第28回イタリア語スピーチコンテスト優勝者スピーチ

第28回イタリア語スピーチコンテスト優勝者スピーチ
齊藤紀子さん

日本語訳

【ダマスカスで再び出逢ったローマ】

人生は帰る場所を探し続ける長い旅。イタリア語や英語を学ぶことは、心の空白を埋めてくれます。文化的な視野が拡がる外国語の習得に私は癒しを見出しています。

2010年7月、ジェモーナデルフリウリに語学留学しました。快活でユーモアに溢れたナジバは惚れ惚れするようなイタリア語を話すアルジェリア人で、私たちは学生寮のルームメイトでした。彼女のおかげで、レバノン、シリア、チュニジアからきた優秀なアラブ人達に囲まれてひと夏を過ごしました。ある日、実はダマスカスに行くのが夢なのよ、と言うと、「では、ダマスカスでまた会おう!」ということになり、2011年1月5日の夜、私は(シリアの首都)ダマスカスに到着しました。

予約していたホテルは、旧市街地のキリスト教地区バブトゥーマにありました。帝政ローマ時代の白い巨大な大理石のアーチを見あげて、言葉を失いました。ここはどこ?ローマに来ているの?

このアーチ以外にも、ダマスカスには至る所に古代ローマの建造物がありました。また、食べ物やお菓子も、ローマを想起させるものでした。ある朝、散歩をしていると地元の少女がチョコレート入りのコルネットをひとつ、差し出しました。(ローマでも)こんなに美味しいコルネットは食べたことがありませんでした。

ダマスカス国立博物館では、展示物の解説表示がイタリア語で書かれていました。学芸員の女性は、流暢なイタリア語で案内していました。

ダマスカスとローマの間のこんな共通点以上に深く私の心に響いたのは、シリアの人々の優しさとホスピタリティです。ある日、悲劇が起こりました。ちょうどサッカーのW杯が開催されていて、シリアチームが日本チームに負けてしまいました。これはまずい、日本人だと気付かれたらボコボコにされるかもしれない、と思いましたが、その日は夕食の約束がありました。ホテルを出ると、広場を埋め尽くす群衆がシリア国旗を振り回して歩いています。青年の一団が私をみて叫びました。「ヤーバーニーヤ?」日本人か?と。怖くて、言葉が出ませんでした。すると、「おめでとう!日本チームは素晴らしい試合ぶりだったね!」と、笑顔で去って行きました。不思議なことにシリア人は、日本チームに負けたお祝いをしていたのです。シリア人気質がよくわかる出来事でした。

次の日、ホテルに戻ろうとして道に迷ってしまった私。街の人々に道を尋ねますが、誰も英語を話しません。仕方なく歩き出すと、空のコーヒーカップを載せた銀製のトレイを手にした9歳ほどの少年がついてきます。私が行先へと、少年もついてきます。ようやく見慣れた通りに出るまで少年はついてきました。お金を差し出して、「はい、御駄賃」と言うと、少年は嬉しそうににっこりと微笑んで、お金は受け取らずに、今来た道を戻って行きました。女性が独りで道に迷って歩いていたので、ただ守ってくれるために、私の側にいてくれたのです。

それからひと月後に、ダマスカスで戦争が始まりました。あれから7年が経ちましたが今も大勢のシリア人が故郷を追われて国外に避難しています。彼らは、かつて祖国で心豊かに暮らしていた人たちです。彼らの望みはただひとつ、家に帰りたいということです。家を失うことの意味は嫌というほどわかります。私は両親の離婚によって、帰る家を失いました。それ以来ずっと、私は帰る場所を探し続けてきました。シリアの人々は戦争で帰る家を失いました。状況は、確かに異なります。しかし、家を失うことの苦しみに変わりはありません。

私は、外国語を学ぶことで自分の人生を建て直すことができました。好きな仕事にもつきましたし、友人もたくさんできましたし、世界をみるものの見方も養いました。今後もイタリア語を学び続けて、いつの日かシリアの友人たちが帰ってゆく場所をふたたびみつけることができるよう、どんな形でか、役に立ちたいと思います。

~イタリア留学&旅行セミナー 2018秋 無事に終了いたしました~

イタリアより多数の語学学校が来日して開催いたしました、「イタリア留学フェア2018」を中心としたイベントはすべて盛会のうちに終了いたしました。

日伊協会内にて開催したイベントでは、学校長やスタッフの方々が、様々な角度からそれぞれの町をご紹介いただきました。

今後も皆様にイタリアをより身近に感じていただけるような楽しい企画をご案内して参ります。

また、日伊協会では、丁寧な留学相談や留学冊子「Il Milione」無料配布など、安心できる留学サポートを提供しております。お気軽にご相談下さい。(03-3402-1632)

イタリア留学フェア及び体験レッスン&セミナー『留学フェア』

2018年11月10日(土)~11日(日) 10:30~19:00

『イタリア語体験レッスン&ゼロからの語学留学セミナー』
2017年11月11日(日)

・体験レッスン:11:00~11:45

・ゼロからの語学留学セミナー:11:45~12:30

イタリア語学学校タオルミーナ Babilonia校

『映画の中のシチリア、シチリアの中の映画』

11/7(水) 18:30~20:00

講師:Elisa Pianges(バビロニア校)

イタリア語学学校ヴェネツィア Istituto venezia校『体験レッスン』

11/9(金) 18:30~20:00

講師:Anna SANTINI(イスティトゥート ヴェネツィア校教務主任)

Elisa CARRER(イスティトゥート ヴェネツィア校講師)

1)『入門・初級』 13:00~14:20
2)『中級・上級』 14:40~16:00


イタリア語学学校トーディ La Lingua La Vita校

『ウンブリア州の伝統的なお祭りと食から見えてくる過去と現在』

11/12(月) 14:30~16:00

講師:Stefania Belli(ラ リングア ラ ヴィータ校)


イタリア語学学校ローマ Torre di Babele校

『ローマ、その水の歴史』

11/14(水) 18:30~20:00

講師:Enzo Cosentino(トッレ ディ バベレ校)


イタリア語学学校ボローニャ Cultura Italiana校

『ボローニャの産業と食の繁栄の歴史 ~エトルリアからマセラーティまで~』

11/16(金) 18:30~20:00

講師:Massimo Maracci(クルトゥーラ イタリアーナ校)

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第28回イタリア語スピーチコンテスト 開催される

公益財団法人日伊協会とイタリア文化会館の共催による「第28回イタリア語スピーチコンテスト」は12月8日(土)イタリア文化会館アニェッリホールにて行われました。

全国からの一次選考を勝ち抜いた10人のファイナリストが日頃のイタリア語学習の成果を競いました。

受賞結果は以下の通りです。

一位 齊藤 紀子 「ダマスカスでふたたび出逢ったローマ La Roma che ho ritrovato a Damasco」
二位 福田 桜子 「今日何食べたの? Che hai mangiato oggi?」
三位 芹澤 なみき 「人生の彩 i colori della vita」
日伊協会賞 三嶋 路子 「再会 Il tempo ritrovato」
朝日新聞社賞 鈴木 萌花 「未来への遺産 L’eredità del passato tra presente e futuro」
イタリア文化会館賞 保坂 真名 「『共生』につながる『やさしさ』を Gentilezza che porta alla convivenza」

なお、1位から3位の方には日伊協会より賞杯が贈られ、景品として1位の方には、アリタリア-イタリア航空より東京-ローマ往復航空券、Bologna Cultura Italiana校よりイタリア語研修費、スルガ銀行賞として滞在費10万円、2位の方にはSiena Dante Alighieri校よりイタリア語研修費。スルガ銀行賞として10万円の旅行券、3位の方にはスルガ銀行賞として5万円の図書カードが贈られました。

また特別賞として日伊協会よりイタリア語講座受講券50,000円分、朝日新聞社より記念品、イタリア文化会館より図書券15,000円分がそれぞれ贈られました。入賞者の皆様おめでとうございました。

また審査時間を利用して昨年に引き続きトーク・イベント「イタリア語よもやま話パート3」を開催し、イタリア語通訳の第一人者であり、日伊協会でプロ通訳養成講座をご担当のリッカルド・アマデイ先生と、協会イタリア語講座・講座主任の押場靖志先生のおふたりに、イタリア語の面白さについて語っていただきました。

また下記の審査委員の先生方にも重ねて御礼申し上げます。

審査委員長:長神悟(東京大学名誉教授)
白崎容子(元慶応義塾大学教授)
高田和文(静岡文化芸術大学名誉教授・理事)
Marisa Di Russo(元東京外国語大学客員教授)
Silvio Vita(京都外国語大学教授)・・・一次審査
Paolo Calvetti(イタリア文化会館館長)
質問者:竹内マテルダ(日伊協会イタリア語講師)
(敬称略)

主催:公益財団法人日伊協会、イタリア文化会館
後援:イタリア大使館、朝日新聞社、NHK
協賛:スルガ銀行、アリタリアーイタリア航空

以上

2018年連続文化セミナー 「イタリアの古代美術」
第5回 古代異教美術から初期キリスト教美術へ ― ローマのサンタ・コスタンツァ聖堂を中心に ― ―ご報告

シリーズ第5回は、8月3日(金)に、東京造形大学非常勤講師の伊藤怜先生に、「古代異教美術から初期キリスト教美術へ 」と題し、ローマのサンタ・コスタンツァ聖堂に焦点を絞って詳しくお話しいただいた。(35名参加)。

