、ボローニャ語学留学体験談は、とても興味深い内容で、参加者の留学への関心が高まったと思います。

留学は準備段階からすでに始まっています。日伊協会では安心してご出発いただけるよう、これからも細やかなサポートを続けて参ります。

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3)イタリア留学&旅行セミナー トーディは何故「世界一住みやすい町」なのか

2016年11月14日(月) 講 師:Stefania BELLI(TODI La Lingua La Vita校 校長)

“Perché Todi è stata definita la città più vivibile del mondo”と題して、ウンブリア州の小さな町トーディがいかにして「世界一住みやすい町」と認定されたのか。その魅力を、歴史、文化、文学、農業、伝統技術、芸術等の幅広い話題のご説明をしていただきました。また食文化とともに、地元ならではのワインをご紹介いただきました。

また通訳は当協会の同時通訳のクラスで勉強中の鳴海ちひろさんに担当していただきました。

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4)イタリア留学&旅行セミナー「美食散歩」 ~永遠の都ローマを歴史と美食で味わいましょう~

2016年11月21日(月) 講 師:Enzo COSENTINO(ROMA Torre di Babele校 校長)

”LE VIE DEL GUSTO” – PASSEGGIATA PER I QUARTIERI POPOLARI DI ROMA -と題して、永遠の都ローマ、今回はローマには様々な地区があり、その各々の歴史と食の違いをスライドを使って分かりやすくご説明いただきました。

近郊のワイン、フラスカーティとペコリーノチーズも持参頂き、講義の途中から耳と口の両方でお楽しみいただきました。参加者の方々はローマの食文化の奥深さを実感し、きっと(また)行きたくなったと思います。

今後もさらに「イタリア」を、そして「留学」を身近に感じていただけるようなイベントを企画して参ります。来年もどうぞよろしくお願い致します。

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第26回イタリア語スピーチコンテスト開催

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12月3日(土)13:00より、イタリア文化会館アニェッリホールにて、第26回目となるイタリア語スピーチコンテストが開催されました。

今回は12名の方々が本選に出場し、スピーチを競いました。また審査時間を利用してトーク・イベント「イタリア語よもやま話」を開催し、イタリア語通訳の第一人者であり、日伊協会でプロ通訳養成講座をご担当のリッカルド・アマデイ先生と、協会イタリア語講座・講座主任の押場靖志先生のおふたりに、イタリア語の面白さについて語っていただきました。イタリア語を勉強されている方々には大変参考になるお話を聞くことが出来ました。

コンテスト結果は以下の通りです。

第1位:中西 志門 「犬も歩けばイタリア人にあたる」
第2位:山口 絵理子 「ことばの窓」
第3位:齊藤 紀子  「話しかけることとは愛すること」
朝日新聞社賞:熊田 のぞみ  「私はグローバル人材になれるか?」
日伊協会賞:石井 友里香  「自分の変化に気づいたきっかけ」
(敬称略)

1位の中西志門さんのスピーチ「犬も歩けばイタリア人にあたる(Italiani cittadini dell’Europa)」は、ベルリンの大学に留学したときに多くの若いイタリア人がドイツに「頭脳流失」のごとく流れてきている現状を考察したお話で、イタリアが移民を受け入れる国から、移民に出て行く国になっているという、イタリアの新しい一面を感じさせるお話でした。

なお、1位から3位の方には日伊協会より賞状、賞杯が贈られ、景品として1位の方には、アリタリア-イタリア航空より東京-ローマ往復航空券、Roma Torre di Babele校よりイタリア語研修費、スルガ銀行賞として滞在費10万円、イタリア文化会館よりイタリア食品詰め合わせ、2位の方にはSiena Dante Alighieri校よりイタリア語研修費。スルガ銀行賞として10万円の旅行券、3位の方には5万円の図書券が贈られました。入賞者の皆様おめでとうございました。

尚、今回惜しくも入賞は逃されましたが、以下の方々が、書類審査を通過し、見事本選に出場され、日頃の勉強の成果を活かしたイタリア語のスピーチを披露されました。これからも更に研鑽を重ねて、次の機会に挑戦していただきたいと思います。

阿久澤 弘陽  「教育現場での経験 : 留学生との交流を通して」
保坂 真名   「最愛の人の死を乗り越えて」
石川 美智子  「”別のことばで”、私の大切な本」
三嶋 路子   「忘れがたき出会い」
鈴木 麻里菜  「エスプレッソコーヒーと抹茶」
高橋 明    「私の人生の第三期」
谷口 眞理子  「お熱いお風呂はお好き?」
(アルファベット順 敬称略)

下記の審査委員の先生方にも重ねて御礼申し上げます。

審査委員長:長神悟(東京大学名誉教授)
白崎容子(元慶応義塾大学教授)
高田和文(静岡文化芸術大学理事・副学長)
Marisa di Russo(元東京外国語大学客員教授)
Silvio Vita(京都外国語大学教授)
Giorgio Amitrano(イタリア文化会館館長)
質問者:竹内マテルダ(日伊協会イタリア語講師)
(敬称略)

ご協賛、ご後援を頂いた下記の皆さまにはこの場を借りて御礼申し上げます。
協賛:スルガ銀行、アリタリア-イタリア航空
後援:イタリア大使館、朝日新聞社、NHK
主催:公益財団法人日伊協会、イタリア文化会館

