2017年連続文化セミナー「イタリア・ルネサンス人物伝――激動の時代を生き抜く」
第5回 ルネサンスの君主の世界 ― コジモ1世を中心に ― ご報告

シリーズ最終回の第5回は、7月26日(水)に、明治大学商学部教授の北田葉子先生に、「ルネサンスの君主の世界 ― コジモ1世を中心に ―」と題してお話いただいた。(30名参加)。

16世紀前半のイタリアは、中世から近世の変わり目の時代であり、まさに激動の時代であった。イタリアにとっては、フランスとスペイン・神聖ローマ帝国(どちらもハプスブルグ家)が覇権を争うイタリア戦争の舞台となった困難な時代であり、イタリア諸国のような小国家は生き残りが難しい時代であった。またヨーロッパ全体が宗教改革と対抗宗教改革が争う宗教的混乱の時代であり、騎士の時代から火器による歩兵の時代へと変化して貴族が戦闘的な騎士から宮廷貴族への変化が開始する時代でもあった。

13~14世紀のメディチ家は、銀行業で成功をおさめ、市民の信望を獲得する。コジモ・イル・ヴェッキオがフィレンツェの政治の実権を掌握、ピエロ、ロレンツォ・イル・マニフィコと続き、次のメディチ家の当主、ピエロがフランス王にフィレンツェ通過をひそかに許可したことで市民の反乱を招きメディチ家は追放される。

サボナローラ、ソデリーニの時代が続き、ついでユリウス2世が国外追放中のメディチ家と同盟を結び、プラートを略奪し、レオ10世、クレメンス7世が統治するメディチ教皇の時代となるが、フランス王フランソワ1世が提唱した対神聖ローマ帝国同盟(コニャック同盟)に参加したことで、カール5世の報復を受け、ローマ略奪となり、フィレンツェにおいてもメディチ家が再度追放される。

1529年カール5世とクレメンス7世の和睦がなり、10か月の包囲戦の後、フィレンツェ共和国は降伏する。1532年新しい政治体制が発布され、初代フィレンツェ公にクレメンス7世の庶子アレッサンドロが就任するが、5年後に暗殺される。そんな中で、傍系とはいえコジモ・イル・ヴェッキオの弟に発する分家の市民に人気の高い、黒旗隊長ジョヴァンニを父とし、メディチ家直系のロレンツォ・イル・マニフィコの孫のマリア・サルヴィアーティを母とするコジモ1世がフィレンツェ公国の2代目の君主に即位する。

有力市民は、狩が好きで「平凡な教養」の持ち主のまだ18歳のコジモを軽視する。コジモの地位は「フィレンツェとその領域の長にして第一市民」であって「公爵」ではない。政府の決定は48人議会とコジモが共同で行う。君主なのにコジモの年収は12,000ドゥカートと決められる。しかしコジモは、ブレーンたち(母のマリア・サルヴィアーティ、地方出身の公国第一書記のフランチェスコ・カンパーナやレリオ・トレッリ、少年時代からのコジモの家庭教師ピエルフランチェスコ・リッチョなど)の助けを借りて徐々に自らの地位と国家を強化していく。

国外の共和制支持者とのモンテムルロの戦いに勝利し、共和制復活の脅威の除去に成功、カール5世から「公爵」の称号を認可される。またコジモはカール5世の娘マルゲリータを妻に望むが、成功せず、ナポリ副王の次女エレオノーラ・デイ・トレドが公爵妃となる。

外政面では、領土を拡張し(エルバ島など)、国内外にネットワークを張り巡らして、大使や使節などの正式な使節はフィレンツェの有力市民が担当し、正式な役職ではないエージェントに非フィレンツェ人を起用して、大使のいないところでは重要な任務を負わせ、またダーティーな仕事を請け負わせた。シエナ戦争に勝利し、シエナ共和国和統合した(領土拡張の最大の成功)。

フィレンツェの起源をローマから切り離すため、アンニョ・ダ・ヴィテルボの理論「エトルリア神話」(ノア→エトルリア(=トスカーナ)王国を創る)をフィレンツェに受容した。それはコジモの政策、すなわち領土拡大政策や国内統合(フィレンツェだけではなく、トスカーナ全体を統合したい。)、フェラーラとの優先権問題(儀式などにおける使節などの順列争い)などをバックアップするものであった。

国家が安定してからは、自らの地位を高めることに集中する。そのために、サント・ステファノ騎士団の設立、長男フランチェスコとカール5世を継いだフェルディナンド1世の娘ジョヴァンナの結婚、新しい宮殿の建設(メディチ邸、ヴェッキオ宮殿(特に500人広間に力を入れ、コジモ礼賛の天井画を描かせる。)、ウフィッツィ、ピッティ宮殿、ヴァザーリの回廊)、絵画や彫刻の注文、学問の振興を行い、宮廷を充実させていく。

ときには冷酷と思われる手段も使いながら国家を建設し、文化もそのために利用していったコジモ1世であるが、公妃エレオノーラとは相思相愛と言われ、また妻や子供たちとともにつつましく飾った1つのテーブルで食事をし、家族が常に一緒に行動したといわれている。そんな私生活も垣間見ながら、傍系で若年だったにもかかわらず、コジモ1世がどのように国家の存亡がかかる時期を生き抜いたかを見た。マッキァヴェッリが望んだような冷徹さや果断さを持った最後のルネサンス的君主であったといえよう。(山田記)

<講師プロフィール>北田 葉子(きただ ようこ)
明治大学商学部教授。慶応義塾大学文学研究科博士課程修了。博士(史学)。イタリア政府奨学金留学生としてフィレンツェ大学に留学。専門はイタリア近世史。単著:『近世フィレンツェの政治と文化』(刀水書房)、『マキァヴェッリ』(山川出版社)