313年のミラノ勅令によるキリスト教公認後、ローマでは聖堂建造ブームが起こる。ローマでは、城壁内に、司教座聖堂や宮廷礼拝堂、26の教区聖堂(ティトゥルスと呼ばれ、住民居住地区に配され、司祭により管理される。)が建造された。また城壁内には埋葬してはいけないことから、城壁外に市内から放射状に延びる街道沿いに、殉教者記念聖堂群(マルティリウム)が建造された。

その1つであるコンスタンティナ廟堂(現在のサンタ・コスタンツァ聖堂。聖女アグネスの墓地であるバシリカ・アグネティスに付属。)は、350−375年頃、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世の娘コンスタンティナとその妹ヘレナの廟堂として建てられたもので、聖堂建造ブームで建てられた建築物の中でも最初期のものである。創建時にさかのぼる建造物全体が残っており、また内部には、古代異教的・キリスト教的モザイクが残っていて、当時の装飾を伝える貴重な聖堂である。建物は直径約30mの円形堂で、2基12組の環状円柱列と、さらに中央円蓋をヴォールト天井の周歩廊が囲む。周歩廊側壁面に方形と半円の計11の壁龕、北西と南東に小アプシスが設けられている。

まず周歩廊ヴォールト天井の装飾モティーフのモザイクはポンペイやスプリットなどの床モザイクと共通するものがあり、十字が描かれてはいるが十字架ではなく単なる十字であるとみなされている。円蓋のモザイクは1620年に枢機卿ファブリッツィオ・ヴェラッリによってあまりに異教的過ぎるとして取り除かれてしまったが、フランシスコ・デ・オランダの水彩模写によって新約・旧約聖書場面が描かれていたことが確認でき、水及びその転移である火によって人類が救済されるというイメージから魚や水、火が多く描かれている。

「トラディティオ・レギス(パキス)」ローマ、サンタ・コスタンツァ聖堂 350−375年頃(講師撮影)


北西小アプシスは「トラディティオ・クラヴィウム(鍵の授与)」とされ、キリストが使徒ペテロに鍵を授ける図像であるとされる。南東小アプシスは「トラディティオ・パキス(平和の授与)」あるいは「トラディティオ・レギス(法の授与)」すなわちキリストがペテロに法を授け、パウロが賞賛する図像であるとされる。これら2つのモザイクは、初期キリスト教の教義、皇帝・皇族の要素によりいろいろな解釈がなされている。

サンタ・コスタンツァ聖堂は、9世紀半頃には、古代異教的図像によって酒神バッカスの神殿とみなされたこともあったが、現在では古代異教的美術から移行しつつある初期キリスト教美術の代表作として知られている。

マグナ・グラエキアの美術から、ローマ美術、初期キリスト教美術まで、様々な作品から古代のイタリアを読み解き、作品に織り込まれた、歴史、文学、宗教、社会などの要素も交えながら、美術が伝える芳醇な古代世界をわかりやすく伝えていただいてきた今年の連続文化セミナーも今回最終回を迎えた。5人の講師、本連続セミナーの企画のご指導をいただいた藤沢房俊先生とコーディネートをお引き受けいただいた福山佑子先生、そして最新の豊富な研究成果に基づいてお話いただいた5人の講師の先生方に改めて感謝申し上げます。また毎回熱心にご参加いただいた聴講生の方々に感謝申し上げます。(山田記)

<講師プロフィール>
 伊藤 怜(いとう れい)
東京造形大学非常勤講師。早稲田大学文学研究科美術史専攻博士課程修了。イタリア政府給費留学生として、ローマ大学ラ・サピエンツァに留学。専門は中世イタリア美術史。共著に『教皇庁と美術』(竹林舎)、『聖堂の小宇宙』(竹林舎)がある。

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2018年連続文化セミナー  「イタリアの古代美術」
第4回 「ピアッツァ・アルメリーナのヴィッラの舗床モザイク ― 図像、表現、役割に着目して―」―ご報告

シリーズ第4回は、7月13日(金)に、千葉商科大学非常勤講師の坂田道生先生に、「ピアッツァ・アルメリーナのヴィッラの舗床モザイク ― 図像、表現、役割に着目して―」と題し、ピアッツァ・アルメリーナのヴィッラに残されるモザイク画ついて詳しくお話しいただいた。(35名参加)

シチリア島のほぼ中央部に位置するピアッツァ・アルメリーナという小さな町の近郊には、大規模なヴィッラの遺構が残されている。広大な遺跡の中でも床面を飾る舗床モザイクがよく知られており、ビキニを身に着けた女性が踊る《ビキニ・ガールズ》や狩猟に関係する場面を描いた《大狩猟図》など色鮮やかなモザイク画が残されている。なぜこのような僻地に位置していて、豪華な装飾が施されているヴィラが建設されたのか。

所有者に関しては、皇帝所有説(マクシミアヌス帝やマクセンティウス帝)、貴族所有説(プロクルス・ポプロニウス・4世紀の富裕な貴族・シチリアの初代州知事)があるが、決め手となる決定的な手がかりはなく、いまだに論議は決着していない。
1950年代にヴィッラから6キロの位置にあるソフィアーナと呼ばれる町の跡が発見された。2011年ボウズによって踏査による広範囲な発掘調査が行われた。この町は、後1世紀ころから集落が出来始め、後4世紀から6世紀頃にかけて最盛期を迎えた。長い間、この町はヴィッラで働く人々のために建設されたと考えられてきたが、むしろ逆にこのヴィッラがソフィアーナの町の近くに建設されたとボウズは推定した。後4世紀から5世紀にかけてシチリア島内陸部が繁栄した。この時期エジプトの穀物がコンスタンティノープルへと振り分けられ、北アフリカは異民族に占領されてしまったため、シチリアはローマと帝国西側のための食料庫となった。3世紀ころから土地所有が広がると土地の所有者である人物は所有地に豪華な邸宅を構えてそこに住み、労働者達は近くに作られた町に定住させられた。

古代ローマのヴィッラは近くの農園と関係する経済的な役割があっただけではなく、ヴィッラを訪れたゲストをもてなすことも重要な役割であり、読書、狩猟、乗馬などさまざまな娯楽の中で最も重要であったのは饗宴であったとされる。古代ローマにおける饗宴のスタイルは、2つに大別される。①Triclinium3つの寝椅子を配して行われる。②Stibadium半円形の寝椅子を用いて行われる。

ピアッツァ・アルメリーナのヴィッラに残される多様な主題のモザイク画のいくつかを取り上げ、それぞれの部屋の役割を見る。まず正面の3つのアーチを備えた門(これも遺構から復元した物を見ると立派なカラフルな門)から入って玄関部分の床のモザイク、さらに中庭とそれを取り巻く回廊の舗床モザイク、その先の70mの長い廊下の「大狩猟図」など見ごたえのあるモザイクが続く。

饗宴に用いられた部屋を見ると、まずTricliniumとして使用された部屋は、「小狩猟図」(縦7.05m、横5.9mで、12の狩猟に関係する場面が表現されている。この部屋を囲む列柱の柱頭はイオニア式であり、3世紀終わり頃あるいは4世紀初めにかけて製作されたものとされる。中央のスペースは狭く、主人と最重要の客とが話をしやすいような配置で使用したものと思われる。

《ビキニ・ガールズ》 ピアッツァ・アルメリーナのヴィッラ 後4世紀頃

一方Stibadiumとして使用された部屋は、広いスペースを中央に持ち、音楽やダンスが供された、よりリラックスした雰囲気のものであったと推測される。3つのアプシス部分には、北にヘラクレス、東にヘラクレスに矢で射られた怪物、南にデュクレゴスとアンブロシアの神話場面が表現され、中央には12の功業においてヘラクレスが倒した敵が表現されている。

その他控えの間と思われる部屋には有名なビキニ・ガールズの図(ダンベルのような物を持っての走り幅跳び、中央はボール投げではなく円盤投げ、右の2人は競走、左端の削れている部分は槍投げと推測される。下段は表彰式の様子か)。プライベートなスペースの寝室とその前室にも個性的なモザイクが見られる(詳細は省略)。モザイク画について一つ一つ詳しく見ていくだけではなく、モザイク画が描かれていた部屋で古代ローマ人がどのような生活を送っていたかについても鮮やかに描き出していただいてとても楽しいひと時でした。(山田記)

<講師プロフィール>
 坂田 道生(さかた みちお)
千葉商科大学非常勤講師。国際基督教大学教養学部人文科学科卒業、(オランダ)ライデン大学考古学部古典考古学科修士課程修了(M.A.)、筑波大学大学院人間総合科学研究科芸術専攻博士課程修了。博士(芸術学)。専門は古代ローマ帝政期の美術作品、現在はマルクス・アウレリウスの記念柱とトイトブルグの森の戦いについて調査中。

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2018年連続文化セミナー 「イタリアの古代美術」
第3回 ローマ皇帝の饗宴とギリシア神話 ― ティベリウス帝とスペルロンガの洞窟彫刻 ―ご報告

《ポリュフェモスの目潰し》の群像
スペルロンガ出土

シリーズ第3回は、6月22日(金)に、筑波大学・日本学術振興会特別研究員PDの 瀧本 みわ 先生に、「ローマ皇帝の饗宴とギリシア神話 ― ティベリウス帝とスペルロンガの洞窟彫刻 ―」と題し、スペルロンガの海浜別荘に焦点を絞って詳しくお話しいただいた。(25名参加)。

ローマとナポリの中間に位置する海岸沿いの景勝地スペルロンガには、ティベリウス帝が所有していたといわれる海浜別荘がある。海浜別荘とは、海辺の美しい自然に囲まれて、快適で贅沢な余暇を過ごす別荘である。このようなヴィラには、海に面して眺めの良い列柱廊やテラスが設けられた。ローマ人の饗宴(晩餐会)は、ヴィラのトリクリニウム(饗宴のための空間)で行われた。基本的には、中央のテーブルを囲んで、9人の客が寝椅子に横になって食事をとった。

