坂本鉄男 イタリア便り カノーヴァの嘆き

 18世紀後半から19世紀初頭にかけて全欧州を席巻したフランス皇帝ナポレオン・ボナパルト(1769~1821年)は、パリを政治のみならず文化面でも欧州の中心とするため、パリの美術館に欠けていた古代ギリシャやローマの美術品の収集に乗り出した。

 そこで目をつけたのが最愛の妹で、初婚後数年で未亡人となったマリア・パオリーナの再婚先のローマの大貴族カミッロ・ボルゲーゼ公爵の持つ世界的に名高いボルゲーゼ美術館所蔵の古代美術品である。

 ナポレオンは、こうして1808年、義弟を説得し金貨1300万フランで695点もの古代の逸品を購入しルーブル美術館の古代美術部門の中心を作った。この売却は、現在もボルゲーゼ美術館の目玉作品の一つ、美人として評判だったパオリーナ公爵夫人の半裸体大理石像を制作した彫刻家カノーヴァに、「公爵家にとり永遠に恥を塗る暴挙」と叫ばせたものであった。

 この屈辱的売却から2世紀後の昨年12月初旬から今年の4月9日まで、ルーブル美術館から64点の大理石作品が一時的に貸し出され、大部分が元あった場所に陳列された。2体の有名なエルマフロディーテ像をはじめ、一時的返却品を見てカノーヴァの嘆きが痛切に理解できた次第である。

坂本鉄男
(4月15日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)