「カルチョのイタリア語 - L’italiano nel calcio 」セミナーのご報告

FIFAワールドカップが開幕し、毎日熱戦が繰り広げられていますが、日伊協会でも、開幕前夜の6月15日(金)18:30-20:00、「カルチョのイタリア語 - L’italiano nel calcio」セミナーを開催いたしました(参加者30名)。

講師は、日伊協会会報誌『クロナカ』にイタリアに関するスポーツ記事を連載中のスポーツライター佐藤徳和さんです。 佐藤さんは、イタリア留学中に、現地のチームでのプレイも経験し、帰国後は、FC東京でイタリア人臨時GKコーチの通訳を務めたサッカー通であるとともに、イタリア語にも精通。伊和・和伊辞典や文法書の編集、構成、執筆に携わり、昨秋、『使えるイタリア語単語3700』(ベレ出版)を共同執筆されました。

セミナーでは、イタリア語とサッカー、両方の知識を持ち合わせている佐藤さんならではの興味深いお話が伺えました。

例えば、イタリアのスポーツ新聞等でよく見かけるフレーズgol sotto il sette は、ゴールポストとクロスバーが交差する間にきれいにゴールが決まることを意味しますが、イタリア人には、この交差しているところが数字の7(sette)に見えるとか。

また、albero di Natale と言えば、クリスマスツリーのことですが、サッカーではフォーメーションのことを意味するそうです。言われてみれば緑の芝上に選手が並ぶ様はクリスマスツリーに見えなくはないですね。イタリア人のユニークな発想がこんなところにも垣間見られます。

その他、イタリア代表の愛称Azzurri(サッカー以外の競技にも使われます)がサヴォイア家の紋章に由来していること、各クラブの名称の男性・女性名詞の区別の仕方など面白いトリビアをたくさん披露していただきました。

セミナーは、Azzurriの輝かしい過去の試合のダイジェストを鑑賞して無事終了しました。

イタリアにはサッカー以外にも、バレーボール、バスケットボール、水球、フェンシング等々、世界的に強くて人気のあるスポーツがたくさんあります。今回のサッカー・ワールドカップは惜しくも出場を逃してしまいましたが、来年、日本で開催されるラグビー・ワールドカップの代表国に選ばれていますし、再来年の東京オリンピックでは、様々な競技でAzzurriの活躍を目にすることでしょう。

イタリア語ができれば、来日するAzzurriと交流する機会も増えるはず!佐藤さんの近著『使えるイタリア語単語3700(CD付)』では、サッカーをはじめとするスポーツ観戦はもちろん、様々なシーン・テーマ別の単語を用例や関連語とともに掲載し、実用イタリア語検定にも5級から準2級まで対応しています。日伊協会でも販売しておりますので、ぜひお手にとってみてください。

最後になりましたが、ご参加いただいた受講生のみなさま、講師の佐藤さん、どうもありがとうございました!

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イタリア映画セミナー「シチリアとイタリア映画の巨匠たち ― マルコ・ベロッキオ『結婚演出家』を楽しむために ―」の報告 の報告

2013年から続くイタリア映画の特集上映「Viva! イタリア」の第4弾がいよいよ6月23日よりヒューマントラストシネマ有楽町にて始まります。今年も日本未公開作品やイタリア映画祭で上映された人気作品3本を上映しますが、今回の注目は、巨匠マルコ・ベロッキオ監督の傑作『結婚演出家』です。

日伊協会では、この『結婚演出家』を楽しむためのセミナーを6月8日(金)に開催いたしました。講師は、イタリア映画を語ると止まらない、マシンガントークでお馴染みの日伊協会主任講師の押場靖志先生。参加者の皆さんはアペリティーボ片手に、時に笑いながら熱心に耳を傾けていました。

セミナーでは、ルキノ・ヴィスコンティ、ピエトロ・ジェルミ、タヴィアーニ兄弟など、ベロッキオ同様、この映画の撮影地シチリアに魅了された巨匠たちの作品の紹介から始まり、ベロッキオのフィルモグラフィー、そして、本題の『結婚演出家』の楽しみ方へと、息つく暇もなく話が進んでいきました。

『結婚演出家』は、随所に謎めいた映像が挿入され、ストーリーも単純ではありませんが、それゆえ、見ごたえのある作品となっています。冒頭の結婚式のシーンに秘められた宗教的背景、マンゾーニの『いいなづけ』との関連性、舞台がシチリアである必然性などなど、押場先生の名解説によって、ネタ晴らしにならない程度の映画の謎解きが続きました。

今回のセミナーを聞いた後で見る映画は、一味も二味も違ったものとなるはずです。

尚、セミナー内容の詳細は、押場先生のブログに掲載されていますので、ぜひご一読ください。

また、『結婚演出家』の日本語字幕は、日伊協会イタリア語翻訳講座でお馴染みの関口英子先生が担当されています。

今回の「Viva! イタリア」では、『結婚演出家』に加え、『いつだってやめられる 7人の危ない教授たち』、『あのバスを止めろ』の2本が上映されます。

上映の詳細につきましては、配給会社パンドラのHP及びヒューマントラストシネマ有楽町のHPをご参照ください。

みなさん、ぜひ劇場に足を運んで、イタリア映画の醍醐味を味わってください!

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第69回談話会『日本企業アルカンターラ社が なぜイタリアNO.1企業になりえたのか』ご報告

6月2日(土)、第69回談話会が三笠会館で開催され、元アルカンターラ副社長小林元氏を講師にお迎えして『日本企業アルカンターラ社がなぜイタリアNO.1企業になりえたのか―日本の技術とイタリアの感性マーケティングの結婚―』についてお話を伺いました(参加者50名)。

食事の後、まずは当協会会長島田精一より、講師との仕事上の経験と経緯を踏まえて、本ケースが日本企業の技術とイタリア企業のマーケティングが融合し、ジョイントベンチャーとしては、稀有の大成功事例であるとの話を踏まえて、講師紹介されました。

1970年初めに東レは極細マイクロファイバーを使った人工スエード「エクセーヌ」を開発しました。この「エクセーヌ」をイタリアで生産され、ヨーロッパ市場に販売することになり、1974年イタリアとの合弁会社「アルカンターラ」が設立されます。その当時のイタリアはゼネストが多発し、経済が大変な状況での進出は、東レとしては大英断だったのです。

そこで出されたイタリア側提案のマーケティング戦略は驚きの連続でした。「エクセーヌ」の強みを機能性だけではなく、どんな色も出せてユニークなライフスタイルを提案できるところだと考え、顧客の層をアッパー(upper)とアッパーミドル(upper middle)に限定し、「アルカンターラ」として日本での倍の価格で売り出しました。

その用途は当初の衣料分野だけにとどまらず、家具、車の内装、IT機器のカバーと次々に拡大されていきました。彼らは日本人の発明した商品を単なる機能ではなく、その商品が実現する豊かなライフスタイルを訴求することで、よりその付加価値を作りだし受け入れられていったのです。

なぜそのような高価なものをイタリア人は買うのでしょうか・・それの答えは北イタリア人のライフスタイルの中にあると小林氏は言います。

イタリア人は確固たる人生観を持ち、その上に「仕事(laboro)」と何よりも「自由時間(tempo libero)」を大切なものとして位置付けています。それに対して日本人はテストでいい点数を取り、良い会社に入ればいい人生が送れるといった、さほどはっきりした人生観を持たず、「仕事」の残り時間に余りの暇として「余暇」があります。

日本人が就社するのに対して、イタリア人は自分のやりたい仕事として、文字通り就職するのです。日本人が個の次に大事なものが会社であるのに、イタリア人は個の次は仲間(Amici)があります。

そして常に他人を自分にとって大事な仲間になりうるかどうかを、上品な身なり、上品な身のこなし、教養ある話し方から判断しています。アッパーとアッパーミドルと呼ばれる階級では、不適切と判断されれば即解雇されることもあります。その為に語学やマーケティングの研鑽は欠かせません。もし万が一の時にもいい仲間を沢山持っていることが必要となります。より自分にふさわしい仲間を作るため、自分を表現して相手を魅了する方法のひとつとして、「アルカンターラ」がその役割を担ったのです。

長年の経験に基づくお話を伺い、ワーカホリックな日本人のライフスタイルとの違い、イタリアがファッションやインテリアで輝いている所以を垣間見ることができました。小林様、ご講演ありがとうございました。

講師プロフィール
小林元 こばやし はじめ (小林国際事務所代表)
東レ株式会社入社後、約40 年間にわたってヨーロッパ、アフリカ、中南米など一貫して海外事業に携わる。2004 年にはイタリア文化会館から「マルコポーロ賞」、06 年にはイタリア政府から「コメンダトーレ(連帯の星騎士勲章)」を授与された。明治大学特別招聘教授、文京学院大学客員教授、東レ経営研究所特別研究員、日伊協会理事を経て現職

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2018年イタリア連続文化セミナー イタリアの古代美術
第2回 アカンサス装飾とローマ美術(ご報告)

シリーズ第2回は、5月23日(水)に、城西大学教授の篠塚千恵子先生に、「アカンサス装飾とローマ美術」と題し、アカンサス装飾に焦点を絞って詳しくお話しいただいた。(30名参加)。

アカンサスは、パルメットとともに古代世界において最も重要な装飾モティーフといえる。パルメットは、メソポタミアのしゅろ(なつめやし)の葉をかたどった文様である。

アカンサスは、「ディオスコリデスの薬物誌」においては、薬として紹介されている。装飾としては、パルメットの自然な模様を作るため蔓の生え際にギザギザを表す形で現れる。

コリントス式柱頭の考案の起源について語るウィトルウィウスの逸話が有名である。コリントゥスの市民である少女が婚期に達しながら病にかかって死んでしまった。乳母は、少女が生前心傾けていたものを集めて篭に詰め、墓に持って行ってその頂に置き、瓦で覆った。この篭は偶然アカントゥスの根の上に置かれた。そのうちアカントゥスは、春の季節のころまん中から葉と茎を伸ばし、この茎は篭の脇に沿って成長し、瓦の角で重みのために押し下げられ、四隅に渦巻き形の曲線を作らざるをえなかった。ちょうどそのころこの墓碑の辺りを通っていた大理石細工職人のカッリマクスがこの篭とそれを包んで生い茂る葉の柔らかさに気が付きその様子と形の新しさが気に入り、これを手本として柱を作って、そのシュムメトリア(比例)を定めた。ギリシア起源のこのモティーフは、ローマ美術において圧倒的な存在感を持った。

