連続文化セミナー『イタリアの祝祭』
第3回 ミラノのデルビー ―イタリアサッカーの醍醐味― のご報告

20160527-101シリーズの第3回は、5月27日(金)にフリージャーナリストで中京大学、大阪芸術大学の非常勤講師の小川光男先生に「ミラノのデルビー」と題してダービーマッチを通して イタリアサッカーの醍醐味を語っていただいた。(参加約25名)

まずイタリアサッカー(カルチョ)の衰退について。20世紀末、欧州(あるいは世界)のサッカーシーンで“我が世の春”を謳歌していたカルチョだが、その後は衰退の一途をたどっている。86年から99年までUAFAランキング1位(90年のみ2位)を保っていたが、2000年に2位、2004年に3位、2011年には4位とランクを下げている。また実力の衰微とともに観客動員数も低迷し、全盛期より28%も観客動員数を減らしている。

そんなカルチョの低迷期でも、今も多くのファンの関心を集めるゲームが存在する。それがデルビーと呼ばれる近しい2クラブの“直接対決”。デルビー(derby)の語源は英国起源で、イングランドやスコットランドのモブ・フットボール(またはマス・フットボール)の名残と見られる。

イタリアにおけるデルビーの種類としては、

①ストラチッタディーナ(都市デルビー)=「内向き、村祭り的な」。
主なクラブとして、ミラノ―ミランvsインテル、ローマ―ローマvsラツィオ、トリノ―ユヴェントスvsトリノ、ジェノヴァ―ジェノアvsサンプドリア、ヴェローナ―エッラスvsキェーヴォ。都市デルビーにはそれぞれの個性があり、ファンがそこに求めるもの、裏に存在する背景など違いがある。

②デルビープロビンチャーレ(近隣デルビー)=「外向き、近隣戦争にも似た」趣が感じられる。

③デルビーレジョナーレ(例:デルビーデッラアペンニーノ、デルビーデルイーゾレ、デルビーディイタリア、デルビーデルソーレなどいずれも「創られたデルビー」という感じ)。

20160527-102さてその中でも最もデルビーらしいデルビーは「デルビー・ディ・ミラノ」である。2つのチームが規模も大きく、実力も伯仲していてバランスが良い。ACミランは1899年に設立された。あだ名は、“cacciavite(ねじ回し)”。ファン層が職人などの労働者階級を中心としていた名残。元首相のベルルスコーニがクラブを買収し、選手を大補強した。

インテルは、1908年にミランの外国人選手排斥を止めるよう訴える44人の反乱分子が設立した。設立の翌年にはセリエAでいきなり優勝した。インテルは、ミランのcostra(肋骨)と言われ、いってみれば旧約聖書・創世記のアダムとイブのような関係である。シンボルは、Il Biscione(大蛇、ヴィスコンティ家の紋と同じ図柄。ファンが富裕層だったころの名残)。

今はどのクラブも財政難で、インテルは2013年にインドネシアの実業家エリック・トヒルが筆頭株主、会長となった。(セミナー後とび込んできたニュースによると中国の家電量販店大手「蘇寧」グループがミランの株式の約7割を取得したと発表した。)ただ財政難にもかかわらず。両チームともスタディアム・サン・シーロとは別に自前のスタディアムを持つ計画もあるらしい。

ミラノのデルビーには、『デルビー・デッラ・マドンニーナ』という別名がある。ドゥオーモの上に光り輝く黄金の聖母像を賭けた絶対に負けられないゲームである。ミランには本田圭祐選手、インテルには長友佑都選手が在籍していることもあり、日本でもデルビー・ディ・ミラノへの注目、関心が高まっていくことだろう。小川先生が須賀敦子さんに「カルチョには関心はないでしょうね。」と話を向けたところ、「私はインテリスタよ。」との答えが返ってきたのには驚いたというエピソードが披露された。(山田記)

講師紹介:■小川 光生(おがわ みつお)
慶応義塾大学文学部西洋史学科卒。イタリア留学中の2000年からサッカー専門誌の記事執筆、翻訳などを手がけ、その後フリージャーナリストとして活動。2010年夏からは、NHKのロケ・コーディネーター兼番記者として、インテルの長友佑都選手、ミランの本田圭祐選手を追いかけ続けた。2016年4月から、中京大学、大阪芸術大学の講師として教壇に立つ。著書に『サッカーとイタリア人』(光文社新書)、『プレーのどこを視るか』(青山出版)など。

| カテゴリー : レポート | 投稿者 : adminaigtokyo

連続文化セミナー 『イタリアの祝祭』
              第2回 都市フィレンツェの聖史劇 — 奇蹟と見世物 — のご報告

シリーズ第2回は、4月15日(金)に早稲田大学の杉山博昭先生に「フィレンツェの聖史劇」のお話をしていただいた。(参加約30名)

ルネサンス期のフィレンツェは、西洋美術史上のひとつの「中心」として長らく注目を集めてきた。一方、その「中心」に寄り添うように開催されたひとつの行事は、これまでほとんど顧みられなかった。その行事とは「聖書と芝居」、「奇跡と舞台効果」、「キリスト教と異教」が坩堝のように絡み合う祝祭である。聖堂で上演された、現在「聖史劇」と呼ばれているその祝祭は、当時の大工・ブリキ工・金細工師・画家・毛織物商など多くの市民が知恵をしぼり、腕をふるう現場でもあった。聖史劇は信徒に、「マリアはいかに美しいのか」、「星々はいかに運行するのか」、「聖霊はいかに恩寵を施すのか」、「イエスはいかに天へ昇るのか」、そして「天使はいかに空を飛ぶのか」などの問題を投げかけたのである。全ヨーロッパから集った見物客が、それらの演出をいかに捉えたのか、当時の図像資料を参照しながら考察された。

2016-04-15-11◎聖史劇の定義
14世紀から16世紀のイタリア各地で、平信徒で構成される兄弟会が聖書・聖人伝に範をとったテクストにより、街路・広場・聖堂内などで、典礼暦上の祝祭日の行事や貴賓歓待時の出し物として演じられた。聖史劇以前は王の入場式や典礼劇、あるいは大道芸人や吟遊詩人のパフォーマンスがあったが、これらの要素が流れ込んで聖史劇の形となった。15世紀フィレンツェがひとつのピークである。この後古典劇へと変貌していくが、むしろルネサンスと活版印刷術の普及からローマ喜劇やギリシャ悲劇が栄える。

◎聖史劇の機能
宗教的機能(見て聞く「聖書」)、教育的機能(身振りと言葉遣いの模範)、見世物的機能(娯楽もしくは通過儀礼)、衒示的機能(高揚と誇示、興奮と見せびらかし)、政治的機能(統治の正統性の承認)

◎台本
テクストの形式は、極めてシンプルな詩形(セリフは韻文「八行詩節」で構成)。媒介者として、開幕と閉幕を見物客に告げる天使役が登場するのが特徴。最初に物語のあらすじをすべて説明する。最後に物語の意味を分かりやすく解釈する。「他者」として、搾取される小作人、忌避される病人、迫害されるユダヤ人が登場する。決してユートピア的な物語ではない。

◎演者
少年たちが女装して演じる。衣装は贅をこらしたもので金泥で塗装された「光輪」、染めたクジャクやダチョウの羽で作られた「翼」など。人間以外に木製人形や絵画など多様なメディウムが登場人物上で交差する。

◎舞台
街路を練り歩く行列(聖遺物行列、仮装騎馬行列『マギのフェスタ』、山車行列『洗礼者ヨハネのフェスタ』)あるいは野外の同時並列舞台(広場、聖堂回廊の中庭、処刑場)あるいは聖堂内の高架舞台(内陣障壁)。宙づりあり、ロケット花火あり、噴水あり。