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文化セミナー「著者に聞く」シリーズ 第3回 『ナポリ・バロック建築の世界』ご報告

2016-11-18-03文化セミナー「著者に聞く」シリーズ 第3回は、11月18日(金)18:30-20:15 日伊協会石川記念ルームにおいて開催され、『ナポリ建築王国―「悪魔のすむ天国」を作った建築家たち』の著者 河村英和先生に、ナポリが一番輝いていた17-18世紀のナポリとその近郊のナポリ独自のバロック建築について語っていただいた。(参加者約30名)

イタリアの古い諺でナポリのことを、「悪魔のすむ天国」と呼んだ。『ナポリを見て死ね』というほど美しい、湾の風光絶景はまさに「天国」である一方、貧困問題を抱え、狭く暗い路地に住み、良くも悪くも独特な気質のナポリ人が「悪魔」に喩えられたわけであるが、治安が悪く「悪魔」がいそうな地区ほど、「天国」のように美しい建物が隠れている。

ナポリのバロックは、次のように4つの期間に分けられ、それぞれ特色をもっている。

1)16世紀後半から17世紀前半にかけての初期バロック。イエズス会の建築家たちが活躍し、デザインに後期ルネサンス時代の名残がある。

2)17世紀後半の盛期バロック。建築・彫刻ではファンザーゴらのナポリ派が興隆し、グーリア(尖塔)や噴水が流行し始めた。
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3)18世紀前半も盛期バロック。サンフェリーチェに代表される独自のロココ趣味が開花し、中庭に面して配された階段が流行した。

4)18世紀後半の後期バロック。新古典主義の要素も加わり、ヴァンヴィテッリなどナポリの宮廷建築家たちが、王宮やナポリの重要建築を建設した。

どの期間においても共通するのは、地元で採掘できる石材を生かしてデザインすることである。一つは濃い灰色の「ピぺルノ」(火成岩)で、もう一つは薄い黄土色の「トゥーフォ」である。

ナポリの地図にプロットされた個別の建築について詳しくお話いただいたが、詳細はご著書でご確認されること、また、ご興味を持たれた方も多く、本書を片手にナポリの街のバロック建築を渉猟する日の早やからんことを希望する。
(山田記)

<講師プロフィール>
■河村 英和(かわむら・えわ)
東京大学大学院人文社会系研究科特任准教授。東京工業大学工学部建築学科卒、ナポリ・フェデリコ大学建築学部建築史科phD博士。専門は、ホテル建築、建築史、都市史、風景絵画史、観光史。主な著書に、『Alberghi storici dell’isola di Capri』(Edizioni La Conchiglia)、『Il Quisisana. Biografia del Grand Hotel di Capri』Edizioni La Conchiglia)、『カプリ島-地中海観光の文化史』(白水社)、『イタリア旅行-「美しい国」の旅人たち』(中公新書)、『ナポリ建築王国-「悪魔のすむ天国」をつくった建築家たち』(鹿島出版会)のほか、イタリアで出版された論文多数。

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シンポジウム「19世紀における日伊関係」ご報告

日伊国交150周年記念事業として、[主催]上智大学、在日イタリア大使館 [協力]イタリア文化会館、イタリア国立東方学研究所、公益財団法人日伊協会により、2016年10月14日14:00~18:30、上智大学四谷キャンパス2号館17階国際会議場において、標記シンポジウムが開催された。参加者約100名。

開会の辞を述べられた上智学院理事長の高祖敏明教授から、国交樹立の前に民間ベースの前史として、430年前の天正少年使節よりさらに30年も前にローマ教皇に謁見した鹿児島のベルナルドの紹介があった。ベルナルドは日本に帰国することなくコインブラで病死した。

img_1289ドメニコ・ジョルジ駐日イタリア大使は「1866年8月25日の日伊修好通商条約締結と日伊外交関係の幕開け」と題して本シンポジウムの基調となる講演を行われた。

1866年7月4日、アルミニオン船長率いる2,500トンのマジェンタ号は200人の乗組員を乗せ、5か月の航海の後、下田にたどり着いた。両国の政治外交情勢に翻弄されながらも、やっと8月25日条約が調印された。

何年も前から日伊間では接触あったが、統一したばかりのイタリアとしては、特に蚕の問題から、何とかフランスに助けられながら、こぎつけたかった条約調印であった。

以後150年の間、政治体制や経済活動、両世界大戦における立場、人口の高齢化などいろいろな点において両国は比較的似たところを持ち、岩倉使節団の派遣とイタリアからの東京芸大への芸術家の派遣、ジャポニスム、プッチーニのマダムバタフライ、フォス・コマライーニなどの両国の文化的関係は極めて密であった事例を挙げ説明された。

img_1301アリアンナ・アリースィ・ロータ講師(パヴィア大学教授)は「イタリア統一以降の外交・科学ミッションの歴史的背景、蒸気駆逐艦マジェンタ号の例」と題して、主として政治、外交、社会的な歴史的背景からマジェンタ号について話された。

