イタリアマンドリン通信 <日本の私のギター><お茶事稽古お手伝い><隣のシニョーラとのプレゼント交換>

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<日本の私のギター>

日本に置いていたギターが、壊れてしまっておりました。年に1度か2度しか一時帰国しないのですが、イタリアのギターのマエストロからいつも休暇で日本に帰国する時に、
練習が出来ない事を気にされていました。やはり、後戻りするからです。いざギター購入となると、それなりの価格となるのでどうしたものか考えており、中々決心がつきませんでした。

今回1月に日本に帰国した際に、色々楽器を持っていた友人に会いましたら、電子ピアノを誰かに譲ったと聞き、その他の楽器(ギター数本、ウクレレ等)について尋ねました。私が練習用に必要なのでと理由を言いながら。彼は一つは息子さんに譲り、もう一つスペインギターがあると答えました。

私はもしもう弾かないのであれば、是非私に譲ってくれませんか?と聞きましたら、なんと私に無償で譲ってくれると言ってくれました。勿論私は適正な価格でお支払いしますと話しましたが、その楽器が私によって有効に役に立つのであれば、喜んで提供したいと。

余りの偶然のギターの出会いと、その嬉しい申し出に驚きました。その友人とはイタリア語を通じて知り合い、15年以上お付き合いを続けて互いに情報交換し、また昨年はミラノにも来てくれました。

いつも思う事ですが、イタリアと音楽を通じて様々な人と出会い、友好関係を継続して常に新しい発見や嬉しい出来事が沢山起きています。私の人一倍の好奇心もそれを更に有効にしています。

その新しいギターは現在日本に置いてあるので、私を待ってくれています。次回会えるのは来年?

<お茶事稽古お手伝い>

ある日、ミラノで茶道を教えている友人から「お茶事稽古」をするので、お手伝いをお願いしたいと依頼がありました。炭点前からお懐石、お濃茶、お薄と、利休の時代のおもてなし作法にのっとった、お茶席の一連の作法を勉強するお稽古だそうです。

最近日本から持ち込んだ建材・建具・畳等全てを、彼女が不器用なイタリア人大工にイタリア語に翻訳したマニュアルを元に、苦労して(彼女が)組立てられた本格的な茶室が彼女の家にあります。

今回は、台所で懐石料理の準備と洗い物で、盛り付けやお料理の手順を伝統にのっとり行うと言う事なので、和食の勉強ならと引き受けました。

その前日に、もう一人のお手伝いの方と先生の友人が魚料理を準備され、私はその後野菜料理の下ごしらえを手伝いました。出汁は本格的に一番だし、二番だしそして八方出しを用意し、野菜を切り、明くる日にすぐ出せる状態まで準備しました。

懐石料理を扱うのは初めてでしたので、大変だったのはお膳を作るまでの行程と出す直前の用意です。温かいお料理を温かく出すために、二番だしで漬けておいた野菜を温め実際に器に盛って掛ける出しは一番出汁であり、そのタイミングと温度加減に神経を使いました。コンロはガスでなく電磁調理器であったため、速やかな温めが難しく調整に苦労しました。

先生のイタリア人女性生徒1人が着物着用で「亭主役」。お客様がご夫婦一組とイタリア人男性(カメラマン)、イタリア人男性生徒(お茶マニア)も遠方からこのお稽古のために駆けつけました。レッスンは全てイタリア語で行われますが、私達お手伝いは台所に籠っておりましたので、茶室での様子は分かりませんでした。

兎も角、手順とタイミング、多い品数の準備で何しろお手伝い二人とも初めてなので、あたふたと(始終先生に叱られ注意されながら)、お料理をお出ししました。

安堵の間もなく、お客様が食されている間に我らもその食事を味見しければならず余り余裕なく急いで頂きました。その後すぐに次の準備があり、お酒のお代わりのお燗、食後のさ湯、御新香など次々とありてんてこ舞い。ですからお料理の写真も撮れませんでした。

そして皆様、茶室から出てこられて椅子着席でのお点前となりました。もう正座が我慢できないからとか。。。それはそうでしょう。うん時間もかかってましたから。

私達日本人は幼い頃から自然に、ある程度身につけている習う側の「心得」や「作法の有り方」「生まれた文化の背景・しきたり」は、それが無いイタリア人が、表だけから見た日本文化の洗練さや簡素さだけでは理解出来ません。茶道の中に全て含まれるその感性と背景はどうやっても説明しがたい、説明しても納得させられないものがあると先生である友人は語ってました。

<隣のシニョーラとのプレゼント交換>

私が日本から友人から分けて貰った日本のカレンダーを、隣のシニョーラにお土産として郵便ボックスにメッセージと一緒に入れました。2年前にも喜んでくれたので、きっと気に入ってくれると思いましたので。

このカレンダーは、以前勤めていた会社に障がい者雇用のための特例別会社があり、毎年絵を書くことが好きな、才能ある障がい者のアートによる作品が描かれており、その説明も彼女にしました。

その後、家のインターフォンが鳴り、扉を開けると彼女でした。私にそのプレゼントのお礼と、どんなに気に行ったかを話してくれました。昨年秋に彼女は一人で日本に初めて旅行しイタリアに帰国して会った時に、日本がどんなに素晴らしかったかをとうとうと話してくれました。最初の言葉は「Il Giappone è un’altra pianeta!」(日本は他の惑星だ!)と言ったセリフがいかに想像を超える国で彼女にとっての最上の褒め言葉でした。

つまり、全てが完璧で清潔で整っていて、礼儀正しく親切で・・・と続いたのでした。今までアパート内で出会うと勿論挨拶を交わしますし、問題あると相談したりしていましたが、この旅行を境に私に対する印象が変わったようで、ぐっと身近に感じる振る舞いになったような気がします。

そして手に持っていたのは、イタリアのカレンダー。私へのお返しでした。私のささやかなお土産で、こんなに喜んでくれるとは思いませんでした。更に中には手紙があり、彼女の思いが綴られており、嬉しくなりました。

そしてイタリアでは、「カレンダーは沢山の日にちがあり、つまり沢山の日々が贈られるから、カレンダーをプレゼントすることは希望と良い縁起良い」と書かれていました。またそのカレンダーには月毎に格言の様な言葉が書かれており、それも素敵だなと感じました。

私の気に入ったのは、”La vita è troppo corta per aspettare. Andiamo!”です。