スーズダリ主教アブラハムの手記(1439年)によると『これは素晴らしくも、恐ろしい見世物なのである。そもそも筆舌に尽くしがたいほどの内容であったため、これ以上書くことはできないのである。アーメン。』と、称賛と困惑がないまぜとなった感情の感想を述べている。視覚のみならず触覚・嗅覚・聴覚への強い刺激。信仰のみならず娯楽・性愛のもとに飽和する感情。――15世紀のフィレンツェに咲いた奇跡といえる。杉山先生によると聖史劇を専門に研究している研究者は杉山先生を含めて世界に4人しかおられないそうで、とにかく記録が少ないこのスぺクタクルを当時の図像資料から再現していく困難さは大変なものと推測された。多数の図像資料の作品データリストもいただいたが、この報告では講演のエッセンスともいうべき図像資料の参照の部分をお伝えできないのは残念である。(山田記)

講師紹介:■杉山 博昭(すぎやま ひろあき)
早稲田大学高等研究所助教。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了(人間・環境学博士)。国際基督教大学、追手門学院大学非常勤講師。単著に『ルネサンスの聖史劇』(中央公論新社・第5回表象文化論学会奨励賞)、共著に『「聖書」と「神話」の象徴図鑑』(ナツメ社)など

| カテゴリー : レポート | 投稿者 : adminaigtokyo

イタリア語による 日伊協会特別セミナー
I Savoia, questo e quello.「サヴォーヤ王家の再発見」のご報告

2016-03-19-p1こんにちは。日伊協会の押場です。

毎回イタリア人講師をお招きし、同時通訳付きで興味深いお話をうかがってきたセミナーですが、今回の「サヴォーヤ家」のお話でした。

サヴォーヤ家といえば、たとえばヴィットリオ・エマヌエーレですよね。イタリア史を少しでも勉強した方はご存知かと思いますが、19世紀の半ば過ぎ、近代国家として独立したとき、最初のイタリア国王となったのはヴィットリオ・エマヌエーレ2世でした。

同じ名前の3世のほうも、これまた有名なのですが、こちらの王のほうは、イタリアで王政を終わらせる原因を作ってしまいます。20世紀の2つの世界大戦を王として生き延びながら、その間にファシズムの台頭を許し、戦況が危うくなってくると国外に逃亡、イタリアをナチスドイツの手に渡してしまったのが、ヴィットリオ・エマヌエーレ3世です。これにはさすがのイタリア国民も怒ったようですね。そこでエマヌエーレ3世は、戦後直ちに息子ウンベルト2世に王位を譲るのですが、その直後に行われた国民投票で、イタリア国民は共和制を選択し、王政は廃止されることになったのです。

2016-03-19-21448共和制となったイタリアにおいて、サヴォーヤ家は国外追放の処分を受けます。息子に王位をゆずってなんとか王政を維持しようとしたエマヌエーレ3世ですが、その思いも叶わないまま、失意のうちに亡命先のエジプトで没します。また、王位を継承したものの、5月のひと月だけの在位となったウンベルト2世は、「五月王」と呼ばれ、ポルトガルに亡命、1983年にはスイスのジュネーブで没します。このとき亡骸をイタリア国内に埋葬するという議論もあったようですが実現しません。サヴォーヤ家の人々がイタリアの地に入れるようになるのは、2002年の法律改正を待たなければなりません。

面白いことに、現在のイタリアでは、ウンベルト2世の孫にあたるエマヌエーレ・フィリベルトがテレビタレントとして活躍しているのです。しかしこれはきっと、サヴォーヤの一族が、歴史の表舞台から降りたということを意味しているのではないでしょうか。サヴォーヤ家の偉大な歴史はウンベルト2世とともに終わったのです。しかし、それは今のヨーロッパを作った祖父たちの歴史でもあります。

そんなサヴォーヤ家の歴史について、じつに興味深いお話をしていただいたのは、他ならぬリッカルド・アマデイ先生。日本におけるイタリア語通訳の第一人者であり、日伊協会ではプロ養成講座をご担当していただいているのですが、そのアマデイ先生のご出身は、なんとトリノ。故郷の王家である「 I Savoia (サヴォーヤの一族)」についての話は、日本語表記の訂正から始まります。

しばしば「サヴォイア」と表記されるのですが、日本語とイタリア語にご堪能な先生の見解によれば、正しくは「サヴォーヤ」だとのこと。イタリア語ではふつう「ia」のように母音がふたつ続くときは2音節の「イア」ではなく、半母音となって一音節で「ヤ」と発音するのだというのわけです。

2016-03-19-p2そんなイントロから始まるアマデイ先生のお話は、ステュアート、ウインザー、ブルボン、オルレアン、ハプスブルクなど、ヨーロッパの名だたる王朝に比べると、若干、地味に見えるかもしれないサヴォーヤ王朝の歴史が、なんと現在より1000年近くも遡るのだと指摘して、ぼくたちを驚かせてくれました。

そうなのです。サヴォーヤの一族の始祖として、その歴史的存在が確実なウンベルト1世は10世紀の終わり頃に生まれているのです。そしてその綽名の謎解き。どうしてこの始祖がビアンカマーノ(白い手)と呼ばれるのか。実のところ、軍事な強さを讃えるためにその城が打倒せないという意味で、ラテン語で「白い壁」 blancis moenibus と記されるはずだったのものが、誤って「白い手」blancis manibus と綴られてしまったのではないかというのです。そして、その反映の理由は、サヴォーヤ家が支配した場所が地理的に交通の要所であったことが指摘されます。その支配地は「 Stato di passo 」と呼ばれたというのですが、それは、その領地(Stato)が人々の行き交う(di passo)ところにあったからだというのです。

このウンベルト1世ビアンカマーノから始まるサヴォーヤの一族の歴史は、中世のヨーロッパの歴史と重なっていきます。それは、さまざまな王朝や諸侯が、教皇の宗教的な権力との対抗関係のなかで、きびしい政治的駆け引きを繰り返し、生き残りをはかってきた歴史です。そこでサヴォーヤ家は、とくに目立つことこそないものの、じつに巧妙に立ち回り、必要なときには軍事的な力を発揮しながら、近代的な国民国家の形成を準備していくことになるのです。

アマデイ先生のお話は、まさに知られざる中世イタリアの物語。活躍したのは15世紀のアメデオ8世、16世紀に「鉄の頭 Testa di ferro」と呼ばれるほどに軍事的能力を発揮したエマヌエーレ・フィリベルト・ディ・サヴォイア。18世紀に近代国家を準備したカルロ・アルベルト。そして、ついにイタリア王となったヴィットリオ・エマヌエーレ2世へと。千年もの歴史のなかで、サヴォーヤ王朝が残したのは、その政治的成果だけではありません。イタリア各地に残る、数々の美しい王宮を訪れるならば、きびしい歴史を生き延びた王家のおかげで、素晴らしい芸術作品が今に残されたことだということを、確認できるのではないでしょうか。

そういう意味でも、サヴォーヤ一族の歴史はヨーロッパの祖父たちの歴史であると言えるのかもしれません。ほんとうに興味深いセミナーでした。

| カテゴリー : レポート | 投稿者 : adminaigtokyo

イタリア留学&旅行セミナー2016春『 私のイタリア留学体験記』報告

2016-02-26-04『2月26日(金)、イタリア留学&旅行セミナー2016春『 私のイタリア留学体験記』 -Italianizzatoへの道- 』セミナーが開催されました。

昨年、ローマにある語学学校トッレ ディ バベレ校へ留学された、日伊協会受講生の真船千秋さんよりその体験のお話しを楽しく伺いました。真船さんがローマ留学を決意されたのは、一年前に日伊協会で開催したローマセミナーに参加されたこと。

お話では、およそ2ヶ月の留学経験について、
1.なぜ留学を決行したのか
2.なぜホームスティだったのか
3.なぜローマだったのか
というテーマに沿ってお話しをしていただきました。

何より真船さんに留学を決意させたのは、「4年間日本でイタリア語を学んでいても、聞き取れない、話せない、話す場がないという壁にぶつかり、それを打破すべく、話さざるを得ない環境に身をおけば話せるようになるかも知れない。。。」という思いからだったそうです。

宿泊をホームスティにしたのも、アパートで一人で気楽に住むのも魅力的ではあるけれど、とにかく「イタリア語を話す」ということに重点を置いての決断だったとか。ホストファミリーとは毎晩食事を共にし、ファミリーのご友人達とのディナーや親族が集まる復活祭の食事会などにも参加。真船さんご自身も、家族と溶け込むために、一生懸命コミュニケーションを取ったり、(本物の)日本食にご招待したり積極的に行動されたそうです。