ローマ、アラ・パキス 西面装飾細部


未開墾の地に生命力旺盛に繁茂するこの植物は、ローマ世界独自の象徴性を担い、アウグストゥス帝へ捧げられた「アラ・パキス(平和の祭壇)」では端正な古典的アカンサスつる草がローマ的世界観を表出している一方で、住居壁画などでは、アカンサスつる草はさまざま仮想的造形を取り込んで、いわゆる「グロテスク」装飾を豊かに創造する。

「グロテスク」の語源は、洞窟を意味するイタリア語grottaから由来し、ここで洞窟というのは、西暦64年のローマの大火の後にネロが建設を開始した「ドムス・アウレア」を指す。そのほかファルネジーナ荘やトラヤヌス広場のフリーズ装飾などに見られる。ウィトルウィウスの『建築書』にはいわゆる「グロテスク」装飾を「怪奇なものが壁画に描かれる。現に存在するものでもなく、存在しうるものでもなく、かつて存在したものでもなかった。」と表現している。

その後この植物装飾は中世へと引き継がれ、初期ビザンチン時代には構造体は解体され、本来の形態と象徴性は忘却され、意味が分からなくなりながらも、あらゆる美術に遍在することなる。時に「古代再生」を目指す美術では、比類ない「古代」の装飾としてあざやかに復活する。

装飾は普段はあまり注目をひかない存在でありながら、今回の講座ではその歴史的変遷を多数の画像を見ながら解説していただいたので、装飾が時代を決める非常に重要なものであることが認識できた貴重な経験であった。(山田記)

ローマ、サン・クレメンテ教会
アプシス


<講師プロフィール>
 奈良澤 由美(ならさわ ゆみ)
城西大学教授。東京大学文学部美術史学科修士課程修了後、フランス国エクス=マルセイユ大学にて博士号を取得。専門はフランス・地中海の古代末期~初期中世の考古学・美術史。単著: Les autels chrétiens du Sud de la Gaule : 5e – 12e siècles(Brepols Publisher、辻荘一三浦アンナ賞、地中海学会ヘレンド賞、日本学士院賞)。

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2018年連続文化セミナーイタリアの古代美術―スタート

古代地中海世界で栄華を誇ったイタリアには、その繁栄と交流を物語る多くの美術作品が残されている。本年度の連続文化セミナーでは、マグナ・グラエキアの美術から、ローマ美術、初期キリスト教美術まで、様々な作品を取り上げ、作品に織り込まれた、歴史、文学、宗教、社会などの要素も交えながら、美術が伝える芳醇な古代イタリア世界をわかりやすくお伝えしたいと考えている。

藤澤房俊先生のご指導の下、福山佑子先生(日本学術振興会特別研究員PD)により企画、コーディネートされ、古代イタリアの美術を大きく俯瞰する興味深い連続セミナーがスタートできたことに感謝申し上げたい。

第1回 ローマ以前の古代イタリアに展開したギリシャ美術―パエストゥムを中心に―(ご報告)

シリーズ第1回は、4月20日(金)に、元武蔵野美術大学教授(この3月末に退官されたばかり)の篠塚千恵子先生に、前半で古代イタリアの地に展開したギリシャ人の足跡をたどり、後半にはパエストゥムの遺跡に焦点を絞って詳しくお話しいただいた。それに先立ち冒頭福山先生から今回のセミナーの総論として全5回を概観してご紹介していただいた。(35名参加)。

本講義の前半では、ローマ以前の古代イタリアの住民たちの動向を把握しながら、マグナ・グラエキア美術の特徴を概観した。ローマに統一される前の古代イタリアにはさまざまな住民が活動していた。中部イタリアのエトルリア人と並んで、先進的な文化によって際立っていたのが、南イタリアとシチリア島に早くから多くの都市を建設していたギリシャ人である。

一方フェニキア人はカルタゴを中心に西地中海方面に勢力を拡大していた。ギリシャ人は最初ギリシャに近いシーバリ(シュバリス)、クロトーネ(クロトン)、ターラント(タラス)、ロークリ(ロクロイ・エピゼビュリオイ)、メタポント(メタポンティオン)などのイオニア海側に植民都市を建設していたが、鉱物資源を目的にエトルリア人と交易することを欲し、次第にナポリ(ネアポリス)やパエストゥム(ポセイドニア)、イスキア島などティレニア海側に進出した(かっこ内は古名)。キケロは、「マグナ・グラエキア(大いなるギリシア)と呼ばれる強大な、かつ、偉大な複数の都市がイタリアで繁栄した。」と述べている。彼らがこの地にもたらしたギリシャ美術は周辺の住民に大きな影響を与えたが、ギリシャ人もまた異文化に触れて自身の文化を変容させ、本土ギリシャのそれとはいくぶん異なる性格をもった美術―マグナ・グラエキア美術―を花開かせた。

ピタゴラスはサモス島の出身で、クロトンに移り、そこを追放された後メタポンティオンで死んだと伝えられているが、そのメタポンティオンには立派なヘラ神殿の遺跡がある。ロクロイに残された絵にみられるのはペルセポネ(冥界の女王)で、半身のみが誕生しつつあるように描かれているのは、後にボティチェリがヴィーナスの誕生を全身描いているのと比較すると興味深い。イスキアでは、ラッコアメーノのアクロポリスの跡が残っており、考古学博物館に収蔵されているカップにはアルファベットの文字が見られ、ホメロスの詩を引用している。これは文明史上非常に貴重なものである。

後半では、保存の良い神殿遺構と発掘遺品に富むパエストゥム(ギリシャ名ポセイドニア)に焦点を当てて、周辺居住民であるルカニア人との交流の跡を示す美術作品などをスライドにより鑑賞、考察した。

パエストゥム、バジリカとヘラ神殿

パエストゥムは、前7世紀後半からシュバリス人によって都市建設が始まり、前575~550年ころ第1ヘラ神殿が建造、前510年ころアテナ神殿が建造された。前510年ころシュバリスは、クロトンによって崩壊。前460年ころ第2ヘラ神殿が建造された。前5世紀末頃ルカニア人によって征服された。ルカニア人は壁画装飾のある墓を残している。最も興味深いのは、「飛び込む人の墓」である。

類似のものとして、エトルリアの「漁労と狩猟の墓」、またギリシャの太陽神、曙の女神、天体(星々)の動きの中にみられる絵がある。この絵の解釈はむつかしいが、一説に「あの世への飛び込み」ではないかといわれている。長辺約2.3m、短辺約1.0m、深さ約0.8mの箱形の棺である。徳島にある大塚国際美術館のレプリカによって棺と装飾画の立体像が見られる。

ゲーテの「イタリア紀行」、和辻哲郎の「イタリア古寺巡礼」、G.R.ホッケの「マグナ・グラエキア」、またアンデルセン作森鴎外訳「即興詩人」など多くの文学作品に取り上げられているのを読んでパエストゥムを楽しむもよし、また是非現地を訪れて神殿を見、絵画の宝庫であるMuseoを楽しみ、ついでに付属のRistoranteで現地の特産であるモッツァレラチーズを賞味するのも先生のお勧めである。(山田記)

<講師プロフィール>
 篠塚 千惠子(しのづか ちえこ) 元武蔵野美術大学教授。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。博士(文学)。専門は古代ギリシャ美術史。著書に『死者を記念する—古代ギリシャの墓辺図研究』(中央公論美術出版)、『アフロディテの指先』(国書刊行会)など。 訳書にエリー・フォール『美術史1古代美術』(国書刊行会)、スーザン・ウッドフォード『古代美術とトロイア戦争物語』(ミュージアム図書、共訳)など。

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イタリア語による特別セミナー『古代遺跡パエストゥム ―ギリシャ・ローマの足跡を訪ねて― 』ご報告

去る2月17日(土)16:30~19:00、青山教室 石川記念ルーム(201号室)において、イタリア語による特別セミナー『古代遺跡パエストゥム ―ギリシャ・ローマの足跡を訪ねて― 』(日伊協会プロ養成コース同時通訳クラスの受講生による《伊⇔日》同時通訳付)を開催いたしました。

毎回ご好評を頂いておりますこのセミナーも今回で10回目を迎えましたが、特に今回は、開催のかなり前から満席になるお申込みを頂き、皆さんの関心の高さが伺えました。

講師は、日伊協会でイタリア語総合コース、歴史のクラスを担当しているFabiana TORRE先生。今回のテーマであるパエストゥムのすぐ近く、南イタリアのサレルノ出身、大学で考古学・文化財を専攻されていたFabiana先生ならではの大変興味深いお話を伺うことができました。以下にセミナーの内容を簡単にご紹介させていただきます。

パエストゥム アテナ神殿


パエストゥム(Paestumイタリア語読みはペストゥム)は、カンパーニア州ナポリの南に位置する古代ギリシャの遺跡群で、ユネスコ世界遺産にも登録されています。なぜ南イタリアに古代ギリシャの遺跡が残っているのでしょう? 

