連続文化セミナー 「イタリアの祝祭」
第5回 ヴェネツィアの祝祭 ―オペラと劇場―ご報告

連続文化セミナー「イタリアの祝祭」の最終回である第5回は、7月22日(金)にオペラ史研究家の田島容子先生に、『ヴェネツィアの祝祭―オペラと劇場―』と題してお話いただいた。参加者30名。

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1600年にフィレンツェで生まれた音楽劇が、1637年にヴェネツィア共和国に導入されて以来たちまちのうちに新機軸のスペクタクルへと変貌し、大流行を見る。もしこのような経緯をたどらなかったならば、オペラは今日の姿に到達しえたかという疑問を解くのが今回のテーマである。

イタリアのルネサンス期、諸都市は祝祭には不可欠なもろもろの形の演劇の上演を競い合ったが、音楽部分は、上演を彩る豪華な添え物に過ぎず、まだ音楽を用いて劇全体を進行させる発想は存在していなかった。これに対して1580年代、貴族と学者による古代ギリシャ劇研究グループ(カメラ―タ・フィオレンティーナ)がフィレンツェに結成された。彼らは、当時のフランドル楽派の「多声(40声部)」を言葉が聞き取れないと批判し、古代ギリシャの朗唱(独唱)の復元を打ち出した。このような動きから1600年に上演された『エウリディーチェ』が現存するオペラの最も古い例とされている。

地中海交易で富を築いたヴェネツィアは、16世紀後半から国力の衰退が始まる。享楽を愛するヴェネツィア市民に最も痛手であったものは、信教・出版の自由を巡って教皇庁と対立し、教皇庁により国家的破門の脅しを受けたことであった。恭順を示す政府は急遽、奢侈取締監督局を設け、1605年、市内からあらゆる歓楽と贅沢品は一掃された。1636年に、教皇ウルバン8世の病気を機に、その跡目争いのどさくさに紛れて、贅沢禁止令は突然緩和された。1637年、サン・カシアーノ劇場で上演されたヴェネツィア初のオペラ『アンドローメダ』は新機軸のスペクタクル性から、瞬く間に市民をとりこにした。

17世紀ヴェネツィアのオペラの異常な流行は、その原因を有料公衆劇場の存在に探ることができる。干拓から土地を作り上げたヴェネツィアは、底面の広がりが大きく取れない。建築家が編み出した斬新な工法は、馬蹄形または釣鐘型平土間を取り囲むように内部の壁面に5層にわたり30余の桟敷(小部屋)を設置するヴェネツィア型(イタリア型)劇場の出現である。1700年までに人口14万人弱のヴェネツィア市内に17のオペラ専用劇場が建設された。

オペラ興行に対する共和国の監督と保護は、細部にわたって実施された。政府関係者と他国外交官との私的接触を禁じていたが、劇場を私的会合の接点として認可し、諜報の面からも政府の手で綿密に手配された。桟敷と桟敷の壁の隙間にスパイを配していたと伝えられている。

17世紀のヴェネツィア・オペラの総数は370本程度と捉えられ、1600年から1636年までの貴族オペラが20作程度であったことに比較すると、その増加ぶりはすさまじいものがある。ヴェネツィア・オペラの盛行の1つの要因として、興行主制度(Impresario)を挙げることができる。各劇場の興行主は、オペラ制作から劇場運営まですべての業務を統括する。競争が激化すると、常に聴衆の人気を考慮し、聴衆の愛好する筋書、例えば宮廷の醜聞や政争を盛り込み、劇中に超自然現象を登場させるなど、機械仕掛け中心の舞台構成や舞台転換の多用など娯楽中心の音楽スペクタクルへの道を加速させる。雲の昇降装置、舞台を一瞬に暗転させる装置、地獄の業火、船の難破、海の波の現出など興味深い装置の紹介があった。一瞬にして舞台を変える方法として、観客席後方にサクラを配置して騒動を起こさせ、観客が後ろを振り返っている間に、舞台を変えてしまうという策も採られたという。

作曲家への謝礼は1作当たり400ドゥカートと決められ、歴代のサン・マルコ大聖堂付き楽長の年間給与に相当する。一例を挙げると1668年からサン・マルコ大聖堂付き楽長職にあったカヴァッリは39作の依頼を受け、年収の39倍をオペラ作曲で得たことを示している。その噂は他国にも伝わり各地の作曲家は競ってヴェネツィアのオペラ劇場に作品を持ち込んだ。貴族子弟によるヴェネツィア独特の演劇団体であるコンパニーア・デラ・カルツァが、オペラ台本のみならず、劇場経営にも密接に関わった点で、ヴェネツィアの富裕階級とオペラの関係の特異な部分として注目される。(山田記)

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<講師プロフィール> 田島 容子(たじま ようこ)
イタリア音楽の研究で日本第一号の博士号を東京芸術大学から受ける。イタリア音楽学会(ローマ)正会員、ドニゼッティ研究所共同研究者、日本オペラ振興会でオペラ史の講義を通して後進の指導に当たる。日伊協会評議員。イタリア・バロック音楽文庫としてイタリア・オペラの初版譜、稀覯本を多数収蔵、解読と分析を行う。専門テーマは「17世紀ヴェネツィア社会と芸術」、「ロマン主義とオペラ」