このスペルロンガの海浜別荘には、洞窟を利用した夏用の屋外トリクリニウムが設けられており、≪オデュッセウスによる一つ目巨人ポリュフェモスの目潰し≫や≪オデュッセウスの船を襲う海の怪物スキュラ≫が登場するオデュッセウスの船旅冒険譚を中心とした神話場面が、大理石の彫像群によって表現されている。講義では、このトリクリニウムの洞窟、海、彫刻グループによる三次元の空間演出について詳しく考察された。またティベリウスは占星術に没頭していたので、このスペルロンガの彫刻グループと黄道十二宮との関連性が論じられた。

本講義では、配された彫像の様式や制作年代にまつわる美術史学的問題をはじめ、地中海の洞穴を舞台とした文学的神話地誌の三次元的空間への再現、オデュッセウス神話を追体験するローマ建国の祖アイネイアスへの当時のローマの教養人たちの共感、そしてロドス島やカプリ島で長い隠遁生活を送った皇帝ティベリウス帝の演出意図など、趣向を凝らしたスペクタクル空間がいかに創造されたのか、近年の研究動向を踏まえながら検証された。これまで一般的にはあまり注目されてこなかったスペルロンガの洞窟彫刻に新たな光を投じた興味深い講義であった。(山田記)

<講師プロフィール>
 瀧本 みわ(たきもと みわ)
筑波大学・日本学術振興会特別研究員PD。パリ・ソルボンヌ大学大学院博士課程修了。博士(美術史)。専門は、古代ローマ美術史。特に、北アフリカを中心とした古代末期・初期キリスト教美術。

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「カルチョのイタリア語 - L’italiano nel calcio 」セミナーのご報告

FIFAワールドカップが開幕し、毎日熱戦が繰り広げられていますが、日伊協会でも、開幕前夜の6月15日(金)18:30-20:00、「カルチョのイタリア語 - L’italiano nel calcio」セミナーを開催いたしました(参加者30名)。

講師は、日伊協会会報誌『クロナカ』にイタリアに関するスポーツ記事を連載中のスポーツライター佐藤徳和さんです。 佐藤さんは、イタリア留学中に、現地のチームでのプレイも経験し、帰国後は、FC東京でイタリア人臨時GKコーチの通訳を務めたサッカー通であるとともに、イタリア語にも精通。伊和・和伊辞典や文法書の編集、構成、執筆に携わり、昨秋、『使えるイタリア語単語3700』(ベレ出版)を共同執筆されました。

セミナーでは、イタリア語とサッカー、両方の知識を持ち合わせている佐藤さんならではの興味深いお話が伺えました。

例えば、イタリアのスポーツ新聞等でよく見かけるフレーズgol sotto il sette は、ゴールポストとクロスバーが交差する間にきれいにゴールが決まることを意味しますが、イタリア人には、この交差しているところが数字の7(sette)に見えるとか。

また、albero di Natale と言えば、クリスマスツリーのことですが、サッカーではフォーメーションのことを意味するそうです。言われてみれば緑の芝上に選手が並ぶ様はクリスマスツリーに見えなくはないですね。イタリア人のユニークな発想がこんなところにも垣間見られます。

その他、イタリア代表の愛称Azzurri(サッカー以外の競技にも使われます)がサヴォイア家の紋章に由来していること、各クラブの名称の男性・女性名詞の区別の仕方など面白いトリビアをたくさん披露していただきました。

セミナーは、Azzurriの輝かしい過去の試合のダイジェストを鑑賞して無事終了しました。

イタリアにはサッカー以外にも、バレーボール、バスケットボール、水球、フェンシング等々、世界的に強くて人気のあるスポーツがたくさんあります。今回のサッカー・ワールドカップは惜しくも出場を逃してしまいましたが、来年、日本で開催されるラグビー・ワールドカップの代表国に選ばれていますし、再来年の東京オリンピックでは、様々な競技でAzzurriの活躍を目にすることでしょう。

イタリア語ができれば、来日するAzzurriと交流する機会も増えるはず!佐藤さんの近著『使えるイタリア語単語3700(CD付)』では、サッカーをはじめとするスポーツ観戦はもちろん、様々なシーン・テーマ別の単語を用例や関連語とともに掲載し、実用イタリア語検定にも5級から準2級まで対応しています。日伊協会でも販売しておりますので、ぜひお手にとってみてください。

最後になりましたが、ご参加いただいた受講生のみなさま、講師の佐藤さん、どうもありがとうございました!

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イタリア映画セミナー「シチリアとイタリア映画の巨匠たち ― マルコ・ベロッキオ『結婚演出家』を楽しむために ―」の報告 の報告

2013年から続くイタリア映画の特集上映「Viva! イタリア」の第4弾がいよいよ6月23日よりヒューマントラストシネマ有楽町にて始まります。今年も日本未公開作品やイタリア映画祭で上映された人気作品3本を上映しますが、今回の注目は、巨匠マルコ・ベロッキオ監督の傑作『結婚演出家』です。

日伊協会では、この『結婚演出家』を楽しむためのセミナーを6月8日(金)に開催いたしました。講師は、イタリア映画を語ると止まらない、マシンガントークでお馴染みの日伊協会主任講師の押場靖志先生。参加者の皆さんはアペリティーボ片手に、時に笑いながら熱心に耳を傾けていました。

セミナーでは、ルキノ・ヴィスコンティ、ピエトロ・ジェルミ、タヴィアーニ兄弟など、ベロッキオ同様、この映画の撮影地シチリアに魅了された巨匠たちの作品の紹介から始まり、ベロッキオのフィルモグラフィー、そして、本題の『結婚演出家』の楽しみ方へと、息つく暇もなく話が進んでいきました。

『結婚演出家』は、随所に謎めいた映像が挿入され、ストーリーも単純ではありませんが、それゆえ、見ごたえのある作品となっています。冒頭の結婚式のシーンに秘められた宗教的背景、マンゾーニの『いいなづけ』との関連性、舞台がシチリアである必然性などなど、押場先生の名解説によって、ネタ晴らしにならない程度の映画の謎解きが続きました。

今回のセミナーを聞いた後で見る映画は、一味も二味も違ったものとなるはずです。

尚、セミナー内容の詳細は、押場先生のブログに掲載されていますので、ぜひご一読ください。

また、『結婚演出家』の日本語字幕は、日伊協会イタリア語翻訳講座でお馴染みの関口英子先生が担当されています。

今回の「Viva! イタリア」では、『結婚演出家』に加え、『いつだってやめられる 7人の危ない教授たち』、『あのバスを止めろ』の2本が上映されます。

上映の詳細につきましては、配給会社パンドラのHP及びヒューマントラストシネマ有楽町のHPをご参照ください。

みなさん、ぜひ劇場に足を運んで、イタリア映画の醍醐味を味わってください!

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第69回談話会『日本企業アルカンターラ社が なぜイタリアNO.1企業になりえたのか』ご報告

6月2日(土)、第69回談話会が三笠会館で開催され、元アルカンターラ副社長小林元氏を講師にお迎えして『日本企業アルカンターラ社がなぜイタリアNO.1企業になりえたのか―日本の技術とイタリアの感性マーケティングの結婚―』についてお話を伺いました(参加者50名)。

食事の後、まずは当協会会長島田精一より、講師との仕事上の経験と経緯を踏まえて、本ケースが日本企業の技術とイタリア企業のマーケティングが融合し、ジョイントベンチャーとしては、稀有の大成功事例であるとの話を踏まえて、講師紹介されました。

1970年初めに東レは極細マイクロファイバーを使った人工スエード「エクセーヌ」を開発しました。この「エクセーヌ」をイタリアで生産され、ヨーロッパ市場に販売することになり、1974年イタリアとの合弁会社「アルカンターラ」が設立されます。その当時のイタリアはゼネストが多発し、経済が大変な状況での進出は、東レとしては大英断だったのです。

そこで出されたイタリア側提案のマーケティング戦略は驚きの連続でした。「エクセーヌ」の強みを機能性だけではなく、どんな色も出せてユニークなライフスタイルを提案できるところだと考え、顧客の層をアッパー(upper)とアッパーミドル(upper middle)に限定し、「アルカンターラ」として日本での倍の価格で売り出しました。

その用途は当初の衣料分野だけにとどまらず、家具、車の内装、IT機器のカバーと次々に拡大されていきました。彼らは日本人の発明した商品を単なる機能ではなく、その商品が実現する豊かなライフスタイルを訴求することで、よりその付加価値を作りだし受け入れられていったのです。

なぜそのような高価なものをイタリア人は買うのでしょうか・・それの答えは北イタリア人のライフスタイルの中にあると小林氏は言います。

イタリア人は確固たる人生観を持ち、その上に「仕事(laboro)」と何よりも「自由時間(tempo libero)」を大切なものとして位置付けています。それに対して日本人はテストでいい点数を取り、良い会社に入ればいい人生が送れるといった、さほどはっきりした人生観を持たず、「仕事」の残り時間に余りの暇として「余暇」があります。

日本人が就社するのに対して、イタリア人は自分のやりたい仕事として、文字通り就職するのです。日本人が個の次に大事なものが会社であるのに、イタリア人は個の次は仲間(Amici)があります。

そして常に他人を自分にとって大事な仲間になりうるかどうかを、上品な身なり、上品な身のこなし、教養ある話し方から判断しています。アッパーとアッパーミドルと呼ばれる階級では、不適切と判断されれば即解雇されることもあります。その為に語学やマーケティングの研鑽は欠かせません。もし万が一の時にもいい仲間を沢山持っていることが必要となります。より自分にふさわしい仲間を作るため、自分を表現して相手を魅了する方法のひとつとして、「アルカンターラ」がその役割を担ったのです。

