坂本鉄男 イタリア便り リハビリ病院の先駆者

カルロ・ニョッキ司祭(1902~56年)の名前を知っている日本人はほとんどいないだろう。司祭はイタリアにおける「リハビリ病院の元祖」ともいえる人物で、54歳の若さで死去したにもかかわらず、数年後には「福者」(聖人の1つ手前)に列せられた。

 ミラノ近郊で生まれた司祭は若くして聖職に進み、第二次大戦中はアルプス山岳部隊の従軍司祭として兵士と生死を共にした。祖国に戻った司祭が胸を強く打たれたのは、敗戦直後の日本と同じく戦災孤児の多さと松葉づえにすがる傷痍(しょうい)軍人の姿であった。

 「リハビリ」という言葉も知られていない時代である。司祭は、まず資金集めに奔走し手足のない孤児を収容する施設を造った。次いで「リハビリ専門病院」の必要性を痛感し、医療財団の設立に乗り出した。その志は宗教界・政財界から多くの賛同者を集め、「ドン・ニョッキ財団」の発足につながったが、不治の病に侵されていた司祭が発足を見ることはなかった。

 60年以上がたち、医療界にリハビリの重要性が根づいた今、司祭の熱意が生んだ財団はミラノおよびローマにリハビリ専門の大病院を持ち、イタリア全土33カ所でリハビリセンターを運営するまでになった。人道的な目的からまかれた一粒の種がこのように成長した例は少なかろう。

坂本鉄男

(2020年3月17日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

坂本鉄男 イタリア便り 詐欺師に注意! 「トレビの泉」のケチくさい話

昔、イタリアの喜劇映画には大体こういう筋書きの小話があった。

 ローマを訪れる観光客にならって米国の富豪が「トレビの泉」を眺めながら叫んだ。「わが大アメリカに欠けるのはまさにこうした遺跡だ」。すると、どこからとなく貴族然とした老紳士が現れ名刺を出した。見ると「トレビ大公爵ジュリアス・シーザー14世」とある。

 いくら歴史の重みに弱い米国人でも驚いた。老紳士は続けてこう吹っかけたのである。「昨日もブラジルの富豪がこの泉を200万ドルで売ってくれと申し出たのですが、私はアメリカびいきだ。あなたくらいなら半額の100万ドルでお譲りしましょう」。

 話の結末は忘れたが、最近の「泉」をめぐる話はケチくさい。

 地元紙によると、少し奥まったところにある泉には5方向から小道がある。どの小道の両側にも土産物屋が軒を連ね、観光客を目当てにしている。ところが道しるべの標識が曲げられたり汚されたりして、特定の店に導くようになっているというのだ。この知らせに市役所も新しい標識を付けるなど対策を講じ始めた。

 日本でも間もなく東京五輪・パラリンピックがある。大勢の観光客を前にして詐欺師まがいの手口で「ぬれ手でアワ」をもくろむ連中が出てこないとも限らない。

坂本鉄男

(2020年3月4日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

坂本鉄男 イタリア便り 消えたクリムト 23年後の発見

19世紀末から20世紀初頭にかけて、工芸、美術、建築、絵画など広範囲の分野で「アールヌーボー」という全く新しい芸術様式が欧州を中心に花開いた。今回は、この分野で活躍したオーストリアの代表的画家、グスタフ・クリムト(1862年~1918年)の作品の一つをめぐる事件についてお伝えしたい。

 97年2月、イタリア北部ピアチェンツァの現代美術館からクリムトの傑作の一つ「婦人の肖像」が盗まれた。直ちに捜索が行われたが行方は全くわからなかった。ところが23年の歳月を経た昨年12月、同じ美術館の裏庭の隔壁の間から庭師によって無傷のまま発見されたのである。

 一体これは何を意味するのであろうか。考えられる理由の一つは、盗みに成功したまではいいが、あまりにも知られ過ぎた美術品であるがために転売が不可能となったことである。盗み出すにはかなりの準備と資金を要したであろうに、23年間手元に保管した後に何の報酬もないまま「返却」するとは間の抜けた盗賊団といわれても仕方がない。