紀元前8世紀頃より、ギリシャ本土が手狭となった古代ギリシャ人は、地中海各地に植民地を広げていきます。ギリシャ人が多く移り住んだ南イタリアは「マグナ・グラエキア(大ギリシャ)」と呼ばれ、その1つであるパエストゥムも紀元前600年頃、交易拠点として築かれました。当時はギリシャ名で海神ポセイドンにちなんでポセイドニアと呼ばれ、現在でも、当時建設された3つものドーリア式神殿を見ることができます。

古代ギリシャの神殿群で、これほどまでの規模のものが現存している場所は他にないといっても過言ではないでしょう。その後、紀元前273年頃にはローマ人に支配され、ローマの都市パエストゥムとなります。この時代に、円形闘技場、フォロ(広場)など公共施設が作られ、引き続き商業中継地として栄えるも、洪水による湿地化やマラリア、サラセン人からの侵略などで荒廃していきます。

パエストゥム 飛び込み男の墓


その後、パエストゥムの遺跡が再発見されたのは、18世紀後半です。たちまちヨーロッパ人のグラント・ツアーの人気目的地の一つになり、ドイツの文豪ゲーテや哲学者ニーチェも足を運びました。20世紀になってからネクロ―ポリ(墓地)の発掘が行われ、フレスコ壁画のある墓用の石版などが数多く出土し、遺跡の横にある国立考古学博物館に保管されています。

その中で最も有名なものが、「飛び込み男の墓」と呼ばれる墓用の石棺に描かれたフレスコ壁画です。古代ギリシャ文明を今に伝える非常に貴重なものですが、絵画が意味するものは現在でもはっきりとは解明されておらず、一説には、死後の世界・来世に飛び込む姿を象徴している、と言われています。

パエストゥムは、イタリア国内でも、また日本を含めた海外でもまださほど知名度が高くありません。世界遺産であるにもかかわらず、観光客もそれほど多くありませんので、のどかな牧歌的風景の中でゆったりと鑑賞できます。皆さんも、南イタリアを訪れる際には、ぜひ立ち寄られてみてはいかがでしょうか。

尚、Fabiana先生は4月からの春期講座で下記のイタリアの歴史に関するテーマ別講座を担当します。体験レッスンもございますので、ご興味のある方はぜひ事務局までお問い合わせください。

・【中級】歴史で学ぶイタリア語 春期講座(2018年)

・体験レッスン:3月28日(水) 15:40-17:00

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第27回目イタリア語スピーチコンテスト 優勝者スピーチ原稿

優勝者皆川 海樹(MINAGAWA Mitsuki)さんのスピーチ原稿、
演題「ナポリ、日常の中の音楽とドラマ(Il napoletano, musica e spettacoli quotidiani)」をご紹介致します。

Buongiorno a tutti, signore e signori. Mi Chiamo Mitsuki Minagawa e sono un musicista.Per diversi anni ho studiato canto lirico presso il conservatorio Kunitachi e poco dopo il conseguimento della laurea, ho deciso di partire per Napoli. Perché scelsi dal Giappone di recarmi proprio a Napoli? La risposta è molto semplice: io, così come molti altri studenti di canto lirico, mi considero un grande ammiratore di Enrico Caruso. Nacque e morì a Napoli, cantava spesso in dialetto napoletano e per quanto riguarda l’opera lirica, è di solito considerato come uno dei migliori cantanti e tenori di sempre. La passione per quest’artista fece nascere in me la voglia di comprendere meglio l’origine, i suoni e le caratteristiche del dialetto napoletano.Non si può ignorare il fatto che questo grande cantante storico sia napoletano.

Così come non bisogna dimenticare che Napoli è, non a caso, la città in cui nacquero alcune delle canzoni più
amate a livello mondiale, come ad esempio “’O sole mio” o “Funiculì Funiculà”.Questo potrebbe significare che il popolo napoletano possiede per natura un istinto musicale molto sviluppato, sia per quanto riguarda le qualità vocali che le capacità interpretative.

Ricordo ancora perfettamente il giorno in cui arrivai a Capodichino, l’aeroporto di Napoli. La prima cosa che pensai fu: “ma perché qui urlano tutti?”Gli argomenti principali di conversazione erano la pizza, le uscite del sabato sera, le partite di calcio del Napoli, le belle ragazze, e le canzoni neomelodiche… nulla di problematico insomma!Ammetto che rimasi impressionato, osservando con quanta passionalità la gente parlasse anche delle cose più banali.

Ma dopo un po’ di tempo giunsi alla mia conslusione: i napoletani semplicemente sono fatti così! Sono affettuosi, generosi, passionali… e come direbbero loro “carnali” ovvero “di cuore”. Provando
tante emozioni, tendono a liberarle attraverso la voce e attraverso il loro continuo gesticolare. Trovo che sia proprio questa la peculiarità naturale che lega così naturalmente i napoletani alla musica. La voce nasce dall’emotività. Il diaframma si attiva, il palato si alza e tutto il meccanismo da voce all’umanità che abbiamo e che i napoletani hanno dentro.

Avendo vissuto lì per circa un anno, ho avuto modo anche di capire alcune cose riguardo costumi e abitudini quotidiane, e posso assicurare che anche quest’aspetto gioca la sua parte in questo discorso. Nel quartiere popolare in cui vivevo io, ad esempio, le persone hanno l’abitudine di parlare, o per meglio dire di urlare dai balconi di casa. Questo ovviamente comporta l’uso costante di un tono di voce alto e di gesti facilmente riconoscibili anche da lontano.La sensazione era quella di assistere ad uno spettacolo teatrale!

A Napoli nella quotidianità è costantemente presente la teatralità, una teatralità che i napoletani hanno nel DNA.Poi, il napoletano ha l’intonazione molto fluida ed è ricco di espressioni idiomatiche e di intercalari.In Napoletano ad esempio, è possibile esprimere una certa sensazione mediate il solo uso di una vocale. “Eh!” ad esempio equivale a “Sì!”. “Oh!” indica una sorta di minaccia o di aggressione. “Uhh” lo stupore e “Oi!?” “Oi lloco, oi!” equivale a dire “Vedi? Era come dicevo io!” Questi elementi della lingua facilitano l’espressione dell’interiorità e la comunicazione.Dubito che le mie affermazioni possano avere qualche valore scientifico, ma ritengo che sia piuttosto importante trovare un significato da dare a ciò cui ci dedichiamo.

Sono qui oggi a raccontarvi di musica e di viaggi napoletani perché entrambe rappresentano per me una fonte di gioia e sono due componenti essenziali della mia vita dalle quali non posso separarvi.Spero di cuore di avervi trasmesso la mia passione e grazie mille per l’attenzione che mi avete dedicato. Vi ringrazio.

こんにちは皆さん。僕は皆川海樹といい、音楽家をやっています。国立音楽大学にて数年声楽を学び、卒業後ナポリへと旅立つ決心をしました。なぜ日本からナポリなのかって?理由はとても簡単です。他の多くの声楽の学生と同じように、僕はエンリコ・カルーソーの大ファンだからです。生没共にナポリ、しばしばナポリ語で作曲された歌を歌い、ことオペラに関しては、歴史上で最も偉大な歌手・テナーとしての地位を確立しました。彼への情熱が、ナポリ語の起源・発音・特徴をより深く理解したいという欲求を与えてくれました。

この偉大な歴史的歌手がナポリ人であるという事実は、 ナポリが世界的に有名な、かの”’O sole mio”や”Fuiculì Funiculà”などの名曲を数多く生み出した街であることと同様に、無視し難い事実です。これは、母音の純度の高さ、そして演じる能力という二つの観点のどちらから見ても、ナポリの人々が生まれながらにして卓越した音楽的直感を備えていることを示唆しています。

ナポリのカポディキーノ空港に初めて着いた日のことをとてもよく覚えています。最初に思ったのは、「なぜここではみんな叫んでいるんだろう??」会話の主な内容は、ピザ、サッカーの試合、綺麗な女の子、そして流行りのネオメロディ音楽(主にナポリの若者達が聴く、ナポリ語で作曲されたポップ音楽)。要するに、てんで大したことはないのです。そんなごく普通のことをこと大げさに、そして情熱的に語る様を見ていて、少なからず驚いたことは否定しません。

しかし少し時間が経った頃、ある結論に至りました。これは単に生まれつきの彼らの気性なのだと!親切で、ふとっぱらで、情熱的。様々な感情を内に抱くゆえ、それらを声とジェスチャーを通して外へ発し続ける傾向があるのです。僕はこれこそがナポリ語の特性、ナポリの人々をかくも自然に音楽へと結びつけている要素であると思っています。感情から声が生まれ、横隔膜が動き、軟口蓋が持ち上がる…これら一連の動作が、私たち、そしてナポリ人の人間らしさを表現するメカニズムなのです。

ナポリに約一年住んでいる間、その土地の日々の慣習や風習についても多少学ぶことができました。ナポリのこの側面も、今触れた話題に大きな関わりがあります。例えば僕が住んでいた地区では、密集した建物が数多くあり、そのバルコニー越しに話す風習があります。あるいは叫びながら会話すると言う方が正しいかもしれません。これはもちろん大きな声で話し続けるための発声配置、そして遠くからでも容易に認識できる身振り手振りが日常的に求められている環境であることを意味しています。それはまるで、劇場のお芝居を観ているかのような感覚です。ナポリには、日常の中に常に劇場らしさが存在しているのです。

さらに、ナポリ語はとてもなめらかな抑揚を持つ原語で、熟語や挿入語などの表現が豊富です。例えば、一つの母音を用いるだけで様々なことを表現することができます。”Eh!” イタリア語でいう”Sì”と同意です。“Oh!””Ma che baje a truvann, oh!” 脅しや、攻撃のニュアンスがあります。”Uhhh”は驚きを表し、”Oi!” “Oi lloco, oi!” これは、「見たか?僕の言った通りだろう?」という意味です。これらの僕の主張に科学的な根拠や価値があるとは思いませんが、自分が取り組んでいることについて、各々が意味を与えることが大事だと思っています。

僕は今日ここで皆さんに音楽とナポリの旅についてお話し致しました。どちらも僕にとっては喜びの源であり、人生から切り離すことのできない二つの大事な要素だからです。少しでも皆さんに僕の情熱を伝えられたならば幸いです。ご静聴ありがとうございました。

イタリア留学&旅行セミナー 2017秋 無事に終了いたしました

イタリアより多数の語学学校が来日して開催いたしました、「イタリア留学フェア2017」を中心としたイベントはすべて盛会のうちに終了いたしました。

これからも、イタリア滞在を少しでも身近に感じていただき、実現していただけるようなイベントを企画して参ります。

また、日伊協会では、丁寧な留学相談や留学冊子「Il Milione」無料配布など、安心できる留学サポートを提供しております。お気軽にご相談下さい。(03-3402-1632)

イタリア留学フェア及び体験レッスン&セミナー『留学フェア』
2017年11月11日(土)~12日(日) 10:30~19:00

『イタリア語体験レッスン&ゼロからの語学留学セミナー』
2017年11月12日(日)

・体験レッスン:11:00~11:45

・ゼロからの語学留学セミナー:11:45~12:30

イタリア語学学校ローマ DILIT校『体験レッスン』
2017年11月10日(金)
講師 Giorgio Piva (ローマ ディリット校 校長)
1)『入門・初級』E1110-1 11:00~12:00
2)『中級・上級』E1110-2 12:30~13:30 

イタリア語学学校ヴェネツィア Istituto venezia校
『ヴェネツィアの“美味しい”歴史 LA “DELIZIOSA” STORIA DI VENEZIA』