長年の経験に基づくお話を伺い、ワーカホリックな日本人のライフスタイルとの違い、イタリアがファッションやインテリアで輝いている所以を垣間見ることができました。小林様、ご講演ありがとうございました。

講師プロフィール
小林元 こばやし はじめ (小林国際事務所代表)
東レ株式会社入社後、約40 年間にわたってヨーロッパ、アフリカ、中南米など一貫して海外事業に携わる。2004 年にはイタリア文化会館から「マルコポーロ賞」、06 年にはイタリア政府から「コメンダトーレ(連帯の星騎士勲章)」を授与された。明治大学特別招聘教授、文京学院大学客員教授、東レ経営研究所特別研究員、日伊協会理事を経て現職

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2018年イタリア連続文化セミナー イタリアの古代美術
第2回 アカンサス装飾とローマ美術(ご報告)

シリーズ第2回は、5月23日(水)に、城西大学教授の篠塚千恵子先生に、「アカンサス装飾とローマ美術」と題し、アカンサス装飾に焦点を絞って詳しくお話しいただいた。(30名参加)。

アカンサスは、パルメットとともに古代世界において最も重要な装飾モティーフといえる。パルメットは、メソポタミアのしゅろ(なつめやし)の葉をかたどった文様である。

アカンサスは、「ディオスコリデスの薬物誌」においては、薬として紹介されている。装飾としては、パルメットの自然な模様を作るため蔓の生え際にギザギザを表す形で現れる。

コリントス式柱頭の考案の起源について語るウィトルウィウスの逸話が有名である。コリントゥスの市民である少女が婚期に達しながら病にかかって死んでしまった。乳母は、少女が生前心傾けていたものを集めて篭に詰め、墓に持って行ってその頂に置き、瓦で覆った。この篭は偶然アカントゥスの根の上に置かれた。そのうちアカントゥスは、春の季節のころまん中から葉と茎を伸ばし、この茎は篭の脇に沿って成長し、瓦の角で重みのために押し下げられ、四隅に渦巻き形の曲線を作らざるをえなかった。ちょうどそのころこの墓碑の辺りを通っていた大理石細工職人のカッリマクスがこの篭とそれを包んで生い茂る葉の柔らかさに気が付きその様子と形の新しさが気に入り、これを手本として柱を作って、そのシュムメトリア(比例)を定めた。ギリシア起源のこのモティーフは、ローマ美術において圧倒的な存在感を持った。

ローマ、アラ・パキス 西面装飾細部


未開墾の地に生命力旺盛に繁茂するこの植物は、ローマ世界独自の象徴性を担い、アウグストゥス帝へ捧げられた「アラ・パキス(平和の祭壇)」では端正な古典的アカンサスつる草がローマ的世界観を表出している一方で、住居壁画などでは、アカンサスつる草はさまざま仮想的造形を取り込んで、いわゆる「グロテスク」装飾を豊かに創造する。

「グロテスク」の語源は、洞窟を意味するイタリア語grottaから由来し、ここで洞窟というのは、西暦64年のローマの大火の後にネロが建設を開始した「ドムス・アウレア」を指す。そのほかファルネジーナ荘やトラヤヌス広場のフリーズ装飾などに見られる。ウィトルウィウスの『建築書』にはいわゆる「グロテスク」装飾を「怪奇なものが壁画に描かれる。現に存在するものでもなく、存在しうるものでもなく、かつて存在したものでもなかった。」と表現している。

その後この植物装飾は中世へと引き継がれ、初期ビザンチン時代には構造体は解体され、本来の形態と象徴性は忘却され、意味が分からなくなりながらも、あらゆる美術に遍在することなる。時に「古代再生」を目指す美術では、比類ない「古代」の装飾としてあざやかに復活する。

装飾は普段はあまり注目をひかない存在でありながら、今回の講座ではその歴史的変遷を多数の画像を見ながら解説していただいたので、装飾が時代を決める非常に重要なものであることが認識できた貴重な経験であった。(山田記)

ローマ、サン・クレメンテ教会
アプシス


<講師プロフィール>
 奈良澤 由美(ならさわ ゆみ)
城西大学教授。東京大学文学部美術史学科修士課程修了後、フランス国エクス=マルセイユ大学にて博士号を取得。専門はフランス・地中海の古代末期~初期中世の考古学・美術史。単著: Les autels chrétiens du Sud de la Gaule : 5e – 12e siècles(Brepols Publisher、辻荘一三浦アンナ賞、地中海学会ヘレンド賞、日本学士院賞)。

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2018年連続文化セミナーイタリアの古代美術―スタート

古代地中海世界で栄華を誇ったイタリアには、その繁栄と交流を物語る多くの美術作品が残されている。本年度の連続文化セミナーでは、マグナ・グラエキアの美術から、ローマ美術、初期キリスト教美術まで、様々な作品を取り上げ、作品に織り込まれた、歴史、文学、宗教、社会などの要素も交えながら、美術が伝える芳醇な古代イタリア世界をわかりやすくお伝えしたいと考えている。

藤澤房俊先生のご指導の下、福山佑子先生(日本学術振興会特別研究員PD)により企画、コーディネートされ、古代イタリアの美術を大きく俯瞰する興味深い連続セミナーがスタートできたことに感謝申し上げたい。

第1回 ローマ以前の古代イタリアに展開したギリシャ美術―パエストゥムを中心に―(ご報告)

シリーズ第1回は、4月20日(金)に、元武蔵野美術大学教授(この3月末に退官されたばかり)の篠塚千恵子先生に、前半で古代イタリアの地に展開したギリシャ人の足跡をたどり、後半にはパエストゥムの遺跡に焦点を絞って詳しくお話しいただいた。それに先立ち冒頭福山先生から今回のセミナーの総論として全5回を概観してご紹介していただいた。(35名参加)。

本講義の前半では、ローマ以前の古代イタリアの住民たちの動向を把握しながら、マグナ・グラエキア美術の特徴を概観した。ローマに統一される前の古代イタリアにはさまざまな住民が活動していた。中部イタリアのエトルリア人と並んで、先進的な文化によって際立っていたのが、南イタリアとシチリア島に早くから多くの都市を建設していたギリシャ人である。

一方フェニキア人はカルタゴを中心に西地中海方面に勢力を拡大していた。ギリシャ人は最初ギリシャに近いシーバリ(シュバリス)、クロトーネ(クロトン)、ターラント(タラス)、ロークリ(ロクロイ・エピゼビュリオイ)、メタポント(メタポンティオン)などのイオニア海側に植民都市を建設していたが、鉱物資源を目的にエトルリア人と交易することを欲し、次第にナポリ(ネアポリス)やパエストゥム(ポセイドニア)、イスキア島などティレニア海側に進出した(かっこ内は古名)。キケロは、「マグナ・グラエキア(大いなるギリシア)と呼ばれる強大な、かつ、偉大な複数の都市がイタリアで繁栄した。」と述べている。彼らがこの地にもたらしたギリシャ美術は周辺の住民に大きな影響を与えたが、ギリシャ人もまた異文化に触れて自身の文化を変容させ、本土ギリシャのそれとはいくぶん異なる性格をもった美術―マグナ・グラエキア美術―を花開かせた。

ピタゴラスはサモス島の出身で、クロトンに移り、そこを追放された後メタポンティオンで死んだと伝えられているが、そのメタポンティオンには立派なヘラ神殿の遺跡がある。ロクロイに残された絵にみられるのはペルセポネ(冥界の女王)で、半身のみが誕生しつつあるように描かれているのは、後にボティチェリがヴィーナスの誕生を全身描いているのと比較すると興味深い。イスキアでは、ラッコアメーノのアクロポリスの跡が残っており、考古学博物館に収蔵されているカップにはアルファベットの文字が見られ、ホメロスの詩を引用している。これは文明史上非常に貴重なものである。

後半では、保存の良い神殿遺構と発掘遺品に富むパエストゥム(ギリシャ名ポセイドニア)に焦点を当てて、周辺居住民であるルカニア人との交流の跡を示す美術作品などをスライドにより鑑賞、考察した。

パエストゥム、バジリカとヘラ神殿

パエストゥムは、前7世紀後半からシュバリス人によって都市建設が始まり、前575~550年ころ第1ヘラ神殿が建造、前510年ころアテナ神殿が建造された。前510年ころシュバリスは、クロトンによって崩壊。前460年ころ第2ヘラ神殿が建造された。前5世紀末頃ルカニア人によって征服された。ルカニア人は壁画装飾のある墓を残している。最も興味深いのは、「飛び込む人の墓」である。

類似のものとして、エトルリアの「漁労と狩猟の墓」、またギリシャの太陽神、曙の女神、天体(星々)の動きの中にみられる絵がある。この絵の解釈はむつかしいが、一説に「あの世への飛び込み」ではないかといわれている。長辺約2.3m、短辺約1.0m、深さ約0.8mの箱形の棺である。徳島にある大塚国際美術館のレプリカによって棺と装飾画の立体像が見られる。

ゲーテの「イタリア紀行」、和辻哲郎の「イタリア古寺巡礼」、G.R.ホッケの「マグナ・グラエキア」、またアンデルセン作森鴎外訳「即興詩人」など多くの文学作品に取り上げられているのを読んでパエストゥムを楽しむもよし、また是非現地を訪れて神殿を見、絵画の宝庫であるMuseoを楽しみ、ついでに付属のRistoranteで現地の特産であるモッツァレラチーズを賞味するのも先生のお勧めである。(山田記)