 ただ、世の中には表の社会には姿を見せない大金持ちがいる。「婦人の肖像」も彼らが大金を投じて手に入れ、密室で眺めて楽しんでいたという推理もできそうだ。そう考えると、世の中を驚かせる謎の盗難事件はこれからも起きるのかもしれない。

坂本鉄男

(2020年2月4日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

坂本鉄男 イタリア便り 典型的なクリスマス料理はウナギ

われわれ日本人は、昔から有名人の言葉を信用しすぎる傾向があるらしい。

 その一例が「土用のウナギ」だ。江戸時代の博学で名高い平賀源内が真夏の脂のないウナギの売れ行きが悪いのを嘆いていた知人のウナギ屋のために「本日、土用の丑の日」なるウナギの味と全く関係ない宣伝文句を貼らせたところ、これが大当たりをして、現在の日本人と土用のウナギの関係が生じたと伝えられる。

 実際、ウナギの一番うまいのは脂がのった秋から冬である。イタリアでは地方によって、典型的なクリスマス料理の一つにウナギ料理が加えられる。

 一番簡単なものは、はらわたを除き、太いものは皮をむき、7~8センチくらいのぶつ切りにし、レモン汁とオリーブ油を混ぜたものに香辛野菜を加え、この中にウナギのぶつ切りをつけておき、オーブンで焼いたり油で揚げたりしたものだ。もちろん、トマト煮も一般的であるし、面倒なら食料品店でオリーブ油漬けのぶつ切りの焼きウナギを購入する人々も多い。

 ここで結論を言えば、いずれのイタリア式ウナギ料理も日本式「かば焼き」の味に慣れたわれわれの舌には落第だ。もっとも、ウナギ通のイタリア人は「かば焼きのように手を加えすぎたらウナギ本来の味は消えてしまう」というのだが。

坂本鉄男

(2019年12月24日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

坂本鉄男 イタリア便り カレンダーに潜む謎

以前、日本人として初めてローマ教皇庁の大臣クラスを務めた故浜尾文郎枢機卿に伺ったことがある。

 「昔は神学校と神学大学ではラテン語は必須科目で、教皇庁内でも知らない外国人枢機卿とはラテン語で通じ合ったものだった。今はラテン語に代わり英語ですね」と。

 つまり、十数世紀の長きにわたりキリスト教会の公式言語であったラテン語が教会内部でも重要性を失いつつあるわけだ。

 欧米語には、ラテン語およびラテン文化の影響を受けたものが多い。一例を挙げると、英語で12月を表すディッセンバーは、ラテン語ではデケムベルという。

 ラテン俗語から直接派生したイタリア語は当然ラテン語の影響を受けているのだが、9~12月にかけてのイタリア語の表記にはちょっとした謎が隠れている。

 9月=セッテンブレ、10月=オットーブレ、11月=ノベンブレ、12月=ディチェンブレというのだが、太字で強調した冒頭部は、ほぼそのまま現代イタリア語の7、8、9、10なのだ。では、なぜ9月の語の頭が7で、10月の語頭が8なのだろうか?

 これは古代ローマのカレンダーが現在の3月から始まっていたためだ。つまり現在の9月は3月から数え始めて7番目、10月は8番目の月だったというわけである。

坂本鉄男

(2019年12月11日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

坂本鉄男 イタリア便り ワイン好き待望の日

毎年11月の第3木曜日(今年は11月21日)は、ワイン好きにとっては待望の「ボージョレ・ヌーボー」の販売解禁日である。

 このワインは、ブドウを搾った液を発酵させ時間をかけて熟成させる伝統的なワインとは醸造方法が違うものだ。

 フランス中東部のボージョレ地区で取れるガメイ種ブドウを房のまま容器に詰めて密封し、ブドウ自体の重みで流れ出す液を、これまたブドウ自体から発生する炭酸ガスにより発酵させた短期間で出来上がるワインである。