11/15(水) 18:30~20:00
講師:Anna SANTINI(イスティトゥート ヴェネツィア校教務主任)
Elisa CARRER(イスティトゥート ヴェネツィア校講師)
通訳:鳴海 ちひろ

イタリア語学学校トリエステ Piccola Universita Italiana校
『トリエステ -クリスマスの風景と伝統食-』

11/29(水) 18:30~20:00
講師:Maria Cristina Sordilli(ピッコラ ウニヴェルシタ イタリアーナ校)

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第27回目イタリア語スピーチコンテスト開催


12月2日(土)13:00より、イタリア文化会館アニェッリホールにて、第27回目となるイタリア語スピーチコンテストが開催されました。12名の方が本選に出場し、スピーチを競いました。


また審査時間を利用して昨年に引き続きトーク・イベント「イタリア語よもやま話パート2」を開催し、イタリア語通訳の第一人者であり、日伊協会でプロ通訳養成講座をご担当のリッカルド・アマデイ先生と、協会イタリア語講座・講座主任の押場靖志先生のおふたりに、イタリア語の面白さについて語っていただきました。

(結果)
第1位:皆川 海樹 「ナポリ、日常の中の音楽とドラマ」
第2位:石井 友里香 「人生の道標」
第3位:山岡 亜希子 「働く母親の一人として思うこと」
イタリア文化会館賞:石井 友里香  「人生の道標」
朝日新聞社賞:福井 大智  「私がイタリア語を始めるきっかけとなった2つの出会い」
日伊協会賞:吉野 美恵  「それぞれの瞬間の輝き」
(敬称略)
以上の方々が入賞なさいました。

1位の皆川海樹さんのスピーチ「ナポリ、日常の中の音楽とドラマ」は、大学で声楽を専攻していた皆川さんがナポリに留学し生活した中で感じた、ナポリ人とナポリ方言のお話です。大きな声でジェスチャーを交えて話すナポリ人はまさしく舞台で歌う歌手そのもの。彼らのDNAには常に演劇性が息づいています。抑揚のあるナポリ方言は母音の変化だけでさまざまな感情を表すことができるというのです(優勝スピーチは後日HPにて紹介の予定です)。

なお、1位から3位の方には日伊協会より賞状、賞杯が贈られ、景品として1位の方には、アリタリア-イタリア航空より東京-ローマ往復航空券、Siena Dante Alighieri校よりイタリア語研修費、スルガ銀行賞として滞在費10万円、2位の方にはRoma Torre di Babele校よりイタリア語研修費。スルガ銀行賞として10万円の旅行券、3位の方には5万円の図書カードが贈られました。

また特別賞としてイタリア文化会館よりイタリア食品詰め合わせ、朝日新聞社より記念品、日伊協会よりイタリア語講座受講券がそれぞれ贈られました。入賞者の皆様おめでとうございました。

惜しくも入賞を逃した皆様、更に研鑽を重ねて、次の機会に頑張って下さい。(アルファベット順 敬称略)
福寿 和也  「留学生活を豊かにしてくれたイタリア語」
保坂 真名  「共生への道」
宮下 采子  「人生の決断」
大矢 かおり 「私とチンクエチェント」
櫻井 朋子  「冒険の旅に出よう!」
柴田 陽子  「世界遺産のコントラスト:軍艦島そして沖ノ島」
高尾 海人  「愛について」

ご協賛、ご後援を頂いた下記の皆さまに御礼申し上げます。
協賛:スルガ銀行、アリタリア-イタリア航空、
後援:イタリア大使館、朝日新聞社、NHK

また下記の審査委員の先生方にも重ねて御礼申し上げます。
審査委員長:長神悟(東京大学名誉教授)
白崎容子(元慶応義塾大学教授)
高田和文(静岡文化芸術大学名誉教授・理事)
Marisa di Russo(元東京外国語大学客員教授)
Silvio Vita(京都外国語大学教授)
Paolo Calvetti(イタリア文化会館館長)
質問者:竹内マテルダ(日伊協会イタリア語講師)
(敬称略)
主催:公益財団法人日伊協会、イタリア文化会館

2016-12-03-02

特別セミナー『日本はどう《読まれてきた》のか?― イタリアにおける 日本文学 ―』
               & イタリア語総合コース修了証授与式 ご報告

去る9月30日(土)16:30~19:00、青山教室 石川記念ルーム(201号室)において、第2回総合コース修了証授与式を行いました(参加者約40名)。

まずは、修了式に先立ち、日伊協会イタリア語講師アンドレア・フィオレッティ先生によるイタリア語特別セミナー『日本はどう《読まれてきた》のか?― イタリアにおける日本文学 ―』(同時通訳付)を開催いたしました。

比較文学、翻訳研究が専門のアンドレア先生は、ご自身でも樋口一葉の『にごりえ』『たけくらべ』のイタリアにおける初の翻訳を手がけていらっしゃいます。その経験と研究に基づき、イタリアにおいて日本文学がどのように紹介され、受け入れられてきたか、お話しいただきました。

冒頭で紹介されたのは、ローマ大学のマリア=テレサ・オルシ名誉教授が10年以上の歳月を費やし完成させた『源氏物語』の全訳 La storia di Genji(2012年)です。『源氏物語』のイタリア語訳については アーサー・ウェイリーの英語訳からの重訳が1957年に出版されていますが、日本語の原典に直接あたった翻訳はこれが初めてです。

セミナーではここで翻訳理論上の2つの概念「受容化」(addomesticamento)と「異質化」(estraniamento)が紹介されました。「受容化」とは、原文の<異文化的要素>を取り除き翻訳文の馴染みの良さを優先するもので、もう一方の「異質化」は原文の<異文化的要素>を可能な限り尊重する翻訳の方法です。アンドレア先生によれば、ウェイリー版の『源氏』が「受容化」に基づき、英語でもイタリア語でも読みやすく翻訳されたものであるのに対して、オルシ版では「異質化」の方略がとられているといいます。日本固有の文化や言葉が尊重され、原文に出来る限り忠実な翻訳がなされているというのです。ですからオルシ版には、読者の理解を助けるための注釈や言葉の解説も重要な要素となります。実際、オルシ版では注釈や解説にかなりのボリュームが割かれており、読者側にも異文化を理解するための努力が要求されることになります。

しかしながら、こうした議論は一般的に西洋言語からの翻訳について論じられてきたものです。東洋言語、特に日本語の場合は、その言語的文化的な特異性から、そもそも翻訳の困難性が異なるものであることを忘れてはなりません。この点について、イタリアにおける日本文学翻訳の第一人者であるジョルジョ・アミトラーノ氏は、「日本は翻訳できるのか?」(Si può tradurre il Giappone? )という形で問題を提起しています。

一般的に日本語は、西欧諸語とは異なり、特殊な言語だと考えられてきましたが、実際のところ、それは日本語だけではなくどの言語にも起こることではないかと言うのです。アミトラーノ氏によれば、しばしば日本語からの翻訳の難しさが強調されるのは、受け入れ側の日本文化に対する理解不足に起因するものなのです。実際、近年のマンガやアニメブームなどのおかげで、特に若い世代においては、日本文化への理解も深まってきているのはご存知のとおりです。アミトラーノ氏自身もまた、そう言う意味で、吉本ばななや村上春樹の翻訳を通して、イタリアにおける現代日本文学の普及に大きく貢献してこられました。

セミナーの中で考察された、アミトラーノ氏によるいくつかのイタリア語訳も非常に興味深いものでした。約60年前の英語からの重訳版と比較して紹介された、アミトラーノ氏による川端康成の『雪国』のイタリア語訳は、言葉だけでなく、『雪国』の世界観そのものも忠実に訳されており、まさに「異質化」に根ざした翻訳が実感できるものとなっています。また、アミトラーノ氏が世界に先駆けて翻訳し、イタリアでも大ベストセラーとなった吉本ばななの『キッチン』においては、「異質化」がさらに進化し、翻訳が原作を超えるものにまでなっていることが指摘されました。

セミナーではさらに、古くは『竹取物語』(1880年)から、上述の村上春樹や吉本ばななに至るまで、イタリアにおける日本文学受容の系譜が時代を追って説明されましたが、日伊協会プロ養成コースの受講生の皆さんによる流暢な同時通訳のおかげもあり、1時間という限られた時間の中で、非常にわかりやすくお話を聞くことが出来ました。

さて、セミナーの後は、いよいよ修了証書授与式です。高田和文副会長による挨拶の後、今期の対象者13名中、当日参加頂いた8名の方1人1人に修了書が手渡されました。修了生代表の真船千秋さんによるイタリア語のスピーチで会場は大いに盛り上がり、授与式は無事終了、イタリア語講師の先生方とともに記念撮影となりました。

授与式の後は、イタリア語講師の先生方と修了生、参加者のみなさんとの懇親会が行われ、カンパリやワイン片手に、様々な話題でおしゃべりが弾みました。

日伊協会では、今後も継続して修了証授与式を開催していきます。入門クラスから約7年もの間、総合コースに通い続けてくださった修了生の方々を始め、全受講生の皆様に、この場を借りて感謝申し上げるとともに、今後も、楽しくイタリア語を学べる環境作りに邁進していきたいと思います。

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文化セミナー「著者に聞く」シリーズ
第4回 『イタリア鉄道の歴史~教養のイタリア近現代史~』のご報告

文化セミナー「著者に聞く」シリーズ第4回は、10月11日(水)に『教養のイタリア近現代史』(ミネルヴァ書房、2017年)の共編著者 山手 昌樹先生に、編者として本づくりに携わった苦労話と執筆担当された「イタリア鉄道の歴史」について語っていただいた(参加者21名)。

本書は、大学生を射程に、教養としてのイタリア近現代史の入門テキストとして編纂された。リソルジメント運動による統一後、国民国家形成に苦慮し、ファシズムを経て戦後に至る過程を扱っている。政治経済の通史に加えて、建築、美術、映画などの芸術や鉄道、バザーリア精神保健改革など特色ある項目を含んでいる。写真や図表を多用し、説明の文章と関連付けて配置するよう工夫されている。

イタリア鉄道の歴史

①リソルジメント期 イタリアで初めて鉄道が開通したのは1839年で、両シチリア王国のナポリからポルティス間7キロをヴェスビオ号が10分足らずで走り切った。統一国家の不在が鉄道の発展を阻害し、また教皇国家では科学嫌いの教皇の下で「馬から鉄へ」の移行は牧畜や農業にとって痛手となるとして鉄道建設は進まなかった。