<講師プロフィール>
 篠塚 千惠子(しのづか ちえこ) 元武蔵野美術大学教授。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。博士(文学)。専門は古代ギリシャ美術史。著書に『死者を記念する—古代ギリシャの墓辺図研究』(中央公論美術出版)、『アフロディテの指先』(国書刊行会)など。 訳書にエリー・フォール『美術史1古代美術』(国書刊行会)、スーザン・ウッドフォード『古代美術とトロイア戦争物語』(ミュージアム図書、共訳)など。

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イタリア語による特別セミナー『古代遺跡パエストゥム ―ギリシャ・ローマの足跡を訪ねて― 』ご報告

去る2月17日(土)16:30~19:00、青山教室 石川記念ルーム(201号室)において、イタリア語による特別セミナー『古代遺跡パエストゥム ―ギリシャ・ローマの足跡を訪ねて― 』(日伊協会プロ養成コース同時通訳クラスの受講生による《伊⇔日》同時通訳付)を開催いたしました。

毎回ご好評を頂いておりますこのセミナーも今回で10回目を迎えましたが、特に今回は、開催のかなり前から満席になるお申込みを頂き、皆さんの関心の高さが伺えました。

講師は、日伊協会でイタリア語総合コース、歴史のクラスを担当しているFabiana TORRE先生。今回のテーマであるパエストゥムのすぐ近く、南イタリアのサレルノ出身、大学で考古学・文化財を専攻されていたFabiana先生ならではの大変興味深いお話を伺うことができました。以下にセミナーの内容を簡単にご紹介させていただきます。

パエストゥム アテナ神殿


パエストゥム(Paestumイタリア語読みはペストゥム)は、カンパーニア州ナポリの南に位置する古代ギリシャの遺跡群で、ユネスコ世界遺産にも登録されています。なぜ南イタリアに古代ギリシャの遺跡が残っているのでしょう? 

紀元前8世紀頃より、ギリシャ本土が手狭となった古代ギリシャ人は、地中海各地に植民地を広げていきます。ギリシャ人が多く移り住んだ南イタリアは「マグナ・グラエキア(大ギリシャ)」と呼ばれ、その1つであるパエストゥムも紀元前600年頃、交易拠点として築かれました。当時はギリシャ名で海神ポセイドンにちなんでポセイドニアと呼ばれ、現在でも、当時建設された3つものドーリア式神殿を見ることができます。

古代ギリシャの神殿群で、これほどまでの規模のものが現存している場所は他にないといっても過言ではないでしょう。その後、紀元前273年頃にはローマ人に支配され、ローマの都市パエストゥムとなります。この時代に、円形闘技場、フォロ(広場)など公共施設が作られ、引き続き商業中継地として栄えるも、洪水による湿地化やマラリア、サラセン人からの侵略などで荒廃していきます。

パエストゥム 飛び込み男の墓


その後、パエストゥムの遺跡が再発見されたのは、18世紀後半です。たちまちヨーロッパ人のグラント・ツアーの人気目的地の一つになり、ドイツの文豪ゲーテや哲学者ニーチェも足を運びました。20世紀になってからネクロ―ポリ(墓地)の発掘が行われ、フレスコ壁画のある墓用の石版などが数多く出土し、遺跡の横にある国立考古学博物館に保管されています。

その中で最も有名なものが、「飛び込み男の墓」と呼ばれる墓用の石棺に描かれたフレスコ壁画です。古代ギリシャ文明を今に伝える非常に貴重なものですが、絵画が意味するものは現在でもはっきりとは解明されておらず、一説には、死後の世界・来世に飛び込む姿を象徴している、と言われています。

パエストゥムは、イタリア国内でも、また日本を含めた海外でもまださほど知名度が高くありません。世界遺産であるにもかかわらず、観光客もそれほど多くありませんので、のどかな牧歌的風景の中でゆったりと鑑賞できます。皆さんも、南イタリアを訪れる際には、ぜひ立ち寄られてみてはいかがでしょうか。

尚、Fabiana先生は4月からの春期講座で下記のイタリアの歴史に関するテーマ別講座を担当します。体験レッスンもございますので、ご興味のある方はぜひ事務局までお問い合わせください。

・【中級】歴史で学ぶイタリア語 春期講座(2018年)

・体験レッスン:3月28日(水) 15:40-17:00

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第27回目イタリア語スピーチコンテスト 優勝者スピーチ原稿

優勝者皆川 海樹(MINAGAWA Mitsuki)さんのスピーチ原稿、
演題「ナポリ、日常の中の音楽とドラマ(Il napoletano, musica e spettacoli quotidiani)」をご紹介致します。

Buongiorno a tutti, signore e signori. Mi Chiamo Mitsuki Minagawa e sono un musicista.Per diversi anni ho studiato canto lirico presso il conservatorio Kunitachi e poco dopo il conseguimento della laurea, ho deciso di partire per Napoli. Perché scelsi dal Giappone di recarmi proprio a Napoli? La risposta è molto semplice: io, così come molti altri studenti di canto lirico, mi considero un grande ammiratore di Enrico Caruso. Nacque e morì a Napoli, cantava spesso in dialetto napoletano e per quanto riguarda l’opera lirica, è di solito considerato come uno dei migliori cantanti e tenori di sempre. La passione per quest’artista fece nascere in me la voglia di comprendere meglio l’origine, i suoni e le caratteristiche del dialetto napoletano.Non si può ignorare il fatto che questo grande cantante storico sia napoletano.

Così come non bisogna dimenticare che Napoli è, non a caso, la città in cui nacquero alcune delle canzoni più
amate a livello mondiale, come ad esempio “’O sole mio” o “Funiculì Funiculà”.Questo potrebbe significare che il popolo napoletano possiede per natura un istinto musicale molto sviluppato, sia per quanto riguarda le qualità vocali che le capacità interpretative.

Ricordo ancora perfettamente il giorno in cui arrivai a Capodichino, l’aeroporto di Napoli. La prima cosa che pensai fu: “ma perché qui urlano tutti?”Gli argomenti principali di conversazione erano la pizza, le uscite del sabato sera, le partite di calcio del Napoli, le belle ragazze, e le canzoni neomelodiche… nulla di problematico insomma!Ammetto che rimasi impressionato, osservando con quanta passionalità la gente parlasse anche delle cose più banali.

Ma dopo un po’ di tempo giunsi alla mia conslusione: i napoletani semplicemente sono fatti così! Sono affettuosi, generosi, passionali… e come direbbero loro “carnali” ovvero “di cuore”. Provando
tante emozioni, tendono a liberarle attraverso la voce e attraverso il loro continuo gesticolare. Trovo che sia proprio questa la peculiarità naturale che lega così naturalmente i napoletani alla musica. La voce nasce dall’emotività. Il diaframma si attiva, il palato si alza e tutto il meccanismo da voce all’umanità che abbiamo e che i napoletani hanno dentro.

Avendo vissuto lì per circa un anno, ho avuto modo anche di capire alcune cose riguardo costumi e abitudini quotidiane, e posso assicurare che anche quest’aspetto gioca la sua parte in questo discorso. Nel quartiere popolare in cui vivevo io, ad esempio, le persone hanno l’abitudine di parlare, o per meglio dire di urlare dai balconi di casa. Questo ovviamente comporta l’uso costante di un tono di voce alto e di gesti facilmente riconoscibili anche da lontano.La sensazione era quella di assistere ad uno spettacolo teatrale!

A Napoli nella quotidianità è costantemente presente la teatralità, una teatralità che i napoletani hanno nel DNA.Poi, il napoletano ha l’intonazione molto fluida ed è ricco di espressioni idiomatiche e di intercalari.In Napoletano ad esempio, è possibile esprimere una certa sensazione mediate il solo uso di una vocale. “Eh!” ad esempio equivale a “Sì!”. “Oh!” indica una sorta di minaccia o di aggressione. “Uhh” lo stupore e “Oi!?” “Oi lloco, oi!” equivale a dire “Vedi? Era come dicevo io!” Questi elementi della lingua facilitano l’espressione dell’interiorità e la comunicazione.Dubito che le mie affermazioni possano avere qualche valore scientifico, ma ritengo che sia piuttosto importante trovare un significato da dare a ciò cui ci dedichiamo.

Sono qui oggi a raccontarvi di musica e di viaggi napoletani perché entrambe rappresentano per me una fonte di gioia e sono due componenti essenziali della mia vita dalle quali non posso separarvi.Spero di cuore di avervi trasmesso la mia passione e grazie mille per l’attenzione che mi avete dedicato. Vi ringrazio.