 タンニン味が低く、フレッシュな香りが楽しめるのだが、保存がきかないため年内に飲みきる方がよい。

 近年、イタリアでもボージョレ・ヌーボーの製造方法を取り入れていろいろなブドウ品種で造られているが、伝統的な方法で醸造する新酒ビーノ・ヌオーボと区別して「ビーノ・ノベッロ」の名称で親しまれている。

 このビーノ・ノベッロは、法律により伝統的醸造法で造られた新酒を60%加えることが許されているほか、アルコール度も11%以上と規定され、10月末から12月末まで販売される。

 伝統的醸造法で生産された年代物を好むワイン愛好者はボージョレ・ヌーボーを敬遠しがちと聞く。今年はイタリア産ビーノ・ノベッロを試されてはいかが。

坂本鉄男

(2019年11月26日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

坂本鉄男 イタリア便り 法王と長崎の少年の写真

全世界約12億人のカトリック教徒の頂点に立つローマ法王フランシスコが、11月23日から26日までの4日間、来日し、東京、長崎、広島を訪問する。

 昨年1月下旬、法王がチリおよびペルー訪問に赴く機中のことである。同行記者団との懇談の席上、あらかじめ用意してきた一枚の写真を配って、言った。

「これが核戦争のもたらすものだ。偶然この写真を入手したが、1945年、長崎に原爆が投下された直後、少年が死んだ弟を背負い火葬場の列に並んでいる姿を写している。多くの言葉の羅列より、もっと胸を打つものだ」

 記者の一人が「法王は核戦争を恐れておられるのですか」と質問したところ、法王はこう答えた。「そうだ。われわれは今、瀬戸際に立たされており、何かの偶発的出来事が事態を急変させ得る。核兵器は廃絶しなければならない」

 法王が記者団に配ったという写真の少年の姿をよく見ると、法王が説明した内容とはやや場面が違うような気もするが、そんなことは重要な問題ではない。

 カトリック教徒の多い長崎の被爆者の姿が法王の胸を強く打ち、核兵器廃絶への信念を固めさせたことは紛れもない真実である。長崎、広島を訪問された後、声を高くして全世界に核兵器廃絶を訴えていただきたい。

坂本鉄男

(2019年11月12日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

坂本鉄男 イタリア便り 難航する高速鉄道

イタリアは北側国境を、フランスの地中海沿岸からスイス、オーストリアを経てスロベニアまで至る険阻なアルプス山脈に囲まれている。このため中欧からイタリアに入るには、この山脈を越えなければならない。

 紀元前では象と大軍を率いたハンニバルの「雪のアルプス越え」が有名だし、近世ではゲーテやモーツァルトたちの徒歩や馬車によるブレンネル峠越えが知られている。このため、1965年に開通した仏・伊を結ぶモンブラン・トンネルは、ヨーロッパの自動車旅行と陸上輸送にとって画期的な出来事であった。

 仏伊両政府は、20年以上前から、アルプスの下をトンネルで通り中仏リヨンと北伊トリノを結ぶ高速鉄道の建設計画を進め、欧州連合(EU)も中欧と東欧を結ぶ新大動脈として巨額な資金援助を約束している。

 この完成により、トリノ-パリ間がわずか3時間半に短縮されるほか、2030年には9千万トンに達すると推定される現在の陸上輸送も、この高速鉄道に移行される部分が大きい。

 だが、すでにフランス側は工事が進捗しているのに、イタリア側はポピュリスト(大衆迎合主義)政党「五つ星運動」の反対で1年以上も工事が停滞。同党と中道左派「民主党」の新連立政権誕生で工事が進むかどうか。

坂本鉄男

(2019年10月22日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

坂本鉄男 イタリア便り カトリックの枢機卿とは

アルゼンチン出身のローマ法王フランシスコは来る10月5日に枢機卿会議を招集し、13人の新枢機卿の任命を発表する。では、枢機卿とは全カトリック教会の中でどのような地位を占める聖職者なのであろうか。

 簡単に言うと、法王自ら選任する、法王に次ぐ高位聖職者だ。終身制で、80歳になるまでの間に実施される「コンクラーベ(法王選挙)」で、選挙権および被選挙権を持つ。

 中世から前世紀までは、法王庁内の権力構造により枢機卿の数が少なく、しかもイタリア出身者が大部分を占めていたので、必然的にローマ法王はイタリア出身者と決まっていた。