② 自由主義期 統一後は、カブールが「鉄道がイタリア人を作った。」と述べたように、鉄道建設が進み、人及び貨物の輸送を通じて交流が盛んになった。1865年の完全民営化、1885年の上下分離方式の採用、1905年の国有化、と制度面の整備が進んだ。また技術革新が進み、長大トンネルの建設、機関車の国産化、電気機関車の発展があった。

③ファシズム期 この時期に鉄道の電化が進み、また非ローカル線には「リットリーナ」の愛称を持つ気動車が投入された。巨大なミラノ中央駅もこの時期の産物である。

④共和政期 モータリゼーションに押され、ストライキも頻発した。この時期唯一の輝かしいニュースは前面展望席をそなえた「セッテベッロ号」が営業運転を開始したことぐらいである。1980年にはボローニャ中央駅爆破事件が起こっている。現在、イタリアでは高速鉄道網や新交通システムの整備が進められ、鉄道ブームが再び到来している。都市の路面電車の復活もみられる。

著者からは、実際にイタリア各地の鉄道博物館を訪れ、自ら撮影された貴重な画像を提供していただいた。この180年間にイタリアの鉄道がどのような歴史を辿ってきたのかを見て、イタリア人がどのような考えを持ち、どのような生活を歩んできたのかを知ることにもつながる興味深いセミナーであった。

<講師プロフィール> 山手 昌樹(やまて まさき)
イタリア政府給費留学生としてトリノへ留学。上智大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程単位取得退学。上智大学特別研究員を経て、現在、日本女子大学文学部研究員。主な著書に『イタリア文化事典』(分担執筆)丸善出版、2011年。『歴史家の窓辺』(分担執筆)上智大学出版、2013年。「イタリア・ファシズムと移民」『日伊文化研究』52号、2014年。『世界地名大事典 第4~6巻:ヨーロッパ・ロシアI~III』(分担執筆)朝倉書店、2016年などがある。

(付記)たまたま坂本鉄男先生が日伊協会のHPに「蒸気機関車の発明が生んだ新たな悲劇…後を絶たない鉄道自殺」というブログを投稿していただいている。

1972年に日本で初めて鉄道が敷設された日が10月14日で「鉄道の日」となっている。またその2年後10月11日に日本で初めての鉄道脱線事故が新橋駅で起きており、このセミナーが開催された日は「鉄道安全確認の日」に指定されている。さらに事故がらみではセミナーで1944年に起きた「バルヴァーの鉄道事故」(600名の犠牲者を出した。)とそれを題材にしたミステリー小説「8017列車」が紹介された。鉄道をめぐる話題は尽きない。

 (山田記)

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『本当の自分に出会う旅 ~私とあなたの中のイタリア。そしてニッポン!~』のトーク会開催

9月20日(水)、「とことんイタリア人になる」講座で人気の日伊協会講師、橋田瑞穂先生による『本当の自分に出会う旅 ~私とあなたの中のイタリア。そしてニッポン!~』のトーク会が開催されました。

ただのトーク会ではなく語学学校のような参加型形式で、途中みなさまからのご質問を受け付けたり、グループになってディスカッションしたりと大変盛り上がる会となりました。

先生からは、「イタリアに興味を持っているけど、まだどう踏み込んだらいいのかわからない」「イタリア留学してみたいけど一歩踏み出せない」などのお悩みを持った方に向けて、背中をちょっと押してくれるような、そんなお話をしてくださいました。

というのも、橋田先生も数年前まで一歩踏み出せないイタリア語の一生徒でした。その時はまさか自分自身が教壇に立つ側になるとは思いもよらなかったそうです。

留学するきっかけは、旦那様の「イタリア留学行って来なよ」の一言。場所はローマ、ボローニャ、ジェノヴァの三ヶ所での短期留学でした。参加者からは「留学する前にどのくらい勉強されたのですか?」と質問をうけていました。もちろん先生は留学前にしっかり勉強もされ、CILS(イタリア政府認定のイタリア語検定試験)でB2を取得していました。つまり留学とは期間の長さではなく日本での勉強も重要なのです!

留学中にも猛勉強していた先生ですが、語学だけではなく日々の生活で自分のちょっとした魅力や勇気に気づくシーンがたくさんあったそうです。たとえば自分が日本人であることを良かったと再確認したことです。謙虚な姿勢と穏やかな気性の日本人はいろんな方に受け入れられたそうです。

それから、困ったことがあったら「助けて!」と勇気をもって言えるようになったこと。これは日本人の私たちには少し難しいことですが、そうも言っていられないのが海外。自分の眠っていた力が引き出せるのも、留学ならではの良いところです。

そして一番先生を変えた出来事は、語学学校の先生に入学初日に「君、イタリア語を教えてみない?」と言われたことだったそうです。日本に帰ってきてからもいろんな方に背中を押されて、教える側にたっていた。これは先生の努力と魅力がたくさんの方に伝わったからだと思います。自分の思いもよらなかった道へ進む。それはちょっとしたきっかけと、努力、そして自分の中の魅力に気づくことなのかもしれません。

皆さんもこれを機会にちょっと一歩踏み出してはいかがでしょうか?

ちょっとユニークで生徒さんの自主性を引き出してくれる橋田先生の授業は秋期講座でもございます。

●日程:11/10, 17, 24, 12/1, 8, 15 (金)
14:10-15:30
『とことんイタリア人になる‐聞くためのリスニング・セラピー』

ぜひご参加ください!きっと思いもよらない自分が顔を出すかもしれませんよ!

橋田瑞穂先生、そしてご来場いただいた参加者のみなさま、ありがとうございました。今後も日伊協会ではイタリアに関するセミナーやイベントを開催していきたいと思いますのでぜひご期待ください。お気軽に留学相談にもおこし下さい!いつでもお待ちしております!!

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第68回談話会のご報告

9月2日(土)に久しぶりの談話会が開催されました。三笠会館での食事の後、宝生流第20代宗家宝生和英氏を講師にお迎えして『日本バチカン国交樹立75周年 バチカン勧進能とヴィチェンツァ テアトロオリンピコ公演』についてお話を伺いました(参加者35名)。

2017年6月23日、24日にバチカン行政区カンチェレリア宮殿にて、日本・バチカンの国交樹立75周年を記念してバチカン勧進能が公演されました。バチカン勧進能では、能楽最古の演目「翁」と「羽衣」に続いて、復曲能「復活のキリスト」が上演されました。

約60年の歳月を経て再演されたこの演目は、上智大学の2代目学長ヘルマン・ホイヴェルス神父と16世宗家宝生九郎氏による作品で、キリスト教文化を広く理解してもらうことを目的として、能「隅田川」の着経て、聖書の和訳をそのまま引用するという意欲的な作品だそうです。

カンチェレリア宮殿内には特設舞台が作られ、各国の大使を含む多くの関係者の前で奉じられました。宮殿の映像はWEBに載せる許可が当局からおりませんので、その映像は貴重なものでした。

また、これに先立って6月19日に開催されたヴィチェンツァ テアトロオリンピコにての公演についても紹介されました。世界最古の室内演劇場での「世界古典演劇フェスティバル」のオープニングアクトとして特別に日本の能が招待されたその能楽公演の様子を公演写真とともに紹介されました。

能楽とキリスト文化との関係、そして荘厳なローマ文化と日本文化の伝統の美の絶妙な融合など今回の能楽公演の意義を解説されるとともに、ジョークを交えながらの臨場感あふれる御苦労話をお聴きするのは楽しいひと時でした。

文化交流を進めていくためには、継続と繰り返しが重要であるとの宝生様のお話には同感です。自ら実践される氏のさらなるご活躍を期待いたしております。

講師プロフィール
宝生 和英(ほうしょう かずふさ 能楽師)

1986年東京生まれ。父、第19世宗家宝生英照に師事。宝生流能楽師佐野萌、今井泰男、三川泉の薫陶を受ける。1991年能「西王母」子方にて初舞台。2008年に宝生流第20代宗家を継承。

これまでに「鷺」「乱」「石橋」「道成寺」「安宅」「翁」一子相伝曲「弱法師雙調ノ舞」を披く。伝統的な公演に重きを置く一方、異流競演や復曲なども行う。

また、公演活動のほか、マネジメント業務も行う。海外ではイタリア、香港を中心に文化交流事業を手がける。2015年ミラノ万博に参加、2016年にはミラノトリエンナーレ万博、ジャパンオルフェオ、ミラノスカラ座シンポジウムなど日伊国交樹立150周年事業に多数参加。同年には文化庁より東アジア文化交流使に任命され、香港に赴任する。2017年には日本バチカン国交樹立75周年バチカン勧進能を制作、出演。同年スカイツリー5周年イベント「能×VJ」にて演出、出演。

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2017年連続文化セミナー「イタリア・ルネサンス人物伝――激動の時代を生き抜く」
第5回 ルネサンスの君主の世界 ― コジモ1世を中心に ― ご報告

シリーズ最終回の第5回は、7月26日(水)に、明治大学商学部教授の北田葉子先生に、「ルネサンスの君主の世界 ― コジモ1世を中心に ―」と題してお話いただいた。(30名参加)。

16世紀前半のイタリアは、中世から近世の変わり目の時代であり、まさに激動の時代であった。イタリアにとっては、フランスとスペイン・神聖ローマ帝国(どちらもハプスブルグ家)が覇権を争うイタリア戦争の舞台となった困難な時代であり、イタリア諸国のような小国家は生き残りが難しい時代であった。またヨーロッパ全体が宗教改革と対抗宗教改革が争う宗教的混乱の時代であり、騎士の時代から火器による歩兵の時代へと変化して貴族が戦闘的な騎士から宮廷貴族への変化が開始する時代でもあった。

13~14世紀のメディチ家は、銀行業で成功をおさめ、市民の信望を獲得する。コジモ・イル・ヴェッキオがフィレンツェの政治の実権を掌握、ピエロ、ロレンツォ・イル・マニフィコと続き、次のメディチ家の当主、ピエロがフランス王にフィレンツェ通過をひそかに許可したことで市民の反乱を招きメディチ家は追放される。