当時統一を果たしたイタリア王国にはがまだヴェネツィアとローマが入っていない。

イタリア王国政府が農業社会から脱皮し、新生王国の存在を世界に知らしめようと世界に派遣したのが、マジェンタ号であった。(マジェンタ号の名前は1857年にイタリアがオーストリアに勝利した地名からとられた。)

img_1302またパオロ・マッツァレッロ講師(パヴィア大学教授)は「外交に伴う科学調査、フィリッポ・デ・フィリッピと蒸気駆逐艦マジェンタ号のミッション」と題して、科学面からのアプローチにより、ダーウインの進化論以後の科学ミッションの要請(例えば有名な探検家フィリッポ・デ・フィリッピを乗船させている。)からマジェンタ号を捉えて話された。

土肥秀行講師(立命館大学准教授)は「『以太利は欧州の日本也』-明治後期イタリアブームにおける二重写し」と題して、明治後期から現代にいたるまで、日伊両国はよく似たところと正反対のところを持つが故に、一方で優越感を持ち他方で尊敬するという二重写しの関係が続いている。

これは両極端ではなくコインの両面のようなものである。30年前の「ばか騒動」騒ぎや明治のイタリア史ブームなどの多くの社会的事象の例を挙げて説明された。

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巌谷睦月講師(東京芸術大学教育研究助手)は、「芸術における日伊交流の発展―ルーチョ・フォンターナと滝口修造の時代を中心に―」と題して20世紀における前衛芸術の巨匠の二人の濃密な交流を紹介し、その前提として19世紀におけるイタリアの力を借りた日本における美術史教育の整備があったことを紹介された。

フルヴィオ・コンティ講師(フィレンツェ大学教授)は、「1873年の岩倉使節団とイタリアの発見」と題して、当初10か月の予定で出かけたが実際には2年もかけ、また100人以上もの政府の枢要な人物を網羅した岩倉使節団について述べられた。

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使節団一行は、米国や欧州諸国を訪問して政治、経済、司法、金融、技術、交通、軍事など万般にわたりその発達した姿を仔細に観察し、学習した。

米国には8か月、英国には4か月、そしてイタリアには1973年の5月から6月にかけて滞在した。しかしバチカンを見学はしているが、教皇には謁見していない。

最後に閉会の辞を述べられた日伊協会島田精一会長は、今日のシンポジウムが日伊両国の歴史を振り返りつつ将来に向けて新しい展望を開くものとなったことを大使初め講師の方々、高祖敏明上智学院理事長はじめ上智大学の方々に感謝の意を表された。
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また本シンポジウムの企画に多大のお骨折りをいただいた、イタリア大使館のモルテーニ文化担当参事官と日伊協会顧問の藤澤房俊先生に感謝の意を表された。

自ら理事長を務めておられる津田塾大学の創始者津田梅子が、6歳11か月で岩倉使節団に含まれる留学生の1員として参加したことをエピソードとして紹介された。

(以上・山田記)

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イタリア語をまだ知らない貴方のための 《ミニ・イタリア語セミナー》の報告

img_1521日伊協会イタリア語講座主任の押場靖志先生によるミニ・イタリア語セミナーは、「イタリア語をまだ知らない貴方のための(Per chi non parla ancora italiana)」と題して、1時間という時間が本当にあっという間の楽しいセミナーでした。

参加者の方は「イタリア語をまだ知らない」とはいえ、本格的にイタリア語を学習してはいないだけで、イタリア語への興味は高く、断片的な知識はある方々が多かったようです。

まずは押場先生から参加者に対し、「自分が知っているイタリア語は?」という投げかけでセミナーは始まりました。

その答えに対して先生から次から次へと、イタリア語小話のような面白おかしい話題が展開され、知らず識らずイタリア語の言葉の世界に誘ってくれました。

例えばトマト(POMODORO)はpomo d’oro、即ち「金の実」という意味で、1492年のコロンブス以降にイタリアに輸入された。だからそれ以前のピッツァはトマトソースが載っていなかった。

シネマ(CINEMA)は映画という意味だが、今ではむしろ「映画館」を指すことが多い。「シネマパラダイス」はNuovo Cinema Paradiso、シチリアの映画館が舞台だった。作品としての映画のことはフィルム(film)という。

スパゲッティ(spaghetti)はもともと細長い形から、spago(紐)の意味で、spaghettoの複数形でspaghetti。

時計を意味するオロロージョ(orologio)のロロの部分、最初のロはRoma の ro 、次のロはLondon の Lo と覚えるとよい。

このように様々な言葉をその由来や変遷の過程を分かりやすく、かつ興味を掻き立てるような、刺激と驚きの1時間でした。

イタリア映画のビデオや、カンツォーネが聴けたり、サッカーの長友で有名になったアモーレ(amore)と先の地震のあったアマトリーチェ(amatrice)の深い関係にまで発展します。

押場先生の話はひとつのイタリア語の単語が核分裂のように、幅広い話題を含んで拡散します。その小気味よいテンポの話をもっともっと聞いていたいと思った1時間でした。

秋からのイタリア語講座では、入門から初級、中級へと、押場先生を始め、日本人の先生方、イタリア人の先生方と一緒に、イタリア語の体系的な勉強を始めることが出来ます。

参加者の方々も、今回のミニセミナーをきっかけに、もっとイタリア語を勉強したい気持ちが高まってくれれば幸いです。

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イタリア留学&旅行セミナー 2016秋 ボローニャ、その食と教育の歴史
~Bologna, la città del cibo (la cucina) e della cultura (la prima Università)~ ご報告

bologna02『日伊協会主催の留学セミナー、この秋はボローニャのご紹介からスタートです。

ボローニャにある語学学校クルトゥーラ イタリアーナ校校長マッシモさんによるセミナーは、2年ぶりの来日にあわせての開催となりました。日本をこよなく愛するマッシモさん、今回は大好きな「日本」を見せたいと、ご子息エミルさんを伴っての来日でした。