こんにちは皆さん。僕は皆川海樹といい、音楽家をやっています。国立音楽大学にて数年声楽を学び、卒業後ナポリへと旅立つ決心をしました。なぜ日本からナポリなのかって?理由はとても簡単です。他の多くの声楽の学生と同じように、僕はエンリコ・カルーソーの大ファンだからです。生没共にナポリ、しばしばナポリ語で作曲された歌を歌い、ことオペラに関しては、歴史上で最も偉大な歌手・テナーとしての地位を確立しました。彼への情熱が、ナポリ語の起源・発音・特徴をより深く理解したいという欲求を与えてくれました。

この偉大な歴史的歌手がナポリ人であるという事実は、 ナポリが世界的に有名な、かの”’O sole mio”や”Fuiculì Funiculà”などの名曲を数多く生み出した街であることと同様に、無視し難い事実です。これは、母音の純度の高さ、そして演じる能力という二つの観点のどちらから見ても、ナポリの人々が生まれながらにして卓越した音楽的直感を備えていることを示唆しています。

ナポリのカポディキーノ空港に初めて着いた日のことをとてもよく覚えています。最初に思ったのは、「なぜここではみんな叫んでいるんだろう??」会話の主な内容は、ピザ、サッカーの試合、綺麗な女の子、そして流行りのネオメロディ音楽(主にナポリの若者達が聴く、ナポリ語で作曲されたポップ音楽)。要するに、てんで大したことはないのです。そんなごく普通のことをこと大げさに、そして情熱的に語る様を見ていて、少なからず驚いたことは否定しません。

しかし少し時間が経った頃、ある結論に至りました。これは単に生まれつきの彼らの気性なのだと!親切で、ふとっぱらで、情熱的。様々な感情を内に抱くゆえ、それらを声とジェスチャーを通して外へ発し続ける傾向があるのです。僕はこれこそがナポリ語の特性、ナポリの人々をかくも自然に音楽へと結びつけている要素であると思っています。感情から声が生まれ、横隔膜が動き、軟口蓋が持ち上がる…これら一連の動作が、私たち、そしてナポリ人の人間らしさを表現するメカニズムなのです。

ナポリに約一年住んでいる間、その土地の日々の慣習や風習についても多少学ぶことができました。ナポリのこの側面も、今触れた話題に大きな関わりがあります。例えば僕が住んでいた地区では、密集した建物が数多くあり、そのバルコニー越しに話す風習があります。あるいは叫びながら会話すると言う方が正しいかもしれません。これはもちろん大きな声で話し続けるための発声配置、そして遠くからでも容易に認識できる身振り手振りが日常的に求められている環境であることを意味しています。それはまるで、劇場のお芝居を観ているかのような感覚です。ナポリには、日常の中に常に劇場らしさが存在しているのです。

さらに、ナポリ語はとてもなめらかな抑揚を持つ原語で、熟語や挿入語などの表現が豊富です。例えば、一つの母音を用いるだけで様々なことを表現することができます。”Eh!” イタリア語でいう”Sì”と同意です。“Oh!””Ma che baje a truvann, oh!” 脅しや、攻撃のニュアンスがあります。”Uhhh”は驚きを表し、”Oi!” “Oi lloco, oi!” これは、「見たか?僕の言った通りだろう?」という意味です。これらの僕の主張に科学的な根拠や価値があるとは思いませんが、自分が取り組んでいることについて、各々が意味を与えることが大事だと思っています。

僕は今日ここで皆さんに音楽とナポリの旅についてお話し致しました。どちらも僕にとっては喜びの源であり、人生から切り離すことのできない二つの大事な要素だからです。少しでも皆さんに僕の情熱を伝えられたならば幸いです。ご静聴ありがとうございました。

イタリア留学&旅行セミナー 2017秋 無事に終了いたしました

イタリアより多数の語学学校が来日して開催いたしました、「イタリア留学フェア2017」を中心としたイベントはすべて盛会のうちに終了いたしました。

これからも、イタリア滞在を少しでも身近に感じていただき、実現していただけるようなイベントを企画して参ります。

また、日伊協会では、丁寧な留学相談や留学冊子「Il Milione」無料配布など、安心できる留学サポートを提供しております。お気軽にご相談下さい。(03-3402-1632)

イタリア留学フェア及び体験レッスン&セミナー『留学フェア』
2017年11月11日(土)~12日(日) 10:30~19:00

『イタリア語体験レッスン&ゼロからの語学留学セミナー』
2017年11月12日(日)

・体験レッスン:11:00~11:45

・ゼロからの語学留学セミナー:11:45~12:30

イタリア語学学校ローマ DILIT校『体験レッスン』
2017年11月10日(金)
講師 Giorgio Piva (ローマ ディリット校 校長)
1)『入門・初級』E1110-1 11:00~12:00
2)『中級・上級』E1110-2 12:30~13:30 

イタリア語学学校ヴェネツィア Istituto venezia校
『ヴェネツィアの“美味しい”歴史 LA “DELIZIOSA” STORIA DI VENEZIA』

11/15(水) 18:30~20:00
講師:Anna SANTINI(イスティトゥート ヴェネツィア校教務主任)
Elisa CARRER(イスティトゥート ヴェネツィア校講師)
通訳:鳴海 ちひろ

イタリア語学学校トリエステ Piccola Universita Italiana校
『トリエステ -クリスマスの風景と伝統食-』

11/29(水) 18:30~20:00
講師:Maria Cristina Sordilli(ピッコラ ウニヴェルシタ イタリアーナ校)

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第27回目イタリア語スピーチコンテスト開催


12月2日(土)13:00より、イタリア文化会館アニェッリホールにて、第27回目となるイタリア語スピーチコンテストが開催されました。12名の方が本選に出場し、スピーチを競いました。


また審査時間を利用して昨年に引き続きトーク・イベント「イタリア語よもやま話パート2」を開催し、イタリア語通訳の第一人者であり、日伊協会でプロ通訳養成講座をご担当のリッカルド・アマデイ先生と、協会イタリア語講座・講座主任の押場靖志先生のおふたりに、イタリア語の面白さについて語っていただきました。

(結果)
第1位:皆川 海樹 「ナポリ、日常の中の音楽とドラマ」
第2位:石井 友里香 「人生の道標」
第3位:山岡 亜希子 「働く母親の一人として思うこと」
イタリア文化会館賞:石井 友里香  「人生の道標」
朝日新聞社賞:福井 大智  「私がイタリア語を始めるきっかけとなった2つの出会い」
日伊協会賞:吉野 美恵  「それぞれの瞬間の輝き」
(敬称略)
以上の方々が入賞なさいました。

1位の皆川海樹さんのスピーチ「ナポリ、日常の中の音楽とドラマ」は、大学で声楽を専攻していた皆川さんがナポリに留学し生活した中で感じた、ナポリ人とナポリ方言のお話です。大きな声でジェスチャーを交えて話すナポリ人はまさしく舞台で歌う歌手そのもの。彼らのDNAには常に演劇性が息づいています。抑揚のあるナポリ方言は母音の変化だけでさまざまな感情を表すことができるというのです(優勝スピーチは後日HPにて紹介の予定です)。

なお、1位から3位の方には日伊協会より賞状、賞杯が贈られ、景品として1位の方には、アリタリア-イタリア航空より東京-ローマ往復航空券、Siena Dante Alighieri校よりイタリア語研修費、スルガ銀行賞として滞在費10万円、2位の方にはRoma Torre di Babele校よりイタリア語研修費。スルガ銀行賞として10万円の旅行券、3位の方には5万円の図書カードが贈られました。

また特別賞としてイタリア文化会館よりイタリア食品詰め合わせ、朝日新聞社より記念品、日伊協会よりイタリア語講座受講券がそれぞれ贈られました。入賞者の皆様おめでとうございました。

惜しくも入賞を逃した皆様、更に研鑽を重ねて、次の機会に頑張って下さい。(アルファベット順 敬称略)
福寿 和也  「留学生活を豊かにしてくれたイタリア語」
保坂 真名  「共生への道」
宮下 采子  「人生の決断」
大矢 かおり 「私とチンクエチェント」
櫻井 朋子  「冒険の旅に出よう!」
柴田 陽子  「世界遺産のコントラスト:軍艦島そして沖ノ島」
高尾 海人  「愛について」

ご協賛、ご後援を頂いた下記の皆さまに御礼申し上げます。
協賛:スルガ銀行、アリタリア-イタリア航空、
後援:イタリア大使館、朝日新聞社、NHK

また下記の審査委員の先生方にも重ねて御礼申し上げます。
審査委員長:長神悟(東京大学名誉教授)
白崎容子(元慶応義塾大学教授)
高田和文(静岡文化芸術大学名誉教授・理事)
Marisa di Russo(元東京外国語大学客員教授)
Silvio Vita(京都外国語大学教授)
Paolo Calvetti(イタリア文化会館館長)
質問者:竹内マテルダ(日伊協会イタリア語講師)
(敬称略)
主催:公益財団法人日伊協会、イタリア文化会館

2016-12-03-02

特別セミナー『日本はどう《読まれてきた》のか?― イタリアにおける 日本文学 ―』
               & イタリア語総合コース修了証授与式 ご報告

去る9月30日(土)16:30~19:00、青山教室 石川記念ルーム(201号室)において、第2回総合コース修了証授与式を行いました(参加者約40名)。

まずは、修了式に先立ち、日伊協会イタリア語講師アンドレア・フィオレッティ先生によるイタリア語特別セミナー『日本はどう《読まれてきた》のか?― イタリアにおける日本文学 ―』(同時通訳付)を開催いたしました。

比較文学、翻訳研究が専門のアンドレア先生は、ご自身でも樋口一葉の『にごりえ』『たけくらべ』のイタリアにおける初の翻訳を手がけていらっしゃいます。その経験と研究に基づき、イタリアにおいて日本文学がどのように紹介され、受け入れられてきたか、お話しいただきました。

冒頭で紹介されたのは、ローマ大学のマリア=テレサ・オルシ名誉教授が10年以上の歳月を費やし完成させた『源氏物語』の全訳 La storia di Genji(2012年)です。『源氏物語』のイタリア語訳については アーサー・ウェイリーの英語訳からの重訳が1957年に出版されていますが、日本語の原典に直接あたった翻訳はこれが初めてです。

