2018年連続文化セミナー 「イタリアの古代美術」
第5回 古代異教美術から初期キリスト教美術へ ― ローマのサンタ・コスタンツァ聖堂を中心に ― ―ご報告

シリーズ第5回は、8月3日(金)に、東京造形大学非常勤講師の伊藤怜先生に、「古代異教美術から初期キリスト教美術へ 」と題し、ローマのサンタ・コスタンツァ聖堂に焦点を絞って詳しくお話しいただいた。(35名参加)。

313年のミラノ勅令によるキリスト教公認後、ローマでは聖堂建造ブームが起こる。ローマでは、城壁内に、司教座聖堂や宮廷礼拝堂、26の教区聖堂(ティトゥルスと呼ばれ、住民居住地区に配され、司祭により管理される。)が建造された。また城壁内には埋葬してはいけないことから、城壁外に市内から放射状に延びる街道沿いに、殉教者記念聖堂群(マルティリウム)が建造された。

その1つであるコンスタンティナ廟堂(現在のサンタ・コスタンツァ聖堂。聖女アグネスの墓地であるバシリカ・アグネティスに付属。)は、350−375年頃、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世の娘コンスタンティナとその妹ヘレナの廟堂として建てられたもので、聖堂建造ブームで建てられた建築物の中でも最初期のものである。創建時にさかのぼる建造物全体が残っており、また内部には、古代異教的・キリスト教的モザイクが残っていて、当時の装飾を伝える貴重な聖堂である。建物は直径約30mの円形堂で、2基12組の環状円柱列と、さらに中央円蓋をヴォールト天井の周歩廊が囲む。周歩廊側壁面に方形と半円の計11の壁龕、北西と南東に小アプシスが設けられている。

まず周歩廊ヴォールト天井の装飾モティーフのモザイクはポンペイやスプリットなどの床モザイクと共通するものがあり、十字が描かれてはいるが十字架ではなく単なる十字であるとみなされている。円蓋のモザイクは1620年に枢機卿ファブリッツィオ・ヴェラッリによってあまりに異教的過ぎるとして取り除かれてしまったが、フランシスコ・デ・オランダの水彩模写によって新約・旧約聖書場面が描かれていたことが確認でき、水及びその転移である火によって人類が救済されるというイメージから魚や水、火が多く描かれている。

「トラディティオ・レギス(パキス)」ローマ、サンタ・コスタンツァ聖堂 350−375年頃(講師撮影)


北西小アプシスは「トラディティオ・クラヴィウム(鍵の授与)」とされ、キリストが使徒ペテロに鍵を授ける図像であるとされる。南東小アプシスは「トラディティオ・パキス(平和の授与)」あるいは「トラディティオ・レギス(法の授与)」すなわちキリストがペテロに法を授け、パウロが賞賛する図像であるとされる。これら2つのモザイクは、初期キリスト教の教義、皇帝・皇族の要素によりいろいろな解釈がなされている。

サンタ・コスタンツァ聖堂は、9世紀半頃には、古代異教的図像によって酒神バッカスの神殿とみなされたこともあったが、現在では古代異教的美術から移行しつつある初期キリスト教美術の代表作として知られている。

マグナ・グラエキアの美術から、ローマ美術、初期キリスト教美術まで、様々な作品から古代のイタリアを読み解き、作品に織り込まれた、歴史、文学、宗教、社会などの要素も交えながら、美術が伝える芳醇な古代世界をわかりやすく伝えていただいてきた今年の連続文化セミナーも今回最終回を迎えた。5人の講師、本連続セミナーの企画のご指導をいただいた藤沢房俊先生とコーディネートをお引き受けいただいた福山佑子先生、そして最新の豊富な研究成果に基づいてお話いただいた5人の講師の先生方に改めて感謝申し上げます。また毎回熱心にご参加いただいた聴講生の方々に感謝申し上げます。(山田記)

<講師プロフィール>
 伊藤 怜(いとう れい)
東京造形大学非常勤講師。早稲田大学文学研究科美術史専攻博士課程修了。イタリア政府給費留学生として、ローマ大学ラ・サピエンツァに留学。専門は中世イタリア美術史。共著に『教皇庁と美術』(竹林舎)、『聖堂の小宇宙』(竹林舎)がある。