留学先をローマに決めたポイントは、レッスン終了後の余暇の利用を考えて。たくさんの写真を見せていただきながら、学校やステイ先、課外活動の様子や生活のアドバイスなどをわかりやすく説明していただき、参加された方たちは終始深く頷きながら熱心に聴いていらっしゃいました。

まとめとして、真船さんによる留学を成功させるポイントは、
1.積極的に発言する
2.積極的に友達を作る
3.ホストファミリーとの生活を大切にする
ということだそうです。帰国後はローマで知り合ったイタリア人の方とFacebookで交流を続けていらっしゃるそうです。

セミナーの後半は、真船さんが今回留学を経験された学校「トッレ・ディ・バベレ」のスタッフ澤田恵子さんによる学校案内と質疑応答があり、参加者の方からの質問に対して他の方からもコメントが添えられたり、予定時間を大幅に押してしまいましたが和やかなセミナーとなりました。

トッレ・ディ・バベレはローマでも定評のある語学学校です。シニアコース、料理コースもあり、一週間からの滞在も可能ですので、ご興味ある方はお気軽に日伊協会までご相談ください。

| カテゴリー : レポート | 投稿者 : adminaigtokyo

連続文化セミナー 『イタリアの祝祭』スタート

イタリアの都市の聖堂、宮殿、劇場そして広場などを舞台に繰り広げられる祝祭に出会った時、その都市は一層輝いて見える。

なぜ都市はそして人びとは祝祭を求めるのだろうか。

この連続セミナーでは、ヴェネツィア、フィレンツェ、ミラノ、ローマなどの都市で繰り広げられるさまざまなかたちの「祝祭」を通して都市の魅力を再発見し、祝祭によせる人びとの心の動きに触れることを目指す。

第1回 ヴェネツィアの都市空間における祝祭とその意味(ご報告)

シリーズ第1回は、3月2日(水)に、法政大学の陣内秀信先生に、祝祭都市ヴェネツィアを例に取り上げて、都市空間における祝祭の意味について総論としてお話をしていただいた(35名参加)。

2016-03-02-02都市史における< 祝祭>研究は意外に新しく、1980年前後から始まった。これは日本でも渋谷や原宿の街づくりに見られるポストモダンの動きにも対応している。都市の「劇場性」に注目し、迷宮都市、ヒューマンスケール都市、五感都市として、近代都市が否定したものが豊かに存続している姿を再発見する。ラグーナの水上に独特の都市空間を形成したヴェネツィアは、“citta unica”であり、元々祝祭性、演劇性を持つ都市である。その空間を活用し、サン・マルコ広場や地区の広場(カンポ)や小路や橋の上で、また大運河やラグーナの水上で、さらには宮殿や劇場や教会で様々な祝祭が催された。

まず、「祝祭の社会的性格」について。都市的な祭りの例として、カンポ・サン・ジェレミアにおける雄牛狩りのspettacolo(見世物)を挙げる。次にカーニバルにおける仮面の意味を考察する。精霊や死のイメージを伴うものも。個人を隠し、自由になる、すなわち日常秩序の反転を意味する。国家的儀式としての祝祭の例として、聖体節のサン・マルコ広場でのプロセッション(行列)。総統の私的チャペルたるサン・マルコ寺院で行われるがゆえに国家的儀式としての意味を持つ。国際政治のバランスの中で生きる必要上欠くことのできない、外交戦略としての祝祭の例として、外国からの賓客を迎えるための儀式、祝宴でのおもてなし。あこがれの地を演出する。それ自体がヴェネツィアの華やかな文化を形づくり、同時にコミュニティや国家のまとまり、統合を生む力ともなった。

次に「都市空間の中のパフォーマンス」として最も重要なものは、『海との結婚』である。また橋の持つ象徴性を示す例は多く、サルーテ教会の祭りの仮設の橋やイル・レデントーレ教会への仮設の参道、また「拳固の橋」での格闘のイベントはその後レガッタの競争にとってかわられた。カナル・グランデもレガッタ競争の舞台となり、また模擬海戦なども行われたし、マッキナと呼ばれる豪華に装飾された仮設の建物を浮かべたりしている。劇場としてのサン・マルコ広場で繰り広げられたイベントは数限りなく、多くの景観図として伝えられている。

最後に「ファンタジーの中の都市」の代表例として1979年ヴェネツィア・ビエンナーレのためにアルド・ロッシが設計した船で引かれて海に浮かべられる「世界劇場」を挙げる。一時途絶えていたカーニバルも復活し、ますますヴェネツィア独特のファンタジックな祝祭となっている。

歴史的な記録の図版や講師自らが研究対象とされ体験された祝祭の写真など見せていただいた多くの図版の1枚1枚がお話と相まって、ヴェネツィアの祝祭の賑わいを伝えてくれる素晴らしいセミナーであった。「イタリアの祝祭」シリーズは、この陣内先生の総論をスタートにして、今後、フィレンツェ、ミラノ、ローマの各都市の祝祭を巡って、最後はヴェネツィアに戻ってくる。(山田記)

 

2016-03-02-03講師紹介:■陣内 秀信(じんない ひでのぶ)

法政大学デザイン工学部教授。東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。イタリア政府給費留学生としてヴェネツィア建築大学に留学、ユネスコのローマ・センターで研修。専門はイタリア建築史・都市史。地中海学会会長、都市史学会会長。著書:『東京の空間人類学』(筑摩書房)、『ヴェネツィア-水上の迷宮都市』(講談社)、『地中海世界の都市と住居』(山川出版社),『イタリア 小さなまちの底力』(講談社)、『イタリア海洋都市の精神』(講談社)、『水の都市 江戸・東京』(編著、講談社)、『イタリア都市の空間人類学』(弦書房)他。受賞歴:サントリー学芸賞、 地中海学会賞、イタリア共和国功労勲章、パルマ「水の書物」国際賞、ローマ大学名誉学士号、アマルフィ名誉市民

引き続き、4月以降は以下の日程(時間帯・会場は本セミナーに同じ)・テーマで開催いたします。

第2回 4月15日(金)都市フィレンツェの聖史劇 ―奇跡と見物― 講師:杉山 博昭(早稲田大学高等研究所助教)

第3回 5月27日(金) ミラノのデルビー ―イタリア・サッカーの醍醐味― 講師:小川 光生(フリージャーナリスト、中京大学スポーツ科学部非常勤講師)

第4回 6月22日(水) ローマ社会における「パンとサーカス」 講師:本村 凌二(東京大学名誉教授、早稲田大学国際教養学部特任教授)

第5回 7月22日(金) ヴェネツィアの祝祭 ―オペラと劇場― 講師:田島 容子(オペラ史研究者)

| カテゴリー : レポート | 投稿者 : adminaigtokyo

緊急開催!!イタリア美術特別セミナー
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ボッティチェッリ、カラヴァッジョの展覧会をより楽しむために(ご報告)

2月17日開催。参加者35名。
本年は日伊修好通商条約締結150周年として、イタリア美術を代表する画家たちの展覧会が次々と開催される。日伊協会では、このうち、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ボッティチェッリ、カラヴァッジョの3つの展覧会をより楽しむために、その見どころを松浦先生に紹介していただいた。2016-02-17-seminar02

特別展レオナルド・ダ・ヴィンチ-天才の挑戦
1/16(土)~4/10(日)
江戸東京博物館 
    
ボッティチェッリ展 
1/16(土)~4/3(日)
東京都美術館 
     
カラヴァッジョ展
3/1(火)~6/12(日)
国立西洋美術館

まずこの3人の画家が西洋美術史の大きな流れの中でどのような位置を占めるかについて解説があった。匿名の画家による没個性の宗教画の中世700年間の後、1305年ころジョットによってルネサンスが始まった(例: パドヴァ・スクロヴェーニ礼拝堂に描いた「最後の晩餐」)。画家が目指したのは、イエスの神性を失わせないまま人間性をいかに表現するか、ということである。