サボナローラ、ソデリーニの時代が続き、ついでユリウス2世が国外追放中のメディチ家と同盟を結び、プラートを略奪し、レオ10世、クレメンス7世が統治するメディチ教皇の時代となるが、フランス王フランソワ1世が提唱した対神聖ローマ帝国同盟(コニャック同盟)に参加したことで、カール5世の報復を受け、ローマ略奪となり、フィレンツェにおいてもメディチ家が再度追放される。

1529年カール5世とクレメンス7世の和睦がなり、10か月の包囲戦の後、フィレンツェ共和国は降伏する。1532年新しい政治体制が発布され、初代フィレンツェ公にクレメンス7世の庶子アレッサンドロが就任するが、5年後に暗殺される。そんな中で、傍系とはいえコジモ・イル・ヴェッキオの弟に発する分家の市民に人気の高い、黒旗隊長ジョヴァンニを父とし、メディチ家直系のロレンツォ・イル・マニフィコの孫のマリア・サルヴィアーティを母とするコジモ1世がフィレンツェ公国の2代目の君主に即位する。

有力市民は、狩が好きで「平凡な教養」の持ち主のまだ18歳のコジモを軽視する。コジモの地位は「フィレンツェとその領域の長にして第一市民」であって「公爵」ではない。政府の決定は48人議会とコジモが共同で行う。君主なのにコジモの年収は12,000ドゥカートと決められる。しかしコジモは、ブレーンたち(母のマリア・サルヴィアーティ、地方出身の公国第一書記のフランチェスコ・カンパーナやレリオ・トレッリ、少年時代からのコジモの家庭教師ピエルフランチェスコ・リッチョなど)の助けを借りて徐々に自らの地位と国家を強化していく。

国外の共和制支持者とのモンテムルロの戦いに勝利し、共和制復活の脅威の除去に成功、カール5世から「公爵」の称号を認可される。またコジモはカール5世の娘マルゲリータを妻に望むが、成功せず、ナポリ副王の次女エレオノーラ・デイ・トレドが公爵妃となる。

外政面では、領土を拡張し(エルバ島など)、国内外にネットワークを張り巡らして、大使や使節などの正式な使節はフィレンツェの有力市民が担当し、正式な役職ではないエージェントに非フィレンツェ人を起用して、大使のいないところでは重要な任務を負わせ、またダーティーな仕事を請け負わせた。シエナ戦争に勝利し、シエナ共和国和統合した(領土拡張の最大の成功)。

フィレンツェの起源をローマから切り離すため、アンニョ・ダ・ヴィテルボの理論「エトルリア神話」(ノア→エトルリア(=トスカーナ)王国を創る)をフィレンツェに受容した。それはコジモの政策、すなわち領土拡大政策や国内統合(フィレンツェだけではなく、トスカーナ全体を統合したい。)、フェラーラとの優先権問題(儀式などにおける使節などの順列争い)などをバックアップするものであった。

国家が安定してからは、自らの地位を高めることに集中する。そのために、サント・ステファノ騎士団の設立、長男フランチェスコとカール5世を継いだフェルディナンド1世の娘ジョヴァンナの結婚、新しい宮殿の建設(メディチ邸、ヴェッキオ宮殿(特に500人広間に力を入れ、コジモ礼賛の天井画を描かせる。)、ウフィッツィ、ピッティ宮殿、ヴァザーリの回廊)、絵画や彫刻の注文、学問の振興を行い、宮廷を充実させていく。

ときには冷酷と思われる手段も使いながら国家を建設し、文化もそのために利用していったコジモ1世であるが、公妃エレオノーラとは相思相愛と言われ、また妻や子供たちとともにつつましく飾った1つのテーブルで食事をし、家族が常に一緒に行動したといわれている。そんな私生活も垣間見ながら、傍系で若年だったにもかかわらず、コジモ1世がどのように国家の存亡がかかる時期を生き抜いたかを見た。マッキァヴェッリが望んだような冷徹さや果断さを持った最後のルネサンス的君主であったといえよう。(山田記)

<講師プロフィール>北田 葉子(きただ ようこ)
明治大学商学部教授。慶応義塾大学文学研究科博士課程修了。博士(史学)。イタリア政府奨学金留学生としてフィレンツェ大学に留学。専門はイタリア近世史。単著:『近世フィレンツェの政治と文化』(刀水書房)、『マキァヴェッリ』(山川出版社)

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2017年連続文化セミナー イタリア・ルネサンス人物伝 ―激動の時代を生き抜く―
第4回 ルネサンス教皇列伝(ご報告)

シリーズ第4回は、6月28日(水)に、茨城大学准教授の藤崎 衛先生に、「ルネサンス教皇列伝」と題してお話いただいた。(40名参加)。

1.ルネサンス教皇の出現

ルネサンスを語るうえで、ローマ教皇の存在を無視するわけにはいかない。彼らはボッティチェッリ、ラファエッロ、ミケランジェロなど名だたる芸術家のパトロンとしてイタリア・ルネサンスの隆盛を支え、都市ローマの修復にも注力したが、他方で贖宥状を売りさばいたり自ら戦場に出向いたりなど、「聖なる教会の長」という教皇像からはかけ離れた挿話でも知られている。

この時期、教皇はなぜかくも世俗的だったのか。そしてなぜ、ルネサンスの担い手たちを厚遇したのか。これらの問いを解くために、中世末期における教皇権の凋落と再編に着目し、そのうえでルネサンス精神と教皇との関係を丹念にみていくところから講演はスタートした。すなわち15世紀前後の教会史の文脈にルネサンス教皇の事績を位置づけることにより、ルネサンス教皇の特質を明らかにすることが試みられた。公会議主義の終焉から宗教改革直前まで(15世紀後半から16世紀初頭まで)に活躍した教皇の中には、ニコラウス5世のように教会改革に尽力した教皇もいるが事績が目立たない。親族優遇人事(ネポティズム)・聖職売買・政治的陰謀・女性問題等々の世俗的な挿話の方が有名で、「よくて軍人、悪ければ暴君」(G・バラクロウ『中世教皇史』)という評価となっている。

またローマを拠点として教皇領の保全に注力し、ユリウス2世のようにそのためには武力抗争も辞さずという教皇がいる。再編された教皇庁において人文主義者(ポッジョ・ブラッチョリーニやプラーティナなど)を盛んに登用。また掌璽院を独立させ、急増する贖宥状と聖職売買からの収入管理にあたらせた。ルネサンスは古典古代を理想とする以上多神教的要素を内在し、厳密なカトリシズムの観点からは異教的で挑戦的なものであったが、ルネサンス教皇はこれを排斥せず現実的な対処をした。ローマ以外の都市における都市貴族=実質的な都市支配者がパトロンとしてルネサンス活動を支援したように、ローマに於いては都市支配者=教皇がルネサンス活動に資金援助をした。また「祖国イタリア」という意識がダンテやマキアヴェリの活動によって形成されて行く中で、教皇は中世的な「普遍的な精神界のリーダー」というよりは「イタリア精神の代表者」、「統一されたイタリアの支配者」という観念の下「ナショナリズム的教皇」となっていく。

2.主なルネサンス教皇列伝

A.パトロンとしての教皇
1)ニコラウス5世 ローマ復興事業(ローマ時代の道路・水道・橋・城壁を修繕。サンタンジェロ城を要塞化。バチカン地区の改修―教皇宮殿及びサン・ピエトロ寺院)、文化事業(東ローマ帝国からも貴重な書籍を蒐集して図書館の拡充。人文学者ポッジョ・ブラッチョリーニを秘書に抜擢・重用(ブラッチョリーニは古典を渉猟し、写本を作成、ルクレティウスなどを見出した。)。また、フラ・アンジェリコ、ゴッツォーリを保護。)

2)ピウス2世
 教皇としての業績よりも卓越した人文主義者として知られる。文才にたけ、一時活躍したドイツ宮廷では「桂冠詩人」の称号を与えられ、歴代教皇の中で唯一自作の回顧録を残す。

3)シクストゥス4世
 元は教育者だったが「15世紀最大の世俗的教皇」へと転身。システィーナ礼拝堂を建設し、錚々たる画家たち(ボッティチェリ、ギルランダイオ、ペルジーノ、ピントゥリッキオ)に装飾画を依頼。図書館長に人文学者プラーティナを採用、蔵書を増加。政治的には失敗が多くネポティズムで登用した人物を外交官として用い、イタリア政治に介入し、ナポリ、ヴェネツィアと戦争を起こして敗北。建設事業の資金集めに初めて贖宥状を発行した。

B)世俗的な教皇

1)アレクサンデル6世
 ルネサンス教皇の世俗的な面を凝縮したような人物で、「もっとも肉的なキリスト」「最も邪悪で最も幸福な教皇」などと称される。ボルジア家の一族を教会政治の中枢に登用する露骨なネポティズムを採るが、他方マキァヴェリは軍事を担った‘息子’チェーザレを「君主論」で絶賛しているし、ミラノと結託したフランス勢を撃退し、サヴォナローラを焚殺し、スペイン・ポルトガルの勢力圏を決める「教皇子午線」を設定するなど、「教皇」というよりは「君主」と呼ぶ方がふさわしい。

2)ユリウス2世
 「怒りんぼう(Il Terribile)」と呼ばれた好戦的な教皇。ボローニャ、ヴェネツィア、フランス、スペインなどと交戦。一方で芸術を愛するルネサンス的「君主」でもあった。ラファエロ、ブラマンテを保護し、ミケランジェロにはシスティーナ礼拝堂壁画を委任した。

3)レオ10世
 メディチ家出身で、温厚で享楽的な人文主義者(育ちのよいお坊ちゃん)。ラファエロを保護し、ユリウスの事業を継承するも財政破綻。これまで同様贖宥状の販売や聖職売買の乱用で集金を試みるもルターの痛烈な批判を浴び、ルネサンス教皇の時代はここで終わり、対抗宗教改革の時代へと移っていく。
(山田記)

<講師プロフィール>
藤崎 衛(ふじさき まもる)
茨城大学准教授。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。イタリア政府給費留学生としてローマ大学サピエンツァ校に留学。専門は中世のローマ教皇庁研究。著書に『中世教皇庁の成立と展開』(八坂書房、地中海学会ヘレンド賞)、『ヴァチカン物語』(新潮社、共著)、訳書に『中世教皇史』(八坂書房)、『女教皇ヨハンナ』(三元社)がある。

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2017年連続文化セミナー イタリア・ルネサンス人物伝――激動の時代を生き抜く ご報告
第3回 サヴォナローラと(対)マキァヴェッリ

