坂本鉄男 イタリア便り サルにサクランボ?

1976年の夏、在ローマ日本大使館の文化担当官から「先生は動物園にお知り合いはいませんか?」と電話があった。大分市の高崎山のサルが増え過ぎ、最も小さな集団が他の集団に殺されそうになっており、外務省が世界で引き取り手を探しているという。

幸い、わが家は当時のローマ市立動物園園長、エルマンノ・ブロンジーニ博士夫妻とは昵懇(じっこん)の仲であった。早速、園長に相談した。すると、「サルを救ってやろう。サル山をつくる場所はあるが問題は財政難の市からの資金だ。幸い、市の大物政治家である担当助役をよく知っている。彼を食事に招待して3人で話を進めよう」という。

有名レストランでの交渉は助役が好意的だったため、話はトントン拍子に進んだ。77年の晩春、立派なサル山の完成と同時に大分市から28匹のサルが到着、大量の果物が用意されたサル山に放たれた。

果物選びをした園長夫人が家内に尋ねた。「ニホンザルはサクランボが嫌いなのかしら」。見るとサルたちはバナナや桃をさんざん食べた後、サクランボをあめ玉のように頬張っては口から出して眺めている。家内が説明した。「日本はサクランボが高価だから食べたことがないのですよ」
広告

あれから約40年。サルはここでも増え過ぎてもらい手を探している。

坂本鉄男

(2015年6月28日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)