1482年ころレオナルドがサンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ修道院に描いた「最後の晩餐」によりルネサンスは完成されたとみる。ボッティチェッリもほぼ同時代の人。そしてカラヴァッジョはそのおよそ100年後、レオナルドより写実的表現を推し進めバロックの幕を開けた。

次に各展の「目玉作品」1点を取り上げ、類似のテーマを描いた他の作品と比較しながら、その作品の鑑賞のツボをお聞きした。

写真1「糸巻きの聖母」                                          写真2「ブノワの聖母」

写真1「糸巻きの聖母」                                          写真2「ブノワの聖母」

◎レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)の「糸巻きの聖母」(スコットランド・ナショナル・ギャラリー蔵)写真1

ミラノで「最後の晩餐」を書き終えたレオナルドはフィレンツェに戻ってくる。その頃の彼の活動を修道士ピエトロ・ダ・ノヴェッラーラはマントヴァ公妃イザベラ・デステに宛てた1501年4月14日付の書簡に次のように記している。「彼が現在取り掛かっている作品は、糸を紡ごうとして座っている聖母の絵です。幼子キリストは糸が入ったかごの上に足を置き、糸巻き棒を握って十字架の形の4つの輪止めを見つめています。あたかも十字架を望んでいるかのように、キリストは微笑みながらしっかりと糸巻き棒をつかみ、それを取り上げようとする聖母に抵抗しているように見えます。」この記述に関連付けられる作品は多くあり、今回の展覧会に出品されているものはそのひとつである。

本作をレオナルドの真筆と考える研究者がいる一方で否定するものもいる。少なくとも背景は他の者の手になるようだ。レオナルドは糸巻き棒を十字架に見立てて、自身の死の意味を熟考するイエスと、彼を守ろうとする聖母の愛を描き出そうとしているが、20年ほど前にも「ブノワの聖母」(エルミターノ美術館蔵・写真2・今回は展示されていない)でも十字型の花弁の花を用いて自身の死を熟考するイエスを描いている。他に「鳥の飛翔に関する手稿」などが展示されている。

写真3「書物の聖母」

写真3「書物の聖母」


◎ボッティチェッリ(1445-1510)の「書物の聖母」(ポルディペッツォーリ美術館蔵)写真3

この絵は、レオナルドの初期の聖母子像、特にその直前に描かれた「ブノワの聖母」の影響を受けて制作されたと考えられる。イエスは左手に茨の冠と釘といった受難の象徴を持ち、自分の死の意味を問いかけるように聖母の方を振り返っているが、それに対してマリアは悲しそうな表情を浮かべることしかできない。後方の果物鉢には楽園や原罪を象徴するオレンジやイチジク、サクランボが見て取れる。ボッティチェッリは、フィリッポ・リッピの工房で学び、その画業を受け継いでいくが、後年フィリッポ・リッピの子フィリッピーノ・リッピがボッティチェッリの弟子となり、またライバルとなっていく。

この展覧会には、ボッティチェッリの貴重な作品20点以上のほかフィリッポ・リッピ、フィリッピーノ・リッピの作品もあわせて約75点が集結している。

写真4「エマオの晩餐」(1606年)                写真5「エマオの晩餐」(1601-1603年)

写真4「エマオの晩餐」(1606年)                写真5「エマオの晩餐」(1601-1603年)

◎カラヴァッジョ(1571-1610)の「エマオの晩餐」(ブレラ絵画館蔵)写真4

カラヴァッジョは、1592年ミラノからローマに移り数々の傑作を生み出して名声を得るが、1606年5月、殺人事件を起こしてしまう。この時彼をかくまったのは、この画家のことを幼少時から知るコスタンツァ・コロンナであった。事件後、カラヴァッジョはコロンナ家の領地であるローマ郊外のザガローロに短期間、潜伏するのだが、その時期に制作されたものである。イエスは磔刑の3日後に復活し、エルサレム郊外のエマオで二人の弟子の前に出現する。弟子たちが師の復活を悟る奇跡的な瞬間を登場人物に深い精神性を与えることで再現している。

3年ほど前に彼が描いた同主題作品(ロンドンのナショナル・ギャラリー蔵・写真5・今回は展示されていない)と比べると、弟子たちの驚きのしぐさはかなり抑制されたものになっており、より深遠な感情の動きを感じ取ることができる。他にカラヴァッジョの真筆とされる60点強のうち約10点などが展示される。

2016-02-17-seminar01<講師プロフィール>
■松浦 弘明 (多摩美術大学教授)
1960年岐阜県生まれ。東京芸術大学美術学部芸術学科を卒業後、イタリア政府給費留学生としてフィレンツェ大学へ留学。帰国後、順天堂大学非常勤講師などを経て現在、多摩美術大学教授。日伊協会でイタリア美術史とイタリア語の講座を担当。主な訳書に、『イタリア・ルネサンス美術館』、(東京堂出版・2011年)、『レオナルド・ダ・ヴィンチの世界』(共著/東京堂出版・2007年)などがある。

| カテゴリー : レポート | 投稿者 : adminaigtokyo

第12回「BUONA FORCHETTAの会」ご報告

去る2月23日、第12回「BUONA FORCHETTAの会」が、青山の事務局近くにある「Domenica D’oro(ドメニカ・ドーロ)」で開かれました。

料理の解説をする岩本シェフ

料理の解説をする岩本シェフ

 

2013年6月オープンしたお店は、イタリア語で「黄金の日曜日」という意味。

愛媛県西条市出身の岩本シェフは、ヴェネト州にある3つ星レストランや、アルト・アディジェ(南チロル)のレストランなど北イタリアで修行を重ね、帰国後は銀座の「ヴィノテーカ・ワゴン」で調理長を務めてきました。

 

 

加工肉の盛り合わせ

加工肉の盛り合わせ

 

当日は、ほぼ満員に近い22名が参加。テーブル席、カンター席、個室を埋めつくして、岩本シェフの料理を堪能しました。

前菜は、シェフの故郷から取り寄せた地物野菜、新鮮な魚介類、そして群馬の赤城山麓で仕込まれたハムやサラミなどの加工肉の盛り合わせが絶品でした。

 

 

 

牛肉の赤ワイン煮込み、ポレンタ添え

牛肉の赤ワイン煮込み、ポレンタ添え

 

ペンネッテのパスタに続いて供されたメインは、箸でもきれいに切れる牛肉の赤ワイン煮込み。
添えられたポレンタは、ご存じのようにとうもろこしの粉からつくられた北イタリアの主食のような存在です。

 

 

 

ドメニカ・ドーロ店内

ドメニカ・ドーロ店内

 

マダマ岩本のワインのおすすめもバッチリ。
お二人の人柄が表れた居心地のいい空間もまた、魅力的でした。

今回は、比較的若めの会員も参加いただき、華やかで元気な会になりました。その一方で、年齢層高めの参加者の健啖ぶりに、お店のお二人が驚いていらっしゃったことを付け加えておきましょう。

第5回「楽しいブッフェ交歓会」のご報告

2015-12-08-ryouri
12月8日(火)日伊協会主催の第5回楽しいブッフェ交歓会が西新宿のイタリアン・レストランVivo で開催され、約70名の参加者の皆さんにひと足早いクリスマスムードをお楽しみいただきました。

初めての新宿エリアでの開催でしたが、会員,受講生に加え、多数の一般参加の方々を得て、気軽で自由な交流により日伊協会を身近に親しんでいただける楽しい会となりました。
2015-12-08-chef

Vivoのシェフ吉澤さんが腕をふるったイタリア料理は前菜5種、パスタ2種とメインの肉料理にデザートがつく大サービスで、美味しくオトク感十分との感想をいただきました。

今回の目玉は18点のプレゼントが当たる抽選会。
2015-12-08-tousensha

景品は静岡にあるクレマチスの丘のイタリアンレストランと美術館へのカップル招待券をはじめ、数々の可愛いサンリオ製品、そして美しい額入りイタリア風景写真などでした。

思いもかけずクレマチスの丘の招待券に当たったイタリア人男性は「クレマチスの季節に誰といっしょに行こうか今から楽しみ」と大喜びでした。

クリスマスにちなんだアヴェマリアの斉唱はおなじみの蒲谷昌子理事と門下生の天沼朝子さんの大熱唱。2015-12-08-seisyouそして最後の全員合唱は、フニクリフニクラと赤鼻のトナカイの2曲で本年最後の日伊協会のイベントを盛大に締めくくりました。

