坂本鉄男 イタリア便り ヒダラ料理

イタリアには、南から北まで各地にそれぞれ“お国自慢”の干鱈(ひだら)料理がある。塩をまぶしてカラカラに干し上げた干鱈を、きれいな流水で3日くらいかけて戻すのはプロの仕事だ。家庭では食料品店や専門店で戻されて料理するばかりになった干鱈を購入するのだが、その揚げ物はクリスマスの食卓を飾る季節の一皿でもある。

 この干鱈、イタリア語で「バッカラ」とも呼ばれ、約500年の歴史を持つのだが、実は北欧ノルウェーなどからの輸入品である。

 ときは15世紀。あるベネチア貴族の貿易商が北欧を航海中に難破し漂着したノルウェーの沿岸で、地中海では取れないほど大きなタラを乾燥させ、大量に干鱈を生産している場面に出くわした。滋味深く、日持ちがし、値段も安い。貿易商は直ちに輸入を始めた。

 ビジネス環境にも恵まれた。キリスト教カトリックが16世紀半ばに開いたトレントの宗教会議では断食が定められた。信者が金曜日の肉食などを控える中で現れたのが安価な干鱈だ。

 イタリアやスペイン、ポルトガルといったカトリック大国の人々は途方に暮れないよう、腕によりをかけて新食材を使ったメニューの開発に取り組んだのは想像に難くない。その伝統がこんにちまで続いている。

坂本鉄男

(2020年12月15日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

坂本鉄男 イタリア便り 「無原罪の御宿り」と「受胎告知」の誤解

12月8日はカトリック教徒にとって重要な「無原罪の御宿り」の日で、かつてカトリックを国教としていたイタリアでは今も祝日である。

 旧約聖書によると、人間の始祖アダムとエバは、神の命に背きヘビに誘われて「禁断の実」を食べ(つまり原罪を犯し、現代風に言えば性交をして)楽園を追われ、以後、アダムとエバの子孫の人間は子供をつくり汗水流して働かざるを得なくなったとされている。

 一方、神の母である聖母マリアは原罪を犯すことなく聖霊を身籠もりイエス・キリストを生んだとされるのだが、無原罪の御宿りの日である12月8日に聖霊を身籠り、25日のクリスマスにイエスを産んだと考えるのはよくある誤解である。

 カトリックはマリアがこの日に聖霊を身籠もったと教えていない。12月8日はマリアが原罪なしに生まれてきたとする教義「無原罪の御宿り」を祝う日だ。

 では、マリア自身が身籠もったのはいつか。それはルネサンス期の大画家が好んで描いた「受胎告知」のあった3月25日とされる。大天使ガブリエルのお告げによりマリアが精霊を身籠もったことを知る日だ。クリスマスの9カ月前で、マリアの妊娠期間は普通の女性とさほど変わらない。3月25日を祭日にしていたら、こんな誤解は起きなかっただろう。

坂本鉄男

(2020年12月1日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

坂本鉄男 イタリア便り ワイン世界一の伝統 今年も味は最高

今年もワインの季節が近づいてきた。イタリア産の生産量は47億2千万リットルと例年をやや下回る予想だ。原因は主要産地のシチリア島と中部トスカーナ州の酷暑と雨不足のためという。

 それでも、例年のごとく2位のフランス、3位のスペインを上回るのは間違いない。人口約6千万人のイタリアで飲み切れるのかと思うが、ワインはイタリアの主要輸出品で2019年度は64億ユーロ(約7940億円)を稼いだ。特に米国、ドイツ、英国がお得意さまだ。今年も味の方は「最高」と言うから安心だ。

 ところで、イタリア国民1人当たりの年間消費量は過去40年間で100リットルから40リットルに半減した。食事や社交にかける時間が減り、嗜好(しこう)も変化したためだといわれている。流通の仕組みの変化により手ごろな価格で買えなくなったとの説もある。

 確かに、昔は空瓶を持って近くの酒屋に行き、生産農家から直接送られてくる大きな樽(たる)からワインを注いで購入していたが、最近はスーパーマーケットで瓶詰めワインを買っている。仲介業者が間に入り値段が上がったとすれば、残念だ。

