坂本鉄男 イタリア便り 戦犯、100歳の誕生日

 第二次世界大戦末期の1944年3月23日のことである。ローマを占領中のドイツ軍の小隊がイタリアのパルチザンの攻撃を受け、約30人の兵士が殺害された。

 ナチス・ドイツのゲシュタポ(国家秘密警察)でローマの長官だったカプラーは報復のため、監禁中のイタリア人将兵や労働者らから335人を選び、部下のプリーブケ大尉に命じてローマ近郊アルデアティーナの採石場跡で銃殺させた。

 ローマでのナチスによる最大の虐殺事件で、犠牲者の命日には毎年、処刑場跡の記念碑に政府高官が参列して冥福を祈っている。

 戦後、カプラー長官はイタリア軍事法廷で終身刑を宣告され入獄していたが、ローマの陸軍病院に入院中の77年に夫人の助けを借りてドイツに逃亡。翌年、死ぬまで平穏に暮らした。

 一方、プリーブケ大尉はアルゼンチンに逃亡し、約50年暮らした末に逮捕。イタリア側に引き渡され、法廷で終身刑を宣告された。

 だが、裁判所は被告の高齢を考慮して自宅での拘禁とし外出も許した。この結果、10年前の7月29日の90歳の誕生日には、ローマ郊外で誕生会を開くこともできた。

 明日の100歳の誕生日は、さすがに犠牲者の遺族の声を気にして内輪で祝うようだ。

坂本鉄男
(7月28日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)