セミナーではここで翻訳理論上の2つの概念「受容化」(addomesticamento)と「異質化」(estraniamento)が紹介されました。「受容化」とは、原文の<異文化的要素>を取り除き翻訳文の馴染みの良さを優先するもので、もう一方の「異質化」は原文の<異文化的要素>を可能な限り尊重する翻訳の方法です。アンドレア先生によれば、ウェイリー版の『源氏』が「受容化」に基づき、英語でもイタリア語でも読みやすく翻訳されたものであるのに対して、オルシ版では「異質化」の方略がとられているといいます。日本固有の文化や言葉が尊重され、原文に出来る限り忠実な翻訳がなされているというのです。ですからオルシ版には、読者の理解を助けるための注釈や言葉の解説も重要な要素となります。実際、オルシ版では注釈や解説にかなりのボリュームが割かれており、読者側にも異文化を理解するための努力が要求されることになります。

しかしながら、こうした議論は一般的に西洋言語からの翻訳について論じられてきたものです。東洋言語、特に日本語の場合は、その言語的文化的な特異性から、そもそも翻訳の困難性が異なるものであることを忘れてはなりません。この点について、イタリアにおける日本文学翻訳の第一人者であるジョルジョ・アミトラーノ氏は、「日本は翻訳できるのか?」(Si può tradurre il Giappone? )という形で問題を提起しています。

一般的に日本語は、西欧諸語とは異なり、特殊な言語だと考えられてきましたが、実際のところ、それは日本語だけではなくどの言語にも起こることではないかと言うのです。アミトラーノ氏によれば、しばしば日本語からの翻訳の難しさが強調されるのは、受け入れ側の日本文化に対する理解不足に起因するものなのです。実際、近年のマンガやアニメブームなどのおかげで、特に若い世代においては、日本文化への理解も深まってきているのはご存知のとおりです。アミトラーノ氏自身もまた、そう言う意味で、吉本ばななや村上春樹の翻訳を通して、イタリアにおける現代日本文学の普及に大きく貢献してこられました。

セミナーの中で考察された、アミトラーノ氏によるいくつかのイタリア語訳も非常に興味深いものでした。約60年前の英語からの重訳版と比較して紹介された、アミトラーノ氏による川端康成の『雪国』のイタリア語訳は、言葉だけでなく、『雪国』の世界観そのものも忠実に訳されており、まさに「異質化」に根ざした翻訳が実感できるものとなっています。また、アミトラーノ氏が世界に先駆けて翻訳し、イタリアでも大ベストセラーとなった吉本ばななの『キッチン』においては、「異質化」がさらに進化し、翻訳が原作を超えるものにまでなっていることが指摘されました。

セミナーではさらに、古くは『竹取物語』(1880年)から、上述の村上春樹や吉本ばななに至るまで、イタリアにおける日本文学受容の系譜が時代を追って説明されましたが、日伊協会プロ養成コースの受講生の皆さんによる流暢な同時通訳のおかげもあり、1時間という限られた時間の中で、非常にわかりやすくお話を聞くことが出来ました。

さて、セミナーの後は、いよいよ修了証書授与式です。高田和文副会長による挨拶の後、今期の対象者13名中、当日参加頂いた8名の方1人1人に修了書が手渡されました。修了生代表の真船千秋さんによるイタリア語のスピーチで会場は大いに盛り上がり、授与式は無事終了、イタリア語講師の先生方とともに記念撮影となりました。

授与式の後は、イタリア語講師の先生方と修了生、参加者のみなさんとの懇親会が行われ、カンパリやワイン片手に、様々な話題でおしゃべりが弾みました。

日伊協会では、今後も継続して修了証授与式を開催していきます。入門クラスから約7年もの間、総合コースに通い続けてくださった修了生の方々を始め、全受講生の皆様に、この場を借りて感謝申し上げるとともに、今後も、楽しくイタリア語を学べる環境作りに邁進していきたいと思います。

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文化セミナー「著者に聞く」シリーズ
第4回 『イタリア鉄道の歴史~教養のイタリア近現代史~』のご報告

文化セミナー「著者に聞く」シリーズ第4回は、10月11日(水)に『教養のイタリア近現代史』(ミネルヴァ書房、2017年)の共編著者 山手 昌樹先生に、編者として本づくりに携わった苦労話と執筆担当された「イタリア鉄道の歴史」について語っていただいた(参加者21名)。

本書は、大学生を射程に、教養としてのイタリア近現代史の入門テキストとして編纂された。リソルジメント運動による統一後、国民国家形成に苦慮し、ファシズムを経て戦後に至る過程を扱っている。政治経済の通史に加えて、建築、美術、映画などの芸術や鉄道、バザーリア精神保健改革など特色ある項目を含んでいる。写真や図表を多用し、説明の文章と関連付けて配置するよう工夫されている。

イタリア鉄道の歴史

①リソルジメント期 イタリアで初めて鉄道が開通したのは1839年で、両シチリア王国のナポリからポルティス間7キロをヴェスビオ号が10分足らずで走り切った。統一国家の不在が鉄道の発展を阻害し、また教皇国家では科学嫌いの教皇の下で「馬から鉄へ」の移行は牧畜や農業にとって痛手となるとして鉄道建設は進まなかった。

② 自由主義期 統一後は、カブールが「鉄道がイタリア人を作った。」と述べたように、鉄道建設が進み、人及び貨物の輸送を通じて交流が盛んになった。1865年の完全民営化、1885年の上下分離方式の採用、1905年の国有化、と制度面の整備が進んだ。また技術革新が進み、長大トンネルの建設、機関車の国産化、電気機関車の発展があった。

③ファシズム期 この時期に鉄道の電化が進み、また非ローカル線には「リットリーナ」の愛称を持つ気動車が投入された。巨大なミラノ中央駅もこの時期の産物である。

④共和政期 モータリゼーションに押され、ストライキも頻発した。この時期唯一の輝かしいニュースは前面展望席をそなえた「セッテベッロ号」が営業運転を開始したことぐらいである。1980年にはボローニャ中央駅爆破事件が起こっている。現在、イタリアでは高速鉄道網や新交通システムの整備が進められ、鉄道ブームが再び到来している。都市の路面電車の復活もみられる。

著者からは、実際にイタリア各地の鉄道博物館を訪れ、自ら撮影された貴重な画像を提供していただいた。この180年間にイタリアの鉄道がどのような歴史を辿ってきたのかを見て、イタリア人がどのような考えを持ち、どのような生活を歩んできたのかを知ることにもつながる興味深いセミナーであった。

<講師プロフィール> 山手 昌樹(やまて まさき)
イタリア政府給費留学生としてトリノへ留学。上智大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程単位取得退学。上智大学特別研究員を経て、現在、日本女子大学文学部研究員。主な著書に『イタリア文化事典』(分担執筆)丸善出版、2011年。『歴史家の窓辺』(分担執筆)上智大学出版、2013年。「イタリア・ファシズムと移民」『日伊文化研究』52号、2014年。『世界地名大事典 第4~6巻:ヨーロッパ・ロシアI~III』(分担執筆)朝倉書店、2016年などがある。

(付記)たまたま坂本鉄男先生が日伊協会のHPに「蒸気機関車の発明が生んだ新たな悲劇…後を絶たない鉄道自殺」というブログを投稿していただいている。

1972年に日本で初めて鉄道が敷設された日が10月14日で「鉄道の日」となっている。またその2年後10月11日に日本で初めての鉄道脱線事故が新橋駅で起きており、このセミナーが開催された日は「鉄道安全確認の日」に指定されている。さらに事故がらみではセミナーで1944年に起きた「バルヴァーの鉄道事故」(600名の犠牲者を出した。)とそれを題材にしたミステリー小説「8017列車」が紹介された。鉄道をめぐる話題は尽きない。

 (山田記)

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『本当の自分に出会う旅 ~私とあなたの中のイタリア。そしてニッポン!~』のトーク会開催

9月20日(水)、「とことんイタリア人になる」講座で人気の日伊協会講師、橋田瑞穂先生による『本当の自分に出会う旅 ~私とあなたの中のイタリア。そしてニッポン!~』のトーク会が開催されました。

ただのトーク会ではなく語学学校のような参加型形式で、途中みなさまからのご質問を受け付けたり、グループになってディスカッションしたりと大変盛り上がる会となりました。

先生からは、「イタリアに興味を持っているけど、まだどう踏み込んだらいいのかわからない」「イタリア留学してみたいけど一歩踏み出せない」などのお悩みを持った方に向けて、背中をちょっと押してくれるような、そんなお話をしてくださいました。

というのも、橋田先生も数年前まで一歩踏み出せないイタリア語の一生徒でした。その時はまさか自分自身が教壇に立つ側になるとは思いもよらなかったそうです。

留学するきっかけは、旦那様の「イタリア留学行って来なよ」の一言。場所はローマ、ボローニャ、ジェノヴァの三ヶ所での短期留学でした。参加者からは「留学する前にどのくらい勉強されたのですか?」と質問をうけていました。もちろん先生は留学前にしっかり勉強もされ、CILS(イタリア政府認定のイタリア語検定試験)でB2を取得していました。つまり留学とは期間の長さではなく日本での勉強も重要なのです!

留学中にも猛勉強していた先生ですが、語学だけではなく日々の生活で自分のちょっとした魅力や勇気に気づくシーンがたくさんあったそうです。たとえば自分が日本人であることを良かったと再確認したことです。謙虚な姿勢と穏やかな気性の日本人はいろんな方に受け入れられたそうです。

それから、困ったことがあったら「助けて!」と勇気をもって言えるようになったこと。これは日本人の私たちには少し難しいことですが、そうも言っていられないのが海外。自分の眠っていた力が引き出せるのも、留学ならではの良いところです。

そして一番先生を変えた出来事は、語学学校の先生に入学初日に「君、イタリア語を教えてみない?」と言われたことだったそうです。日本に帰ってきてからもいろんな方に背中を押されて、教える側にたっていた。これは先生の努力と魅力がたくさんの方に伝わったからだと思います。自分の思いもよらなかった道へ進む。それはちょっとしたきっかけと、努力、そして自分の中の魅力に気づくことなのかもしれません。

皆さんもこれを機会にちょっと一歩踏み出してはいかがでしょうか?