 生産者にとっての吉報は最近4年間の消費量が連続して上昇し、消費者が国民の54%に達したことだ。やはりイタリアの伝統料理にワインは欠かせない。その伝統が失われることはないのである。

坂本鉄男

(2020年10月27日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

坂本鉄男 イタリア便り 貧困問題を憂う

貧困の定義は複数あるが人間として最低限の栄養や衣類、医療、住まいなどの生活水準を維持することが困難な状態を「絶対的貧困」というそうだ。こうした貧困層は、先進7カ国(G7)の一員であるイタリアにも存在し、2019年の絶対貧困家庭は約170万世帯、人数にすると約460万人に上るという。

 今年は新型コロナウイルス禍で職を失ったり収入が減ったりし、昨年より絶対的貧困に陥る人が増えるのではないかと懸念している。日本の状況はどうか。

 話は古くなるが、松尾芭蕉が1685(貞享2)年に完成させた『野ざらし紀行』には、富士川のほとりで3歳ぐらいの捨て子が泣いているのを見て、短い命の糧にとわずかの食べ物を与えて去る場面がある。340年近く前の日本ではよくある光景だったらしいが、今は昔の話と言い切れないのが悲しい。

 日本では、世帯所得が全世帯の中央値の半分未満である人々を「相対的貧困層」としている。厚生労働省によれば、2015年の日本の子供の相対的貧困率は13・9%。ひとり親家庭の相対的貧困率は50・8%で、先進国の中ではかなり悪い水準だ。

 貧困に追い詰められた親が虐待や育児放棄に至るケースも多いと聞く。コロナ禍の今年、イタリアから日本の行く末が気になる秋である。

坂本鉄男

(2020年10月13日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

坂本鉄男 イタリア便り 遺児の世話、誰がする

昔は目立たなかった「女性殺し」が今や世界各地で続発している。イタリアでも新聞を開けば、「夫による妻殺し」「前夫による前妻殺し」「別れた彼氏による元の愛人殺し」「ストーカー殺人事件」「同棲(どうせい)女性殺し」の見出しが目に飛び込んでくる。事件の背景や原因の分析は犯罪心理学者や社会問題の専門家に任せるとしても、殺された女性の遺児の世話は誰がするのだろうか。

 日本にどのような法律があるのかは知らないが、イタリアには2018年1月に国会で承認された「夫婦間、または事実上の配偶者間における家庭内犯罪により生じた孤児救済法」が存在する。孤児を救済するための資金や運用方法などをめぐる議論が省庁間で長々と続いていたが、このほどようやくまとまり、正式に発効の運びとなった。

 官報によると、今回決まった救済金の総額は1億4,500万ユーロ(約178億円相当)。多くはないのかもしれないが、これまでになかった画期的な法律といえるのではないか。孤児に対し奨学金や医療援助、就職などの便宜が図られ、支援家族に対する補助金も支給されるという。

 考えてみれば、女性殺しが頻発する責任は社会全体で負担すべきであるということだろう。それにしても住みにくい世の中になったものだ。

坂本鉄男

(2020年9月29日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

坂本鉄男 イタリア便り 「カニもどき」を本物と思って食べる

昔、東京の国立大学で教鞭(きょうべん)をとっていた頃の話である。わが家の夕食にイタリア人の教師と、大学卒業後、大手商社に入社した教え子がやってきた。

 話が弾み、商社マンの仕事が話題になった。「カンガルーの輸入です」と商社マン。「え、今なんとおっしゃった。日本の動物園はそんなにカンガルーが好きなのですか」とイタリア人。「ご存じないのですか。ソーセージに混ぜるための肉ですよ」。イタリア人は、日本でソーセージを食べなくなってしまった。

 また、食通で有名だった初代のイタリア文化会館館長がこう言って嘆いた。「君にうまいウサギ料理をごちそうしようと思って肉屋に注文したら、ウサギはみんなソーセージ用に使われるので、店にはありませんといわれたよ」

 飽食の時代を生きる今の日本人には考えられないだろうが、60年ぐらい前は肉の輸入が制限されていたため、いろいろな肉を加工して食べていた。

 食糧難を切り抜けた日本人の食品加工技術は目覚ましかった。タラバガニの漁獲が制限されると、魚肉を使ったカニかまぼこを開発し、世界中に売りさばいた。生まれて一度も本物のタラバガニを食べたことのない多くのイタリア人は、「カニもどき」を本物のカニと思って食べている。