 実際、1522年選出のオランダ出身のハドリアヌス6世から1978年選出のポーランド出身のヨハネ・パウロ2世が選出されるまでの間、実に約450年もイタリア人が法王の座を独占していたのである。

 現在は法王選挙権を持つ枢機卿の数は原則120人と決められ、布教上の必要から世界各地から選ばれることが多くなった。

 カトリック系紙によると、今年末の選挙権保有枢機卿を地域分けすると、欧州50人(うちイタリア20人)、ラテンアメリカ23人、アフリカ17人、アジア14人、北米12人、大洋州4人だ。イタリア人法王選出の可能性はさらに低くなった。

坂本鉄男

(2019年10月1日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

坂本鉄男 イタリア便り スペイン階段 座ると罰金

「スペイン階段」の通称で親しまれるローマの観光名所の一つ「トリニタ・デイ・モンティ教会の大階段」で7月5日から、市条例により、腰をおろすだけで250ユーロ(約3万円)、飲食物などで故意に汚した場合は400ユーロ(約4万7,000円)の罰金が科せられることになった。

 この大階段は、毎年春になると植物園から運ばれる美しいツツジの大きな植木鉢が並べられ、夏の夜にはファッションショーが開かれるなど市民を楽しませる場所であった。

 有名ブティックの寄付により、大階段は最近、修復、清浄されたばかりだったが、階段上で野宿をしたり、階段に座って飲食した後で片付けもせずに立ち去る者が激増している。

 近年、イタリアでは、格安航空運賃の普及による大観光ブームと世界的な若者の行儀の悪さを背景に、名所旧跡が心ない観光客によって傷つけられたり、汚されたりする事例が各地で報告されている。この大階段もその一例だといえる。

 市当局は緊急対策として罰金導入に踏み切ったのだが、多言語で表記された禁止条例の掲示板が不足していることから、いざこざの発生が指摘されている。

 東京五輪・パラリンピックを1年後に控え、観光客の増加を見込む日本の市町村にとっても、教訓となりそうな点があるのではないか。

坂本鉄男

(2019年8月20日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

坂本鉄男 イタリア便り 遺灰の扱い

カトリック教では昔、この世の最後の日に死者が墓からよみがえり、神の裁きを受けるものと信じられてきた。そのため、死者は土葬するものと決まっていた。教会が時代の流れに押され正式に火葬禁止を解いたのは1963年のことである。

 イタリアはかつてカトリック教が国教だったため土葬が当たり前だった。しかし、火葬が解禁されて以来、急速に火葬が普及し、2016年の統計では死者の23%が火葬された。

 だが、火葬場の増設が追いつかない。ローマの場合、火葬の待ち時間は通常5~7日間で、混雑時には15日間待ちという、日本では考えられない事態が起きている。

 驚くのはこれだけではない。火葬後の遺灰の扱いにもいろいろ規則があり、下手をすると禁錮刑や罰金を科せられる。遺書があれば故人の遺志を尊重し、風葬や海に流すことも法的には可能だが、普通は骨つぼに納められて封印され、墓地や納骨堂に納められる。

 ローマ市北部にある140ヘクタールものイタリア一広大な公営墓地。バスも巡回するほど広い敷地内を通る道路上に、それまで自宅に保管していた母親の骨つぼを放置し、訴えられた男性がいた。駅の遺失物保管所には置き忘れた骨つぼまであると聞く。日本とは故人の遺灰に対する考え方がかなり違うようだ。

坂本鉄男

(2019年7月23日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

坂本鉄男 イタリア便り ノンキな日本人

先日、経済が専門のイタリア人の友人に言われた。「君の言うとおりイタリアは財源がないのにポピュリスト(大衆迎合主義者)政権がバラマキ政策を取ろうとするから大変だ。だが君は日本の財政赤字のすごさを知っているのかい」と。

