坂本鉄男 イタリア便り テロリストの政治亡命

 日本人テロリストによる政治亡命の例としてわれわれの記憶に残るものは、1970年のよど号ハイジャック事件後、北朝鮮に渡った赤軍派メンバーと、72年のイスラエル・ロッド空港乱射事件の実行犯で、終身刑判決を言い渡された後、レバノンへの亡命が認められた岡本公三容疑者などであろう。

 1970年代後半から80年代初めにかけて、イタリアでは極左および極右のテロ事件が多発して民間人と警官たちが死傷した。犯人の多くはフランスに逃げ、イタリア政府の犯人引き渡し要求はフランスの左翼知識人グループの援助と当時のミッテラン大統領の方針に守られ拒否されてきた。

 その代表的人物がチェーザレ・バッティスティ(57)である。共産主義武装プロレタリアート派の活動家で、4件の殺人事件の首謀者・実行犯として、85年に無期懲役を宣告された。その後、脱獄し、フランスに亡命。2004年、パリ控訴院が引き渡し要求にOKするや、直ちにブラジルに逃亡した。そしてルラ前大統領は昨年12月末、任期満了数日前に、引き渡し要求を拒否したのである。

 さすがにイタリア政界も元共産党員のナポリターノ大統領以下左翼政党を含めこの措置に強く反発した。政治がからむ亡命者の対処の難しさの好例である。

坂本鉄男
(1月16日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)