参加いただいた方々始め、ご協力いただいたVivoの皆様、そして数々のプレゼントを提供いただいた日伊協会役員の岡野喜之助様、北村憲男様、篠利幸様に厚くお礼申しあげます。

ブッフェ交歓会推進グループ
 担当理事(総括;長尾 司会;内田、歌唱指導;蒲谷)
2015-12-08-kaijyou

| カテゴリー : レポート | 投稿者 : adminaigtokyo

『ACCI Gusto』ご報告

11月17日(火)・18日(水)の両日、都立産業貿易センター台東館で開催され、日伊協会も初参加いたしました『第五回 ACCI Gusto』は、盛会のうちに幕を下ろしました。

各ブースではイタリア料理に欠かせない食材や機材などを取り扱う団体が多く出展し情報提供を行い、またセミナー会場では長本和子氏(日伊協会理事)やバリスタの横山千尋氏、シェフの落合務氏によるデモンストレーションやセミナーが開催され、イタリア料理のシェフやイタリアの「食」に興味のある来場者で会場は終日熱気に包まれていました。

2日間の合計ご来場者数は3,992名とのことでした。
日伊協会会員の皆様には事前にご案内をお送りしておりましたので、会場に足をお運びいただいた方の中には会員と判り、こちらからお声をかけさせていただい方もいらっしゃいました。

ご来場、誠にありがとうございました。

2015-11-17-1 2015-11-17-2 2015-11-17-4 2015-11-17-5

日伊協会の出展に関しまして多大なご協力をいただきました、日本イタリア料理協会および長本和子日伊協会理事にはこの場を借りて心より御礼申し上げます。

| カテゴリー : レポート | 投稿者 : adminaigtokyo

イタリア語による日伊協会特別セミナーのご報告

こんにちは、日伊協会の押場です。

少し時間が経ってしまいましたが、10月3日の日伊協会特別セミナーの報告をさせていただきます。

2015-10-03講師はもうすっかりおなじみのリヴィオ・トゥッチ先生。わかりやすいイタリア語で、盛りだくさんの内容を語っていただきました。あっという間に時間が過ぎてしまいましたね。
トゥッチ先生が選ばれたテーマは、ずばり「イタリア」です。とても大きなテーマですが、その副題に「まだ見ぬ国を求めて」とあります。「まだ見ぬ国」とはどういうことなのでしょうか。

少しイタリア語を見ておきましょう。リヴィオ先生のつけた原語の副題は「 Alla scoperta del paese che non c’è 」ですね。「alla scoperta di… 」は「~を発見するために」という意味。何を発見するのかといえば「存在しない国 il paese che non c’è 」というわけです。この「存在しない国」のことを、ぼくは「まだ見ぬ国」と訳しましたのですが、イタリアのことを「まだ見ぬ国」とか「存在しない国」と言われても、ピンと来ないのではないでしょうか。

イタリアという国は確かに存在します。けれど、そのイタリアは果たして「ひとつの国」と言えるのか。そんな問題意識は、19世紀の終わりにイタリア王国が独立を果たした時からのものです。イタリア史を勉強された方でしたら、イタリア王国が独立した時のマッシモ・ダゼッリョの言葉を思い出すのではないでしょうか。「イタリアという国は出来たが、イタリア人はまだ出来ていない」。イタリアがひとつの国であるのなら、そこにいるはずのイタリア国民は、まだどこにもいない。このトリノの政治家は、そう嘆いていたのです。

実は、20世紀になっても状況はそれほど変わりません。トゥッチ先生がセミナーで紹介してくれたのは、イタリアを代表する女優ソフィア・ローレンがアメリカで受けたインタビューでした。そこで「あなたはイタリア人ですよね?」と念を押されたローレンは、「とんでもない。私はナポリ人よ」答えるのです。するとインタビュアーが驚いて「え?どこが違うのですか?」と尋ね返します。「全然違うわよ」と大笑いするローレンの姿が印象的でしたが、この感覚はイタリアの人以外には少しわかりづらいですよね。

実はイタリアの人々は、イタリア国民である前に、ナポリ人であったり、ローマ人であったり、ミラノ人であったりします。日本でいえば、自分は日本人である前に江戸っ子だとか、大阪人だとか、東北人だとか言うようなものかもしれませんが、イタリアの場合、そこにもっと歴史があるわけですね。その歴史をたどってくれたのが今回のセミナーだったというわけです。

ぼくたちがまず、注意を向けるように促されたのが、副題にもあった「パエーゼ paese 」という言葉でした。現在のイタリア語で「il bel paese (美しいパエーゼ)」と言えばイタリアのこと。「パエーゼ」とは「国」の意味ですね。ところが同時に、「tornare al paese(故郷に帰る)」とか、「La esta del paese (故郷の祭り)」という表現があるように、「パエーゼ」は町や村のような比較的小規模の居住区を示すものでもあります。つまり「故郷」ですね。

トゥッチ先生のセミナーでは、このパエーゼという言葉を、まだイタリアという統一国家が生まれるずっと以前の、14世紀のダンテやペトラルカにまで遡ります。そこにもなお、意味にズレがあることを確認すると、その起源を求めて歴史をさらに遡ってゆくわけです。ぼくたちが案内されたのは、多様で美しい自然を誇るイタリア半島の歴史のドラマ。それはギリシャの植民地であった時代から、古代ローマ帝国の時代、そして教会の時代、中世都市国家の時代から、近代を経て、ヨーロッパ共同体の一員となった現在まで、イタリアとイタリア人を求める長い歴史の旅でもあります。

そんな歴史の旅の終わりに、ぼくたちが知ることなったのは、とてもひとつにまとめることはできないけれど、それでも確かにイタリアという国があり、そこにはイタリア人が暮らしているということ。お互いに違いを認めながら、想像力(ファンタジア)に溢れ、寛容の精神を持ちながらも、個人主義的でアナーキー、芸術的な感性を持って、美的な感覚には優れている人々。

そんなイタリアの人々に共通するものを、リヴィオ先生は「l’arte di arrangiarsi 」と呼ばれていましたね。直訳すれば、「うまく折り合いをつけて切り抜ける術」ということになるでしょうか。この表現は、しばしば否定的に「ずる賢く切り抜ける」という意味でも使われるのですが、良いも悪いもあわせて、ともかくうまい方向に物事をアレンジしてゆく能力のことなのです。

昨今、どうも世界中がキナ臭くなっきていますが、そんな問題山積みの状態だからこそ、このイタリア的な《 L’ARTE DI ARRANGIARSI 》 が今求められているのかもしれない。そんな思いを強くさせられたセミナーでした。

ただひとつだけ残念なことは、あまりにも雄大なスケールのためでしょうか、少々時間が足らなかったこと。お集まりいただいた方々からも、もっと聞いていたかったというお声をいただいております。

リヴィオ先生には、ぜひ近いうちに、お話の続きを話していただければと思います。

では、また近いうちにお会いしましょう。

日伊協会イタリア語講座主任講師
押場 靖志

| カテゴリー : レポート | 投稿者 : adminaigtokyo

・『イタリア留学フェア2015』のご報告

当協会が共催の『イタリア留学フェア2015』、今年も盛会のうちに幕を下ろしました。
来年も是非ご期待下さい!