シリーズ第3回は、6月7日(水)に、愛知大学名誉教授の須藤佑孝先生に、「サヴォナローラと(対)マキァヴェッリ」についてお話いただいた。(30名参加)。

ルネサンスという時代は、多くの分野で実に多くの魅力的な人物を生み出し、それぞれに活躍の舞台を与えた。中心都市〔国家〕フィレンツェは、その舞台の中心となっていた。サヴォナローラとマキァヴェッリは、この舞台で、政治、信仰、思想の分野で活躍した、そして悲劇的な終末を迎えた代表的人物である。

とはいえ、二人の魅力は、実に対照的である。~~と~~、と並列すればそれぞれの特色を薄めてしまう、あるいは無くしてしまう。やはり二人は、「と」によってではなく「対」によって並べた方がよい。

そこで今回、須藤先生は、地図で1400年代後半のイタリアと共和政フィレンツェを確認し、次に年表に沿ってルネサンスという時代の大枠を見、その中でのフィレンツェの社会、政治の情況を見、さらにその中での二人それぞれの活動を見、思想的特色を見るよう、時間の許す限り試みられた。

ジローラモ・サヴォナローラは1452.9.21フェッラーラの生まれ、ニッコロ・マキャヴェッリは1469.5.3フィレンツェの生まれである。この時代、フィレンツェをめぐる社会、政治の情勢は、ペストの流行、メディチ家独裁の成立と崩壊、外国勢力のイタリア侵攻など激動している。

サヴォナローラは、1490年ころから激しい説教をはじめ、1491年にサンマルコ修道院院長に選出される。そしてフランス王シャルル8世のイタリア侵攻に伴い、シャルルとの折衝団の1員として政治世界と関わり始める。政体変革、共和制の復活を提唱するが、やがて教皇、協会と対立し破門される。1498.3.2サヴォナローラの説教を聞いたマキャヴェッリは、その感想・批評をローマの教皇庁書記官(事実上のフィレンツェ大使)リッチァルド・ベッキあてに送っている。「サヴォナローラは時勢に応じて<マントを代え>、<嘘言>を弄している。」と。1498.5.23サヴォナローラはフィレンツェ政庁宮広場で絞首刑と同時に火刑に処せられる。遺灰はアルノ川に流される。

マキャヴェッリの家は彼が生まれたころには落ちぶれていて、納税出来ず生涯正式な職に就けなかった。1498.7.14に政庁の委員会の書記官に任命され、初めて定職を得て活躍するが、1512.11.7フィレンツェ<共和制>の解体により全役職を解かれ、市外追放となる。10キロ南東の山村にある山荘(アルベルガッチョ~ぼろ宿の意)に隠棲し、「強いられた怠惰」(F.シャポー)の日々を過ごす。「ディスコルスィ」、「君主論」、「軍事・戦争論」、「フィレンツェ史」などを執筆。1527年フィレンツェでの復職の願いも絶たれ、同年6.21永眠。サンタクローチェ教会に埋葬。

サヴォナローラもマキャヴェッリも「人間の心をつかまなければダメ」という点では共通した考えを持つが、マキャヴェッリは「宗教は政治の最良の道具と考え、何か信じるもの―神―を作り、一緒に信じているふりをしろ」という。「君主論」6章において、「武装せる預言者は皆、勝利を収め、武装せざる預言者は滅ぶ。・・・これは民衆が変わりやすいことにもよる。・・・民衆を説得するのは容易だがそのままの状態に留めておくのは困難で、彼らが信じなくなったら力ずくで信じさせることができるよう備えておくことが必要。・・・サヴォナローラは民衆に自分の体制を長期にわたって守らせることができなかった。・・・自分が命じた新しい制度を彼らが信じなくなったとたん、その制度とともに滅んでしまった。」と述べている。“VIRTU”というものをサヴォナローラは「美徳」と考え、マキャヴェッリは「力」と考えた点に2人の考えの違いがはっきりと出ている。

<講師プロフィール>
須藤 祐孝(すとう ゆうこう)
東北大学法学部卒。愛知大学法学部教授。現在、名誉教授。主要著作:読む年表・年譜『ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ―サヴォナローラ、マキァヴェッリの時代、生涯』(須藤・油木共編著、無限社・岡崎)。R.リドルフィ『マキァヴェッリの生涯』(翻訳・註解、岩波書店)。サヴォナローラ『ルネサンス・フィレンツェ統治論―説教と論文』・『出家をめぐる詩と手紙』(いずれも編訳・註解、無限社・岡崎)など。

(山田記)

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2017年連続文化セミナー イタリア・ルネサンス人物伝――激動の時代を生き抜く
          第2回 レオナルド・ブルーニ ─フィレンツェ・ルネサンスの精神を育んだ人文主義者─

シリーズ第2回は、5月12日(金)に、慶應義塾大学非常勤講師の三森 のぞみ先生に、「レオナルド・ブルーニ」についてお話いただいた。(30名参加)。

イタリア・ルネサンスというと美術や建築にばかり目を奪われがちであるが、この大きな文化活動は人文主義の精神から発している。人文主義においては、古代ローマのキケロ―らに倣い、文法学、修辞学、歴史学、詩学、道徳哲学(倫理学)といった人文諸学問の研究を通じて、Humanitas(人間本性)を追求し、人間の基本をなすものとして「言語」が重視された。人文主義者は、古代の言語(ラテン語、ギリシャ語、後にはヘブライ語など)の熟達に努め、古典の写本収集を熱心に行い、古代の様々なテキストを文献学(Filologia)的に吟味し、原典の内容を歴史的に解釈し、それによって自らの学識や思想、道徳観などを育んだ。

レオナルド・ブルーニ(1370頃-1444年)は、アレッツォの出身で、初期の代表的な人文主義者である。ブルーニは、フィレンツェ都市政府書記官長として政治、外交の分野で精力的に働きつつ、近代歴史叙述の祖ともいわれる『フィレンツェ史』をはじめ多くの人文主義的著作を残し、アリストテレスの翻訳でも知られた人物である。

《レオナルド・ブルーニ墓碑》
フィレンツェ、サンタ・クローチェ教会


ブルーニの名は一般にはあまり馴染みがないかもしれないが、フィレンツェがまさにルネサンス揺籃の地となる時代の知のリーダーといえる人物である。同時代人のジョヴァンニ・ルチェッライの著作においてパッラ・ディ・ノフリ・ストロッツィ、コジモ・デ・メディチ、フィリッポ・ブルネッレスコと並んで当時の4人の著名な市民の一人に数えられている。

ブルーニが残した著作のうち「フィレンツェ史」がイタリア・ルネサンスにおける最初の、そしておそらくもっとも重要な歴史作品である。ローマ共和制末期の都市建設から1402年ミラノ公ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティの死までのフィレンツェの歩みを論じた12巻からなる大著であり、都市エリート市民層の要請を受けて1415年頃に着手し晩年まで執筆をつづけた初のフィレンツェ正史である。ブルーニは、最初の人文主義者といわれるフランチェスコ・ペトラルカのフィレンツェにおける継承者であり、その歴史叙述はペトラルカの反スコラ的、反教義的、反権威的な精神を歴史叙述で展開したものである。すなわち歴史の独立(伝説、神学、道徳的な教えなどからの解放)、いわば歴史の「世俗化」を成し遂げた。中世コムーネ都市の伝統的なジョヴァンニ・ヴィッラーニの「年代記」に代わり、領域国家にふさわしい新たなフィレンツェ歴史像の創造を意図した。これは、正確な原題「フィレンツェのpopulusの歴史」にも表れているように、このpopulusには古代ローマのポプルスの持つ「国家」の意が重ねられており、題名そのものに領域国家フィレンツェの「国家」としての正統性の主張が読み取れる。そして「政治史」の成立として、後のマキァヴェッリとグイッチャルディーニに大きな影響を与えた。

今回のセミナーは、あまり馴染みのなかったレオナルド・ブルーニを取り上げ、イタリア・ルネサンスの基盤となった人文主義について詳しく論じていただいて、イタリア・ルネサンスの一番基本的なところの理解が進んだセミナーとなった。

<講師プロフィール>
 三森 のぞみ(みつもり のぞみ)
慶應義塾大学非常勤講師。イタリア中世史専攻。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。イタリア政府給費留学生としてフィレンツェ大学に留学。共著として『イタリア都市社会史入門』(昭和堂)、訳書にキアーラ・フルゴーニ『アッシジのフランチェスコ ひとりの人間の生涯』(白水社)などがある。

(山田記)

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『Viva! 公務員』を楽しむためのセミナー「イタリア映画で笑うために」のご報告

 ヴィスコンティ、フェリーニ等、様々な名監督が、数々の名作を生み出してきたイタリア映画。毎年開催されるイタリア映画祭の中から特にセレクトされた三作品「Viva!イタリアvol.3」の一般公開に先駆けて、今回特に「イタリア映画の笑い」をテーマにセミナーが開催されました。イタリア映画といえば、夜が明けても話し足りないと言うほどの映画通、我が日伊協会イタリア語講座主任の押場靖志先生です。イタリア映画に関する博覧強記ぶり、トリビア満載の90分でした。

 今日のセミナーでは、今回上映される三作品『日々と雲ゆき』、『マフィアは夏にしか殺らない』そして『Viva! 公務員』のイタリア版予告編映像やポスターを使いながら、興味そそられる内容紹介をしていただきましたが、特に三作品の中でも『Viva! 公務員』については、かなり突っ込んだ解説と押場流の読み解きが展開されました。

『Viva! 公務員』という映画は、子供の頃からの夢をかなえ一生安泰の公務員となった主人公が、イタリアの行政改革(デルリオ改革)により早期退職か転勤かの選択を迫られ、数々の嫌がらせに受けるも屈せず、職にしがみつく男をケッコ・ザローネが快演している映画です。

この映画を読み解くキーフレーズの一端をちょっとご紹介します。

1)主演俳優ケッコ・ザローネの名前について。

 本名はルーカ・メディチで、ケッコ・ザローネは芸名。バーリ方言で「なんて田舎者だ」という意味の「ケ・コッザローネ」からきていること。そのザローネが実に多彩な引き出しを持った才人であること。最初は、イタリアで人気のテレビのモノマネ番組『ゼリグ』で成功して全国的に有名になったこと。セミナーでは、ラップ歌手ジョバノッティの歌を本人の前でモノマネしてみせるシーンや、モダン・クラシック・ピアニストのジョヴァンニ・アッレーヴィになりきって、見事ながらも笑えるピアノ演奏が披露されるシーンなどが紹介されました。