坂本鉄男

(2020年9月1日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

坂本鉄男 イタリア便り 能とオペラの共通点 日本文化説明の難しさ

数年前、ブームに乗って日本を旅行し、偶然、能を見たという若いイタリア人夫婦の訪問を受け、質問攻めにあった。さほど詳しくはないが、むげに断れない。先方は、日本人なら詳しいと思い、頼っている。

 第1問は「劇場内に屋根と柱のある能舞台を造るのはなぜか」。よく観察していると感心しつつ、「昔は舞台の建物と観客の建物が別であったことの名残である。柱は、シテ(主役)が面をかぶり視界が広くないため目印の役目を持つらしい」とお答えした。

 次の質問は「日本人は松が好きだと聞いたが、舞台の背景に松が描いてあるのはそのためか」。「あれは能を見るために降臨した神がよりついた-と伝わる、奈良の神社の聖なる松の絵である」と回答した。

 舞台の床には仕掛けがあるのか-。「足音が響くように床板を張る前に空っぽの甕(かめ)をいくつか入れると聞いた。ナポリのサン・カルロ劇場の改修工事を見学した際、1階席の前の壁に音響効果を上げる何本もの竹が埋め込んであるのが発見されたと聞いたが、同じ発想だね」

 質問は続く。「日本人はあの長々とした単調な文句を理解できるのか」と問われ、「君らも初めて聴くオペラで何が歌われているのか分からないでしょう。それと同じだよ」と突き放してしまった。自国の文化の説明は意外と難しい。

坂本鉄男

(2020年8月4日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

坂本鉄男 イタリア便り ナポリの一品 馬車に乗ったモッツァレラ

ピザなどナポリ料理に欠かせない材料の一つがモッツァレラだ。水牛の乳で作られる生チーズで、牛乳で作られるフィオール・ディ・ラッテと比べ、ずっとおいしいし、値段も高い。<br /><br /> 水牛にはアジア種とアフリカ種があり、5世紀ごろにアフリカ種がイタリア南部、特にナポリから南下した場所にあるサレルノ地方に持ち込まれ、モッツァレラが特産物となった。気候変動による平均気温の上昇に伴い、水牛の飼育エリアは北上し、今ではイタリア北部でも生産される。

 生チーズのため消化がよく、100グラム当たり約280キロカロリーでビタミンとミネラルを多く含むことから病人食としても勧められる。

 最も簡単な料理は「カプリ島風サラダ」。300グラムくらいの丸いモッツァレラを半分に切り、端から1センチほどの厚さにくし形に切って、同じ程度の厚さに切ったトマトに乗せ、バジリコの葉をのせて並べればおいしいサラダが出来上がる。

 ほかにナポリで有名な一品は「馬車に乗ったモッツァレラ」。端を落とした角形食パンの間にモッツァレラの薄切りを挟み、溶き卵とパン粉をつけて揚げる。

 昔は丸形パンを切って作ったため「馬車の車輪の上にモッツァレラを乗せた」ように見え、この名が生まれた。今では、この語源を知る人はほとんどいなくなっている。

坂本鉄男

(2020年7月21日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

坂本鉄男 イタリア便り 漁師の健康料理「アクアパッツァ」

イタリア語の料理の名前は、日本人にも発音しやすく、そのまま日本語として使われることが多い。アクアパッツァもその一つ。

 アクアは「水」、パッツァは「奇妙な」とか「暴れた」を意味するが、なぜパッツァを用いるのか、その語源は定かでない。イタリアでは「塩水で味付けする、ごく簡単な料理」程度の意味に捉えられている。

 もともと南部の港町ナポリの漁師料理として19世紀から存在した。有名になったのは、第二次大戦後の1950~60年代に国民的人気を集めたナポリ出身の喜劇俳優、トト(1898~1967年)が好み、ナポリや沖合のカプリ島を訪れた際にレストランで必ず注文したのがきっかけだ。