『イタリア留学フェア2015』

日時: 2015年11月6日(金)・7日(土)10:30~19:00

場所: イタリア文化会館 エキジビションホール

共催: 公益財団法人日伊協会、イタリア大使館観光促進部(ENIT)

後援: 文部科学省、独立行政法人日本学生支援機構、千代田区

2015-11-06-r1 2015-11-06-r2 2015-11-06-r3 2015-11-06-r4

| カテゴリー : レポート | 投稿者 : adminaigtokyo

イタリア留学&旅行セミナー2015秋『 イタリア語に通ずる近道は食にあり?! 』のご報告

2015-11-04-r111月4日(水)、ローマ ディリット校(DILIT International house)のGiorgio Piva校長によるイタリア留学&旅行セミナー 2015秋『 イタリア語に通ずる近道は食にあり?! 』セミナーが開催されました。

イタリア料理とひと括りで言われがちですが、その土地で生まれたものから、シチリアにはシチリアの、ミラノにはミラノのというように、同じ料理はないとのこと。ですからローマにはローマ料理というものが存在します。

そしてローマのレストランで伝統的な料理を食べたいときには、2つの地区トラステーヴェレとテスタッチョに行く事がお勧めだそうです。そして、そのレストランのメニューの中から伝統的なお料理を見つけるコツを教えていただきました。美味しそうな写真を見ながら実際の料理も説明していただき、途中から、ペコリーノロマーノチーズと白ワインの試食試飲もあり、終始リラックスした雰囲気の中楽しいお話を堪能いただきました。

2015-11-04-r2イタリア語を学んでいらっしゃる参加者の方からは「綺麗なイタリア語でしたので聞き取りがしやすくて、思いのほか理解できたのが嬉しい」との声もあがりました。「食」という興味のある方の多い分野と言う事もあり、それを表現するイタリア語への興味にも繋がるような楽しいお話でした。2時間という長時間のセミナーも、あっという間だったとの感想が多く聞かれました。

次回は、得た知識を元に実際にローマの食を堪能する滞在も楽しいかも知れません。

DILIT校はローマでも定評のある語学学校です。一週間から滞在できますので、イタリア語+お料理といったプランなど、ご興味ある方は是非日伊協会までご相談くださいませ。

| カテゴリー : レポート | 投稿者 : adminaigtokyo

『ハム、ハム、ハム、パルマハム』セミナーの開催報告

2015-10-26-r310月26日(月)、『ハム、ハム、ハム、パルマハム』セミナーを開催いたしました。

講師の岡田幸司氏(イタリア食材輸入会社PIATTI主宰)、
山中律子氏(イタリア家庭料理研究家)のお二人にはこれまでも、パルミジャーノ、バルサミコ、ドライトマトといったイタリアの食材をテーマにセミナーを開催していただいており、毎回満席必至の人気セミナーです。今回も、早々に定員満席となり、急遽増設したクラスもすぐに一杯となるほど盛況でした。

今回のセミナーは、イタリア・パルマハム協会50周年を記念した啓蒙活動の一環ということもあり、ハム協会からも食材を提供いただき、もっとパルマハムを知って頂くことがねらいでした。

2015-10-26-r1まずは岡田氏による生ハムとは何かという説明のあと、目の前でスライサーで薄く切られたハムを手で持って口に運び、実際にその香りと味を楽しんでいただきました。とろけるような様に、参加者の方から感激の吐息が出るほどでした。さらに、同じもも肉でもスライスする部位によって味わいが異なるということを実感していただくために、違う部位の切り立ても体験させていただきました。イタリアの食材店では、お客様の要望に応えるべく、様々な部位のもも肉が用意されているとのことでした。

ひとまず切りたての風味を堪能いただいた後、生ハムの伝統的で美味なレシピを山中氏よりご紹介いただきました。何より切り立てが一番の生ハムですが、エミリア ロマーニャ地方にはハムに合うパンがその土地ごとにあること、また、それを使ったお料理についてのアドバイスをいただきました。

2015-10-26-r2少し時間が経ってしまった生ハムの利用法として、生ハムは「だし」であるということから、今回はソースの中に入った刻んだ生ハムがアクセントとなって入っているノルチャ風パスタを試食させていただきました。

最後は実際にご自宅でも「イタリア」気分を満喫していただけるよう、生ハムやパルミジャーノなどの販売を行い、ご参加いただいた方は早速実践していただけたことと思います。この人気の食文化セミナー、次回は来春を予定しております。是非お楽しみに!

| カテゴリー : レポート | 投稿者 : adminaigtokyo

第11回「BUONA FORCHETTAの会」ご報告

10月14日、第11回「BUONA FORCHETTAの会」が、白金高輪にある「Bitto(ビット)」で開かれました。
イタリア全土で4年半、9軒のレストランで修行を重ねた伊東達也シェフが腕を奮うお店です。

ビット

 

こぢんまりとした上品な内装のお店に、16名の会員が集まりました。
前菜からメイン、デザートに至るまで、素材のよさをいかしつつ、手の込んだ引き立った味わいが印象的な料理が続きます。

 

 

 

桜海老のパスタ。

桜海老のパスタ。

 

マルケ州の3つ星レストラン「ウリアッシ」で前菜・パスタ・メインの創作も任されたという伊東さんならではの、イメージ豊かな料理を堪能しました。

ちなみに、店名のビットは、イタリア人が「イトウ」という発音がしづらく、伊東さんのこと「ビット、ビット」と呼んでいたことにちなんで付けられたとのことです。

 

 

 

メインは、各種の肉の盛り合わせ

メインは、各種の肉の盛り合わせ

 

参加メンバーは、常連となった人たちだけでなく、今回初参加という方々も多くいらっしゃいましたが、みなイタリア好き、食べることが好きという共通点がありますから、すぐに打ち解けて、楽しいひとときを過ごすことができました。
伊東シェフをはじめ、Bittoのみなさま、お世話になりました。

 

 

 

 

 

 

ビット

 

食事会のイベント情報は、会員通信やホームページで告知しています。まだ日伊協会の食事会イベントにいらっしゃったことのない会員の方々も、ぜひご遠慮なくご参加ください。

食文化セミナー「イタリア料理の皿を読む」のご報告

2015-09-28-019月28日(月)、食文化研究家の長本和子先生による食文化セミナー「イタリア料理の皿を読む」が開催されました。

まず「ボンゴレのスパゲッティはいつ頃できたお料理だと思いますか?」という問いかけからセミナーはスタートしました。

トマト、にんにくといったそこで使用されている食材、そして乾麺であるということから、そのお料理が食され始めたおよその時代の見当をつける事ができるとのことです。

また、古代ローマ時代から存在していたといわれているお料理、例えば子羊のローストなどが、ほぼ同じ工程で現在も食されていることも、わかりやすい画像などからご説明いただきました。

そして、イタリア料理の二つの流れ、『クチーナ リッカ(貴族料理)』と現在のイタリア料理につながる『クチーナ ポーヴェラ(庶民料理)』のおこりから現代までの流れ、それを担っているマンマたちの奮闘ぶりなどを楽しくお話しいただきました。

2015-09-28-02使われている野菜やハーブ、油、肉などからも地方性や季節性が見えてきます。

「皿」を読み解いていく事によって、イタリア料理を理解する事ができる、そんな「目からうろこ」のお話が満載でした。

1時間というセミナー時間はあっという間に過ぎ、是非また続きの時間を設けて欲しいとの声がたくさんあがりました。

日伊協会では「食」をテーマにしたセミナーやイタリア語講座を多数開催しておりますが、毎回たくさんの方にご参加いただいており、「イタリアの食」への関心の高さが伺えます。

長本先生のセミナーへのアンコールも含め、今後も様々な角度から「イタリアの食」をご案内していきたいと思います。

ご期待ください!

| カテゴリー : レポート | 投稿者 : adminaigtokyo

『イタリアン・ポップス』セミナーご報告

2015-07-25-1去る7月25日(土)の16:00~18:00、今年で3回目となる『イタリアン・ポップス』セミナーを開催いたしました。
この日は今年一番の猛暑日でしたが、20名近くのご参加をいただき、カンパリやオレンジジュースを片手に、音楽はもちろん貴重な秘蔵映像も楽しんでいただきました。

講師は、毎回お馴染みのイタリアン・ポップスのエキスパート、磐佐良雄氏。
磐佐さんは、日本で唯一のイタリア音楽の専門誌『ムジカ・ヴィータ・イタリア』*の編集長であり、約10年にわたり、イタリア音楽の愛好会『ピッコラ・ラディオ・イタリア』を運営していらっしゃいます。日伊協会会報誌『クロナカ』にもイタリアン・ポップスの記事を連載中です。

今回のテーマは、「ラ・ヴィータ(人生)」。イタリアン・ポップスの名曲の中には、歌い手や作り手の強烈な想いが込められているものが多くあります。詩やメロディには、彼らの人間臭い生き様が反映されており、それらをじっくり聞いていくと彼らの人生の変遷を感じることができます。

