「マンドリン通信」 素晴らしき仲間

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所属するマンドリンオケの練習が始まりました。ブレイシャ*では、4月に日本のあるマンドリンオーケストラが音楽交流で来伊し、合同コンサートの予定があります。この日は参加者が少なく、ミラノから電車で参加している私は、マンドリン奏者がいつもの半分でしたので貴重な弾き手として歓迎されました。

このグループは皆仲がよく、和気あいあいで、それぞれがワインとサラミ、お菓子やおつまみを用意していて、練習のあと皆でそれを片手に歓談します。これが楽しいのです!この日は、スプマンテとパネットーネ、そしてメンバーが ホームベーカリーで作ってくれた私の好きな柔らかいふわふわパン!サラミと絶妙な取り合わせで美味しかった!

この練習の前に個人レッスンがありましたが、長い休暇中に私なりに、練習をしてきた甲斐があり、良い成果で マエストラ(女性)に、「Sekiさん、とっても良いじゃないですか!」と初めて褒められ!!!実は、私の以前の弾き方は「日本式」のため、イタリアの演奏法と異なり、ダメ出しの連続で、若くはない私にとって変更は難しく挫けそうになっていましたが、ようやく一筋の光が見えて来ました。

日本のマンドリニスタが海外に留学して音楽院に行った場合、ほぼやり直しになることが、ままあるようです。特にドイツは楽器やピック、奏法が異なり、苦労するマンドリニスタがいらっしゃいました。私はアマチュアですが、イタリア奏法は理に適っていて、より優れた演奏をするのに納得することが多く、頑張って変更しています。マエストラからはレッスン後、私の好きなバッハのバロック音楽の譜面を「次回からやりましょう」と提案され、少し前進できたことが私を更に励ましてくれました。
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ミラノのオケの練習もスタートしました。2月~4月まで コンサートが毎月あり、今年になりまだ弾いていない曲が20曲も送られて来ました。プリンタがないので、その都度コピーショップ行って印刷してくるのですが、面倒で経費も掛かるので、最近プリンタを購入しようかと思っています。

嬉しいことがありました。昨年夏、手首を骨折してしまった6年来の マンドリン友人が今月からオーケストラに復帰しました。治癒祝いに誘って食事した時、彼の好きなマンドリニスタのCDをプレゼントされ、私は怪我で来れなかった彼のためにモデナ**で プレゼントされたマンドリン曲集をプレゼントしました。彼は年齢遅くしてマンドリンを習い始めましたが、私以上に有り余る情熱をマンドリンに注いでいて、一生懸命なその姿に感銘しています。まだ、手首は完治とは言えませんが少しずつでも治ってほしいと願う日々です。

そして、年末にチャイナタウンで知り合った韓国人女性Jさんとランチをしました。共通言語のイタリア語で何と4時間もお喋りしました。何故か、互いに初めて会った気がせず、何の違和感もなくイタリアの情報交換をした充実の時間でした。彼女はイタリアで4年間ジュエリーデザインの勉強をしたのち、あらためて仕事を探しに昨年来伊、幸運にも仕事を得たとのことでした(才能があるのだと思います)。以前は別の仕事を韓国でしていたそうですが、若くはない(40歳代)人生の再スタートをイタリアで始めたそうで、その勇気と運の良さにビックリしました。

Jさんの話では、イタリア在住の自国の友人より他国籍の友人に助けられたことが多いとの事でした。 一人でデザイン画を描くという仕事柄、 孤独になりがちになるので、私と知り合えたことをとても喜んでいました。私もそう話してくれるJさんが、とても身近に思え、素晴らしい出会いだと思っています。同じアジア人ということで人付き合いの仕方にも、似た習慣がありますね。これからのお付き合いが楽しみです。コンサートに誘う予定です。

私のマンドリンを通じて知り合ったイタリア友人達は、いつも心広く迎えてくれ、助けられたこと、甘えさせてもらったこと数多く、そんな友人を持てたことを幸せだと痛感しています。特に、南の友人達はいつもこう言ってくれます。「この家のドアはいつも君のために開いている。いつでも、いらっしゃい」と。勿論私も好意を受けるだけでなく、自分も出来るだけの情報提供や、手助けを沢山しています。文化も言葉もかなり異なる東洋人である私を、理解して貰うためには、進んで近づく努力が必要です。言葉の上手下手ではないということを、自ら実践して身につけました。

*ブレイシャ:州都ミラノの東約80km、ベルガモ、クレモナからも約50kmに位置する街
**モデナ:エミリア=ロマーニャ州の人口18万人の街。ミラノからは南東へ約165kmの距離