連続文化セミナー「ファシズムと芸術」
第4回 “ファシズム期の”美術  ~ その複数の貌と再生する未来派の記憶 ~


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ファシストたちがイタリアの政権を担った1922年から42年の「ファシズムの時代」を生きた芸術家たちとその作品について、様々な分野の専門家が数回にわたってわかりやすく解説します。古代ローマ、ルネッサンス、バロックの芸術でおなじみのイタリアですが、20世紀前半、特にこの困難な時代の芸術の世界ものぞいてみませんか?

第4回 “ファシズム期の”美術  ~ その複数の貌と再生する未来派の記憶 ~

 

アレッサンドロ・ブルスケッティ《雲間の軽業》1934年

アレッサンドロ・ブルスケッティ
《雲間の軽業》1934年

“ファシズムの”美術といわれたとき、多くの人が最初に思いうかべるのは、フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティと未来派の運動ではないでしょうか。

しかし実際のところ、フランスの『フィガロ』紙上にマリネッティの「未来派宣言」が掲載され、この芸術運動が産声を上げたのは、いまだ第一次世界大戦も開戦をむかえていない1909年のことでした。

戦争を「世界の唯一の健康法」と位置づけ、危険と機械と速度を礼賛した未来派の運動。この鮮烈な攻撃性が次第にファシズムの台頭へ関与していったのは事実といえど、未来派の生みだす美術は、“ファシズム期の”美術ではあっても“ファシズムの”美術ではありませんでした。

そもそもファシズム政権下において、ナチズム政権下に示されたような統一的な美術の規範、明確な“ファシズムの”美術の規範は存在しません。暴力的で前衛的だった未来派の運動、マルゲリータ・サルファッティの先導したノヴェチェント派の伝統回帰、デ・キリコに始まった形而上絵画、フランスのアプストラクシオン・クレアシオンの流れを汲む抽象芸術……

そこにはただ、さまざまな貌を同時に持つ“ファシズム期の”美術が存在するのみです。にもかかわらず、敗北のなかに第二次世界大戦が終結をみると、未来派による美術はあたかも“ファシズムの”美術であったかのように扱われ、人々から目を背けられました。ふたたび光のもとで語られるようになるまで、未来派の美術とその作家たちは、長い年月を闇のなかですごすのです。これをふまえて今回お話しするのは、第一次世界大戦後の未来派を中心とした、“ファシズム期の”美術についての概説です。

最後につけくわえる形で、第二次世界大戦後のイタリアにおいて新たな形で生まれなおす「未来派の記憶」についてもふれたいと思います。

<講師プロフィール>

■巖谷 睦月(いわや むつき)

東京藝術大学専門研究員、大学非常勤講師。東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程修了、博士(美術)。東京造形大学などで西洋美術史の講義を担当。専門はイタリア、とくにルーチョ・フォンターナを中心とする20世紀の美術。

申込名開催日時間会場参加費備考
S-SF410/25(土)16:30~18:00青山
石川記念
ルーム201
会員2,000終了
受講生3,000
一般