エミリア・ロマーニャ州の州都であるボローニャは、赤いレンガの屋根(Rossa)、学問(Dotta)、そして美食の町(Grassa)として有名です。その一つ一つについて説明がありました。

ボローニャの美しい町並みというと、塔と赤いレンガのイメージが思い浮かぶかと思います。どうして赤レンガだったのでしょうか、もともとの土壌のもろさから来ているという理由を教えていただきました。

学問の町として、ボローニャ大学はヨーロッパ最古の大学として有名であり、現在も世界各地から10万人以上の学生がたちが集まり学んでいるそうです。この春には秋篠宮ご夫妻も訪問されました。

美食の町、くいだおれの町とも言われるボローニャは恵まれた土壌と、交通至便の好立地であることなどから、豊かな食材を産み出してきたそうです。そんなハムやチーズやパスタなどの食材について、それぞれの楽しい逸話とともに詳しく説明してくださいました。

 
bologna04ひとしきり講義を聞いた後は、楽しい試食タイムです。
スーツケースいっぱいに詰めて持参してくれたハムやチーズ、ワインなどを堪能しながら、後半は楽しい会話と美味しい試食で和やかな会となりました。ワインやチーズのパッケージを写真におさめている方もいらっしゃいました。ボローニャ旅行の際は、お土産としてもお勧めかも知れません。

以前この学校に通った経験があるという2人の方も、その充実した滞在について語ってくださり、実際にボローニャに行きご自身の目でその歴史を感じてみたいと思った方も多かったのではないでしょうか。

bologna05今回の通訳は日伊協会の通訳プロ養成コースの受講生でもある永瀬さんが務めて下さいました。少し緊張されていましたが、日頃の努力の成果を披露できたのではないかと思います。

日伊協会では今後も受講生の皆様へ同様の機会を積極的に設けて行きたいと思っております。

日本とイタリア、両国間の交流を深める機会をいただきましたマッシモ校長に、心より御礼申し上げます。

11月にはこれに続いていくセミナーとして、
・11/9(水) フィレンツェ レオナルド ダ ヴィンチ校 「体験レッスン」

・11/14(月) トーディ ラ リングァ ラ ヴィータ校セミナー「トーディは何故「世界一住みやすい町」なのか」

・11/21(月) ローマ トッレ ディ バベレ校セミナー 「美食散歩~永遠の都ローマを歴史と美食で味わいましょう~」

等を予定しております。

ご参加をお待ちしております!

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連続文化セミナー 「イタリアの祝祭」
第5回 ヴェネツィアの祝祭 ―オペラと劇場―ご報告

連続文化セミナー「イタリアの祝祭」の最終回である第5回は、7月22日(金)にオペラ史研究家の田島容子先生に、『ヴェネツィアの祝祭―オペラと劇場―』と題してお話いただいた。参加者30名。

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1600年にフィレンツェで生まれた音楽劇が、1637年にヴェネツィア共和国に導入されて以来たちまちのうちに新機軸のスペクタクルへと変貌し、大流行を見る。もしこのような経緯をたどらなかったならば、オペラは今日の姿に到達しえたかという疑問を解くのが今回のテーマである。

イタリアのルネサンス期、諸都市は祝祭には不可欠なもろもろの形の演劇の上演を競い合ったが、音楽部分は、上演を彩る豪華な添え物に過ぎず、まだ音楽を用いて劇全体を進行させる発想は存在していなかった。これに対して1580年代、貴族と学者による古代ギリシャ劇研究グループ(カメラ―タ・フィオレンティーナ)がフィレンツェに結成された。彼らは、当時のフランドル楽派の「多声(40声部)」を言葉が聞き取れないと批判し、古代ギリシャの朗唱(独唱)の復元を打ち出した。このような動きから1600年に上演された『エウリディーチェ』が現存するオペラの最も古い例とされている。

地中海交易で富を築いたヴェネツィアは、16世紀後半から国力の衰退が始まる。享楽を愛するヴェネツィア市民に最も痛手であったものは、信教・出版の自由を巡って教皇庁と対立し、教皇庁により国家的破門の脅しを受けたことであった。恭順を示す政府は急遽、奢侈取締監督局を設け、1605年、市内からあらゆる歓楽と贅沢品は一掃された。1636年に、教皇ウルバン8世の病気を機に、その跡目争いのどさくさに紛れて、贅沢禁止令は突然緩和された。1637年、サン・カシアーノ劇場で上演されたヴェネツィア初のオペラ『アンドローメダ』は新機軸のスペクタクル性から、瞬く間に市民をとりこにした。