2015-07-25-2セミナーで取り上げたアーティストは、エロス・ラマゾッティ(1963-)、アル・バーノ(1943-)、ミア・マルティーニ(1947-1995/47歳没)、そしてマウリツィオ・ファブリツィオ(1952-)の4人です。離婚・再婚の繰り返し、娘の失踪、自身の不器用な生き方など、それぞれの歌手の人生の推移を、それらにまつわる曲と映像の紹介とともにわかりやすく解説していただきました。

エロス・ラマゾッティ、アル・バーノ、ミア・マルティーニの3人は、日伊協会の秋期イタリア語講座『イタリアン・ポップスを楽しもう』(10/26~)でも取り上げますので、より深く彼らの人生と作品を理解したい方は、ぜひご検討ください。

セミナー終了後には、知る人ぞ知る神保町のマニアックなCD&DVDショップ『タクト』さんによる販売もあり、多くの方が立ち寄られていました。

磐佐さん、タクトさん、そしてご来場いただいた参加者のみなさん、暑い中ありがとうございました! 今後も継続的に開催していきたいと思いますのでぜひご期待ください。

*『ムジカ・ヴィータ・イタリア』誌は、日伊協会事務局でも受講生・会員向け特別価格で販売しております。

| カテゴリー : レポート | 投稿者 : adminaigtokyo

連続文化セミナー『古代ローマの皇帝たちとそのイメージ』
              第5回 「変容するコンスタンティヌス帝」のご報告

20150713ローマ皇帝たちは、モニュメント、彫像、コイン、碑文などの記録物を通じてどのようなイメージを伝えようとしたのでしょうか。また、皇帝のイメージはどのように利用されたのでしょうか。全5回の連続セミナーでは「イメージ」を手がかりとして、歴史や美術など様々な立場から古代ローマの皇帝たちの姿を紹介してきました。

7月13日18:30~20:00、『古代ローマの皇帝たちとそのイメージ』シリーズ第5回が開講され、25名の方が参加しました。いよいよシリーズ最終回の第5回では、これまでが帝政前期の皇帝を対象としてきたのに対し、帝政後期のコンスタンティヌス帝を中心に取り上げて、田中創先生にお話をいただきました。

4世紀に活躍したコンスタンティヌス帝(位306-337年)は、キリスト教を公認したほか、新首都コンスタンティノポリスを建設するなど、それまでのローマ帝国の政策とは隔たった、革新的な試みを行った皇帝として記憶されています。

しかし、コンスタンティヌス帝が帝国の覇権を握り、後世に記憶されるようになるまでにはさまざまな紆余曲折がありました。そこで本セミナーでは、コンスタンティヌス帝が生きた時代、そして彼が死んだ後の時代という二つの段階を扱いながら、皇帝のイメージがどのように利用されていったのかをお話いただきました。

コンスタンティヌス帝は、帝国の政治的混乱に終止符を打ったディオクレティアヌス帝(位284-305年)が残した政治的遺産に直面せざるを得ませんでした。とりわけ、ディオクレティアヌスが導入した四帝統治体制は、帝国の地理的拡大などの現実的問題に対応するために不可欠な措置ではありましたが、同時に後継者問題をはじめとした新たな問題をもたらすことになりました。
20150713-roma3
コンスタンティヌス帝は312年ミルウィウス橋の戦いにおいて、「暴君」マクセンティウスを破りますが、コンスタンティヌスはブリタニアから軍を発し、マクセンティウスはローマにいました。ローマの凱旋門の碑文によれば、記念門は「首都の解放者」としてコンスタンティヌスに捧げられました。この時すでにイタリアの都市としてのローマと世界帝国としてのローマの間に視点のずれが生じています。このあと324年までに帝国全土を統一しますが、330年にはコンスタンティノポリスを建設し、遷都します。

コンスタンティヌスが残した図像やモニュメントにはそのような政治状況と関連させられるような特徴がいくつも認められることを指摘されました。興味深かったのは四帝時代のコインの肖像が4人とも無精ひげのそっくりさんであるのに対しコンスタンティヌス帝はひげなしでいかにも正統な皇帝といったイメージが作られていることです。

ミルウィウス橋の戦いの前に十字の啓示を受けたことでキリスト教に改宗したという逸話があり、その後「ミラノ勅令」でキリスト教を公認したとされています。コンスタンティヌスのキリスト教とはどのようなものであったのでしょうか。霊廟や洗礼を巡るいくつかの記録を見る限り、後の時代にさまざまな脚色を加えられて記憶されることになったものとはかなり異なったイメージが見られます。例えばコンスタンティノポリスにおける皇帝像はポイティンガー図(4世紀ころに作成された世界地図)に見られるように記念柱の上には太陽神とともにあり、伝エウセビオスの『コンスタンティヌスの生涯』には、生前に準備された霊廟では12使徒の安置台を聖なる列柱のように立てその間に自分の棺を置くという計画になっています。また洗礼についてもコンスタンティヌスは人生の最期にニコメディアの司教エウセビウスによって洗礼を受けたとヒエロニュムスの『年代記』にあります。しかし後代になると「カルケドン公会議」において模範としてのコンスタンティヌス像が作られ、また、「コンスタンティヌスの定め」においてはローマ皇帝シルウェステルによって洗礼を受けたとされるなど、変容していきます。その変容する皇帝像を通じて、歴史が作られていく一局面を覗いてみることができました。(山田記)
20150713-roma1
講師紹介:■田中 創(たなか はじめ)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。文学博士。日本学術振興会特別研究員を経て、現在は東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻准教授。専門は古代ローマ史、初期ビザンツ史。ローマ帝国の行政制度や地中海世界の都市文化を研究している。訳書:『リバニオス 書簡集』(京都大学学術出版会、2013年)

| カテゴリー : レポート | 投稿者 : adminaigtokyo

連続文化セミナー 『古代ローマの皇帝たちとそのイメージ』
              第4回『 ローマ皇帝と馬 ― 美術作品からの考察 ―』 のご報告

6月19日(金)18:30~20:00、『古代ローマの皇帝たちとそのイメージ』シリーズ第4回が開講され、参加者は25名でした。

ローマ皇帝の像は、しばしば馬像と共にモニュメントにあらわされた。この回では、凱旋行進や戦場場面において、皇帝の権威付けやプロパガンダのため、馬の表現がどれほど大きな役割を果たしているかについてお話をお聞きした。

まずなぜ馬に注目するかをより深く理解するために、当時の社会的背景、例えば古代ローマ社会において馬が担った多くの重要な役割(移動、戦争、動力、荷役、情報伝達、”パンとサーカス(キルクス)”、動産としての価値、愛玩動物、狩や戦争の伴侶など)が紹介された。碑文から戦車競走への人々の熱狂ぶりが伝わってくる。加えて、皇帝と馬のエピソードや、碑文やモザイクに記された馬名の史料(預言者、農夫、神祇官、弁護士、漁師、裁判官など所有者の職業名・身分が馬名としてつけられた。) から馬が当時の社会に不可欠な存在であったことが述べられた。

次に馬と共にあらわされた皇帝のイメージについて実際の作品に即して考察された。《トラヤヌス帝記念柱》においては皇帝の馬を中心にローマ騎兵の馬と蛮族ダキア兵の馬を描き分ける精妙さに驚く。《ティトゥス帝凱旋門》では凱旋行進の場面が、また、《コンスタンティヌス帝凱旋門》においては戦闘場面が描かれている。《マルクス・アウレリウス帝騎馬像》などに見る騎馬像の馬の形とスペイン乗馬学校などで見る実際の馬の動きには矛盾があるものの、やはり騎馬像は馬の首を立てて凱旋行進する姿が理想の形であり、戦車や騎乗での凱旋行進の無くなった19世紀の騎馬像にあっても、なお古代ローマの騎馬像が手本であった。歴代皇帝のコイン図像においても戦闘タイプと凱旋行進タイプがあり、いずれも人々が頻繁に手の上で目にすることによって、皇帝蔵のイメージがより強く伝えられることとなった。