 彼によると、イタリアの債務残高は国内総生産(GDP)比で約130%と欧州連合(EU)でギリシャに次いで高く、EUの一員だけにEU欧州委員会から絶えず警告を受けている。一方、日本には警告をしてくれる国際機関はなく、債務残高は膨れるばかり。GDP比では先進国の中で最も高い約240%という。

 これは、日本国民1人当たり赤ん坊を含め850万円以上の借金になり、給与所得が年額550万円の若年家庭で、例えば夫の収入だけで暮らす3人家族なら、4年以上飲まず食わずで借金返済に追われる額だという。「老後に2千万円が必要」どころの騒ぎではない。

 EU諸国では消費税は20%前後が普通だが、この高税率でも国民はなんとか過ごしている。日本は10%への消費増税をめぐり大議論が起きているが、将来に残しかねない莫大(ばくだい)な借金の減額のためなら我慢もやむをえまい。だが、もしバラマキ政策のためとなれば、日本もポピュリスト政権と呼ばれることになるだろう。

坂本鉄男

(2019年7月9日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

坂本鉄男 イタリア便り 「空飛ぶタクシー」実現目指す

イタリア北部トリノで、欧州航空機大手エアバスなどが進めるプロジェクトが始まっている。市当局やトリノ工科大、自動車のデザイン会社も参画する「空飛ぶタクシー」の実現を目指すプロジェクトだ。

 イタリア紙レプブリカが4月、このプロジェクトについて取り上げた。同紙がトリノ市議の話として伝えたところでは、機材はパイロットによって遠隔操縦される仕組みで、将来的には自動航行で人や物を運ぶ構想を実現させたい考えだ。

 折しも5月には欧州連合(EU)欧州委員会が、ドローン(無人機)の運用に関する規制を発表した。事業者や趣味で飛ばす人たちなど操縦する全ての人が対象になる。発表によれば、操縦者は2020年以降、加盟各国で当局への届け出が必要になるという。

 今後、「空飛ぶタクシー」の安全性や経済的効果が証明されれば、各国で人を運べるドローンの研究開発が加速していくだろう。市街地での低空飛行などを実現させるための法整備も進めなくてはならない。

 英BBC放送でも17年にアラブ首長国連邦のドバイで、人を乗せたドローンの試験航行が行われた話題を取り上げていた。ドローンが約100キロの人を乗せて30分間移動したという話だ。日本での研究も積極的に進められることを望む。

坂本鉄男(2019年6月11日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

坂本鉄男 イタリア便り 噴水の役目とは

ローマには観光客なら誰もが訪れる「トレビの泉」の他にも大小700以上の噴水があるといわれる。有名な噴水の大部分はルネサンス期からバロック期にかけて法王領の首都であったローマを美化しようとした芸術的センスを持ったローマ法王の下で造られた。

 一方、政治的意図を持って造られた噴水もある。例えば、イタリア中部トスカーナ州の古都シエナの中心広場「カンポ」を飾る「ガイアの泉」だ。市民の郷土意識を高め、他の都市国家に誇れるようにと造られたもので、当時の法律に維持・管理に関する規定があったとされる。

 また、2009年の中部アブルッツォ州を襲った地震で大きな被害を受けた州都ラクイラ市の「99の噴水」も同じ目的を持ったものといえよう。かつて周辺の99の小さな領土の城主たちが1つの都市国家を造ろうと相談した結果、首都となる町の中心に横長い噴水群を造ることとなった。各城主が、口から水が噴き出すようにみえる顔の形にかたどった噴き出し口を1個ずつ寄贈すると決めたことが起源という。

 イタリアの古い都市は、他の都市やサラセンの海賊の攻撃を避けるため山上に造られたものが多く、噴水を見ると水道技術は今のイタリアよりむしろ優れていたことが分かる。

坂本鉄男

(2019年5月28日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

坂本鉄男 イタリア便り 端午の節句とナポレオン

この話題は前にもお伝えしたが、時節にふさわしいので形を変えて繰り返させていただく。20年以上前、ナポリ東洋大学での講義中、1人の学生が突然、「先生、(日本では)5月5日はなぜ男の子だけの祭りなのですか」と質問した。とっさにからかい半分で「当たり前だろう。ナポレオンが死んだ日だもの」と答えたところ、質問した学生ら全員が神妙な顔をしてうなずいてしまった。慌てて端午の節句について説明したが、一体なぜ学生らは私のわなに簡単にハマったのか。