17世紀ヴェネツィアのオペラの異常な流行は、その原因を有料公衆劇場の存在に探ることができる。干拓から土地を作り上げたヴェネツィアは、底面の広がりが大きく取れない。建築家が編み出した斬新な工法は、馬蹄形または釣鐘型平土間を取り囲むように内部の壁面に5層にわたり30余の桟敷(小部屋)を設置するヴェネツィア型(イタリア型)劇場の出現である。1700年までに人口14万人弱のヴェネツィア市内に17のオペラ専用劇場が建設された。

オペラ興行に対する共和国の監督と保護は、細部にわたって実施された。政府関係者と他国外交官との私的接触を禁じていたが、劇場を私的会合の接点として認可し、諜報の面からも政府の手で綿密に手配された。桟敷と桟敷の壁の隙間にスパイを配していたと伝えられている。

17世紀のヴェネツィア・オペラの総数は370本程度と捉えられ、1600年から1636年までの貴族オペラが20作程度であったことに比較すると、その増加ぶりはすさまじいものがある。ヴェネツィア・オペラの盛行の1つの要因として、興行主制度(Impresario)を挙げることができる。各劇場の興行主は、オペラ制作から劇場運営まですべての業務を統括する。競争が激化すると、常に聴衆の人気を考慮し、聴衆の愛好する筋書、例えば宮廷の醜聞や政争を盛り込み、劇中に超自然現象を登場させるなど、機械仕掛け中心の舞台構成や舞台転換の多用など娯楽中心の音楽スペクタクルへの道を加速させる。雲の昇降装置、舞台を一瞬に暗転させる装置、地獄の業火、船の難破、海の波の現出など興味深い装置の紹介があった。一瞬にして舞台を変える方法として、観客席後方にサクラを配置して騒動を起こさせ、観客が後ろを振り返っている間に、舞台を変えてしまうという策も採られたという。

作曲家への謝礼は1作当たり400ドゥカートと決められ、歴代のサン・マルコ大聖堂付き楽長の年間給与に相当する。一例を挙げると1668年からサン・マルコ大聖堂付き楽長職にあったカヴァッリは39作の依頼を受け、年収の39倍をオペラ作曲で得たことを示している。その噂は他国にも伝わり各地の作曲家は競ってヴェネツィアのオペラ劇場に作品を持ち込んだ。貴族子弟によるヴェネツィア独特の演劇団体であるコンパニーア・デラ・カルツァが、オペラ台本のみならず、劇場経営にも密接に関わった点で、ヴェネツィアの富裕階級とオペラの関係の特異な部分として注目される。(山田記)

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<講師プロフィール> 田島 容子(たじま ようこ)
イタリア音楽の研究で日本第一号の博士号を東京芸術大学から受ける。イタリア音楽学会(ローマ)正会員、ドニゼッティ研究所共同研究者、日本オペラ振興会でオペラ史の講義を通して後進の指導に当たる。日伊協会評議員。イタリア・バロック音楽文庫としてイタリア・オペラの初版譜、稀覯本を多数収蔵、解読と分析を行う。専門テーマは「17世紀ヴェネツィア社会と芸術」、「ロマン主義とオペラ」

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連続文化セミナー『イタリアの祝祭』
第4回 「ローマ社会における『パンとサーカス』」のご報告

2016-07-22-02シリーズの第4回は、6月22日(水)に、東京大学名誉教授、早稲田大学国際教養学部特任教授の本村 凌二先生に「ローマ社会における『パンとサーカス』」と題して、講演いただいた。(参加者25名)

平和と繁栄のなかでローマ帝国の民衆はこの世の娯楽に興じてわれを忘れた。諷刺詩人ユウェナリスはため息まじりで揶揄する。「かつて権力や権威や軍事などのすべてに力を注いでいた市民たちも、今では萎縮して、たった二つのことばかりを気にもんでいる。パンとサーカスだけを」

ローマの歴史を建国神話から説き起こし、やがてしばしば“パックスロマーナ”と呼ばれる泰平の世の中に至って、『パンとサーカス』と呼ばれる世相が現れた。これは、民衆の堕落ぶりを象徴するものと考えられているが、まずはその実態を巡って具体的に確認する必要があるとお話を進められた。

パンの意味するところは、民衆への穀物の配給である。穀物供給管理制度による無料給付の制度化である。パンも大事だが、サーカスの方がもっと大事。サーカスの由来は、circus (円形競争場)である。そこでは、戦車競走が催され、また剣闘士競技などの見世物興行に民衆は熱狂した。『パンとサーカス』の意味は、ギリシャ語で「守護者」を意味するエヴェルゲテースから由来する「エヴェルジェティスム」で説明されよう。すなわち、保護者の民衆への恩恵施与慣行である。

この頃の社会は保護者(patronus)と被護民(clientes)すなわち親分・子分の関係。為政者は、民衆にパン(肉体の活性剤)とサーカス(精神の活性剤)を施し、権力の獲得のためではなく、権威の認知のゆえに恩恵を施すのである。講演では、「残存する円形競技場のデータ」、「剣闘士の生き残る確率」など興味深い資料やローマ史の面白いエピソードをたくさんお聞かせいただいた。なんといっても、丸山真男先生の言葉では、「1200年のローマの歴史に人類の経験したことが全て詰まっている。」のだから、古代ローマ史の第一人者である本村先生の話は尽きない。(山田記)

