緊急開催!!イタリア美術特別セミナー
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ボッティチェッリ、カラヴァッジョの展覧会をより楽しむために(ご報告)

2月17日開催。参加者35名。
本年は日伊修好通商条約締結150周年として、イタリア美術を代表する画家たちの展覧会が次々と開催される。日伊協会では、このうち、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ボッティチェッリ、カラヴァッジョの3つの展覧会をより楽しむために、その見どころを松浦先生に紹介していただいた。2016-02-17-seminar02

特別展レオナルド・ダ・ヴィンチ-天才の挑戦
1/16(土)~4/10(日)
江戸東京博物館 
    
ボッティチェッリ展 
1/16(土)~4/3(日)
東京都美術館 
     
カラヴァッジョ展
3/1(火)~6/12(日)
国立西洋美術館

まずこの3人の画家が西洋美術史の大きな流れの中でどのような位置を占めるかについて解説があった。匿名の画家による没個性の宗教画の中世700年間の後、1305年ころジョットによってルネサンスが始まった(例: パドヴァ・スクロヴェーニ礼拝堂に描いた「最後の晩餐」)。画家が目指したのは、イエスの神性を失わせないまま人間性をいかに表現するか、ということである。

1482年ころレオナルドがサンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ修道院に描いた「最後の晩餐」によりルネサンスは完成されたとみる。ボッティチェッリもほぼ同時代の人。そしてカラヴァッジョはそのおよそ100年後、レオナルドより写実的表現を推し進めバロックの幕を開けた。

次に各展の「目玉作品」1点を取り上げ、類似のテーマを描いた他の作品と比較しながら、その作品の鑑賞のツボをお聞きした。

写真1「糸巻きの聖母」                                          写真2「ブノワの聖母」

写真1「糸巻きの聖母」                                          写真2「ブノワの聖母」

◎レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)の「糸巻きの聖母」(スコットランド・ナショナル・ギャラリー蔵)写真1

ミラノで「最後の晩餐」を書き終えたレオナルドはフィレンツェに戻ってくる。その頃の彼の活動を修道士ピエトロ・ダ・ノヴェッラーラはマントヴァ公妃イザベラ・デステに宛てた1501年4月14日付の書簡に次のように記している。「彼が現在取り掛かっている作品は、糸を紡ごうとして座っている聖母の絵です。幼子キリストは糸が入ったかごの上に足を置き、糸巻き棒を握って十字架の形の4つの輪止めを見つめています。あたかも十字架を望んでいるかのように、キリストは微笑みながらしっかりと糸巻き棒をつかみ、それを取り上げようとする聖母に抵抗しているように見えます。」この記述に関連付けられる作品は多くあり、今回の展覧会に出品されているものはそのひとつである。

本作をレオナルドの真筆と考える研究者がいる一方で否定するものもいる。少なくとも背景は他の者の手になるようだ。レオナルドは糸巻き棒を十字架に見立てて、自身の死の意味を熟考するイエスと、彼を守ろうとする聖母の愛を描き出そうとしているが、20年ほど前にも「ブノワの聖母」(エルミターノ美術館蔵・写真2・今回は展示されていない)でも十字型の花弁の花を用いて自身の死を熟考するイエスを描いている。他に「鳥の飛翔に関する手稿」などが展示されている。

写真3「書物の聖母」

写真3「書物の聖母」


◎ボッティチェッリ(1445-1510)の「書物の聖母」(ポルディペッツォーリ美術館蔵)写真3

この絵は、レオナルドの初期の聖母子像、特にその直前に描かれた「ブノワの聖母」の影響を受けて制作されたと考えられる。イエスは左手に茨の冠と釘といった受難の象徴を持ち、自分の死の意味を問いかけるように聖母の方を振り返っているが、それに対してマリアは悲しそうな表情を浮かべることしかできない。後方の果物鉢には楽園や原罪を象徴するオレンジやイチジク、サクランボが見て取れる。ボッティチェッリは、フィリッポ・リッピの工房で学び、その画業を受け継いでいくが、後年フィリッポ・リッピの子フィリッピーノ・リッピがボッティチェッリの弟子となり、またライバルとなっていく。

この展覧会には、ボッティチェッリの貴重な作品20点以上のほかフィリッポ・リッピ、フィリッピーノ・リッピの作品もあわせて約75点が集結している。

写真4「エマオの晩餐」(1606年)                写真5「エマオの晩餐」(1601-1603年)

写真4「エマオの晩餐」(1606年)                写真5「エマオの晩餐」(1601-1603年)

◎カラヴァッジョ(1571-1610)の「エマオの晩餐」(ブレラ絵画館蔵)写真4

カラヴァッジョは、1592年ミラノからローマに移り数々の傑作を生み出して名声を得るが、1606年5月、殺人事件を起こしてしまう。この時彼をかくまったのは、この画家のことを幼少時から知るコスタンツァ・コロンナであった。事件後、カラヴァッジョはコロンナ家の領地であるローマ郊外のザガローロに短期間、潜伏するのだが、その時期に制作されたものである。イエスは磔刑の3日後に復活し、エルサレム郊外のエマオで二人の弟子の前に出現する。弟子たちが師の復活を悟る奇跡的な瞬間を登場人物に深い精神性を与えることで再現している。

3年ほど前に彼が描いた同主題作品(ロンドンのナショナル・ギャラリー蔵・写真5・今回は展示されていない)と比べると、弟子たちの驚きのしぐさはかなり抑制されたものになっており、より深遠な感情の動きを感じ取ることができる。他にカラヴァッジョの真筆とされる60点強のうち約10点などが展示される。

2016-02-17-seminar01<講師プロフィール>
■松浦 弘明 (多摩美術大学教授)
1960年岐阜県生まれ。東京芸術大学美術学部芸術学科を卒業後、イタリア政府給費留学生としてフィレンツェ大学へ留学。帰国後、順天堂大学非常勤講師などを経て現在、多摩美術大学教授。日伊協会でイタリア美術史とイタリア語の講座を担当。主な訳書に、『イタリア・ルネサンス美術館』、(東京堂出版・2011年)、『レオナルド・ダ・ヴィンチの世界』(共著/東京堂出版・2007年)などがある。