 南イタリアでは定番の家庭料理。レシピを簡単に紹介すると、まずはオリーブ油で熱した鍋に完熟トマト3個を切ったものとニンニク1個を薄切りにして入れる。火が通った頃合いを見計らい、中型の新鮮なタイ1匹(スズキなどの白身魚も可)を追加する。最後に海水よりやや濃いめの塩水カップ2分の1と辛口白ワインをカップ1入れて15分ほど煮込み、イタリアンパセリのみじん切りをかけたら出来上がり。

 1人前で約170キロカロリーという健康料理。新型コロナウイルス流行下の自粛生活で運動不足の体にうってつけだ。

坂本鉄男

(2020年6月23日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

坂本鉄男 イタリア便り 人気料理と画家 「カルパッチョ」の起源

日本でも人気の生魚を薄切りにして調味料を加えたイタリア料理「カルパッチョ」は、もともと、「新鮮な牛の生肉の赤身の薄切りに、ごく薄切りのチーズ、パルミジャーノ・レッジャーノをかけたもの」であった。

 元祖とされるベネチアのレストラン「ハリーズ・バー」創業者のジュゼッペ・チプリアーニ氏によると、起源は1950年。食事制限で「加熱した肉料理は食べられない」と常連客の婦人が話すのを聞き、提供したのが始まりだ。皿に盛られた配色が、15世紀末から16世紀初頭に活躍したベネチア出身の画家、ビットーレ・カルパッチョの作品の鮮やかな赤と白の色使いに似ていたのが命名の由来という。

 これ以前に生の牛肉の薄切り料理がなかったわけではない。例えば、北部ピエモンテ州には生の牛肉の薄切りにオリーブ油、パルミジャーノの薄切り、特産の白トリュフのスライスなどをかけた料理が存在した。

 70年前にカルパッチョにちなんで命名され、有名になった牛の生肉の薄切り料理の名は、やがて生魚に転用され「スズキのカルパッチョ」などと呼ばれるようになった。この点、イタリアも日本と同じである。

 言葉の意味は時とともに変わる。100年もたてば「カルパッチョ」がベネチア派の画家に由来することなど知る人もいなくなるに違いない。

坂本鉄男

(2020年6月9日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

坂本鉄男 イタリア便り 中国の責任、国連の場で

全世界で蔓延(まんえん)中の新型コロナウイルスは、ワクチンの開発が急ピッチで進む一方、いつ収束するのか予測も立っていない。このままでは14世紀に欧州を襲い、人口の3分の1を死に追いやり、収束まで何十年もかかったペスト(黒死病)と同じようになるのではないかと想像し、ゾッとする。

 米国の死者はベトナム戦争での米軍戦死者を上回った。報道によると、ミラノを州都に持つイタリア北部ロンバルディア州の死者は、第二次大戦末期の5年間におけるミラノでの民間人犠牲者の約5倍となる1万人を超えた。経済・商業・工業が受けている損害も深刻だ。世界各国の被害額を合計すると天文学的な数字になるのは間違いない。

 新型コロナの発生源が中国の湖北省武漢の周辺(武漢のウイルス研究所との説もある)であることは中国政府も当初、事実上認めていたが、自国の騒ぎが落ち着くと、一転して発生源が他国にあるかのような主張を始めた。マスクを寄贈して恩を売り、南シナ海に行政区を新設して“主権の存在”を既成事実として認めさせようとしている。

 不思議なことに、こうした中国に対して、日本政府から損害賠償を求める声が聞こえてこない。今こそわが国は、原因究明と賠償責任の取り方などを討議する機関の設置を国連の場で求めるべきだ。

坂本鉄男

(2020年5月12日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

坂本鉄男 イタリア便り モーツァルトは語学の天才

現在のオーストリアの都市、ザルツブルクに生まれたモーツァルト(1756~91年)は、わずか35年の短い生涯のうち約10年間を英ロンドンや仏パリなどで過ごしている。父、レオポルト(バイオリニスト、作曲家)が息子の非凡な才能に気づき、修養のため当時の音楽の主要都市に連れて回った。

 モーツァルトがこの旅行中に書いた手紙が現存し、5カ国語に及ぶ。イタリアには13~17歳の間に3回、合計720日間滞在したが、彼の書いたイタリアオペラのイタリア語は完璧である。優れた語学力以外に触れなければならない特質は驚くべき暗記力だ。