講師紹介:■本村 凌二(もとむら りょうじ)
東京大学名誉教授、早稲田大学国際教養学部特任教授、博士(文学)。1947年熊本県生まれ。1973年一橋大学社会学部卒業、1980年東京大学大学院人文科学研究科修了。東京大学教養学部教授、同大学院総合文化研究科教授を経て、現職。専門は古代ローマ史。『薄闇のローマ世界』でサントリー学芸賞、『馬の世界史』でJRA賞馬事文化賞、一連の業績にて地中海学会賞を受賞。著作に『多神教と一神教』『愛欲のローマ史』『はじめて読む人のローマ史1200年』など。

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第5回 日伊文化交流「夏のフェスタ2016」のご報告

島田精一 日伊協会会長

島田精一 日伊協会会長

去る7月16日、日伊協会の主催により「夏のフェスタ2016」(共催:イタリア文化会館、後援:在日イタリア商工会議所、協賛:アリタリア・イタリア航空、リョービツアーズ トゥッタ・イタリアカンパニー)を、東京・九段のイタリア文化会館において開催いたしました。

当日は、日伊協会の会員のみならず、イタリアに興味を持つ多くの方に来場いただき、参加者300名に達する盛会となりました。

最初に島田精一新会長のご挨拶の後、6月22日に急逝された日伊協会評議員代表の岡野喜之助様に黙祷を捧げました。

第1部前半には、昨年のミラノ国際博覧会の公式記録映像(JETRO制作)を上映いたしました。日本館は、最も人気の高かったパビリオンの1つで、展示デザイン部門で金賞を受賞しました。「食」をテーマにした初めての万博で、わが国は和食の文化の紹介を館内、イベントステージ、さらには博覧会の会場を出てミラノの街で多彩な形で展開しました。その一部始終が映像により再現されて、博覧会に行けなかった人にもその雰囲気をお伝えすることができました。

2016-07-16-02第1部後半は、 「『アマーレ・マンジャーレ・カンターレ』ではない私のイタリア」と題して、漫画家ヤマザキマリさんに講演をしていただきました。ヤマザキマリさんといえば、漫画「テルマエ・ロマエ」と後に2回の映画化で有名ですし、最近はテレビでイタリア美術や歴史に関して出演されているのをよくお見かけします。

しかし、今日の講演は、ヤマザキさんとイタリアとのそもそもの出会いからお話が始まりました。中学生の時のヨーロッパ美術の一人旅の途中で出会ったマルコ爺さんの勧めで、再び高校生の時に渡欧、初めてイタリアに入りました。それからフィレンツェでの苦しい生活、助けてくれた教養人や職人たちのことなど、困難をユーモアで包んでのお話をお聴きしているうちに、1時間はあっという間に過ぎてしまいました。

ヤマザキさんからのメッセージに「長い歴史と経験を経てでしか得られない人々の中にある奥行と諦観と懐の広さ、そしてプライド。イタリアは単に人生を楽観する人々が暮らす、明るく太陽のような側面だけの国ではありません。」とありましたが、イタリアという国の「質感のある品位」と「抜きん出た感性と知性のクオリティ」が、ヤマザキさんの体験談から浮かび上がってくる、すばらしい講演でした。

2016-07-16-03 第2部はラッフル(くじ付き募金券)抽選会。アリタリア・イタリア航空、リョービツアーズ トゥッタ・イタリアカンパニーのご提供による日本・イタリア往復ペア航空券をはじめ、数多くの景品のご提供をいただき、抽選会はおおいに盛り上がりました。

この募金は、日本からイタリアへの文化発信事業に助成する「日本文化奨励基金」を拡充することを目的としています。今年の夏も、例年通り、イタリア人大学生に対する「日本語・日本文化夏期講座」に助成をする予定でおります。おかげさまで、今回もみなさまの暖かいご支援をいただきましたので、純益30万円を基金に繰り入れる予定です。

第2部の終わりには、蒲谷理事のピアノと歌唱指導により、全員でナポリ歌謡の『帰れソレントへ』を歌いました。

2016-07-16-04第3部は、イタリア料理とワインを楽しみながらの歓談の時間です。今回も、リストランテ文流さんが料理の部を担当、今年は特に日伊国交150年の年ですので、イタリア使節団団長のアルミニョンとゆかりのあるリグーリアの名物料理、ペスト・ジェノヴェーゼのラザーニャとリグーリア産オリーブの実入りジェノヴァ風フォカッチャが用意されました。アンチパスト3種類とセコンドはしらさわ豚のローストでした。

ご提供いただいたカンパリとワインがお料理を一層盛り上げました。またドルチェは、バール・デルソーレさんの担当で、チョコレート菓子を使ったオリジナルティラミスとエスプレッソが提供されました。

最後になりましたが、ご参加くださった方々に、改めて御礼を申し上げるとともに、今回の企画に協力をいただいた、以下の企業・個人に深く御礼を申し上げます(敬称略)

