坂本鉄男 イタリア便り 洋の東西 違えども

 今でこそ薬といえば科学的に合成されたカタカナ名のものが大部分だが、昔は洋の東西を問わず薬草を主成分とするものが一般的だった。

 ゲーテの「イタリア紀行」を読むと、今から227年前の1786年9月27日、植物や鉱物に深い関心を持っていた彼はイタリア北部パドバ市の植物園を訪れ、自らの植物哲学に自信を深めた。本日の話題はゲーテの哲学ではなく、この植物園についてである。

 今は世界遺産になっている世界最古のこの植物園は、ゲーテの訪問よりさらに200年以上前の1545年に当時のベネチア共和国によって開設された。目的は、市民の病気治療のための薬草の研究と、交易によりアジアやアフリカなどから運ばれてくる珍しい植物の保存と研究だった。このため、開設当初の名称は「薬草園」だった。

 この植物園は以後、イタリア国内の主要都市のみならず、ポルトガルのリスボンやオランダのライデンなど各国の植物園の見本となった。

 日本でも、現在の東京大学付属小石川植物園は、1638年に江戸幕府が急増する江戸市民のために薬草を育てる目的で、江戸の2カ所に開設した「薬園」が元であった。

 起源をたどると、人間の考えることにそう変わりはないことが分かる。

坂本鉄男
(10月20日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)