 1回目のイタリア旅行でバチカンを訪れたとき、システィーナ礼拝堂で、その見事な作曲から教皇自ら門外不出と命じたグレゴリオ・アレグリ(1582~1652年)のコーラス重唱曲「ミゼレーレ」を聴く機会を得たが、この曲をモーツァルトは1度聴いただけで暗譜し、宿に戻ると全く誤ることなく書き写したといわれている。

 18世紀の欧州には、飛行機などもちろんなく、馬車が重要な交通手段だったが、今のような国境を封鎖せざるを得ない新型コロナウイルス騒ぎはなく自由に旅行ができた。文明とは果たして進歩しているのか、それとも逆なのか疑いたくなる。

坂本鉄男

(2020年4月28日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

坂本鉄男 イタリア便り 古代ローマの剣闘士は菜食主義者

古代ローマ人は血なまぐさい決闘競技を見物するのが好きだった。良い季節には、首都ローマの巨大円形闘技場コロッセオをはじめ、植民地にまで建てさせた多くの円形闘技場で闘技が催され、市民を喜ばせた。

 演目は北アフリカから運ばれた猛獣退治に始まり、剣闘士同士の命をかけた決闘で終わる。当時のアフリカは地中海沿岸まで森林が続き、ヒョウなどの野獣がたくさん生息していたが、ローマに送るための動物狩りで激減してしまったといわれる。

 催しの最後を飾る剣闘士について、最近、古代遺跡オスティアの研究者による「剣闘士の骨の調査」の興味深い結果が発表された。

 剣闘士は、ローマとの戦いに敗れた異民族の戦士から、身長1メートル68前後の屈強な30~30歳ごろの若者が選ばれた。彼らは剣闘士養成所で訓練を受ける。

 体中傷だらけになって死ぬまで戦う運命となった彼らの食事は、現代のレスラーのイメージから、血の滴るビフテキなど肉類が主だと類推しそうなものだが、骨の調査から意外にも現在の菜食主義者とほとんど同じであることが判明した。

 主な食べ物は大量の大麦と豆類。飲み物には動物の骨を焼いて砕いた粉や岩塩を溶かし入れたという。

 古代ローマの剣闘士の方が、現代のわれわれより健康的な食事だった?

坂本鉄男

(2020年4月14日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

坂本鉄男 イタリア便り 中国発の2つの疫病

中国から広まった新型コロナウイルスは、14世紀にヨーロッパを襲った「ペスト」と似ている。当時のぺストも中国から感染が広まったとされるからだ。このペストは蒙古を横切りトルコ、ギリシャを経て1347年ごろイタリア南部のシチリア島に上陸し、そのままイタリアを北上してから、スペイン、英国からアイルランドまで欧州全土を襲い自然終息したといわれる。

 この疫病により、当時のヨーロッパの人口の3分の1、つまり、2千万人から3千万人が死んだとの推定がある。イタリアの古典小説の始祖の一人、ボッカチオ(1313-75)は、ペストから田舎の別荘に逃れたフィレンツェの上流階級の男性3人と女性7人によって語られる物語を「デカメロン」に書いている。

 米ジョンズ・ホプキンズ大の集計によると、日本時間30日午前11時現在の新型コロナ感染者は約72万人、死者は約3万人。一方で、治療薬や予防接種に使うワクチンは完成していない。万一、14世紀のペストと同様、自然終息を待たねばならないとすると今後も感染者は増加の一途をたどると思われる。

 中国も、経済発展と軍拡に力を注ぐだけでなく、たとえ700年に一度としても自国発のパンデミック(世界的大流行)が起きないよう衛生状態の改善に尽くしてもらいたいものだ。

坂本鉄男

(2020年3月31日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

坂本鉄男 イタリア便り リハビリ病院の先駆者

カルロ・ニョッキ司祭(1902~56年)の名前を知っている日本人はほとんどいないだろう。司祭はイタリアにおける「リハビリ病院の元祖」ともいえる人物で、54歳の若さで死去したにもかかわらず、数年後には「福者」(聖人の1つ手前)に列せられた。

