坂本鉄男 イタリア便り 宣教師の覚悟

人間とは動物の中で一番残酷な動物である。イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」による人質や捕虜を残忍に殺害する方法などは人間業とは思えないが、北朝鮮の最高指導者が国防相(当時)を対空機関砲で射殺したとされるのも同じようなものだ。

しかし昔からカトリックの殉教者の中には身の毛もよだつほど残酷な殺され方をした人が多かった。イエス・キリストのはりつけも当時の罪人の処刑方法の一つで、息を引き取るまで時間がかかる残酷なものだ。

最初のキリスト教の殉教者聖ステファノはユダヤ教を非難したため石打ちの刑にされた。今でも、イスラム教国では不倫を犯した女性が人々の投石を浴びて殺される。むごい刑である。有名な聖女チェチリアは、わが国の大盗賊石川五右衛門の釜茹(ゆ)でに似た蒸気蒸しの刑にされても死なず、首を切られて苦悶(くもん)のうちに死んだ。

ローマの七丘の一つチェリオの丘にある聖ステファノ・ロトンド教会の壁には、こうした残酷な殺され方をした殉教者の処刑シーンが生々しく描かれている。この教会はもともとドイツ人宣教師を養成するためのもので、創始者がアフリカなど世界の未開の地に赴く宣教師に、いかなる死も覚悟するよう教えるために描かせたといわれる。偉いものだ。

坂本鉄男

(2015年9月20日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)