ちょっとユニークで生徒さんの自主性を引き出してくれる橋田先生の授業は秋期講座でもございます。

●日程:11/10, 17, 24, 12/1, 8, 15 (金)
14:10-15:30
『とことんイタリア人になる‐聞くためのリスニング・セラピー』

ぜひご参加ください!きっと思いもよらない自分が顔を出すかもしれませんよ!

橋田瑞穂先生、そしてご来場いただいた参加者のみなさま、ありがとうございました。今後も日伊協会ではイタリアに関するセミナーやイベントを開催していきたいと思いますのでぜひご期待ください。お気軽に留学相談にもおこし下さい!いつでもお待ちしております!!

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第68回談話会のご報告

9月2日(土)に久しぶりの談話会が開催されました。三笠会館での食事の後、宝生流第20代宗家宝生和英氏を講師にお迎えして『日本バチカン国交樹立75周年 バチカン勧進能とヴィチェンツァ テアトロオリンピコ公演』についてお話を伺いました(参加者35名)。

2017年6月23日、24日にバチカン行政区カンチェレリア宮殿にて、日本・バチカンの国交樹立75周年を記念してバチカン勧進能が公演されました。バチカン勧進能では、能楽最古の演目「翁」と「羽衣」に続いて、復曲能「復活のキリスト」が上演されました。

約60年の歳月を経て再演されたこの演目は、上智大学の2代目学長ヘルマン・ホイヴェルス神父と16世宗家宝生九郎氏による作品で、キリスト教文化を広く理解してもらうことを目的として、能「隅田川」の着経て、聖書の和訳をそのまま引用するという意欲的な作品だそうです。

カンチェレリア宮殿内には特設舞台が作られ、各国の大使を含む多くの関係者の前で奉じられました。宮殿の映像はWEBに載せる許可が当局からおりませんので、その映像は貴重なものでした。

また、これに先立って6月19日に開催されたヴィチェンツァ テアトロオリンピコにての公演についても紹介されました。世界最古の室内演劇場での「世界古典演劇フェスティバル」のオープニングアクトとして特別に日本の能が招待されたその能楽公演の様子を公演写真とともに紹介されました。

能楽とキリスト文化との関係、そして荘厳なローマ文化と日本文化の伝統の美の絶妙な融合など今回の能楽公演の意義を解説されるとともに、ジョークを交えながらの臨場感あふれる御苦労話をお聴きするのは楽しいひと時でした。

文化交流を進めていくためには、継続と繰り返しが重要であるとの宝生様のお話には同感です。自ら実践される氏のさらなるご活躍を期待いたしております。

講師プロフィール
宝生 和英(ほうしょう かずふさ 能楽師)

1986年東京生まれ。父、第19世宗家宝生英照に師事。宝生流能楽師佐野萌、今井泰男、三川泉の薫陶を受ける。1991年能「西王母」子方にて初舞台。2008年に宝生流第20代宗家を継承。

これまでに「鷺」「乱」「石橋」「道成寺」「安宅」「翁」一子相伝曲「弱法師雙調ノ舞」を披く。伝統的な公演に重きを置く一方、異流競演や復曲なども行う。

また、公演活動のほか、マネジメント業務も行う。海外ではイタリア、香港を中心に文化交流事業を手がける。2015年ミラノ万博に参加、2016年にはミラノトリエンナーレ万博、ジャパンオルフェオ、ミラノスカラ座シンポジウムなど日伊国交樹立150周年事業に多数参加。同年には文化庁より東アジア文化交流使に任命され、香港に赴任する。2017年には日本バチカン国交樹立75周年バチカン勧進能を制作、出演。同年スカイツリー5周年イベント「能×VJ」にて演出、出演。

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2017年連続文化セミナー「イタリア・ルネサンス人物伝――激動の時代を生き抜く」
第5回 ルネサンスの君主の世界 ― コジモ1世を中心に ― ご報告

シリーズ最終回の第5回は、7月26日(水)に、明治大学商学部教授の北田葉子先生に、「ルネサンスの君主の世界 ― コジモ1世を中心に ―」と題してお話いただいた。(30名参加)。

16世紀前半のイタリアは、中世から近世の変わり目の時代であり、まさに激動の時代であった。イタリアにとっては、フランスとスペイン・神聖ローマ帝国(どちらもハプスブルグ家)が覇権を争うイタリア戦争の舞台となった困難な時代であり、イタリア諸国のような小国家は生き残りが難しい時代であった。またヨーロッパ全体が宗教改革と対抗宗教改革が争う宗教的混乱の時代であり、騎士の時代から火器による歩兵の時代へと変化して貴族が戦闘的な騎士から宮廷貴族への変化が開始する時代でもあった。

13~14世紀のメディチ家は、銀行業で成功をおさめ、市民の信望を獲得する。コジモ・イル・ヴェッキオがフィレンツェの政治の実権を掌握、ピエロ、ロレンツォ・イル・マニフィコと続き、次のメディチ家の当主、ピエロがフランス王にフィレンツェ通過をひそかに許可したことで市民の反乱を招きメディチ家は追放される。

サボナローラ、ソデリーニの時代が続き、ついでユリウス2世が国外追放中のメディチ家と同盟を結び、プラートを略奪し、レオ10世、クレメンス7世が統治するメディチ教皇の時代となるが、フランス王フランソワ1世が提唱した対神聖ローマ帝国同盟(コニャック同盟)に参加したことで、カール5世の報復を受け、ローマ略奪となり、フィレンツェにおいてもメディチ家が再度追放される。

1529年カール5世とクレメンス7世の和睦がなり、10か月の包囲戦の後、フィレンツェ共和国は降伏する。1532年新しい政治体制が発布され、初代フィレンツェ公にクレメンス7世の庶子アレッサンドロが就任するが、5年後に暗殺される。そんな中で、傍系とはいえコジモ・イル・ヴェッキオの弟に発する分家の市民に人気の高い、黒旗隊長ジョヴァンニを父とし、メディチ家直系のロレンツォ・イル・マニフィコの孫のマリア・サルヴィアーティを母とするコジモ1世がフィレンツェ公国の2代目の君主に即位する。

有力市民は、狩が好きで「平凡な教養」の持ち主のまだ18歳のコジモを軽視する。コジモの地位は「フィレンツェとその領域の長にして第一市民」であって「公爵」ではない。政府の決定は48人議会とコジモが共同で行う。君主なのにコジモの年収は12,000ドゥカートと決められる。しかしコジモは、ブレーンたち(母のマリア・サルヴィアーティ、地方出身の公国第一書記のフランチェスコ・カンパーナやレリオ・トレッリ、少年時代からのコジモの家庭教師ピエルフランチェスコ・リッチョなど)の助けを借りて徐々に自らの地位と国家を強化していく。

国外の共和制支持者とのモンテムルロの戦いに勝利し、共和制復活の脅威の除去に成功、カール5世から「公爵」の称号を認可される。またコジモはカール5世の娘マルゲリータを妻に望むが、成功せず、ナポリ副王の次女エレオノーラ・デイ・トレドが公爵妃となる。

外政面では、領土を拡張し(エルバ島など)、国内外にネットワークを張り巡らして、大使や使節などの正式な使節はフィレンツェの有力市民が担当し、正式な役職ではないエージェントに非フィレンツェ人を起用して、大使のいないところでは重要な任務を負わせ、またダーティーな仕事を請け負わせた。シエナ戦争に勝利し、シエナ共和国和統合した(領土拡張の最大の成功)。

フィレンツェの起源をローマから切り離すため、アンニョ・ダ・ヴィテルボの理論「エトルリア神話」(ノア→エトルリア(=トスカーナ)王国を創る)をフィレンツェに受容した。それはコジモの政策、すなわち領土拡大政策や国内統合(フィレンツェだけではなく、トスカーナ全体を統合したい。)、フェラーラとの優先権問題(儀式などにおける使節などの順列争い)などをバックアップするものであった。

国家が安定してからは、自らの地位を高めることに集中する。そのために、サント・ステファノ騎士団の設立、長男フランチェスコとカール5世を継いだフェルディナンド1世の娘ジョヴァンナの結婚、新しい宮殿の建設(メディチ邸、ヴェッキオ宮殿(特に500人広間に力を入れ、コジモ礼賛の天井画を描かせる。)、ウフィッツィ、ピッティ宮殿、ヴァザーリの回廊)、絵画や彫刻の注文、学問の振興を行い、宮廷を充実させていく。

ときには冷酷と思われる手段も使いながら国家を建設し、文化もそのために利用していったコジモ1世であるが、公妃エレオノーラとは相思相愛と言われ、また妻や子供たちとともにつつましく飾った1つのテーブルで食事をし、家族が常に一緒に行動したといわれている。そんな私生活も垣間見ながら、傍系で若年だったにもかかわらず、コジモ1世がどのように国家の存亡がかかる時期を生き抜いたかを見た。マッキァヴェッリが望んだような冷徹さや果断さを持った最後のルネサンス的君主であったといえよう。(山田記)

<講師プロフィール>北田 葉子(きただ ようこ)
明治大学商学部教授。慶応義塾大学文学研究科博士課程修了。博士(史学)。イタリア政府奨学金留学生としてフィレンツェ大学に留学。専門はイタリア近世史。単著:『近世フィレンツェの政治と文化』(刀水書房)、『マキァヴェッリ』(山川出版社)

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