本イベントに多くの企業・個人からラッフル景品、食材、飲物のご提供など多大の協賛をいただきました。ここにお名前を掲載して御礼申し上げます。(敬称略)
2016-07-16-05イタリア文化会館、在日イタリア商工会議所、アリタリア・イタリア航空、株式会社リョービツアーズ トゥッタ・イタリアカンパニー、株式会社資生堂、ヴァンジ美術館、株式会社文芸社、小田原城カントリー倶楽部、カルロ モレッティ 東京、Caruso 遠藤美紀子、CAZETTA Olio・ハツヤレイコ、株式会社ジィエィインク、篠利幸、株式会社サンリオ、広島日伊協会、北海道日伊協会、株式会社三笠会館、株式会社ミキインターナショナル、リストランテ文流、株式会社フォルトゥーナ(バール・デルソーレ)、株式会社サントリー/CAMPARI JAPAN株式会社、有機栽培 吉田農園、企業組合かほくイタリア野菜研究会、Kふぁーむ(チルコロ共生事業事務局)、有限会社アビコ、株式会社モリス商会、株式会社ワインウェイヴ、株式会社ノルレイクインターナショナル、日本リカー株式会社、スリーボンド貿易株式会社、株式会社モトックス、株式会社クオーレ クール、株式会社スマイル、モンテ物産株式会社、エイコ―フードサービス株式会社、米金青果株式会社、株式会社佃熊、サンヨーエンタープライズ株式会社

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イタリア映画セミナー&イタリア語講座交流会 『SAPORI E SAPERI D’ITALIA』のご報告

2016-06-18-image91梅雨の晴れ間の昼下がり、イタリを愛する皆様との楽しい交流会を開催しました。

これまでも毎回大好評でした押場先生による映画セミナー「映画の中のイタリア語:ヴィスコンティの魅力を求めて」にてヴィスコンティの人生と映画への思いを熱く語っていただいいた後、日伊協会イタリア語講師も大勢参加しての楽しい交流会となりました。

次回もまた皆様のご参加をお待ちしております!

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連続文化セミナー『イタリアの祝祭』
第3回 ミラノのデルビー ―イタリアサッカーの醍醐味― のご報告

20160527-101シリーズの第3回は、5月27日(金)にフリージャーナリストで中京大学、大阪芸術大学の非常勤講師の小川光男先生に「ミラノのデルビー」と題してダービーマッチを通して イタリアサッカーの醍醐味を語っていただいた。(参加約25名)

まずイタリアサッカー(カルチョ)の衰退について。20世紀末、欧州(あるいは世界)のサッカーシーンで“我が世の春”を謳歌していたカルチョだが、その後は衰退の一途をたどっている。86年から99年までUAFAランキング1位(90年のみ2位)を保っていたが、2000年に2位、2004年に3位、2011年には4位とランクを下げている。また実力の衰微とともに観客動員数も低迷し、全盛期より28%も観客動員数を減らしている。

そんなカルチョの低迷期でも、今も多くのファンの関心を集めるゲームが存在する。それがデルビーと呼ばれる近しい2クラブの“直接対決”。デルビー(derby)の語源は英国起源で、イングランドやスコットランドのモブ・フットボール(またはマス・フットボール)の名残と見られる。

イタリアにおけるデルビーの種類としては、

①ストラチッタディーナ(都市デルビー)=「内向き、村祭り的な」。
主なクラブとして、ミラノ―ミランvsインテル、ローマ―ローマvsラツィオ、トリノ―ユヴェントスvsトリノ、ジェノヴァ―ジェノアvsサンプドリア、ヴェローナ―エッラスvsキェーヴォ。都市デルビーにはそれぞれの個性があり、ファンがそこに求めるもの、裏に存在する背景など違いがある。

②デルビープロビンチャーレ(近隣デルビー)=「外向き、近隣戦争にも似た」趣が感じられる。

③デルビーレジョナーレ(例:デルビーデッラアペンニーノ、デルビーデルイーゾレ、デルビーディイタリア、デルビーデルソーレなどいずれも「創られたデルビー」という感じ)。

20160527-102さてその中でも最もデルビーらしいデルビーは「デルビー・ディ・ミラノ」である。2つのチームが規模も大きく、実力も伯仲していてバランスが良い。ACミランは1899年に設立された。あだ名は、“cacciavite(ねじ回し)”。ファン層が職人などの労働者階級を中心としていた名残。元首相のベルルスコーニがクラブを買収し、選手を大補強した。

インテルは、1908年にミランの外国人選手排斥を止めるよう訴える44人の反乱分子が設立した。設立の翌年にはセリエAでいきなり優勝した。インテルは、ミランのcostra(肋骨)と言われ、いってみれば旧約聖書・創世記のアダムとイブのような関係である。シンボルは、Il Biscione(大蛇、ヴィスコンティ家の紋と同じ図柄。ファンが富裕層だったころの名残)。

今はどのクラブも財政難で、インテルは2013年にインドネシアの実業家エリック・トヒルが筆頭株主、会長となった。(セミナー後とび込んできたニュースによると中国の家電量販店大手「蘇寧」グループがミランの株式の約7割を取得したと発表した。)ただ財政難にもかかわらず。両チームともスタディアム・サン・シーロとは別に自前のスタディアムを持つ計画もあるらしい。

ミラノのデルビーには、『デルビー・デッラ・マドンニーナ』という別名がある。ドゥオーモの上に光り輝く黄金の聖母像を賭けた絶対に負けられないゲームである。ミランには本田圭祐選手、インテルには長友佑都選手が在籍していることもあり、日本でもデルビー・ディ・ミラノへの注目、関心が高まっていくことだろう。小川先生が須賀敦子さんに「カルチョには関心はないでしょうね。」と話を向けたところ、「私はインテリスタよ。」との答えが返ってきたのには驚いたというエピソードが披露された。(山田記)