 ミラノ近郊で生まれた司祭は若くして聖職に進み、第二次大戦中はアルプス山岳部隊の従軍司祭として兵士と生死を共にした。祖国に戻った司祭が胸を強く打たれたのは、敗戦直後の日本と同じく戦災孤児の多さと松葉づえにすがる傷痍(しょうい)軍人の姿であった。

 「リハビリ」という言葉も知られていない時代である。司祭は、まず資金集めに奔走し手足のない孤児を収容する施設を造った。次いで「リハビリ専門病院」の必要性を痛感し、医療財団の設立に乗り出した。その志は宗教界・政財界から多くの賛同者を集め、「ドン・ニョッキ財団」の発足につながったが、不治の病に侵されていた司祭が発足を見ることはなかった。

 60年以上がたち、医療界にリハビリの重要性が根づいた今、司祭の熱意が生んだ財団はミラノおよびローマにリハビリ専門の大病院を持ち、イタリア全土33カ所でリハビリセンターを運営するまでになった。人道的な目的からまかれた一粒の種がこのように成長した例は少なかろう。

坂本鉄男

(2020年3月17日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

坂本鉄男 イタリア便り 詐欺師に注意! 「トレビの泉」のケチくさい話

昔、イタリアの喜劇映画には大体こういう筋書きの小話があった。

 ローマを訪れる観光客にならって米国の富豪が「トレビの泉」を眺めながら叫んだ。「わが大アメリカに欠けるのはまさにこうした遺跡だ」。すると、どこからとなく貴族然とした老紳士が現れ名刺を出した。見ると「トレビ大公爵ジュリアス・シーザー14世」とある。

 いくら歴史の重みに弱い米国人でも驚いた。老紳士は続けてこう吹っかけたのである。「昨日もブラジルの富豪がこの泉を200万ドルで売ってくれと申し出たのですが、私はアメリカびいきだ。あなたくらいなら半額の100万ドルでお譲りしましょう」。

 話の結末は忘れたが、最近の「泉」をめぐる話はケチくさい。

 地元紙によると、少し奥まったところにある泉には5方向から小道がある。どの小道の両側にも土産物屋が軒を連ね、観光客を目当てにしている。ところが道しるべの標識が曲げられたり汚されたりして、特定の店に導くようになっているというのだ。この知らせに市役所も新しい標識を付けるなど対策を講じ始めた。

 日本でも間もなく東京五輪・パラリンピックがある。大勢の観光客を前にして詐欺師まがいの手口で「ぬれ手でアワ」をもくろむ連中が出てこないとも限らない。

坂本鉄男

(2020年3月4日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

坂本鉄男 イタリア便り 消えたクリムト 23年後の発見

19世紀末から20世紀初頭にかけて、工芸、美術、建築、絵画など広範囲の分野で「アールヌーボー」という全く新しい芸術様式が欧州を中心に花開いた。今回は、この分野で活躍したオーストリアの代表的画家、グスタフ・クリムト(1862年~1918年)の作品の一つをめぐる事件についてお伝えしたい。

 97年2月、イタリア北部ピアチェンツァの現代美術館からクリムトの傑作の一つ「婦人の肖像」が盗まれた。直ちに捜索が行われたが行方は全くわからなかった。ところが23年の歳月を経た昨年12月、同じ美術館の裏庭の隔壁の間から庭師によって無傷のまま発見されたのである。

 一体これは何を意味するのであろうか。考えられる理由の一つは、盗みに成功したまではいいが、あまりにも知られ過ぎた美術品であるがために転売が不可能となったことである。盗み出すにはかなりの準備と資金を要したであろうに、23年間手元に保管した後に何の報酬もないまま「返却」するとは間の抜けた盗賊団といわれても仕方がない。

 ただ、世の中には表の社会には姿を見せない大金持ちがいる。「婦人の肖像」も彼らが大金を投じて手に入れ、密室で眺めて楽しんでいたという推理もできそうだ。そう考えると、世の中を驚かせる謎の盗難事件はこれからも起きるのかもしれない。