 欧州を蹂躙(じゅうりん)し、各国の歴史と政治に重大な変化をもたらしたフランスのナポレオン・ボナパルト(1769~1821年)は1815年にワーテルローの戦いで連合軍に敗れ、南大西洋の孤島セントヘレナに流され、21年5月5日に孤独のうちに死んだ。

 現在のような通信手段がない時代、絶海の孤島での大英雄の死が欧州にもたらされたのは約2カ月後だった。イタリアでは当時の詩人アレッサンドロ・マンゾーニが英雄の死を悼み、早速、「5月5日」と題した長編詩を発表した。

 かつてイタリアの中学校では、授業で古典の名詩を暗唱させたので学生らはナポレオンの命日を知っていたのだろう。だから私のわなに掛かったのだ。日本でも古典の名詩を暗唱させてはいかがか。

坂本鉄男

(2019年5月14日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

坂本鉄男 イタリア便り 求む スイス人衛兵

バチカンのサンピエトロ広場で開かれるローマ法王出席の式典に花を添えるのは、スイス人の衛兵隊である。ミケランジェロのデザインともいわれる赤・黄・青の派手な縦じまの制服を着てかぶとをかぶり、やりを持って立つ。

 衛兵隊の起源は、500年以上前の壮烈な歴史にさかのぼる。領土などをめぐる周辺国との争いが激しさを増す中、勇猛さで知られたスイス人傭兵を集め、法王ユリウス2世が衛兵隊を創設したのは1509年。27年5月6日、ローマはスペイン王率いるドイツ人傭兵軍団の大略奪を受けた。スイス人傭兵は時の法王クレメンス7世を守り、法王は聖天使城に通じる城壁上の道を抜け難を逃れたが、衛兵149人が戦死した。

 この史実を記念して毎年5月6日、スイス人衛兵の入隊式が行われる。服役期間は2年間。志願者は独身のカトリック信者で、身長174センチ以上などの条件を満たす必要がある。

 かつては除隊してスイスに帰国すれば金融機関などへの就職に有利に働き、希望者が楽に集まったが、近年は事情が変わってきているという。衛兵の勤務時間は長い上、月給も1,500ユーロ(約18万7千円)と母国の給料と比べて決して高くない。スイス人衛兵がこの先も存続するか否かは、「神のみぞ知る」である。

坂本鉄男

(2019年4月30日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

坂本鉄男 イタリア便り 歴史的価値か安全か サンピエトリーノの石畳

古代、ルネサンス期、現代がごちゃ混ぜになったようなイタリアの首都ローマ。その特徴を最もよく表すのが、中心部の広場や道路に残る石畳である。

 ルネサンス期にローマの街の建築と公共施設と美観に惜しげもなく資金を投入した法王シクストゥス5世(1521~90年)は、サンピエトロ広場からローマ中心部までの道路を敷石で舗装させた。この敷石の最も標準的な大きさは、12センチ×12センチ×6センチの四角いもので、普通、サンピエトリーノと呼ばれる。昔は道路の底に砂を敷き詰め、その上に隙間がないようにこの角形の石をたたき込んだ舗装であった。砂の層がクッションになった画期的な構造で、中部イタリアの他の都市でも取り入れられた。

 だが、当時は馬車が主要な乗り物の時代である。一方、現在は数十人乗りの大型観光バスが乗客と荷物を満載して走り、工事用の大型ダンプカーが走る世の中である。敷石がぐらつき剥がれてバイクの転倒事故や死亡事故が相次ぎ、市が補修に努めても今の請け負い職人の仕事ではすぐに穴があく始末だ。

 市当局は、これまで何度もアスファルト舗装に変えようとしたが、歴史的価値を重んじる文化財保護局が許可を出さない。文化財を後世に残すには、このくらいの頑固さが必要なのかもしれない。