皇帝像を馬とともにあらわすことでより強くイメージが伝えられる。動物の中でも馬は特別の存在であり、権威付け→プロパガンダとしては最高の効果を発揮した。また凱旋行進は最高の名誉の一つであり、凱旋門は4頭立て凱旋戦車+台座で成り立っていることに注目すべきである(現在残っている凱旋門は実は台座であり、肝心の凱旋戦車の像が欠けてしまっている)。

講師はさらに個人的な見解として、御す者と御される馬の関係を、皇帝とその治世下に暮らす市民のイメージになぞらえておられる。実際に乗馬を趣味とされる講師だからこそ到達された見解であり、卓見だと思う。(山田記)

講師紹介:■中西 麻澄(なかにし ますみ)
東京大学大学院総合文化研究科学術研究員。東京藝術大学ほか非常勤講師。『古代ローマ社会における馬―モニュメント、美術作品から読み解くローマ人の馬へのまなざし―』にて博士号(学術/東京大学)。専門は美術史。趣味の乗馬を契機に、現在は馬の美術表現を研究している。

| カテゴリー : レポート | 投稿者 : adminaigtokyo

第67回談話会 報告

5月30日に第67回談話会が開催され、日本ロッシーニ協会会長の水谷彰良氏を講師にお迎えして、「現代によみがえる19世紀の天才作曲家ロッシーニ」をテーマにお話していただきました。(参加者数35名)

ロッシーニはモーツァルトに続いて現れた天才作曲家であり、シューベルトやベート-ヴェンと同時代者でした。彼は早熟な才能を顕し12歳で4重奏ソナタ、18歳からオペラ作曲家として活動しましたが、その期間はわずか20年間にすぎません。ロッシーニはその20年間に驚異的なスピードで進化し、伝統的なオペラの形式を完成に導き、≪ギョーム・テル≫(日本では≪ウィリアム・テル≫の題名で知られる)によりロマン派歌劇の扉を開いて、37歳でオペラの筆を折りました。

歌の技法を極限まで高めたベルカントと呼ばれる声楽様式もロッシーニにより頂点を迎えましたが、1840年ごろを境にベルカントの時代が終わりを告げると、その後はロッシーニはオペラ・ブッファの作曲家としてのみ認知されていました。しかし、ロッシーニはオペラ・セーリアの改革を進め、カトリックの厳しい制約を打ち破って、舞台上での殺害や自決などの悲劇的結末を採用した作劇をしました。19世紀末には≪セビーリャの理髪師≫≪セミラーミデ≫≪ギョーム・テル≫だけがレパートリーに残るような状態でしたが、20世紀半ばにマリア・カラスがロッシーニのオペラ・セーリアを歌って再評価が始まり、故郷ペーザロで始まったロッシーニ音楽祭などにより、ロッシーニの音楽の進化と革新性の見直しが始まりました。現在では世界の歌劇場における上演数ではワーグナーを抜き、ヴェルディ、モーツァルト、プッチーニに続いて第4位となっています。

お話の中で、初期の作品からさまざまな歌手によるベルカント様式、声と歌唱の華麗な技法の例、≪オテッロ≫と≪マホメット2世≫からオベラ・セーリアの悲劇的結末の例、またパリ時代のロッシーニの作品≪ランスへの旅≫≪オリー伯爵≫≪ギョーム・テル≫の映像を見せていただきました。短い時間で、さわりだけでしたが緻密にご準備されているので十数本の作品を楽しく鑑賞できました。

ロッシーニは美食家としても大変有名で、そのお話も伺いたかったのですが時間が足りずに伺えず残念でした。またの機会を作りたいと考えています。美食家としてのロッシーニを物語るものとして、先生がポテトチップスの「ロッシーニ味」という商品を見せてくださいました。どんな味なのか是非買って試してみようと思います。

| カテゴリー : レポート | 投稿者 : adminaigtokyo

第4回 日伊文化交流「初夏のフェスタ2015」ご報告

去る6月13日、日伊協会主催の「初夏のフェスタ2015」(共催:イタリア文化会館、後援:在日イタリア商工会議所、協賛:ターキッシュ エアラインズ)を、東京・九段のイタリア文化会館において開催いたしました。
当日は、日伊協会の会員のみならず、イタリアに興味を持つ多くの方に来場いただき、盛会となりました。

笛田博昭氏

笛田氏のテノール独唱

 

第1部前半は、笛田博昭氏のテノール独唱、日伊協会蒲谷昌子氏のピアノ伴奏によるイタリア歌曲、オペラアリアなど。

笛田氏は、昨年の第50回日伊声楽コンコルソ優勝者で新進気鋭のテノール歌手で、その掛け値なしに素晴らしい歌唱力と迫力に会場は圧倒されました。

 

 

笛田氏にインタビューする蒲谷氏

笛田氏にインタビューする蒲谷氏

 

また、蒲谷氏のインタビューに気さくに答えてくださり、その飾り気のない素顔にまた魅了されました。

 

 

 

 

 

熱く語る絹谷画伯

熱く語る絹谷画伯

 

第1部後半は、絹谷幸二画伯の講演です。絹谷画伯は、絢爛たる色彩と迫力でイタリアを描き続け、昨年には文化功労者の顕彰を受けられた現代日本を代表する画家です。

 

 

 

 

自作を前にユーモラスな解説

自作を前にユーモラスな解説

 

画伯がヴェネツィアに留学されたときのエピソード、常人には計り知れない画家としての心構えやものの考え方、そしてイタリアへの熱い思いをユーモラスに語っていただき、楽しいなかに得るものが多いひとときとなりました。

 

 

 

 

第2部はラッフル(くじ付き募金券)抽選会。
ターキッシュ エアラインズのご提供による日本・イタリア往復ペア航空券(ビジネスクラス)をはじめ、数多くの景品のご提供をいただき、抽選会はおおいに盛り上がりました。

150613festa05 この募金は、日本からイタリアへの文化発信事業に助成する「日本文化奨励基金」を拡充することを目的としています。今年の夏も、例年通り、イタリア人大学生に対する「日本語・日本文化夏期講座」に助成をする予定でおります。
おかげさまで、今回もみなさまの暖かいご支援をいただき、用意した500枚を完売いたしました。

 

 

第2部の終わりには、蒲谷理事のピアノと歌唱指導により、全員でナポリ歌謡の『フニクリ・フニクラ』を歌いました。

第3部では、イタリア料理とワインを楽しみながらの歓談の時間です。今回は、これまでの反省をもとに、参加者のみなさまの動線を再考したことで、スムーズな食事ができたかと思います。

150613festa06

 

 

 

 

 

 

最後になりましたが、ご参加くださった方々に、改めて御礼を申し上げるとともに、今回の企画に協力をいただいた、以下の企業・個人に深く御礼を申し上げます(敬称略)

本イベントに多くの企業・個人からラッフル景品、食材、飲物のご提供など多大の協賛をいただきました。ここにお名前を掲載して御礼申し上げます。(敬称略)

イタリア文化会館、在日イタリア商工会議所、ターキッシュ エアラインズ、株式会社資生堂、ヴァンジ美術館、株式会社文芸社、小田原城カントリー倶楽部、BS日本/テレコムスタッフ株式会社、Caruso 遠藤美紀子、株式会社ジィエィインク、篠利幸、株式会社サンリオ、仙台日伊協会、Barilla Japan株式会社、株式会社リョービツアーズ トゥッタ・イタリアカンパニー、花の騎士団、リストランテ文流、株式会社フォルトゥーナ(バール・デルソーレ)、有機栽培 吉田農園、企業組合かほくイタリア野菜研究会、農業生産法人 KOSMOS、Kふぁーむ(チルコロ共生事業事務局)、エイコ―フードサービス株式会社、株式会社サントリー/CAMPARI JAPAN株式会社、日本リカー株式会社、株式会社ワインウェイヴ、スリーボンド貿易株式会社、有限会社アビコ、日欧商事株式会社、株式会社モリス商会、株式会社ノルレイクインターナショナル、株式会社メモス 東京支店、パラディーゾ・ジャパン株式会社、モンテ物産株式会社 大阪支店、株式会社スマイル