講師紹介:■小川 光生(おがわ みつお)
慶応義塾大学文学部西洋史学科卒。イタリア留学中の2000年からサッカー専門誌の記事執筆、翻訳などを手がけ、その後フリージャーナリストとして活動。2010年夏からは、NHKのロケ・コーディネーター兼番記者として、インテルの長友佑都選手、ミランの本田圭祐選手を追いかけ続けた。2016年4月から、中京大学、大阪芸術大学の講師として教壇に立つ。著書に『サッカーとイタリア人』(光文社新書)、『プレーのどこを視るか』(青山出版)など。

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連続文化セミナー 『イタリアの祝祭』
              第2回 都市フィレンツェの聖史劇 — 奇蹟と見世物 — のご報告

シリーズ第2回は、4月15日(金)に早稲田大学の杉山博昭先生に「フィレンツェの聖史劇」のお話をしていただいた。(参加約30名)

ルネサンス期のフィレンツェは、西洋美術史上のひとつの「中心」として長らく注目を集めてきた。一方、その「中心」に寄り添うように開催されたひとつの行事は、これまでほとんど顧みられなかった。その行事とは「聖書と芝居」、「奇跡と舞台効果」、「キリスト教と異教」が坩堝のように絡み合う祝祭である。聖堂で上演された、現在「聖史劇」と呼ばれているその祝祭は、当時の大工・ブリキ工・金細工師・画家・毛織物商など多くの市民が知恵をしぼり、腕をふるう現場でもあった。聖史劇は信徒に、「マリアはいかに美しいのか」、「星々はいかに運行するのか」、「聖霊はいかに恩寵を施すのか」、「イエスはいかに天へ昇るのか」、そして「天使はいかに空を飛ぶのか」などの問題を投げかけたのである。全ヨーロッパから集った見物客が、それらの演出をいかに捉えたのか、当時の図像資料を参照しながら考察された。

2016-04-15-11◎聖史劇の定義
14世紀から16世紀のイタリア各地で、平信徒で構成される兄弟会が聖書・聖人伝に範をとったテクストにより、街路・広場・聖堂内などで、典礼暦上の祝祭日の行事や貴賓歓待時の出し物として演じられた。聖史劇以前は王の入場式や典礼劇、あるいは大道芸人や吟遊詩人のパフォーマンスがあったが、これらの要素が流れ込んで聖史劇の形となった。15世紀フィレンツェがひとつのピークである。この後古典劇へと変貌していくが、むしろルネサンスと活版印刷術の普及からローマ喜劇やギリシャ悲劇が栄える。

◎聖史劇の機能
宗教的機能(見て聞く「聖書」)、教育的機能(身振りと言葉遣いの模範)、見世物的機能(娯楽もしくは通過儀礼)、衒示的機能(高揚と誇示、興奮と見せびらかし)、政治的機能(統治の正統性の承認)

◎台本
テクストの形式は、極めてシンプルな詩形(セリフは韻文「八行詩節」で構成)。媒介者として、開幕と閉幕を見物客に告げる天使役が登場するのが特徴。最初に物語のあらすじをすべて説明する。最後に物語の意味を分かりやすく解釈する。「他者」として、搾取される小作人、忌避される病人、迫害されるユダヤ人が登場する。決してユートピア的な物語ではない。

◎演者
少年たちが女装して演じる。衣装は贅をこらしたもので金泥で塗装された「光輪」、染めたクジャクやダチョウの羽で作られた「翼」など。人間以外に木製人形や絵画など多様なメディウムが登場人物上で交差する。

◎舞台
街路を練り歩く行列(聖遺物行列、仮装騎馬行列『マギのフェスタ』、山車行列『洗礼者ヨハネのフェスタ』)あるいは野外の同時並列舞台(広場、聖堂回廊の中庭、処刑場)あるいは聖堂内の高架舞台(内陣障壁)。宙づりあり、ロケット花火あり、噴水あり。

スーズダリ主教アブラハムの手記(1439年)によると『これは素晴らしくも、恐ろしい見世物なのである。そもそも筆舌に尽くしがたいほどの内容であったため、これ以上書くことはできないのである。アーメン。』と、称賛と困惑がないまぜとなった感情の感想を述べている。視覚のみならず触覚・嗅覚・聴覚への強い刺激。信仰のみならず娯楽・性愛のもとに飽和する感情。――15世紀のフィレンツェに咲いた奇跡といえる。杉山先生によると聖史劇を専門に研究している研究者は杉山先生を含めて世界に4人しかおられないそうで、とにかく記録が少ないこのスぺクタクルを当時の図像資料から再現していく困難さは大変なものと推測された。多数の図像資料の作品データリストもいただいたが、この報告では講演のエッセンスともいうべき図像資料の参照の部分をお伝えできないのは残念である。(山田記)

講師紹介:■杉山 博昭(すぎやま ひろあき)
早稲田大学高等研究所助教。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了(人間・環境学博士)。国際基督教大学、追手門学院大学非常勤講師。単著に『ルネサンスの聖史劇』(中央公論新社・第5回表象文化論学会奨励賞)、共著に『「聖書」と「神話」の象徴図鑑』(ナツメ社)など

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