2)監督ジェンナーロ・ヌンツィアンテについて。

 ザローネを影で支える10歳超インテリで、ふたりの映画デビュー作『Cado dalle nubi (ぼく雲からおっこちてしまう)』(2009年、未公開)が、じつはナポリのコメディアンで『イル・ポスティーノ』で知られるマッシモ・トロイージのデビュー作『Ricomincio da tre(ぼくは3からやりなおすのさ)』(1981年、未公開)から発想されたものであること。トロイージのデビュー作では、主人公はナポリを離れてフィレンツェに行くのですが、ザローネはバーリを出てミラノに向かいます。南の人間が故郷を捨てて北に行くという形式を踏襲しながら、ヌンツィアンテとザローネは、トロイージの笑いをさらに前に進めようというわけです。

 そんなザローネとトロイージの共通点は、ふたりとも独特の風貌だということ。イタリア伝統のコンメディア・デッラルテ(仮面喜劇)ならば、マスケラ(仮面)をかぶって笑いを誘いますが、ザローネやトロイージなどは、生まれながらのマスケラをもっているコメディアンなのです。『ライフイズビューティフル』のロベルト・ベニーニもそうですね。ヌンツィアンテ監督は、そうしたマスケラをかぶったザローネの背後で、笑いの質に注意を払いながら、喜劇の脚本と演出を担当しています。それはちょうど、ロベルト・ベニーニの『ライフイズビューティフル』には、ヴィンチェンツォ・チェラーミという脚本家がいたことに似ているということです。

3)映画のタイトル『Quo vado? 』について:

『Viva! 公務員』は、イタリア映画祭2016で上映されたときは原題の「Quo vado?」に忠実に『オレはどこへ行く?』でした。このタイトルはラテン語の「Quo vadis, Domine?」というフレーズを連想させます。これは、ローマのネロの迫害を逃れてきたペトロの言葉「主よ何処に行かれるですか?」をもじったもので、公務員削減の犠牲なって数々の苦難に会う主人公が、「ぼくはどこに行くのだろう?」と言っているように聞こえるわけです。

こうして見ると、『Viva! 公務員』には、イタリアならではの社会模様と複雑な人間関係が描かれているようです。これらの様々な背景知識を踏まえて、本作品の面白さとは何か?を考えさせられる90分があっという間に過ぎてしまいました。

日本映画でいえば「男はつらいよ」のような映画でしょうか? 我々は時々、人生の不条理や運命の定めといった、独りではどうにもならないやりきれなく切ない思いをすることがあります。そんな時、映画のスクリーンの中で、不器用な生き方だけれど愛すべき寅さんがマドンナに出会い、憧れ、恋をするも最後は大学教授やお医者さんといったインテリゲンチャーにマドンナを取られたり、失恋するお馴染みのシーンは悲劇であり、滑稽でもあります。「それを言っちゃおしまいだ!」との捨てゼリフで旅にでてしまう寅さんの存在に、我々は一種のカタルシスを感じます。

悪人を見つけて滅ぼす、勧善懲悪だった90年代以降のイタリア映画が衰退し、『スターウォーズ』に代表されるハリウッド映画の後塵を拝していたのに対し、この映画は本当に面白い映画を作ろうとして、誰が悪いではなく、究極の笑いとして、最後は自分を笑うしかないとばかりのドジ振りを振りまいて我々を笑わせてくれます。

当日、セミナーにご参加くださった皆様には、日伊協会からカンパリやチンザノのアペリティーヴォやソフトドリンクが用意されました。 皆様、リラックスした雰囲気の中で楽しまれ、三作品について大いに興味をそそられ、さっそく劇場に足を運びたくなるような気持ちになったはずです。また別の映画が公開された祭には、押場先生のセミナーを企画してもらいたいと思いました。

ちなみに『Viva! 公務員』、『マフィアは夏にしか殺らない』の日本語字幕は、日伊協会イタリア語翻訳講座でお馴染みの関口英子先生が担当されています。

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2017年連続文化セミナー イタリア・ルネサンス人物伝 ― 激動の時代を生き抜く ―スタート

イタリア・ルネサンス-―この言葉の永遠の輝きは、それが生み出した数々の芸術作品・文芸作品のなかにのみあるのではない。中世から近世にかけての時代の荒波のなか、古さと新しさを織り交ぜながら新たな発想と精神をもって自らの個性を発揮していく興味深い人物が数多く現れるのもルネサンスの魅力の一つである。

この連続セミナーは、ジェノヴァ、フィレンツェ、ローマ等を舞台に、各講師が最新の研究成果をベースにこの激動の時代を生きた人々の生き様をわかりやすく語り、人物たちの行動様式から、それぞれの「ルネサンス」を感じて楽しんでもらうということを目的としている。

藤澤房俊先生のご指導の下、亀長洋子先生により企画、コーディネートされ、バラエティに富んだ人物が登場する興味深い連続セミナーがスタートできたことに感謝申し上げたい。

第1回 ルネサンスの海の英雄たち― ジェノヴァ人と地中海世界 ―(ご報告)

シリーズ第1回は、4月19日(水)に、学習院大学の亀長洋子先生に、総論として「ルネサンスとは」―まずルネサンス概念の広がり、イタリア・ルネサンスに関する現代の学問上の評価などについてのお話の後、「ルネサンスの海の英雄たち」のタイトルのもと地中海世界で活躍したジェノヴァ人についてお話をいただいた。(35名参加)。

「ジェノヴァ人、すなわち商人」と言われ、男女・階層の別なく積極的に商業活動に参加していたジェノヴァ人、あるいは「ジェノヴァの歴史はジェノヴァの外にある」「ジェノヴァの歴史はなく、あるのはジェノヴァ人の歴史である」と言われ、ジェノヴァ人はヨーロッパやアジア各地に散らばっていた。

同じく海洋国家であるヴェネツィアが「国家主義」/公的性格を持つのに対して、ジェノヴァは「個人主義」/私的性格を有しており、都市国家の枠組みを超えている。

ジェノヴァ人は中世以来、敬虔なキリスト教徒としてのアイデンティティを有しつつ、ルネサンスの先駆けともいえる人間性や合理的精神を発揮し、商人としてのみならず、海軍提督、冒険家、探検家(コロンブスもその1人)、航海者、植民者等として、そして海賊としても(海賊に2種類あって、corsaroは公的海賊、piratiは私的海賊)イタリア半島を超え海の世界で華々しく活躍した。

ドーリア家の人々などジェノヴァの英雄たちを個別に見たあと、これを総合すると、ジェノヴァ人の個性(利益追求における個人主義と「私」の強調、進取の気性、中世からの連続性)が見えてくる。わが国ではヴェネツィア人については多くのことが語られているが、今回あまり私が知らなかったジェノヴァ人についてのお話は新鮮なものであった。

(山田記)

<講師プロフィール>
 亀長 洋子(かめなが ようこ)
学習院大学文学部史学科教授。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。イタリア政府奨学金留学生としてジェノヴァ大学に留学。専門はイタリア・地中海中世史。単著:『中世ジェノヴァ商人の「家」』(刀水書房)、『イタリアの中世都市』(山川出版社)訳書:ピーター・バーク『ルネサンス』(岩波書店)

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総合コース上級クラスの修了証授与式のご報告


去る3月25日(土)16:30~19:00、青山教室 石川記念ルーム(201号室)において総合コース上級クラスの修了証授与式を行いました。

まずは、修了式に先立ち、日伊協会イタリア語講師Livio TUCCI先生による特別トークイベント『復活祭とイタリア人』を開催いたしました。

キリストの復活を祝うパスクワ(復活祭)は、キリスト教徒にとって1年で最も重要な宗教行事です。

今年は4月16日でしたが、『春分の日の後の、最初の満月の次にやってくる日曜日』なので、毎年、日付が変わります。

イベントでは、Livio先生が、ナターレ(クリスマス)や、エピファニア(公現祭)、カルネヴァーレ(謝肉祭)、クアレジマ(四旬節:パスクワ前の40日間)、ペンテコステ(聖霊降臨祭節:パスクワの50日後)などキリスト教の主要な祝日の位置づけや意味の解説から始め、パスクワがいかに重要な祝日であるか、どんな風に祝うのかをイタリア語で説明、ところどころで日伊協会主任講師の押場先生が日本語でわかりやすく解説を挟み、あっという間の1時間となりました。

ナターレやカルネヴァーレに比べると日本ではあまり馴染みのないパスクワですが、イタリアでは、暖かい春の訪れの象徴として皆が心待ちにしている行事でもあります。

協会公式ブログ「Tutte le strade portano a Roma(すべての道はローマに通ず)」 第4回「イタリア式朝ごはん」でもパスクワ当日の朝食が紹介されていますので、ぜひご一読ください。

トークイベントの後は、いよいよ総合コース上級クラスの修了証授与式。

日伊協会では、2017年を持って、総合コースの全レベルで、オリジナルテキスト(入門 “Per comincaire”、初級 “ Benvenuti!”、中級 “Da noi”、上級 “Da noi più” & “Due passi in Italia” )が完成いたします。

これを機に今年から、上級の修了者に「修了証」ATTESTATO DI FREQUENZA を発行することになりました。 

今回の対象者は、計17名、そのうち13名の方が修了式に臨みました。

山田専務理事、望月講座委員会委員長の挨拶の後、山田専務理事よりひとりひとりに修了証が手渡され、最後は、修了者を代表して清水直子さんにイタリア語でスピーチしていただきました。

イタリアとイタリア人、そしてイタリア語に対する熱い想いがひしひしと伝わってくる、これまでの学習成果が存分に発揮された素晴らしいスピーチに、会場は大いに盛り上がりました。


修了式の後は、引き続きイタリア語講師の先生たちと修了者、参加者のみなさんとの懇親会が行われ、ワイン片手におしゃべりも弾み、終始和やかな雰囲気の中で閉会いたしました。

日伊協会では、今後も継続して修了証授与式を開催していきます。

このような式典が開催できますのも、日伊協会の講座で学ばれている受講生の皆様のおかげであり、この場をお借りして心より感謝申し上げます。

この機会が受講生の皆様にとって学習の目標および動機となることを切に願っております。

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