坂本鉄男

(2019年4月2日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

坂本鉄男 イタリア便り いくら亥年でも

今年のえとが「亥年」でも、イノシシが豚(とん)コレラの感染源となったり、農作物に大きな被害を与えたりすると、「害獣」として見放されても仕方がない。現在、イタリア全国には100万頭という多数の野生のイノシシが生息していると推定されている。これだけ増えると大都市の郊外には餌を求めてごみ箱をあさりに来る群れが出没し始めるし、夜道を走る車に衝突する事故も多くなってきた。

; 去る1月3日の真夜中に、日本なら東名高速に相当するミラノ-ローマ間の高速道路1号線のミラノからわずか50キロの地点で、交通死亡事故が起きた。道路脇の柵をくぐって侵入したイノシシの群れに乗用車がぶつかり、後続車も巻き込み死者2人、負傷者10人を出す大惨事だった。

 古代ローマ時代からイノシシは狩猟の対象で、王侯貴族の宴会にはイノシシの丸焼きは欠かせない料理であった。だが、第二次大戦後の狩猟ブームに乗り、中欧から繁殖力の強い種類が輸入され、狩猟地に放されたためイノシシが急増したといわれている。しかも人間とは勝手なもので、狩猟ブームが去った後もそのまま放置したから今のようになってしまった。

 その上、現代のイタリア人はあまりイノシシの肉を食べないからお手上げである。

坂本鉄男

(2019年3月19日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

坂本鉄男 イタリア便り 当地を愛したドナルド・キーン先生

先月末、96歳の人生を全うされた日本文学研究者のドナルド・キーン先生は大のイタリア好きであった。一時は毎年、イタリアを訪れてわが家で食事をなさるのが慣習だった。

 中でも、元上智大理事長・学長で、当時はグレゴリアン大学長だった故ヨゼフ・ピタウ大司教もお招きしたときの超知日外国人お二人による「日本食談議」は、私たち夫婦もそばで大笑いしたほどの傑作で、このコラムでも紹介したことがある。

 先生の日本文学への驚嘆すべき造詣の深さと、三島由紀夫や川端康成ら日本の代表的文人・知識人との交友は周知のことだが、音楽とオペラにも大変通じていらっしゃった。ローマやベネチアの音楽会やオペラに行くのがお好きで、家内が来伊に合わせて切符をあらかじめ買い、お待ちしたものだった。先生はイタリア語で大学の講義をしてくださったことがあるほどイタリア語に堪能で、オペラの歌詞を暗記して独学なさったとのことだった。

坂本鉄男

(2019年3月5日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

坂本鉄男 イタリア便り 誰がために鐘は鳴る

時計が1軒の家にいくつもある現在と違って、昔は洋の東西を問わず、お寺や教会の鐘の音は冠婚葬祭などの宗教的行事のみならず、時刻を知らせる役割も果たしていた。

 日本の童謡「夕焼け小焼け」や、ミレーの名画「晩鐘」などは、寺や教会の鐘の音が子供や農民に遊びや仕事をやめて帰宅する時間が近づいたことを知らせていたことを示す代表的な童謡と絵画である。

 ローマから東に約160キロのぺスカッセロリ村は 海抜約1千メートルの山地にあり避暑地として名高い。

 この村に約1,100年前に創立された「聖ピエトロ・パオロ教会」の司祭アンドレア・フォリオ神父は、村の少子高齢化で教会の鐘が葬式ばかりに鳴るのにうんざりして一計を案じた。「村民の諸君、特に若い女性の皆さん、今度から赤ちゃんが生まれるたびに赤ちゃんの100歳までの長寿を祈り教会の鐘を100回鳴らすことにします」と。奇抜な案に村民は驚いたものの多くが賛成した。

 イタリアの少子化は著しく、一昨年の老齢化による死者の数が63万4千人だったのに対し、新生児は44万8千人であった。

 これではフォリオ神父が心配するごとく、教会の鐘はまさに「誰(た)がために鳴る」のか問いたくなる。

坂本鉄男

(2019年2月19日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)