坂本鉄男 イタリア便り 偉大な知日派神父

12月26日、上智学院元理事長で上智大学の学長を務めたヨゼフ・ピタウ大司教が東京で亡くなられた。先生(私は上智大卒ではないが、昔から「先生」とお呼びしていた)の名前を知っている日本人はそれほど多くないかもしれないが、「偉大な知日派神父」の名前にふさわしい方だった。

1968年の大学紛争のおりには上智学院理事長として、西欧的合理主義教育者として、他の大学に先んじて機動隊導入とロックアウト(閉鎖)を決め、大学の建造物の荒廃を防いだ。

イタリアに戻られてからは、イエズス会の総長代理やローマ法王庁の教育省次官として重責を果たした。法王庁における随一の日本通でもあった。

約20年前、カトリックのグレゴリアナ大学学長をなさっておられたとき、日本文学者のドナルド・キーン先生と一緒に官舎を訪問した。大学最上階の眺望の素晴らしいテラスの一角に小さな建物があり、「専用バスルームのある住まいは初めてです」とおっしゃった。

ユーモアの持ち主で、わが家の食卓でキーン先生とともにかわした「日本の食物談議」は忘れることができない思い出となった。5年前に一時帰京したとき、共通の知人のリサイタルで付き添いの方に手を取られて隣席に座られた先生とお話ししたのが最後であった。

坂本鉄男

(2015年1月11日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)