坂本鉄男

(2020年2月4日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

坂本鉄男 イタリア便り 典型的なクリスマス料理はウナギ

われわれ日本人は、昔から有名人の言葉を信用しすぎる傾向があるらしい。

 その一例が「土用のウナギ」だ。江戸時代の博学で名高い平賀源内が真夏の脂のないウナギの売れ行きが悪いのを嘆いていた知人のウナギ屋のために「本日、土用の丑の日」なるウナギの味と全く関係ない宣伝文句を貼らせたところ、これが大当たりをして、現在の日本人と土用のウナギの関係が生じたと伝えられる。

 実際、ウナギの一番うまいのは脂がのった秋から冬である。イタリアでは地方によって、典型的なクリスマス料理の一つにウナギ料理が加えられる。

 一番簡単なものは、はらわたを除き、太いものは皮をむき、7~8センチくらいのぶつ切りにし、レモン汁とオリーブ油を混ぜたものに香辛野菜を加え、この中にウナギのぶつ切りをつけておき、オーブンで焼いたり油で揚げたりしたものだ。もちろん、トマト煮も一般的であるし、面倒なら食料品店でオリーブ油漬けのぶつ切りの焼きウナギを購入する人々も多い。

 ここで結論を言えば、いずれのイタリア式ウナギ料理も日本式「かば焼き」の味に慣れたわれわれの舌には落第だ。もっとも、ウナギ通のイタリア人は「かば焼きのように手を加えすぎたらウナギ本来の味は消えてしまう」というのだが。

坂本鉄男

(2019年12月24日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

坂本鉄男 イタリア便り カレンダーに潜む謎

以前、日本人として初めてローマ教皇庁の大臣クラスを務めた故浜尾文郎枢機卿に伺ったことがある。

 「昔は神学校と神学大学ではラテン語は必須科目で、教皇庁内でも知らない外国人枢機卿とはラテン語で通じ合ったものだった。今はラテン語に代わり英語ですね」と。

 つまり、十数世紀の長きにわたりキリスト教会の公式言語であったラテン語が教会内部でも重要性を失いつつあるわけだ。

 欧米語には、ラテン語およびラテン文化の影響を受けたものが多い。一例を挙げると、英語で12月を表すディッセンバーは、ラテン語ではデケムベルという。

 ラテン俗語から直接派生したイタリア語は当然ラテン語の影響を受けているのだが、9~12月にかけてのイタリア語の表記にはちょっとした謎が隠れている。

 9月=セッテンブレ、10月=オットーブレ、11月=ノベンブレ、12月=ディチェンブレというのだが、太字で強調した冒頭部は、ほぼそのまま現代イタリア語の7、8、9、10なのだ。では、なぜ9月の語の頭が7で、10月の語頭が8なのだろうか?

 これは古代ローマのカレンダーが現在の3月から始まっていたためだ。つまり現在の9月は3月から数え始めて7番目、10月は8番目の月だったというわけである。

坂本鉄男

(2019年12月11日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)

坂本鉄男 イタリア便り ワイン好き待望の日

毎年11月の第3木曜日(今年は11月21日)は、ワイン好きにとっては待望の「ボージョレ・ヌーボー」の販売解禁日である。

 このワインは、ブドウを搾った液を発酵させ時間をかけて熟成させる伝統的なワインとは醸造方法が違うものだ。

 フランス中東部のボージョレ地区で取れるガメイ種ブドウを房のまま容器に詰めて密封し、ブドウ自体の重みで流れ出す液を、これまたブドウ自体から発生する炭酸ガスにより発酵させた短期間で出来上がるワインである。

 タンニン味が低く、フレッシュな香りが楽しめるのだが、保存がきかないため年内に飲みきる方がよい。

 近年、イタリアでもボージョレ・ヌーボーの製造方法を取り入れていろいろなブドウ品種で造られているが、伝統的な方法で醸造する新酒ビーノ・ヌオーボと区別して「ビーノ・ノベッロ」の名称で親しまれている。

 このビーノ・ノベッロは、法律により伝統的醸造法で造られた新酒を60%加えることが許されているほか、アルコール度も11%以上と規定され、10月末から12月末まで販売される。

 伝統的醸造法で生産された年代物を好むワイン愛好者はボージョレ・ヌーボーを敬遠しがちと聞く。今年はイタリア産ビーノ・ノベッロを試されてはいかが。

坂本鉄男

(2019年11月26日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)